第13話 影に従う者
柊馬―― 里の者なら誰しもその名を知る、冷静沈着な男。才蔵と並び、影に日向に数々の修羅場をくぐり抜けてきた、まさしく“知”の象徴である。
年は才蔵の一つ下、二十四。 冷静沈着にして剣技も冴え、機略に富み、里でも一目置かれる才であった。 才蔵が“武”ならば、柊馬は“知”──
この二人が肩を並べて戦場に立てば、もはや勝敗は見るまでもなかった。 共に幾度もの修羅場を潜り抜けた盟友であり、烈道が信を置く数少ない男のひとり。 そして何より、葵と心を通わせた、かけがえのない存在であった。
「……まだだ。あやつが、そう易々と果てるはずがない……」
烈道は、己にも言い聞かせるように、低く、しかし力のこもった声で言い放った。
その面(おもて)は静かにして猛く、動じぬ将の気迫を湛えていたが、 その眼(まなこ)の奥には、わずかな翳り(かげり)がにじんでいた。
それでも、烈道の言葉に、周囲の忍びたちは深く頷いた。 その頷きは、言葉を越えた信頼の証であり、彼らの胸にわずかな灯をともした。
ただひとり──その中で、忍び頭・清之助だけが、わずかに表情を曇らせ、小さく頷いた。 自らが「やられた」と口にした手前、 仲間たちの胸に不安の種を蒔いてしまったことが、心に重くのしかかっていた。 その胸中のざらつきが、ほんの一瞬、頬の筋をかすかに引きつらせる。
烈道は、そのわずかな揺らぎすら見落とさなかった。
才蔵と並び称される男が、そう易々と倒れるはずがない。 誰もが、そう信じたかった──いや、信じていた。
しかし、才蔵が戻らぬ今──柊馬までが討たれたとすれば── 烈道の胸の奥には、どうしても消せぬ焦りがにじんでいた。
その証拠に、烈道の顎から一筋の汗が、つうっと滴り落ちた。 それに気づいた彼は、わずかに目を閉じ、静かに息を整える。
──揺らぐな。
己に言い聞かせるように、ひとつ深く息を吐いたのち、 烈道はまぶたを開け、ふたたび仲間たちへと視線を巡らせた。
「これから、奴を裏山におびき寄せる。あそこなら、こちらにも分がある。訓練用の罠も残っておるはずじゃ」
烈道の声に、周囲の忍びたちが無言で頷いた。いずれも目に宿るのは、迷いなき覚悟。
烈道は鋭く視線を巡らせ、ふたりの男に目を止める。
「清之助、庄兵衛──お主らは、今すぐ裏山へ走れ。訓練場の罠が使えるかもしれん。整えておけ」
「はっ!」
返答は重ねず、清之助と庄兵衛は一礼のみで、即座にその場を飛び出した。
身をかがめ、風のように地を駆ける。夜の山道を、ふたりの影が闇の奥へと溶けていく。
かすかな土のざらつきだけが、彼らの足跡を残した──
そこへ入れ替わるように半九郎がその輪に加わった。
「烈道様、猛毒の矢をたくさん用意した。こいつであのでか物、懲らしめてやりますよ」
小柄な細身の男──半九郎は、齢(よわい)四十を数える忍びであった。年の割に皺(しわ)は少なく、無表情な面差しは、まるで人形のように冷ややかだった。 頭髪が無いせいで、よけいそう見えた。目は細く切れ長。
その手に弓を持たせれば百発百中。風を読む目と、息を殺す術においては、里一と囁かれるほどであった。 だが彼の真骨頂は、毒──その調合と扱いにおいて右に出る者はいなかった。
猛毒、遅効性、幻覚、痺れ……半九郎の持つ小さな瓢箪の中には、どれほどの死が詰められているか誰も知らぬ。
毒に通じる者にありがちな、情の希薄さ。半九郎もまた、その例に漏れぬ。
「……あの化け物をのたうち回る姿は、さぞや絶景でございましょうな」
普段は使いどころのない猛毒の矢を、惜しげもなく放てる好機とあってか── 半九郎だけは、どこか浮き立った気配を纏っていた。
この地獄のような緊張感の中にあって、ただひとり、わずかな愉悦すら感じさせるその異質さは、 不気味でこそあれ、どこか頼もしさすら帯びている。
「……懲らしめてやる。懲らしめてやるぞ……」
そう呟くその声には、明らかに悦びの色が滲んでいた。
それを聞いた弥八が、眉をひそめる。
「半九郎……黙ってろ」
「懲らしめるくらい……」
半九郎は口を尖らせながらも、弥八の方を見ようとはせず、あくまで軽く受け流すように呟いた。 その横顔には、不満と、どこか拗ねたような色がにじんでいた。
その直後、烈道の低く落ち着いた声が静かに割って入る。
「頼りにしてるぞ、半九郎」
ぴたり──半九郎の肩が止まった。 細い目がわずかに揺れ、烈道を一瞥(いちべつ)する。 そして、小さく息を吐き、静かに頭を下げた。
「……お任せを。あの化け物、必ずや毒で泣かせてみせましょう。いや、絶叫を──」
だがすかさず、弥八がひと睨みくれて言い放った。
「だから黙れ。時が惜しいんだ」
「はいはい……」
半九郎はわずかに頬をひくつかせ、矢筒を担ぎ直すと、しぶしぶながらも口を噤んだ。 その背中には、まだ何か言いたげな気配が残っていたが、それきり、ひと言も発さなかった。
──この男は、烈道にだけは、絶対に逆らわぬ。 そんな暗黙の了解が、里の者たちのあいだには昔からあった。
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