第4話 黒霞(くろかすみ)に燃ゆる夢
焚き木の炎が、ぱちぱちと静かに音を立てながら、才蔵の頬を赤く照らしていた。
すすでくすんだ火の明かりが、まるで古傷をなぞるように揺れながら、彼の無表情な横顔に影を落とす。
才蔵はうっすらと目を開け、揺らめく火の粉をぼんやりと見つめていた。
視線は焦点を結ばず、遠く、何かを追いかけているようだった。頬を一筋、涙が伝う。
冷たくもなく、熱くもなく、ただ生ぬるいそれは、夢の名残だった。
――悪夢。
血と炎が渦を巻く、まるで地獄絵図そのものの光景。
焼け落ちる家々、焦げつく肉の臭い。
それら全てが、夢とは思えぬほどの生々しさで、才蔵の五感に突き刺さっていた。
ゆっくりと目を開け直し、頬の涙を手の甲でぬぐう。
皮膚に残るそのぬくもりが、夢と現実の境界をぼやけさせていた。
震える呼吸を、なんとか整えようとする。
一度、深く息を吸い、肺の奥から空気を吐き出す。だが――
それでも胸の奥には、夢の中で浴びたあの恐怖と絶望が、しつこく貼りついていた。
まるで黒い霧が、身体の内側から離れようとしない。
現実に目覚めたはずなのに、あの闇はまだ肌の裏側に、粘りついたまま残っている。
「……夢か」
掠れた声が、ぽつりと漏れる。
その声は、闇に吸われるように消えた。
才蔵自身、その夢がただの幻だったとは思いきれなかった。
あまりにも鮮烈で、あまりにも“現実”だったのだ。
声には、わずかな安堵、そして拭いきれぬ恐れが滲んでいた。
火照った額には、じっとりと冷や汗が浮かび、胸の内では心臓が未だ荒ぶる獣のように暴れている。
夢から覚めたというのに、現実の空気までもが、どこか鉄臭く、血の匂いをまとっているように感じられた。
このまま仮眠をとり、わずかでも身体を休めようか――
そう考えかけたが、脳裏にこびりついた悪夢の情景が、それを許さなかった。
焼け爛れた郷、立ちこめる黒煙、影のような何かが襲いくるあの瞬間――
才蔵はふいに身を起こし、じっと闇を見渡した。
風は止み、虫の声すら途絶えている。
夜の静寂が、不気味なまでに濃い。
「……あと三里だ。念のため、帰るか」
その低い呟きには、忍びとして生きてきた彼の鋭い直感が滲んでいた。
才蔵は静かに立ち上がると、焚き木の火をそっと踏み消し、背を向けた。
余熱の残る焚き火跡には、夜露がひたりと降りはじめていた。
向かうは、故郷――黒霞(くろかすみ)。
静寂に溶けるように才蔵は走り出す。
風を切り、影を縫い、闇の中を駆けるその双眸には、まだ夢の残滓が赤く燃えていた。
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