中.殺戮刑事とマッチ売りの中年男性
◆
『六時五十七分になりました、今日の当てずっぽう天気予報の時間です』
東京都内のマンション『家賃の安さと等価の命』五階、五六四号室。
気象予報士の資格はないが、パチ屋の行列と台にいた時間なら誰にも負けないと豪語する能天気お姉さんの声がテレビから聞こえてきた。朝番組の人気コーナーだ。画面は見ない。その声をBGMに
『まずは払い戻しの時間です。負けが続いた私は一発大逆転狙いで昨日は超大穴、東京に凄い雪が降ると予想した私ですが……』
油を引かずにベーコンを並べ、その上から玉子を落とし蓋をする。火加減と時間に気をつければどうやったって、失敗しようのない料理だ。その間にサラダの袋を開け、平たい皿に盛り付ける。本当ならサラダは深皿に盛るのが良いが、今日はサラダの上から更にベーコンエッグを被せて、醤油をかけ、ドレッシングなしで食べるつもりだった。人によってはトーストの上にベーコンエッグとサラダを乗せてサンドイッチ風に食べるのだろうが、殺死杉は自家製サンドイッチが苦手だった。どうしてもなんか黄身とかが漏れてしまうのだ。だから皿を分けて食べる。
『見事大当たり!』
「えェーッ!?」
黙々と準備をしていた殺死杉であったが、テレビから聞こえてきた信じられない言葉に思わず叫んでしまった。
『東京だけを埋め尽くす白い雪が、私には札束に見えました。ただ都市機能は麻痺状態、物資の流通は止まり、事故は多発、救急車も出せない状態です。この雪を商機と見て、隣県に徒歩で物資を仕入れにいった気合の入った転売屋のせいで今年の死因ランキングの上位に凍死が入ってくるかもしれません。お気をつけて~!』
「四月に入って、大雪だなんて世も末ですねェーッ!」
そう言って、カーテンを開けて階下を見下ろしてみれば――なるほど、確かに凄い雪である。三十センチメートルは積もっているのだろうか。しかしまだ雪が降り注ぐ気配は見えない。
『それでは今日の当てずっぽう、明日の天気は晴れ!本当に晴れると良いですね!それでは私は天気業界との癒着を疑われているので、一旦テレビ局から去ります!皆様良い一日を!』
「過ごせそうにないですねェーッ!」
そう言うと、殺死杉は勢いよく朝食を平らげる。時刻は七時十分。出勤時間までだいぶ余裕はあるが、おそらく電車は止まっているだろうし、車での移動も不可能だろう。歩いて職場に向かうしかない。殺死杉はスーツの上から、しばらくは使わないだろと思いながらクローゼットに仕舞ってあったコートを羽織り、武器庫から取り出した何本ものナイフを腰回りに装着し、最後に二丁の拳銃を左右のガンホルダーにそれぞれ収めた。
ナイフに、拳銃。
そう、殺死杉謙信は企業勤めのサラリーマンなどではない。三大欲求を合わせたものよりも大きい殺人欲求を持ち、犯罪者を法廷を通さずにふわっとした判断で処刑することで残された遺族と自分の恨みを晴らしつつ自身の殺人欲求も満たす一石二鳥のお得刑事、殺戮刑事なのだ。
優良企業ならば、いや、ここまで都市機能が止まっていれば大半の企業は強制的に休むことになるだろう。だが、殺死杉――殺戮刑事に休みはない。悪天候ぐらいで犯罪者は休まない。ならば犯罪者を追う狩人――殺戮刑事にも有給取得日もしくは、シフトで定められた休日を除いて休みはないのだ。
厚着をした殺死杉は玄関に向かう。
いつもの革靴ではとても普通に動くことは出来そうにない。殺死杉は地元で雪の恐ろしさをよく知っている。東京ではめったに積もることはないが、念の為に購入していたことが幸いした。現場や工場、暴力的な場面で働く人の味方、ワクワク執行マンで購入したスノーブーツを履いた。
機動力は普通の靴よりも下がるが、雪で足を滑らせることがなく、何よりも隙間から雪が入ってこないことがありがたい。足が雪でぐしょぐしょになると、それはもう嫌な気分になるのだ。
そして白い雪の中でも目立つように黒い傘を持っていく。もっともこれだけ積もっていれば車に轢かれる心配をする必要もないが。
この天候ではエレベーターの電気が止まることすらあり得る。玄関を出た殺死杉は階段を使いマンションのエントランスへ。
自動ドアを開けば、待ち受けているものは降り積もった白い雪だ。雪かきは為されていない。少なくともこのマンションの住民は誰も道具を持っていないということらしい。もっとも道具を持っていたところで、公園からは遠く、周囲に用水路が無いので雪の捨て場所が無いのだが。
「嫌ですねェーッ!」
殺死杉は積もった雪に足を踏み入れる。
ズボズボと足が沈んでいき、果てが無いかのように思われたが、やがて殺死杉の体重によって雪が踏み固められる。スノーブーツは防水性能があり、さらに入口の狭さから雪が中に入ってくることもないが、パンツは通常の出勤用である。まだ気にするほどでもないが、雪でわずかに表面が濡れる。積雪量から考えて下着まで濡れることはないが、最終的に脛周りが濡れそうなのでやはり嫌な気持ちになるだろう。
「はァーッ!はァーッ!」
最終的には自らの体重で踏み固められるとはいえ、ぬかるんだ泥の中を歩いているようなものだ。必然的に歩速は遅くなる。雪かきされていない道路を歩く時、先人が踏み固めた道を進めば多少はマシになるのだが、あたり一面新雪の風情である。ひたすら誰も進んでいない道を進むしか無い。
「マッチー!マッチの火はいかがですかァーッ!」
吹雪は切るように冷たく、視界も最悪だ。普段ならば遠くからでもわかったであろう声の主の正体が大量のマッチ箱の入ったかごを持った一人の中年男性であると気づくのに、そこそこ近づかなければならなかった。
男の周辺だけ雪が積もっていない、そのマッチの火を使って雪を溶かしたのかもしれない。
童話で語られるマッチ売りの少女のように、周囲に自分の持つマッチをすすめているのだ。もっとも、外を出歩いている人間はいないので、その声は虚しく響き渡って雪とともに風に運ばれてゆくだけなのだが。
「マッチー……あ、お兄さん、マッチの火はいかがですか!?なんでも燃やしますよ!」
「そうですね、こういう時は念の為に一箱ぐらい持っておいても……」
殺死杉がマッチ売りの中年男性に応じて財布を取り出しかけた、その時である。
「だったら、ありがたく持っていきやがれェーッ!!!!」
火のついたマッチ棒が中年男性の手から殺死杉に向かって放り投げられた。
「うわァーッ!」
普段なら容易に回避することのできる攻撃であるが、雪に足を取られて思うように身体を動かせない。殺死杉は思いっきり雪に倒れ込むようにして、マッチの火を回避する。ぎゅうと音を立てて、横たわった殺死杉の身体がゆっくりと沈む。その横でマッチが雪の上で轟々と燃えている。
「チィーッ!避けやがったか!だが、その体勢では避けようがないだ……うわっ!」
追撃を加えんと、殺死杉の元に向かおうとしたマッチ売りの中年男性が思いっきり足を滑らせる。
「なっ、馬鹿なッ!俺だけが圧倒的な優位の状況で殺人を行うために作り上げた俺の領域が……」
「雪を溶かしての除雪は一概に駄目とは言えませんが、こんな狂気じみた天候の日じゃ、溶かした水が凍結してつるつる滑るだけですよォーッ!!」
殺死杉は横たわった体勢から悠々と拳銃を抜き、バランスを崩したマッチ売りの中年男性の頭を撃ち抜き、マッチをポケットの中に押収した。
「俺はただ……人が燃え死ぬ姿が好きだっただけなのに……」
飛び散ったマッチ売りの中年男性の赤い血が、白い雪を赤く染める。
だが、降り注ぐ雪はすぐにマッチ売りの中年男性の死の証を消してしまうだろう。
殺死杉は死体を顧みることもなく、
「っとっとっとっとォーッ!!」
進もうとしたが、つるつると滑る地面に足を取られて体勢を崩さないようにバランスを取るのに少し労力を払わなければならなかった。
マッチ売りの中年男性を殺してから、五分ほど経過し、殺死杉のスマートフォンが震えた。発信源はバッドリ
「あーっ、殺死杉さぁん?」
男であるとも女であるとも断言出来ない、どちらにでも取れるような聞き心地の良い中性的な声だった。
「どうしたんですか、バッドリくん」
「いや、聞いてよ!殺死杉さん!物資が止まってるからって、僕のクスリが全部取り上げられちゃってさぁ!もう禁断症状で身体が震えて、エライことになってて……しょうがないからトリップを誘発するものの臭いを嗅いで脳みそを騙そうと――」
「切って良いですか?」
「あ、待って!この雪……どうも犯人がいるっぽいんだよ!」
「それは……良い知らせですねェーッ!!」
自然は殺しようがないが、犯人がいるならば殺しようがある。
「犯人か、それを雇った誰かかは知らないけれど、大雪で需要を作り出して、高値で物資を売り捌こうとしているんじゃないかって、流通も止まっちゃうし、嫌でも犯人から買うしかないよね」
「ということは、犯人を見つけるのは簡単ってことですねェーッ!」
「けど、どこの会社もてんやわんやだし、個人の転売屋とか、暴力団とか半グレも対応に追われていて、とても雪に備えていた感じじゃないんだ!」
「雪を降らすだなんて短絡的な行動の割に慎重ですねェーッ!!!実に面倒くさい!」
「まあ、そういうわけで……なんか進展があったら、僕達に連絡が来ると思うんだけど……ところで」
「どうしました?」
「殺死杉さんからも村焼さんに除雪を頼んでくれないかなぁ、僕もう全身濡れすぎてて生きるのが嫌になってきたよ、とくに靴下が濡れてると最悪……クスリもないし……」
村焼式部――殺戮刑事課のナンバーツー、恐るべき出火能力者の老婆である。
「村焼さんの視界の範囲ならともかく、東京を一気にやろうとしたら、出力から考えて東京が滅びますよ」
「じゃあ今日は僕、村焼さんにくっついとこうかなぁ、服乾かしたいし」
「それがいいんじゃないですか?」
おざなりに返事をして、殺死杉は通話を切った。
やることが大雑把な割に、捜査の目をすり抜ける程度には慎重な犯人である。
油断は出来ない、まだ見つからない犯人を睨みつけるかのように殺死杉は黒雲に覆われた空を睨んだ。
【つづく】
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