第4話 願いと応え
志条隊員が空から降ってくる。今日二度目の登場だが、今度は独特な軌道を描き着地に成功。
その手には一メートルほどの長物が握られていた。日本刀のように見えるそれを、志条は小型の怪獣目掛けて振るった。
「よりによってこいつかよ……!」
志条隊員が舌打ちする。ちょうど、灯里と二足歩行する小型怪獣の間に陣取り、手にした刀を突き出して威嚇しているような状態だ。
小型といっても身長は二メートル近くある、オオサンショウウオを二本足で立たせたような不気味な風貌の怪獣だ。
灯里はそのグロテスクな見た目に覚えがあった。
「志条さん、あの……」
「手間かけて悪かった、作戦は中断だ。灯里、今すぐここから離れろ。どこでもいい、建物の
「地下!?」
「ごめん、話してる暇は……っ!」
その瞬間、怪獣はその牙を剥き出しにして吠えた。激しい耳鳴りがして、ビリビリと肌が震える。
「ひっ……!?」
ばつん、と耳の奥から嫌な音がして、思わず耳を押さえた。恐る恐る手を離すと、手のひらにはべったりと血が付いていた。
「ぅ、ああ……あああ……!」
避難訓練も父の教えも真面目に聞いていたのに何も思い出せない。パニックでその場にうずくまる灯里とは対照的に、志条はひるみもしなかった。
「だあああうるっせえなクソ! こちら志条、
今、無線に向かって叫ぶ志条隊員は目の前の怪獣をリジネラと呼んでいた。鼓膜が片方破れていたとしても聞き違えるはずがない。
八年前、警察官の父を殺し、志条隊員を襲った巨大怪獣の名前だ。
全身からぶわっと冷たい汗が噴き出る。二度と帰ってきてくれなかったお父さんの写真、地獄みたいな病院を駆けずり回るお母さんの背中、壊れた街、あの日いなくなった友達。
蓋が開いて中身がひっくり返されたように、過去の記憶がフラッシュバックする。手先が震えて握る力も湧かない。足がその場から一歩も動こうとしない。
「灯里!」
「え、あ……」
「立って、走れ!」
冷静に端的に、今すべきことはすべて志条隊員が教えてくれた。灯里は過呼吸になりかけた口を噛み締めて、滑って転ぶ勢いで前へ前へ両脚を動かした。側から見れば不恰好なものだ。それでもいいから、走った。
走りながら、考える。
私が逃げ切れたとして、それで志条さんはどうなるんだろう。怪獣と戦って人間が勝てるわけがない。死ぬんだ。赤の他人の私を逃して、そのまま殺される。知らない誰かを守って死んだお父さんみたいに。
振り返る勇気もない。私はただ言われたようにしてるだけだ。私は悪くない。今まで何があったってそう言い聞かせてきた。
『お父さん、もう行っちゃうの?』
『ああ。良い子で待っていてくれるかい?』
お父さんと最後に交わした約束が脳裏によぎった。そうだ、今日までずっと良い子にして待ってたんだ。良い子っていうのは人の話を聞いてその通りにする利口な人間のことだ。このまま逃げて、明日になったらまた同じ日常に戻る。それだけの話だ。
「……いやだ、そんなの……!」
そう思った瞬間、何かに引っ張られるように、ずるり、と頭から転倒する。空からやってきた志条隊員がそうであったような不細工なつまづきかただ。
目の前にそれはいた。
「……あ」
怪獣の卵はそこにいるのが当たり前かのように、灯里の目の前に転がっていた。やはり、志条隊員がそう言っていたような意思があるとは思えない。抱き寄せると暖かく、まるで身を委ねてくれているようだった。
「……ねえ、あなた。怪獣なんでしょ、あいつと同じ」
志条は確かに、それを怪獣の卵と呼んでいた。卵なら孵化してもおかしくはない。
打算ですらない。祈るように、縋るようにように額を擦り付ける。
「力、あるんでしょ……!? だったらそれ貸してよ、今すぐ助けが必要なの!」
怪獣の卵は返事をしない。ただじっくりと、言葉を一つ一つ飲み込んでいるようだった。
「お願い、お願いだから……」
私にできること、人としてできること。それがこうすることかはわからない。それでも、今はこの暖かな光に力があると信じるしかなかった。
「守りたいんだ、こんな私でも」
大粒の涙が怪獣の卵を濡らした。
「……え?」
志条はそれのことを怪獣の卵だと呼んでいた。意思を持ち、消えたり暴れたりを繰り返しながら、蜂名で
怪獣の卵は、灯里の手のひらに乗ってその形を変えた。ひび割れもせずゆっくりと、軟体動物のようにその形を変化させる。重さまで、さっきまでとは随分軽くなっていた。
気がついた時には、それは両手で包み込める程度の懐中電灯のような姿に変わっていた。
その姿が何を意味しているのかまだわからない。ただ純粋に、灯里はそれを握ってこう思った。
「……今なら間に合う」
振り返り、走る。その足取りはさっきより軽かった。
◇◇◇
「応援が来るまで持ったらいい、あいつが逃げ切るまで時間稼いだら終わりでいい……」
志条
灯里に手当してもらった傷口から血が噴き出し、真っ赤に染まったガーゼがアスファルトに落ちた。
応援が到着するまでの数分間が永遠のようだった。
(灯里は、大丈夫だろうか)
足止めをしている限り問題ないとは怪獣の性質上言い切れなかった。せめて彼女が無事であれば、亜夜はそれで良いとすら思えた。
だが、そういう気持ちを台無しにしてくれたのも、やはり久神灯里であった。
「────ぁぁあああああっ!!」
逃した方向から少女が走ってきた。もちろん亜夜にとって信じがたい光景であったが、当の再生怪獣リジネラにとってもそれは同じであった。
「ぎゃんっ!?」
亜夜を通り抜けてリジネラに渾身のタックルをかまし、そのまま百キロ近くあるはずの体重差に任せて後方に吹っ飛ぶ灯里。
「ちょっ……はぁ!? 何してんだお前、バカ! 逃げろっつったろ!」
「はあっはあっ……応援に、きました……」
「呼んでねえんだよ! 良いから早く……!?」
吹っ飛んできた灯里を両手で受け止めた亜夜にとって、眼前に広がる光景は信じがたいものだった。
防衛隊の武器でびくともしなかったリジネラが、気づけば二メートル近く後方に弾き飛ばされていた。
「……あぁ!? 何が起きた!?」
「多分、この子のおかげです」
息を整えながら灯里が握り込んでいたものを見せる。純白の懐中電灯のように見えたが、柄が蛇腹になっており、あちこちに氷のような鋭い装飾がなされている。
「この……ええと、なんだろうこれ……た、たまごスティックで!」
「なんだそれダッさ……卵!?」
ネーミングセンスは正気を疑うものだったが、端的に何が起きたのか伝えるには適当だった。
「そうか、怪獣の卵……!」
怪獣の卵が何者であるか、詳しいところは亜夜も知らされていない。ダチョウの卵くらいの大きさと形だからそう呼んでいただけの未知の物質である。ゆえに、なにが起きたとしても不思議ではなかった。
「武器に変身とか、そんなのアリかよ……」
直感したのと同時に胸が熱くなる。
やはりこいつは灯里を選んだのだと。
「志条さん、武器の扱い得意ですよね!? これ使えば……」
「いや、多分それは灯里にしか使えない」
武器の扱いにはそれなりに心得がある。怪獣との接し方にも。だが、自分がすべきことはそれではない。
「え、どういうことですか」
「いいから聞け、灯里。やっぱりそれは卵なんかじゃない。おそらく怪獣そのものだ。身長五十メートル、体重二万五千トンの巨大怪獣。口から火を吹くし背中からレーザーとかなんかいっぱい出る、そういう奴だと思って」
「何ですかその化け物!?」
「いいからイメージしろ。目の前のリジネラは目測で身長二メートル、体重は過去のデータから考えて二百キロ前後。こいつと戦ってどっちが勝つ思う?」
「……負ける気がしないですけど」
「ああ、楽勝だ。その棒でぶっ叩いたら一撃」
「たまごスティックです」
「なんでそこ譲らねえんだよ。いいか? リジネラが起き上がったらあたしが背後に回って思いっきり押すから、お前はそのなんたらスティックで一発殴れば終わり。絶対うまくいく。いいな?」
「……はい!」
「共同作戦再開だ」
亜夜はスーツに取り付けられたリアクターの出力を限界まで引き上げる。ビル間の移動や落下の衝撃吸収でずいぶん無理をさせたが、構わない。この一撃で終わらせる。
リジネラが重い体を起こした刹那、亜夜は背後から渾身のドロップキックを仕掛けた。全体重にリアクター由来の超スピードを乗せて、リジネラを貫通するかのような衝撃を生む。
「今だ!」
灯里の光る懐中電灯がリジネラの胴体に突き刺さる。その瞬間、リジネラの口や目、亜夜が付けた切り傷一つ一つから光が溢れ出す。パチパチとスパークしてリジネラの体躯が軋み、青い炎に包まれた。
亜夜は灯里を抱き寄せて懐中電灯をリジネラから引っこ抜くと、そのまま後ずさる。
次の瞬間には、リジネラは光となって消失していた。
「……は、はは」
やった。勤続一年未満のルーキーと民間人の女子高生が、たった二人で怪獣一匹を撃破したのだ。
「え、終わった。終わったんですかこれ」
まるで手応えを感じていない灯里は、振り返ろうとして途端に尻もちをついた。思考は追いつかなくても身体は正直に、腰が抜けてしまっていた。
「……そっか、勝ったんだ」
「こちら志条、
「勝った、勝った……あっはは、すごいや……」
なかば放心状態の灯里とその手に握られている怪獣から目を離さないようにしつつも、亜夜は無線を繋げた。
「……隊長?」
「亜夜、悪いがそちらに人員を出せそうにない。民間人の避難はお前に一任する」
「何かあったんですか」
第九方面防衛隊隊長の
「
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