第15話 誰かのために灯す灯り

 昼下がりの陽がギルドの中庭に差し込み、石畳の上にまばらな影を落としていた。


「……ふう。やっと一段落、って感じかな」


 ティムは額の汗をぬぐいながら、仮設のベンチに腰を下ろした。周囲では魔獣たちとギルドの面々が賑やかに動き回っている。


 猫型の魔獣アッシュは、前足でモップを器用に操って床掃除。鳥型のピコは天井の梁をぴょんぴょん移動して、くもの巣を取り払っていた。


「おいおい、こっちはまだ洗い物が終わってねぇぞ!」


 食堂のほうからは、虫型の魔獣クロムが声を上げながら、水桶に脚を突っ込んで泡まみれになっていた。


「クロム! 皿は脚じゃなくて手で洗ってって言ったでしょ!」


 リーネの突っ込みが飛ぶ。


「でも脚のほうが器用なんですってば!」


「そーいう問題じゃないから!」


 わいわいがやがや。どこか文化祭前日の準備みたいな雰囲気。


 そんな様子を見て、ミリアが呆れたように肩をすくめた。


「まったく……この空間、魔獣の集会場ってより、もはや動物園じゃない?」


「えー、いいじゃん。みんな楽しそうだし」


 リーヴルが陽気に笑いながら、光の粒をふわふわと飛ばす。まるで祝福でもしているかのように。


「けどね、ミリアさん。あの子たち、みんな最初は警戒心バリバリだったんだよ。『どうせまた捨てられる』『人間なんて信用できない』って」


「……それが、今じゃこの通り、ね」


 ティムの言葉に、ミリアはふっと目を細めた。


「“役割”があるからだよ」


「役割?」


「うん。誰かに必要とされてるって感覚。『居てもいい』って思える場所。それがこのギルドで、ようやく持てたんだと思う」


 そのとき、入り口のほうから子どもたちの声が響いた。


「わーい! また来たよー!」


「ピコちゃーん、遊ぼー!」


 地元の子どもたちが、魔獣たちに駆け寄ってくる。ピコは羽ばたきながら子どもたちの頭上をくるくると飛び、アッシュはしっぽでそっと手をつないだ。


 そんな光景を見て、通りがかりの老婦人がぼそりと呟いた。


「……この子たち、ほんとに優しいのね。怖がってたのが馬鹿みたい」


 それは、何よりも強い“受け入れ”の証だった。


「ねえティム、これ……もしかして、少しずつだけど、本当に世界が変わり始めてるのかも」


「うん……でも、まだ始まったばかり。これからもっと、やるべきことは増えていくよ」


 ティムはベンチから立ち上がると、ギルドの玄関へと向き直った。


 そのとき──


 ギルドの門の前に、ひときわ大きな影が立っていた。


 ガシャン、ガシャンと足音を響かせながら現れたのは、灰色の鎧をまとったような巨大な魔獣だった。


 その目は鋭く、けれど悲しげで。


 門前に立った魔獣は、静かに言った。


「──この場所。夢で見た」


 ティムとアルが、その声に凍りつく。


 その魔力の気配に、アルの体毛が逆立つ。


「……あいつ……俺、知ってるかもしれない」


 


 * * *


 


 ギルドの空に、ぽつりと雨が落ちたのは夕刻のことだった。


 しとしとと静かな音が木々を濡らし、改装中の旧軍事施設に淡い湿気が立ち込めていた。仲間たちが中に避難しはじめるなか、ティムはギルドの門番を兼ねていたアルと一緒に正門前に立っていた。


「……今日も、いろいろあったね」

「ふぁあ……昼寝の時間が減った分、脳がとろけそうだ」


 ティムがぼやけば、アルはあくびをしながらしっぽを揺らす。その瞬間だった。


 ぬかるんだ道を、ずぶ濡れの足音が近づいてきた。


 ティムが顔を上げると、雨の帳の向こうから、灰色の獣が現れた。獅子のような体躯、鋭い爪、濡れた鬣がぴたりと肌に張りついている。


 だが──その目は、どこか懐かしげだった。


「……そこの君が、ギルド主か」


 低く、渋く、響くような声。


「え、あ、はい。僕がティムです」


 ティムが警戒しながら答えると、その灰色の獣──獅子型の魔獣は、雨に濡れた石畳の上にゆっくりと座り込んだ。


「……この場所。夢で見た」


「夢……?」


「うむ。遠い記憶のなかで、“帝”が生きていた頃……同じ匂いを感じた。信頼、絆、そして再生」


 その瞬間、ティムの隣でアルの毛がぞわりと逆立つ。


「お、おいアル……?」


 だが、アルは答えない。代わりに、一歩前へ出て、その獣を凝視する。


「……おまえ、どこで“帝”の名を聞いた?」


 空気が、一気に張り詰める。


 獣は答えず、ただ、まっすぐアルの目を見返した。


 ふと、アルが呟いた。


「……俺は、あの獣を……知っているかもしれない」


 ティムが、思わず息をのむ。


 雨は、まだ止まない。けれど、その濡れた夕暮れに、確かに新たな扉が開かれようとしていた。


 


 * * *


 


 夜のギルドは静けさに包まれていた。

 遠くではまだ雨が降っているのか、雲の切れ間から星がちらちらと瞬いていた。


 ティムはギルドの屋上に立ち、夜風に吹かれながら空を見上げていた。

 隣ではアルがぺたんと座り込み、前足を丸めてじっとしている。


「……寒くない?」


 ティムの問いかけに、アルは首を横に振る。


「なあ、さっきの獣……あの灰色のやつ、なんだったんだろうな」


 アルはしばし黙ったままだった。

 風が耳を撫でる。

 星が、一つ流れた。


「ティム」


 ぽつりと名前を呼ばれて、ティムは横を向いた。


「ん?」


「……俺、昔、誰かに“アル=ノクス様”って呼ばれてた気がする」


 ティムの目が見開かれる。

 “様”という呼び名。それは、ただのペットや契約獣に対して使うような言葉じゃない。


「覚えてるのか?」


「……ううん。はっきりとは。でも……あの灰色の獣を見て、胸の奥がずっとざわついてて……その声だけ、ふっと浮かんできたんだ」


 アルの瞳が、どこか遠くを見つめている。


「俺、もしかしたら――ただの魔獣じゃないかもしれない」


「うん」


 ティムは静かにうなずいた。

 恐れも、迷いもなかった。ただ、真っ直ぐに言葉を返す。


「でもさ。君が何者でも、今の君は“俺の仲間”だよ」


 その一言に、アルの耳がぴくりと揺れる。


「……本当に、そう思うのか?」


「思うよ。君が今までしてくれたこと、俺は全部知ってる。思い出してもしまっても、君のことは変わらない」


 アルはティムの顔をじっと見つめ、それから、そっと瞼を閉じた。


「……ありがとう」


 そうつぶやいた声は、いつもより少し震えていた。

 けれどその目の奥には、微かな決意の光が灯っていた。


 だが――


 その直後、アルの耳がぴくりと立ち、空を見上げる。

 瞳が細まり、遠くの空に何かを見据えたようだった。


「アル……?」


 ティムが問いかけるが、返事はない。

 ただ、風のなかで、彼の毛並みがざわりと逆立った。


「……嫌な予感がする」


 ぽつりとこぼしたその言葉は、ティムの胸に妙な緊張を走らせた。


 星のきらめきが、一つ、消えた。


 


 * * *


 


 朝の光が、まだ薄く差し込むギルド前。

 ティムは手にした布製の看板を見つめていた。


「本当に……これでいいの?」

 ミリアの問いに、ティムはふっと微笑む。


「うん。俺たちはここから始めるんだ。《キズナ牧場》――みんなの場所を」


 掲示板の上に、ぎこちなくも丁寧にその看板が掲げられる。

 鮮やかな青と白の布に、手描きの文字が浮かび上がった。


《魔獣共育ギルド・キズナ牧場》


 その瞬間、ギルドの建物内から魔獣たちの歓声が上がる。

 鳥型のフレアが空高く舞い、猫型のマウが看板にじゃれつく。

 虫型のクルリは静かに、だが嬉しそうに羽を鳴らしていた。


「うわあ……これ、ホントにギルドになったんだ……!」

 村の子どもたちもやってきて、魔獣たちとじゃれ合いながら目を輝かせる。


 リーネが物流リストを持って現れ、

「初期の配送契約も順調だよ! あとはリピーターがついてくれればね」

 バルゴは柱の補強をしながら、

「オレの仕事も少しは役に立ってるみてぇだな」

 ミリアは魔力で看板の文字を少しだけ輝かせて呟く。

「……ここ、本当に変わったわね」


 その中心で、ティムは深く息を吸い込み、空を見上げた。

 その瞬間――

 黒い影が、一閃。

 空を切り裂くように、巨大な飛行魔獣が一頭、遥か上空を駆け抜けていった。


「あれは……!」

 アルがピクリと反応し、その目に緊張が走る。


「あの飛び方……帝国の斥候種かもしれない」

 小さくつぶやいたその声に、ティムは拳を握った。


「……来るのか、ついに」

 《キズナ牧場》が産声を上げたその日。

 物語は、次の章――《帝の記憶》へと進み始める。




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