第6話 共鳴の先にあるもの
朝霧がうっすらと立ちこめるなか、ソルの診療所前の広場に柔らかな光が差し込んでいた。
ティムは深呼吸をひとつしてから、診療所の戸を開けた。
「ソルさん、ちょっと……時間、いいですか?」
中では、ソルが薬草の束を干していた。ちらりと視線を向けると、ティムの隣には、ゆっくりと歩くドミナの姿。
ソルの目がわずかに見開かれる。
「……おお。珍しいな、お前から出てくるとは」
「ソルさん、聞いてほしいことがあります」
ティムの声は、まっすぐだった。
「昨日の夜、ドミナさんの“思念”に触れました。……戦場で、あなたを庇って傷を負った時の記憶を──」
ソルは一瞬、動きを止めた。
「彼女はずっと、自分のせいであなたが傷ついたって……そう思って、共鳴を避けてたんです。あなたを守れなかったって、責めてたんです」
「…………」
広場に静寂が落ちる。
ドミナは下を向いたまま、身じろぎひとつしない。
しばらくの沈黙の後、ソルが小さく息を吐いた。
「……ったく。バカだなぁ、お前は」
その声は、思っていたよりも優しくて、どこか呆れたようで。
「誰が怒ってたって? 俺があの日、助かったのは……他でもない、お前のおかげだよ」
ソルはゆっくりと歩み寄り、ドミナの大きな頭をぽん、と撫でた。
「ずっと、言ってやりたかった。ありがとなって」
その瞬間──
ドミナが、低く、小さく──けれど確かに、吠えた。
「……!」
その声は、言葉にできない想いが詰まった、最初の“音”だった。
次の瞬間、ソルの胸元の魔道具がわずかに光を放つ。
ドミナの首の装飾具から、柔らかな共鳴の波がふわりと広がっていった。
──魔力共鳴、発動。
ティムは思わず息を呑んだ。
それは、強制でも支配でもなく。
ただ「想い」が通じ合ったときにしか起こらない奇跡。
「……やっと、戻ってきたな」
ソルが小さくつぶやいた。
「そうか、お前……ずっと、自分を責めてたんだな。気づいてやれなくて、すまなかった」
ドミナがもう一度、静かに吠える。
その目に、確かに光が戻っていた。
* * *
その少し後。
ティムがアルを休ませていた木陰の寝床のそばで、空気が変わった。
空間がわずかに揺れ、地面からほのかに魔力の脈動が広がっていく。
「……この感じ、まさか……」
ティムが駆け寄ったとき、アルの体がぴくりと動いた。
眠っていたはずのアルの体から、淡い光がにじみ出し始めていた。
魔力が共鳴し、空気が張り詰めていく。
「アル……?」
ドミナの共鳴が引き金となったのか──アルの中に眠る“何か”が、再び目を覚まそうとしていた。
ティムの胸が、高鳴りを始める。
次なる異変は、すぐそこまで──。
* * *
空気が、張り詰めていた。
ソルの診療所の裏手──アルがいつも寝ていた木陰の寝床で、異変は静かに始まっていた。
「アル……!」
ティムは駆け寄り、思わず息を呑む。
アルの小さな身体が、ふるふると震えていた。首輪が淡く光り、周囲の魔力がざわめくように揺れている。
白い毛並みの中から、うっすらと輝く光が浮かび上がる。
ドミナとソルも、物音を聞きつけて姿を現した。
「なんだ、この魔力の反応は……?」
ソルの目が細まる。
次の瞬間──
アルの身体が、ふわりと浮かび上がった。
「え……!?」
ティムの手から離れ、ゆっくりと空中に浮かぶアル。
その体を包むように、柔らかな白光が舞い上がる。まるで羽毛が散るように、静かに、けれど確かな力を持って。
そして──
アルの背中から、翼のような“耳”が広がった。
ぱたり。
風が動いた。
その耳は、まるで空を飛ぶための羽根のように、左右へと柔らかく展開していた。
「……これって……」
「進化反応だ」
ソルがぽつりと呟いた。
「本来、魔獣の進化ってのは、戦いや鍛錬の中で起こるもんだが……こいつの場合は違う。“絆”の共鳴が引き金になってる」
ティムはアルの姿から目を離せなかった。
浮かんだまま、アルはゆっくりと降下してくる。
その体は以前と変わらず、小さくて可愛らしい。でも──その佇まいは、明らかに“神聖”だった。
「アル……」
ティムが呼ぶと、アルは目を開けてこちらを見た。
「くぅんっ」
いつものように、無邪気な声。
でも、その背中からはふわりと白銀の光が揺れていた。
「魔力の波長……完全に安定してるな。しかも、今の状態、明らかに“共鳴特化型”だ」
ソルが顎をさすりながら言った。
「ティム、お前の感情とアルの魔力が、互いに補い合って……まるで“ふたりでひとつ”みたいに動いてやがる」
「……そっか……ありがとう、アル」
ティムは、改めてアルをそっと抱きしめた。
「君がいてくれたから、俺はここまで来れたんだよ」
「わん!」
誇らしげな声が、空に響いた。
* * *
しばらくして。
ソルがふと、空を見上げながらつぶやいた。
「なあ……ティム」
「はい?」
「今のお前の魔獣、見た目は確かに“神獣”の系統だ。だが──俺は昔、戦場で一度だけ、似たような姿を見たことがある」
「えっ?」
「魔帝国がまだ存在していた頃だ。魔獣たちの王が率いていた“親衛獣”のひとり。“耳が翼のような形で、白銀の光をまとう”……まさに、そいつだった」
「それって……」
「“帝獣”って呼ばれてた魔獣だ」
ティムとアルが、同時に固まった。
帝獣──かつて魔帝国で最強とされた、王直属の魔獣たち。
それとアルが、同じ……?
ティムはアルを見下ろした。アルは首をかしげるようにしてティムを見上げていた。
「……まさかね」
「でも、似すぎてるんだよな」
ソルがぽつりと呟いたその言葉が、夜風に乗って森の奥へと溶けていく。
その瞬間、ティムの中に、ひとつの予感がよぎった。
(もしかして──君は、あの“魔帝国”と……)
けれど、それを確かめる術はまだなかった。
今はただ、目の前の“アル”を信じるしかない。
「……大丈夫。君が何者でも、俺の“相棒”ってことに変わりはないから」
ティムがそう言うと、アルは尻尾を振って応えた。
帝獣か、神獣か──そんなことはまだわからない。
けれど、少年と魔獣の旅は、確かにここから“次の段階”へと進もうとしていた。
* * *
焚き火の炎が、静かにゆらめいていた。
夕暮れどきの森。空は茜色に染まり、木々の間から落ちる陽が、焚き火の赤と重なってティムたちの影を長く伸ばしている。
「なあ、ティム」
ぽつりと、ソルが語り始めた。
「進化したお前の魔獣──アルの姿、どこかで見た気がしてな……ずっと考えてたんだが、ようやく思い出した」
ティムとアルが、同時に顔を上げる。
「……どこで、ですか?」
「昔な。まだ俺が若造だった頃……戦場で、一度だけ見たんだ。王国と、あの“魔帝国”が小競り合いをしていた時代だ」
その言葉に、焚き火の温度が少しだけ下がった気がした。
魔帝国──かつて魔獣たちが築いた、強大な独立国家。人間との共存を拒み、魔獣たちだけの理想郷を目指していたが、王国との戦で滅んだとされている。
「そのとき敵陣にいたのが……白銀の毛並みと、“耳が翼のようになった獣”。しかも、ただの魔力じゃなかった。静かで、底知れない深さがあった」
ソルは焚き火の光に目を細めながら続ける。
「あれは……“帝獣”。魔帝国の王直属の親衛魔獣だって言われてた。噂じゃ、一声で数百の魔獣を従えたとか」
「帝獣……」
ティムが、アルを見下ろす。
アルは何も言わず、ただ焚き火を見つめていた。
「でも、アルは……そんなに恐ろしい存在じゃない」
ティムは、きっぱりと否定した。
「誰かを支配したり、命令したりなんてしない。俺の“相棒”として、一緒に歩いてくれてる。それだけは、絶対に違わない」
その言葉に、アルがふっと目を細めた。
「……ティム」
小さな声だった。
「でも、あの場所──俺、見たことがある気がする」
「え……?」
「あの刻印のある場所。訓練所だったって、前に言ったろ? あそこだけじゃない。もっと、たくさんの光景が……戦場、玉座、吠える声……」
アルは、まるで何かを思い出そうとしているように、眉間を寄せていた。
「はっきりとは思い出せない。でも、あの時代を“俺は生きていた”って、体が言ってる」
「……でも、君は今ここにいる。それがすべてだよ、アル」
ティムは、そっとアルを抱きしめた。
「たとえ過去に何があっても、君が誰であっても。俺にとっては、ずっと君が“アル=ノクス”で、俺の大切な“仲間”なんだ」
その言葉に、アルが静かにしっぽを振る。
「……ああ、ありがとな。やっぱお前は、変わってる。昔の誰とも違う」
その声は、どこか安心したようだった。
ソルは焚き火越しに、ふたりをしばらく見つめていたが、やがて鼻を鳴らして立ち上がった。
「ま、過去がどうであれ──今のお前がどんな生き方をするかが大事だろ」
「はい」
ティムは頷く。
そのとき。
アルが、ぱたんと耳の翼を立てた。
「……また、思い出しそうだ」
月明かりの下で、白い体がわずかに揺れる。
ティムの胸に、予感が広がっていく。
アルの記憶の扉が、ゆっくりと、けれど確実に──開き始めている。
✦――――――――――✦
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!
ぜひ☆評価とフォローで応援いただけると嬉しいです。
少年と魔獣の絆の旅は、いよいよ核心へ──。
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