勇者祭4 米衆連合国編
牧野三河
第1話 船旅
日輪国、ゾエを出て数日。
マサヒデ=トミヤス、16歳。
剣聖カゲミツ=トミヤスの開いたトミヤス流の、若き武術家であり、子である。
今、彼は洋上にあり、船の1室で苦しげな顔をして横たわる女の手に、自分の手をそっと乗せ、首を振った。
「あなたは死にません」
「駄目だよ・・・もう駄目。私、死ぬんだ・・・こんな苦しい事、なかった・・・病なんだ」
隣の椅子に座っていた背の高い女が、小さく首を振った。
ラディスラヴァ=ホルニコヴァ。
その治癒魔術は大魔術師も舌を巻く程の治癒師である。
鍛冶屋に産まれ、刀剣を見る目は一級品。
「私には、何も」
「やはり、そうですか・・・カオルさん」
「は」
長い金髪を後ろで束ねた、羽織袴の女が返事を返す。
マサヒデの家臣であり、日輪国情報省所属の忍で、マサヒデの家臣として働く。
表向きは内弟子。だが、この姿も仮のもの。彼女の素顔は、マサヒデしか知らない。
「薬は」
カオルが首を振り、
「シズクさんに効くような薬はございません」
「ああ・・・」
横たわった鬼族の女が息をつき、みぞおち辺りに手を当てる。
彼女は魔族でも人口数の少ない、鬼族の者。
その頑健な身体には、人族の使う薬など効きはしない。
マサヒデが飲めばころりと死んでしまうような猛毒も、シズクにはぴりっとして美味しい、という程度なのだ・・・
「点穴は」
「鬼族の点穴の位置は、私共も知りません。鬼族そのものが数が非常に少なく、病などには滅多にかかる種族ではございませんので、そういった資料が一切なく。試しに打つなどは、少々危険が」
「悪い効果が出てしまうかもと」
「はい。それに、そもそもシズクさんの肌は頑丈過ぎて、通せる針は・・・釘を打ち込むような事をしませんと。それで位置の分からぬ点穴を探し、狙うというのは」
う、とシズクが口に手を当て、ごろっと転がって、ベッドの横の桶に口をあけ、べちゃべちゃ、と吐き出す。吐瀉物は薄く濁った水だけだ。
シズクは涙を流しながら、涙を拭って鼻をかみ、
「えふっ・・ごめんなさい・・・マサちゃん、ごめんなさい・・・死んじゃう・・・」
マサヒデは首を振って、シズクに布団を被せ、
「あなたは死にません。ただの船酔いなんですから」
「何も食べれないんだよお・・・死ぬよお・・・お腹すいてるのに、食べたくないなんて、おかしいよお・・・私、餓え死にするんだ。死んじゃうんだ」
つなぎを着た女が、ふう、と溜め息をついて、吐瀉物の入った桶を取ろうと手を伸ばすと、シズクが手を伸ばし、
「イザベル様、私が死んだら、後お願い」
「何を馬鹿な・・・船酔い程度で死ぬものか。10日もすれば米衆連合に着く。断食だと思え」
「頭痛いよお」
「寝ろ」
「気持ち悪くて寝れないんだよお」
「ならば起きていろ」
「ひどい・・・」
「子供ではないのだ。甘えるな」
ふん、とイザベルが吐瀉物の入った桶を取り、部屋の外に出て行く。
彼女はイザベル=エッセン=ファッテンベルク。これも数の少ない狼族の者。
ファッテンベルクは軍人家系の貴族で、エッセンは本家。
父の当主リチャードは、魔王軍騎馬遊撃隊の大将である。
イザベルも軍で訓練を受けたが、軍などは御免と武術家になると家を出た。
マサヒデに負けた後、本能で主と決めてしまい、半ば押しかけで家臣となった。
「くそ・・・もう吐くな」
イザベルが鼻を摘みながら、灰色の髪を揺らして部屋を出て行く。
「ごめんなさあい・・・」
「あのですね、本当に死にはしないですから・・・少し痩せる程度ですって」
「ありがと。でも、分かってる。私、死んじゃうんだ」
マサヒデが溜め息をついて立ち上がり、
「では、行きますから。ゆっくり休んでいなさい」
「1人にしないでえ・・・」
「皆さん、行きましょう」
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ぱたりとドアを閉じると、背の小さな女の子が、心配そうな声を掛けてきた。
文字通りの紅の瞳には、怯えのような色が見える。
「マサヒデ様」
「病は病ですが、あれは船酔いです」
女の子が、かくっと肩を落とすと、銀色に輝く髪が揺れる。
クレール=フォン=レイシクラン。
魔の国1、2の大貴族、レイシクラン家の娘である。
「・・・それは、魔術では治せないですね・・・」
レイシクラン一族は魔王が国を統一する前からの付き合いで、歴史も古く、また大きな魔力と、霧のように消える、動物の言葉が理解出来る、少しの時間、鬼族並の力を出せるなど、摩訶不思議な力を持つ一族である。その特異な力を有した忍も、世界では有数の実力を持つ。
ふ、とラディが息を吐き、治癒師のローブを脱いで、臭いを叩くようにふわふわ揺すり、
「仕方ないです」
カオルも首を振って、
「船に乗った事はあっても、外洋まで出た事はなかったのですね。しかし、まさかとは思いましたが、鬼族も船酔いをするとは」
「はい。興味深いです」
カオルが少し考え、顎に手を当て、
「良い機会ですし・・・点穴を探してみましょうか・・・鬼族にはそういった資料はございませんし・・・」
「いや、さっき釘をとか」
「はい」
「それはやめましょうよ。腕とか動かなくなったりしたらどうするんです」
「ううん・・・ご主人様、これは貴重な資料になると思うのですが」
「そうかもしれませんが。シズクさんが本当に死んだらどうするんです」
「ううん・・・」
「いけません」
「は・・・」
カオルが頭を下げながら、ちらりとラディを見ると、ほっとした顔をしていた。
(ううむ?)
治癒師であるから、後押ししてくれるかと思ったのだが・・・
ラディにしてみれば、釘を打ち付けるのを見ながら点穴を探すなど、見たくもない。
やはり、忍稼業のカオルは少しズレている。
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とんとん。
マサヒデが別の部屋をノックする。
「ああ・・・どうぞ」
力のない声が返ってくる。
マサヒデがドアを開けると、ここにも船酔いの被害者が1人。
「アルマダさん、大丈夫ですか」
「大丈夫ではないですが、大丈夫と言っておきましょう」
アルマダ=ハワード、トミヤス流。マサヒデの剣友である。
マサヒデと並ぶ、トミヤス道場の2大高弟と呼ばれる程の腕。
ハワード公爵家の三男坊で、普段ならば絵に描いたような貴公子なのだが・・・
「・・・顔色が白いですよ」
着ているローブと同じように、顔は青を通り越して白い。
「ええ・・・もう、吐く物は全て吐きました。喉が痛いです」
「アルマダさんは絶対に船酔いしないと思ってたんですが・・・」
「こんなに酔うとは思いませんでしたよ。酷い気分です」
「・・・帰り、どうします?」
うう、とアルマダが両手で顔を包み、
「お願いですからやめて下さい」
「ふふ。すみません」
「寝ますよ。寝かせて下さい」
「カオルさんに鍼を打ってもらいましょう。カオルさん」
マサヒデがドアの外に声を掛けると、カオルが入って来てドアを閉めた。
「くそ、船酔い程度で・・・情けない」
「そんな事は言わない」
「・・・すみません。カオルさん、頼みます」
「は。ハワード様、袖を捲って頂きますか」
言われるまま、アルマダがバスローブの袖を捲くると、カオルが手を取る。
「動かれませんように」
「はい」
とととん、とカオルが手を当てると、鍼が刺さっている。
「そのままで。逆の手を」
「手伝いましょう」
マサヒデが言って、アルマダの横に座り、手を取って袖を捲くると、とととん、とカオルが手を当てる。
「数えます。1、2、3、4、5、6・・・」
カオルが、ふわっとアルマダの腕の上で手を振ると、鍼が抜けた。
「30。如何ですか」
「幾分、良くなった気がしますが」
「頭痛が酷くて、あまり分かりませんか」
「ええ」
「では、失礼」
すとん!
「い!?」
マサヒデが驚いて声を上げた。
アルマダの頭の頂点に、鍼が刺さっている!
「はっ!?」
すうっと頭痛が晴れ、アルマダの顔が明るくなった。
「お、おお・・・カオルさん、これは素晴らしい! すうっと消えました!」
「・・・」
アルマダは頭痛が消えて驚き喜んでいるが、マサヒデは目を丸くしたまま。
頭に鍼が刺さったまま、こちらに笑顔を向けているのだ!
「お役に立てて幸いです。失礼」
カオルがアルマダの頭に手をやると、すっと鍼が消えた。
「まっすぐ前を向いて下さいませ」
「はい」
ぴす! とカオルの指が鎖骨の根本辺りに入る。
「痛くはございませんね?」
「ええ」
「結構です」
みぞおち辺りをくっと押し、
「では、両手を上にお挙げ下さい」
「こうで」
とす!
言葉の途中で、アルマダの肋骨にカオルの一本拳が左右から入る。
「ぐ!?」
「ちょっと!?」
マサヒデが慌てて手を出したが、すっとカオルが手を引くと、おお、とアルマダが声を上げた。
「ああ、すーっとしましたよ! 急に腹が空いてきました!」
「ハワード様、これは対処療法ですので、あまりお食べになりませぬよう。少しの量を、ゆっくりと。水もがぶ飲みせぬように、舐めるように少しずつ。酔いはまた参りますので、お食事を済ませましたら、すぐ横に。稽古は厳禁です」
「む、分かりました! マサヒデさん、行きますよ!」
「まず着替えましょうよ」
「む、そうでした」
こうして、船旅は米衆連合まで続いたのであった。
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