第21話 <Oクリニックの訪問者>

クリニックの多くは、午前中に診察があり、その後数時間の休憩を経た後夕方からもう一度診療を再開する。Oクリニックも同じだった。


 Oクリニックはほんの半年前に開院したばかりの綺麗なクリニックで、外見も内装も現代的でお洒落な造りになっている。朝九時から十二時まで、それから十六時から十八時半までが診療時間になっている、ごくごく普通のクリニックだ。静かな住宅地の中にひっそりとあるクリニックだが、患者数はまずまず多い。


 そこに勤める朝川さん(二十八)は、その日午前中最後にあった検査の片づけをしていた。


 元々、市民病院に勤めていた朝川さんだが、ゆっくりした環境で働きたいと思って退職。ちょうど家の近くのOクリニックがオープニングスタッフを募集していたので応募し、そこから働き続けている。市民病院と違って夜勤はないし、基本的には重篤な患者と向き合うこともなく、どちらかと言えば健康の保持増進をフォローしている仕事だった。朝川さんは十分、今の仕事に満足している。


 Oクリニックは戸締りをするため、スタッフも病院の鍵を渡されている。朝川さんも同様で、その日は検査の片付けで残業になってしまい、他の医療事務スタッフや医師は、先に帰っていた。昼からの休憩時間が長いので、みんな一旦帰宅するのだ。


 全ての片づけを終えた朝川さんは着替え終えて、ようやく帰れることにほっとしていた。早く帰って昼食を取り、少しゆっくりしたあとまた来なくてはならない。この中休みの時間はいいこともあれば、いらないと思うこともある。


「さて、帰ろう」


 一人で呟き、クリニックのセキュリティシステムを起動した。


 Oクリニックはセキュリティサービスを使用しており、無人になる際は必ず最後の人間がかけるようにしていた。病院内には現金もあるし、薬品なども管理しているので、防犯面を心配したのだ。朝川さんは持っていたスティック状の鍵を使用する。


 ピー


「あれ」


 作動しない音だ。これは、どこかの窓や扉が開いていると知らせてくれるシステムなのだ。さらに、機械の音声が詳細を教えてくれる。


『二階廊下の窓が、開いています』


 O病院は一階が診療所、二階がスタッフの更衣室や休憩所などの造りになっていた。二階廊下は休憩所からトイレに行くまでの細い廊下で、窓が二か所あるが、開けることはほとんどない。誰かが換気でもしたのだろうか。


 朝川さんはしかたなく二階へ上がってみると、確かに廊下のうち手前側の窓が開いていた。しっかり閉めて、今度こそ帰宅しようと再度裏玄関へ向かう。


 鍵を差し込む。


 ピー


『二階廊下の窓が、開いています』


「……え?」


 今先ほど閉めたばかりの場所じゃないか。さっきは確かに一か所開いていたけれど、もう一か所は閉まっているように見えた。それとも、ぱっと見じゃわからないくらい少し開いていたのだろうか。


 ため息をつきながらまた二階へ上り廊下へ出た瞬間、朝川さんの足が止まった。


 窓が二か所とも全開になっている。


「……あれ」


 先ほど自分が閉めたはずの窓まで、なぜ開いているんだ?


「誰かいますかー?」


 今日は全員、すでにクリニックを出ていると聞いていた。『朝川さんが最後だから、セキュリティもよろしくね』とわざわざ医師が伝えてくれたのだが、もしかして誰かまだ残っているのだろうか。


「すみませーん? 誰かいますかー?」


 声がやたら響いて聞こえる。だが返事はなく、それどころか人の気配や物音も何一つ感じない明らかな無人の建物。


 ぞぞっと、朝川さんの背筋に寒気が走る。


 早く閉めて帰ろう。


 そう思い、まず手前の窓を閉めようと近づいたとき、外の景色が目に入った。クリニックの目の前は細い道路になっており、その向こうは住宅が並んでいる。道路の真ん中に人が立っており、こちらに小さく手を振っているのが見えた。


 青いワンピースを着た細身の女性が、ゆらゆらとゆっくり朝川さんに向けて手を振っているのだ。


「……え、患者さん、かな?」


 そう思うが見覚えはない。とはいえ、やってきた患者みんなを記憶している自信はなかったので、とりあえずへらっと笑って手を振り返してみた。患者の中にはやけにスタッフにフレンドリーな人もいるので、そのうちの一人だろう。


 だが、すぐに違和感を覚える。


 振り返した後も、女は手を止めずにずっとこちらに手を振り続けている。ゆらゆら頭も同じように揺らし、さっきから全く変わらない動きをやめようとしない。まるでずっと同じ映像を見せられているようだ。


 なんだか得体のしれない恐怖を感じ、朝川さんは目を逸らして窓を閉めた。そのまま女を見ないようにしてもう一つの窓を閉め、パッと振り返った瞬間、自分の喉から悲鳴が漏れた。


 女がすぐ後ろに立っている。


 遠目では見えなかった女の顔は、やけに厚化粧だった。ギラギラした目で朝川さんを見つめ、にやにや笑いながら不快な声を出す。


「イスルギミサトはいますか」


 朝川さんはがくがくと震え、全く動けない状態だった。さっきまで外にいた女が一瞬でここにやってきた。しかも、病院の玄関は鍵がかかっているはずなのに。


 人間じゃない。


 女がゆっくりこちらに近づいてくる。朝川さんの足は恐怖で全く動かない。女が近づいてくる。それでも足は動かない。


「イスルギミサトはここにいますか」


 その声を聞いていると、頭がぼうっとして不思議な感覚になった。思考は止まり、何も考えることが出来ない。ただ、自分の口から無意識に言葉が出た。


「イスルギミサトはいません」


 

 それだけ言うと、朝川さんは窓から飛び降りた。無表情で恐怖心さえなく、ただそうしなければならないと思ったから。





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