妹が自ら手放した騎士の価値～家を出たいと願った令嬢との運命の出会い～

第20話 過去との決別

　窓から差し込む陽光が、エレノアの膝の上に置かれた本を淡い金色に染めていた。けれど、彼女の意識は本の内容からはすでに離れていた。

　エドモンドが静かに語り終えたとき、部屋には重い沈黙が流れた。彼女はずっと視線を落としたままだった。

「エレノア」

　エドモンドの声は、優しさと心配に満ちていた。エレノアの小さな手を、彼の大きな手が包み込んでいる。

「驚きました」

　エレノアはようやく言葉を絞り出した。彼女の声はかすかに震えていた。

「そんなことになっていたなんて、全く知らなくて」

　妹のヴィヴィアン、そして両親。彼女を長年冷遇し続けたヴァンローゼ家の人々が、もうこの世にいないという事実に、彼女の胸は複雑な感情で満たされていた。

　怒りでも、喜びでもなく、ただ静かな波のように広がる解放感。同時に、かつて共に過ごした家族を失った悲しみも、どこかに存在していた。

「教えてくれてありがとうございます、エドモンド様」

　彼女はようやく顔を上げ、エドモンドを見つめた。彼女の瞳は潤んでいたが、心は落ち着いていた。

「知らないまま過ごしていたら、いつか知ってしまった時に、もっと辛かったかもしれません。エドモンド様から教えてもらって、ショックは和らいだと思います」

「そう思ってくれたのなら、嬉しい。伝えるべきか迷ったが、伝えてよかったよ」

　彼女は静かに言った。エドモンドは彼女の言葉に、わずかに安堵の表情を見せた。

　エレノアは窓の外に目を向けた。庭に咲く花々を、春の風が優しく揺らしている。不思議と彼女は、自分の心も同じように軽やかに揺れているように感じた。

「彼らの結末は、彼ら自身で招いた結果です」

「そうだな」

　エレノアの声には、以前には見られなかった冷静さがあった。

「それは、辿るべき道ではなかった」

　かつてエレノアを苦しめていた家族から解放されたいという苦しみの感情は、もはや彼女の心を支配していない。それは時間とともに、静かな哀れみへと変わっていた。

「私は彼らの行いを記憶に留めて、反面教師にします。同じ過ちを繰り返さないために」

　彼女の言葉に、エドモンドは静かに頷いた。

「結婚の前に、こうして面倒な問題が片付いて良かったです」

　今回の出来事を前向きに捉える。

「私のせいで巻き込まれてしまって、ごめんなさい。そして、解決してくださって、ありがとうございます」

　彼女の言葉に、エドモンドは首を横に振った。

「気にすることはない」

　彼は真剣な表情で言った。

「これは王国の騎士として解決すべき問題だった。私は役目を果たしただけだ」

　彼の言葉は率直だったが、その瞳に宿る優しさは、エレノアだけに向けられたものだった。

「だから、面倒をかけたとか君が気にする必要は一切ない」

「はい、ありがとうございます」

　エドモンドはそう言って、彼女の手をもう一度握り直した。エレノアはその言葉を、心の奥深くで受け止めた。そして、彼の言葉を信じることにした。

「今は、結婚式に集中します」

　彼女の声には決意が込められていた。過去に囚われるのではなく、未来を見つめる強さ。

「ウィンターフェイド家の一員として、私も役に立ちたいです」

「役に立つ必要などない。ただ、君らしく生きてくれれば」

　エドモンドの言葉に、エレノアは小さく笑った。

「いいえ、私は役に立ちたいんです。それが、私の望みなんです」

　エレノアは本を置いて、立ち上がった。窓辺に歩み寄り、広大な庭園を見下ろす。そこには彼女の新しい人生が、花のように咲き誇っていた。

「学んだ知識を活かして、誰かを助けられる人になりたい」

　彼女の背中越しに差し込む光で、彼女のシルエットが美しく浮かび上がった。エドモンドはそれを見つめながら、彼女と出会えたことへの感謝を心から感じていた。

　ヴァンローゼ家。それは彼女の過去の一部だ。苦しみと孤独の記憶。でも、それがあったからこそ、今の彼女がある。

　エレノアは深呼吸をした。胸に満ちるのは、新鮮な空気と共に、これからの人生への期待。彼女は振り返らない。前を向いて、強く生きていく。