第10話 婚約相手の変更※エドモンド視点
エドモンド・ウィンターフェイドは執務室の窓から庭を見下ろしていた。一週間前から屋敷にやってきた彼女の姿が見えた。エレノア・ヴァンローゼ。腰を下ろした彼女は、膝の上に広げた分厚い本に没頭していた。金色に輝く陽光が彼女の姿を優しく照らし出し、静かな品格を引き立てていた。
風が吹き、彼女の髪を揺らす。彼女は顔を上げ、空を見上げた。その横顔には、どこか儚さと強さが同居していた。エドモンドは思わず見入ってしまう。
「エレノア・ヴァンローゼか……」
彼は低く呟いた。彼女との最初の対面を思い出す。ヴィヴィアンの代わりにやってきた姉。最初は困惑したが、今は違う。あの日、執事から『彼女は、ヴァンローゼ家で虐待を受けていた可能性があります』という報告を聞いた瞬間を思い出すたびに胸に鈍い痛みを呼び起こした。
少し時間を遡る。ヴァンローゼ家から、書簡が届いた時のことを。
執務室に執事のパーカーが入ってきたのは、全身に包帯を巻いて数日経った頃だった。彼の慎重な足取りから、何か面倒な話があることはすぐに察することができた。
「エドモンド様、ご報告がございます」
パーカーは丁寧に一礼し、持ってきた手紙を示した。
「ヴァンローゼ家から送られてきた手紙です。婚約に関する件のようですが」
「ヴァンローゼ家から?」
エドモンドは手元の書類から目を上げた。単刀直入に報告してくれるパーカーから、婚約の件に関する手紙というのを受け取って、すぐに中身を確認する。
「なるほど、ヴィヴィアンが婚約破棄を望んでいるようだ」
エドモンドの問いに、パーカーは一瞬驚いたように目を見開いた。
「婚約破棄!?」
「おそらく、世間に広めた情報をヴァンローゼ家も鵜呑みにしたようだな」
貴族同士の婚約が簡単に破棄されることは珍しい。相手側からの一方的な破棄は、侮辱でもある。
エドモンドは肩をすくめた。「怪我を負い、任務で失敗した」という話を知って、心配するのではなく距離を置こうとする。もともと、そんな程度の関係だったということ。
だから彼には、それほどの怒りは湧かなかった。
「かまわない。了承しよう」
「本当によろしいのでしょうか?」
パーカーは眉を寄せた。エドモンドはペンを置き、正直に答えた。
「最初から、政略結婚だったじゃないか。お互いの家の利益のための約束だ。それがなくなるなら、仕方がない」
彼女との会話は社交辞令の応酬に過ぎなかった。彼女の目は常にエドモンドの地位と家柄を見ていた。その事に気づいていたエドモンド自身も、「健康な世継ぎを生んでもらう妻」としか見ていなかった。
結婚は感情ではなく、家の繁栄のための手段。そう割り切っていた彼には、彼女への未練など持ち合わせていなかった。
「ヴァンローゼ家から、婚約破棄と同時に代わりの婚約者の提案があるらしい」
「代わり?」
これには、さすがのエドモンドも眉を上げた。婚約破棄を申し出る側が、代わりの相手を提案してくるなど聞いたことがない。
「ヴィヴィアン嬢の姉、エレノアという令嬢がいるそうだ。彼女を代わりの婚約者にしたいと言ってきている」
エドモンドは思わず笑みを漏らした。あまりにも身勝手な提案に、呆れを通り越しておかしくなった。
「断るべきでしょう」
「そう思うか? だがな……」
パーカーは断れと言う。ヴィヴィアンの振る舞いを見たことがあって、ウィンターフェイド家に迎え入れるべきじゃないという考えが前からあった。この際だから、向こうとの縁を断ち切るべきだと。だが、エドモンドはヴァンローゼ家の提案を受けるべきだと考えながら理由を説明する。
「ヴァンローゼ家との関係を完全に切るのは、政治的に得策ではない。彼らの領地はそれなりに広大で、我が家の領地とも隣接している。貿易路としても重要な土地だ」
「おっしゃるとおりかと存じます」
パーカーも考えを理解して、同意する。こうして、ヴァンローゼ家の提案を受けることを決めた。
ヴィヴィアンに姉が居ることを、エドモンドは聞いていた。ただ、実際にどんな人物なのか知らない。興味がなかったから。
ちゃんと調べておくべきだったと、後になって後悔することになる。
まさか、ヴァンローゼ家がそんな事をしていたなんて。家族から酷い扱いを受ける少女が存在しているなんて、この時のエドモンドは全く知らなかった。
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