4:楠原硝子工房

「あ、くすはらく…ん」


若草色のワンピースを着込み、店先に立つ遠野さん。

肩掛け鞄のベルトを握りしめ、不安そうに周囲を見渡し、僕らの苗字を呼ぶ。

なんでこんなところに彼女がいるのだろうか。

それに、なぜ僕の家を…?

偶然入った店がうちだった?でも、彼女はさっき「楠原君のお家は」と聞いていた…。


もしかしなくても…わざわざ教科書を?


…いや、ただのクラスメイトの為に、こんなところまで持ってきてくれる訳がない。

きっと、街で友達と遊ぶ用事があったのだろう。

そのついでに、ここに寄った。きっとそうだ。


「…成海、この子誰」

「…クラスメイト」

「一ヶ月間しか関わっていないような“ただのクラスメイト”それも異性!がわざわざうちまで来るかねぇ…ん?ん?」

「…姉さんうるさい」


「あ、お姉さんなんだ…」

「ん…?」


姉さんが僕と遠野さんを交互に見て、気持ち悪い笑みを浮かべる。


「私、やっぱ先に休憩取るわぁ〜。成海ぃ〜?ちゃんと接客しなさいよぉ〜?」

「姉さん猫撫で声キモい」

「おい今姉に対して何て口の利き方を…」

「げっ…すみません」

「よろしい。お昼当番代わっておくから、明日よろしくね〜」

「ん」


姉さんの軽やかな足取りが聞こえなくなるまで、背を向き続ける。

足音が聞こえなくなったら…前を向かないと行けない。

遠野さんと、向き合わないといけない。

姉さんが一緒にいてくれたら、なんて考えてしまうけれど…いたらいたでろくでもないことを口走りそうだし…。

だからといって、二人で会話を回せる自信がない。


けれど、向き合わなければならない時間はやってくる。

ゆっくりと正面を向き、硝子越しではない彼女を目に映す。

窓から差し込む光が商品に差し込み、空間の中へ色をちりばめる。

瞬く世界の真ん中で、楠原さんが小さく息を吸う音が響いた。


「…お姉さんと、仲いいんだね」

「まあ、うん…」

「そうだ。これ。教科書。ごめんね、昨日持ち帰っちゃって…」


肩掛け鞄の中から取り出されたのは現国の教科書。

…これを届けにわざわざ来てくれたらしい。


「い、いや。わざわざありがとう。ついでとはいえ…」

「ついで?」

「いや、だって。誰かと遊びに行く前に〜とかだと思って」

「今日は誰とも予定入れてないよ?ここに来たかったから」

「……そ、そう」


わざわざこれを届けるために来てくれたらしい。

いい人だな、遠野さん…。


「でもよくここがうちだって分かったね。クラスメイトから聞いたの?」

「そうだよ。鷹峰君が教えてくれたの」

「陸が…」

「よく話してるでしょ?」


昨日連絡をした時に「遠野さんにうちのことを教えた」とか教えてくれてもいいのではないだろうか、陸さんや…。


「そうだね。小学生の頃から、ずっと一緒だから」

「そうだんだ。やっぱり楠原君って「狭く深く」な人?」

「どういうこと?」

「交友関係。鷹峰君以外のクラスの子と話しているところって見たことないけど、鷹峰君とは凄く仲良しみたいだから」

「そうだね。そんな感じなんだと思う」


遠野さんは「そっかぁ…」と小さく呟いた。

小さく微笑んだ後、踵を返し…閃いたように、再びこちらを見てくる。


「お店、見ても大丈夫?」

「大丈夫。好きなだけどうぞ」

「でも、さっき休憩時間とか…」

「午後のパートさんが来るまで。それまでのつなぎだから…」

「じゃあ、遠慮なく…」


色とりどりの光がちりばめられた空間を、遠野さんは軽やかに歩く。

足取りと共に髪が揺れ、硝子の装飾をビー玉のような瞳で覗き込む。

その眩しさは、直視できないほどに眩くて…つい、目を逸らしてしまう。

それに、じっと見ているのもおかしいだろう。

遠野さんはお客様として。僕は店員としての距離が相応しい。


「楠原君、楠原君」

「い、如何なされましたか…?」

「急に敬語?」

「やっぱり、お客様だし…」

「今は二人だけだし、普段通りでいいんじゃない?」

「じゃあ、お言葉に甘えて…それで、どうしたの?気になるものでもあった?」

「うん。色々目移りしちゃって…おすすめとかあるかなぁって」

「おすすめかぁ…」


ここで自分が作ったランプを進めるのは流石にどうかと思う。

…あのランプ以外のおすすめを探さないといけない。

僕が作ったランプに背を向けて、姉さんや父さん、職人さんが作った作品をいくつかピックアップしていく最中。


「…あれ、気になるな。おすすめする気配はないし…やっぱり高いのかな」


———遠野さんがモザイクランプを見ていたことには、気づいていない。

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