魔女狩り狩りの魔女

兄場ユウタ

第1話





 青空のいちばん高いところに太陽が達すると、前日の雨の匂いはすっかり消えた。

 森の中、少し切り開いたところに小屋が建っていて、その近くに、朗らかな日差しを受け、ひとりの老女が佇んでいる。

 次の瞬間、老女は両手で斧を振りかざし、迷い無く、己の足元に振り下ろす。そして足元の、切り株の上に置いた円柱型の薪を見事両断するのだった。

 割られた薪は、芝の上に転がり落ちて、白い断面を晒した。

 老女は、くすんだ鉤鼻に浮かぶ汗を擦って拭い、次の木を足元の切り株の上に置く。

 斧を振り上げ、降ろす。

 だが今度は断ち損なった。

 「久しぶり。ジャーニー」

 聞き慣れた男の声に老女は頷くと、薪に刺さっている斧を押し込み、完全に割ってから振り返った。

 そこには、金髪を輝かせた美しい男がいた。「衰えないね」と、男は老女ジャーニーに微笑む。

 「おまえさんの美貌はいつ衰えるのかね。セシルよ」

 ジャーニーは挨拶代わりに、いつもの文句を言った。

 セシルはちょうど今年の春で30歳を迎えた。しかしその風貌は、ジャーニーが面倒を見ていた頃から変わらない。変わらず女を狂わせる容姿のせいで、ジャーニーはこれまで幾度となく厄介ごとに見舞われてきた。もういっそ仮面でも着けたらどうか、と提案したこともあった。

 「嫌だなぁ。僕だって今に、しわしわになるさ」

 そんな事は微塵も思っていないというのが、ジャーニーには見てとれた。セシルの建前と本音を区別できた時、ジャーニーはほんの少し嬉しくなる。姿形しか見ていない若い娘とは違うのだ!と心の中で勝利の小旗を上げる。

 ジャーニーはセシルの母親代わりだった。

 「あたしを揶揄ってんのかい」

 ジャーニーは口を尖らせると、自分の頬を摩った。顔中に深く刻まれた皺に、指の皺を合わせるようになぞる。

 最近は腰も曲がり始めてきている。昔より薪割りも遅い。転びそうになることが増え、その度に娘の困惑した瞳を見つける。

 どうにか老いというものも退けられないだろうか……無理だろうな。昼はそうでも無いが、夜になると急に不安が生まれるようになった。

 その時、ふと胸がざわついたため、素早く話題を変える。

 「セシル。困ったことは無いかい。ちゃんと食べてるかい」

 「そりゃあ、もう。そうだ。今度、小隊を任されることになったんだ」

 「あぁ。風の噂で聞いたよ。いや、ミシェルから聞いたんだったかな。あの子、都会へ行って情報屋にでもなったら稼げそうだ」

 ミシェルはお喋りが好きな女の子だ。勉強はからっきしだと言っていたが、なかなかに聡明で活発。実は医師を目指しているのだと、こっそり教えてくれた。

 ただ、ジャーニーこそ学は無いため、相談といっても与えられる助言は無かった。

 こくこくと頷いているうちに、こっくり眠りそうになったこともある。

 「それで。戦争に行くのかい」

 ジャーニーは尋ねる。

 「ジャーニー。まだ戦争の夢を見るか?」

 セシルが尋ねる。

 「お馬鹿。質問に質問を被せるんじゃないよ」

 ジャーニーは呆れ顔で斧を放り捨てると、肩を回しながら歩き出した。正午になった。休憩だ。

 「ねぇ。僕は見るよ。貴方と初めて出会った日のことばかり、毎日夢に見る」

 セシルは早口に言い、ジャーニーの後を追って歩き出した。

 「お前さんは、まったく」

 ジャーニーは思う。この子はまだ母離れが出来ていないのではないか。

 確かに死にかけていたセシルを救ったのはジャーニーで、その後、彼を養っていたのもジャーニーだ。

 自分自身に暗示をかけて、血縁関係の無いセシルの母親であろうとしたジャーニーの、その必死の努力は実を結び、深い信頼と愛情を得ることには成功した……しかし果実はいつまでも青いまま。

 溜め息を吐きながら、ジャーニーは眉間を揉んだ。

 振り返ればキョトンとした美顔があって、ふたたび溜め息を吐く。

 「忘れたいの?」

 と、性懲りも無くセシルが尋ねた。

 「戦場を忘れたいの?」

 ジャーニーは家の玄関前で立ち止まると、扉の取手に手を掛けて答えた。

 「過ぎたことだからね」

 それからジャーニーはハッとし、険しい表情をセシルに向けた。

 「その話はメアリーの前でするんじゃないよ」

 17になる娘は、母ジャーニーの過去を知らない。戦争の記憶は、セシルとだけの秘密だった。

 いちいち忠告しなくとも、秘密主義のセシルが自慢げにそれを語ることは考えにくいが、それでも釘を刺しておかないと、胸のムカムカが治らない。

 どうしたんだろう。今日は朝から、大事な何かを何処かへ落としてしまった気がしている。不思議な気分だ。水中で逆さになっているような、違和感ばかりの妙な心地。

 ジャーニーは胸に手を当てた。薄い布越しに肋骨のでこぼこに触れ、年を取ったなと改めて思った。

 不意にセシルが言う。

 それは優しげな声で、僅かに哀れみを含んでいた。

 まるで忘れん坊の老婆に、朝ごはんは食べたでしょうお婆ちゃん……そう告げるかのように、

 「メアリーなら、死んじゃったよ」

 と言ったのだ。

 


 そこでジャーニーの意識は浮上した。

 覚醒した瞬間、無意識に「ぐふっ」と勢いよく息を吐き出す。酒と胃液の匂いが鼻についた。

 吐き気は治っていたが、喉にはまだ酸っぱい粘液がこびりついていて、少し焼けるように痛む。その痛みが、ジャーニーに眠る前の記憶を思い出させた。

 寝ている間に陽は沈んでしまったようだ。

 口を濯ごうと思ってベッドから立ち上がり、真っ暗闇をふらついた足取りで行く。キッチンに辿り着けば、酒瓶が足の踏み場も無いほど転がっていた。

 辺りには酒の匂いが充満していた。最後に窓を開けたのはいつだっただろうか。と、2日ほど遡ったところで考えるのを止め、また手探りで雨戸を探し出し、そっと開ける。

 ほの明るい月の光が、部屋の中の物に優しく触れる。そのおかげで、現状の悲惨さが幾らか薄まった。

 栓を閉め忘れた瓶から酒が溢れ、床は水浸しになっていた。数週間放置した埃や髪の毛と混ざってどろどろだ。片付けが大変そうだなぁ、と他人事のようにジャーニーは思った。

 それからジャーニーは、娘を探して家中を歩き回った。

 探す場所と言っても、キッチンを含むこの場所、つまり居間__ジャーニーの私室は居間の端っこに、仕切りを立てて作った空間だった__と、屋根裏しか無い。

 元々は母子2人、屋根裏を寝床にしていたが、成長したメアリーのために部屋を譲った。

 “別に一緒だって良いじゃない”とメアリーはボヤいていた。

 だが、いつか彼女がひとりで生きていく時、困って叫ぶのが、「母さん助けて!」ではいけない。ジャーニーはよく、メアリーに言い聞かせていた。女だって強くなくちゃね。と。

 その言葉を反芻しながら、今、薄暗い中を彷徨い歩く。「メアリー。メアリー」

 何度か転びそうなったが、いつもの、心配の視線はやってこなかった。家の中には、ジャーニーの荒い息が滝の音のように響いているだけだった。

 屋根裏への階段を、這って上る。全身汗だくのジャーニーは苛立ったように声を上げた。「メアリー。返事をしなさい」

 屋根裏は天窓から差し込む光に包まれていて、あるのは机として使っている木箱と、干し草のベッドだけ。

 隠れられる闇など無くて、何処を探す必要も無かった。

 この明るい中を探せば、あたしは惨めに見える?惨めに見えたなら、神様は娘を此処に寄越してくれる?

 そうは言うものの、ジャーニーは神を信じていなかった。望むものは自らの実力によって手にする、それがジャーニーの信条だった。

 だから虚空に消えた言葉と、浮遊する両手は神に向けられているのではなく、自分自身に宛てたものだった。そうだ。そんなことをしても娘は帰ってこない。神はいないのだから。救いの手は存在しないのだから。

 何をしても無駄だ、と結論付ければ、娘のいない屋根裏部屋も恐ろしくはなかった。

 ジャーニーは力尽きて、床に寝転んだ。

 ふと顔を動かすと、部屋の奥に何かが落ちていることに気づく。白く照らされた床の上で、その何かは小さくも、ひときわ輝いていた。

 埃かもしれないが、なんだか無性に気になって、ジャーニーは疲れ果てた体に鞭を打ち、たった数メートル先まで、10分もかけて移動し、震える指先で光る物体を拾い下げた。

 それは銀の十字架だった。メアリーのものだ。白い首筋に茶色の麻紐を引っ掛けて、いつも胸の前で握っていた、小さな十字架。

 いったいどこで拾って来たのか、その十字架がどういう経緯でメアリーの手に渡ったのか、ジャーニーは知らなかった。だが、いつのまにか持っていて、いつからか教会に出入りするようになっていた。

 教会に向かうメアリーは、随分大人びて見えた。花を踏み荒らしていた頃のおてんば少女の印象が消え、花を愛でる夫人への階段を登ったように思えたのだ。

 メアリーは、ジャーニーですら感心するほど、信心深い少女だった。

 いつかは無神論者であるジャーニーも教会へ赴き__その時はきっと娘の幸せな未来を願って、とうとう神に跪くことになる、そうなるはずだった。のに。

 「メアリー……あぁメアリー!!」

 ジャーニーは床に頬を擦り付けた。ささくれのように薄く捲れ上がった木材が、彼女の頬を切り裂く。傷口から血が流れる。それは涙の代わりにジャーニーの顔を濡らし、床に染み込んでいった。

 今頃、あの子はどうしているだろう。

 膝を丸め、狭い独房の中で声を押し殺して泣いているに違いない。

 裁判?尋問?どうしてこんなにも時間が掛かるの。そもそも娘には、メアリーには必要の無いことなのに。

 娘は魔女ではありません。

 合法的に連れ去られた娘の姿が、目の裏に焼き付いている。が、それから数週間経った今では、当日メアリーの来ていた服を思い出すことが出来なかった。代わりに、彼女の怯えた表情が、険しさを深めて現れる。

 だが、実際の彼女は表情安らかに、連行されていった。疑われることなど何処にありましょうか。と、メアリーは胸を張り、すんと澄ましていた。

 あの時、そして今も、ジャーニーの脳裏には、高級な皿が落ちて粉々になってしまう瞬間が、何度も何度も映し出される。

 遠くに行ってしまうメアリーの姿が、割れる皿の亀裂に飲み込まれていくような幻覚を見る。

 メアリーの表情はジャーニーの頭の中で誇張され、実際のものとは大きく異なっているのだろう。

 脳みそを掻き回し、娘の顔を灰汁のように浮かび上がらせる。それを口に含み、鉄球を飲むような気持ちで飲み下す。嚥下を繰り返すために酒を流し込む。

 毎晩毎晩、そうまでして防ぎたいのが、メアリーに関する記憶が抜け落ちてしまうことだ。

 夢の中でセシルが言った言葉を思い出す。否、言わせてしまった言葉。

 ジャーニーは身を震わせた。嫌な予感が体内を駆け巡った。

 死んだ。死んだ。メアリーが死んだ。

 陽気な歌声が聞こえて来そうだった。

 村人達は、数年に渡る不作が、家畜の病気が、身内の不幸が、全てメアリーのせいだと思い込んでいる。驚くべきはその中に、祈りなんて馬鹿みたいだと言うダグ老人も含まれていることだ。

 いったいこれはどうしたことか。

 村中が、魔女の力を信じている。水に沈めれば、火刑に処せば、世情が改善されると本気で思っている。でなければ、沈む女を見てホッと息を吐けるものか。

 だが、それこそ正気の沙汰では無いとジャーニーは感じていた。

 娘は絶対に無実だ。疑われるようなこともしていない。無愛想のジャーニーとは違って、教会に足を運んでいたメアリーは誰の目から見ても明らかな程、清廉潔白で、村人はそんな彼女を好いていたはずで。

 それが何故か、先に魔女として告発された女が「メアリーも!」とひと言。その言葉が発端となり、村人達の掌返しときたら、今思い出しても背筋がゾッとする。

 こうして娘の部屋で嘆いている今この瞬間にも、彼らは2キロ程度離れた集落で、いびきを立てて寝ているのだ。そう思うとゾッとする。わけが分からずゾッとするのだ。

 明け方になる頃、ジャーニーは立ち上がった。

 トントンと軽い足取りで1階に降り、外に出て、汲んだ井戸水を頭から被った。

 水が、縮れた白髪の先から滴り落ちるのを見て、ふと、どうして此処まで来れたのか、という疑問が浮かんだ。まるで自分ではない誰かに、体を動かされたかのようだ。

 その“誰か”は、ジャーニーを街へ行かせたいらしい。街の中央通りを行った先の草原へ。そして、メアリーの元へ。

 来ないでって言ったのに。メアリーは怒るかもしれない。反対に、どうしてこんなに遅れてしまったの、と怒るのかもしれない。その時は正直に、監視があって来られなかったとジャーニーは言うだろう。だが、酷い言い訳には変わりない。

 互いに「ごめんなさい」と謝りながら、何を謝っているのか忘れながら、抱きしめ合って、言葉と気持ちをひとつに重ねて、もう一度この家に帰ってくるだろう。いや、帰らなくても良いかな。

 何処か違うところに家を建てて、2人で暮らそう。教会が近いところにしよう。小高い丘の上の教会というのは、なんとも見栄えが良いと思う。花畑があるともっと良い。

 ジャーニーは早朝の薄闇に紛れて歩き出した。紫のコートが彼女を闇の番人に仕立てあげた。

 手首に巻きつけた麻紐から、垂れ下がる銀製の十字架が、振り子のように揺れた。



****



 メアリーが泣いている。

 違う。何処からか聞こえる赤ん坊の声だ。

 ジャーニーは、左右を建物に挟まれた大きな通りを、2日酔いの気分の悪さに俯いて歩いていた。

 幸いなことに、通りには犬猫の姿さえ無かった。

 もし、この孤独に歩く毒色の狼を見つけたなら、誰もが叫び声を上げて気絶し、朝の静寂は最悪の形で壊されるところだ。

 後ろ姿は、ちっぽけで貧相な老婆。

 しかし正面に回れば、その表情は傷を負った野獣。

 目は充血していて、顔の皺は以前の数倍に増えている。頬に付いている固まりかけの血が、生々しく光を閉じ込め、見る者を恐れ慄かせるだろう。

 刹那、ジャーニーは重要なことに気がついたように、肺の半分に満たない空気を吸って、息を止めた。「ヒュっ」と。

 顔がじんわりと温まる感覚があり、それはいつかメアリーを抱きしめた時の心地に似ていた。

 あぁ早く抱きしめないと。

 ジャーニーの両手は、温もりを求めて小刻みに震えた。

 “この手が明日も明後日も、来年も再来年も空っぽだったら?”

 震えはいっそう激しくなった。

 こんなにも自分は無力だったか?怖がりだったか?闘志を捨てると決意したあり日の選択、あれは本当に正しかったのか?

 ジャーニーは問答をしながら、石畳の下り坂をせっせと歩いた。

 全ての答え、希望も絶望もこの先にある。きっとメアリーが教えてくれる。

 急斜面に設けられた階段に到達し、始めは1段ずつ確実に降りる。そろそろ慣れたという時、ジャーニーはパッと顔を上げた。

 眼下に広がる草原は、まだ水の中みたいな暗さに沈んでいる。その深いところに、身を寄せ合うような建物の集合体があり、中でも、ニョキっと生えたきのこのような塔が目立っていた。尖った屋根の先端に、朝日の光が集まっている。まるで宝の在処を示す小さな光の輝きだ、自分にしか分からない暗号だ。ジャーニーは顔を綻ばせると、階段を駆け降りた。あれだ!あの塔の中にメアリーがいる!

 塔は、いわば聖職者達の自己満足の要塞。そこに閉じ込められているのは、根も葉も無い噂や言いがかりで捕えられた可哀想な少女達。

 はやくメアリーを助けないと。他の少女達もだ。ミシェル。イーダ。

 ジャーニーは最後の数段を、牡鹿のように飛び降りて、ずんずん草むらに入っていく。

 「何を弱気になってるのさ。あたしは今、勇者じゃないか。此処で1番の権力者に逆らおうってんだからね」

 唱えるように小声で言うと、少しずつ、鎧を着けているような気になってきた。

 腰の高さまである草を手で掻き分けながら、まだまだミニチュアのような監獄からは目を逸らさない。ジャーニーは真っ直ぐ突き進んでいく。

 草原に建つ建物の群れは、かつてそこが領主の屋敷として使われていた時のままだ。

 今は聖職者や村の役人の集会場となっている。

 魔女として告発された娘らは、“嘆きの塔”と呼ばれる建物の中に収監されていると、ミシェルが言っていたのを思い出す。もし事実ならば皮肉なことに、あの塔の中には、きっとミシェルもいることだろう。

 嘆きの塔は、当時の領主が精神疾患を患った娘を隔離するために、作られたと言われている。

 塔からは毎日、夜になると叫び声が聞こえて来たらしい。遠くからだと金切り声も、夜の静けさに溶け込むように聞こえ、それが人々に嘆きの印象を与えたのだろう。

 もう数十年も前の話。ジャーニーがこの場所に居着くよりずっと前のことだ。

 村人達は塔の噂に“幽霊”という飾りをつけて、顔を青くしているが、新参者のジャーニーにとっては単なる古びた建物でしかない。

 なんのこれしき、恐るに足らない。

 仰け反って塔を見上げたジャーニーは、4メートルほど上の壁面に、格子の外れた穴があるのを発見した。穴は、煉瓦の大きさから目測して、おそらくジャーニーが通れるくらいの大きさだ。

 神の導きとまでは言わないが、なんらかの力が背を押してくれているような気がし、ジャーニーは手首に十字架が巻き付いていることを確認したあと、煉瓦の出っ張りに指を掛け、足を乗っけて、塔の外壁を登り始めた。

 酒が抜けきっていなかったからこそ出来た芸当かもしれない。すっかり気分は、20年前だった。筋肉の衰えを、ちょっと疲れているのかなと流し、ボヤけた視界で下を見ても怖くは無かった。体がポカポカしていて、今なら何でも出来そうだった。

 ジャーニーは難なく、穴の中に滑り込み、塔に侵入した。

 「メアリー。いるかい」

 そう言って降りたつと、プツン、酩酊した感覚が切れ、ジャーニーは瞬時に足元を見た。冷水に浸かっているような感触が、足首を包んでいた。まるで冬のような空気が、薄暗い空間を満たしていた。

 「寒いね此処は」

 ジャーニーはコートのボタンを弄りながら、辺りを見回し、寒さに凍えるメアリーを見つけるべくあちこちを歩き回った。

 壁の所々に年月の経った血の汚れが付いていた。天井は蜘蛛まみれで、それがぶら下がっているのに気が付かず、ジャーニーは不本意にも、数匹の蜘蛛を食べた。

 時折、床を這い回る鼠の存在が聞こえて来ても、素早いそいつの姿を見ることは出来なかった。振り向くと、いつもそこには何も居ないのだった。

 「いるんだろうメアリー?」

 地上は十分に探し回った。となると地下に行くしかないのだろう。

 が、まるで喉の奥のように先が分からない地下室への階段は、ついにジャーニーを立ち止まらせた。

 その際ジャーニーが抱いたのは、恐怖とは違う感情だった。

 地下室からは、腐臭が上がって来ていた。

 もし娘がこの下にいるのだとしたら……。そこまで考えて、思考を閉ざす。思考こそ、悪い流れを作りかねない。不安しか生まない思考は、さっさと切り上げたらよろしい。

 そう決断し、階段を降りようとした時だった。

 下から、ぼうっとした光が見え、誰かが上がってくると直ぐに察知したジャーニーは、近くの部屋に入り、扉は開けたままで、その後ろに身を隠した。

 男の声が2人分。地下の空間に反響して捉え難かった言葉が、明快になっていく。

 ジャーニーは息を殺し、男らの言葉に耳を澄ませた。

 「あーあ、なんで死んじまうかね。これじゃ給金が」

 パンが黒焦げだよ、そんな風な声色で話す男。

 「次はいつ来る?」

 来る?何が?医者か?死体回収業者か何か?ジャーニーは男達の息遣いの合間に、彼らの会話より遥かに速く相槌を打ち、疑問を出し、それを自分で消したりもした。

 「……もういっそ俺たちで告発した方が早いんじゃないか?」

 「あの婆さんはどうだ?」

 「婆さん?」

 「ほら、村の外れに住んでる……さっき死んだ女の母親だよ」

 「あぁ、ジャーニー」

 「そう。ジャーニー」

 ジャーニー。

 会話の最後を締め括ったその単語から、釣り糸を手繰り寄せるみたいに、彼女は考えを巡らせた。本当はそれを聞いた瞬間に答えは出ていたのだろう。あとは認めるか否かの問題だった。

 それが自分の名前であると認めることが出来た時、男達の声は随分遠のいていた。

 血の味がした。

 顔がぐっしょりと濡れていた。

 目の前がチカチカし、ジャーニーは後ずさった。

 逃げ込んだ小部屋は、休憩室らしく、置かれているのはベッドと丸椅子と、鏡のみといった質素な部屋だった。

 その鏡に、ふと血濡れの老婆が浮かび上がった。

 ジャーニーは横目でそれを見て、小さく悲鳴を上げた。同時に、鏡の中の老婆も引き攣ったような顔で、口を開いた。

 血に濡れていたのはジャーニーだった。

 足元に、2体の肉塊が転がっていた。“それら”は数秒前までは、両足で自立し、下卑た笑みを浮かべながら、連日に渡る拷問の様子と、眠るように死を迎えた少女のことを語っていた。

 少女の死は予想外だったようで、正式に火炙りにするまでは、じりじり嬲るだけにし、生かし続けるその間、少女の獄中の生活費と偽って、酒代や娯楽費を、少女の母親に請求するつもりだったらしい。

 ジャーニーが聞いたのはそこまでだ。

 呑気に部屋に入って来た2人の男の背後から、のそりと現れたジャーニーは、コートの中に隠していた斧で、彼らの頭を砕いた。

 ひとつ、ふたつ。

 血飛沫は天井まで上がった。

 ジャーニーは幼いメアリーと共に、柄にもなく半裸になって川で遊んだ時の光景を瞼に映し出した。

 ばしゃり。ばしゃばしゃ。水が顔に当たる。「やったな!」水面を掬い上げて、メアリーに反撃する。その内セシルが森の中から2人を探しに現れて、驚いた顔をした後、ズボンを捲って参戦する。

 遊び終わって川岸に腰を下ろす。疲れたねぇとメアリーの頭を撫でると、セシルが物欲しげに見るものだから、仕方ないなという風に苦笑する。そして彼の頭を軽く叩いてやる。

 きらきらのおひさまが見ているわ。メアリーが空を指して言う。

 「そうだね。きらきらだ」

 母は答えて、見上げる。

 すると。

 ぬるりと艶めく赤い天井から、雫がひと粒滴り落ちて、薄く開いたジャーニーの口の中に侵入し、唾液に溶け込んで広がり、舌を痺れさせた。

 「こうしちゃいられない」

 それは、やる気を出す時の口癖だった。どうも薪割りする気が起きない時、メアリーが先導するように外へ出ると、彼女はこの言葉を言って立ち上がる。

 ジャーニーは斧を引き摺って部屋を後にし、地下室の階段を降りて行った。

 



 ****



 自分が魔女だと、断じて認めなかったのか。

 なんて尊い子だ。

 その信心深さには、神ってやつも舌を巻いていることだろうさ。

 炎で焼かれたクララ。メアリーを魔女だと訴えたクララ。

 あの子のように、炎に焼かれる最期じゃなくて良かったじゃないか。

 これで皆んなも、お前さんを疑ったりしないよメアリー。

 お前はやっぱり魔女なんかじゃなかったんだからね。

 やっぱり、魔女じゃなかったんだよ。




 ****



 

 火炎に飲まれていく草原。食い荒らされているようにも見えた。

 炎は嘆きの塔を中心に、波紋のように広がり、黒い煙は化け物のように蠢きながら厚みを増していく。破壊と創造を一度に表しているような光景だった。実際、あとに残るのは燃えかすだけだろうが。

 ジャーニーは高台からそれを見下ろしていた。

 ふと顔を逸らし、街の方から人々が階段を降って来る様子を見る。

 鎮火出来るもんならやってみろ、昔のジャーニーであったなら、彼らにそう言ったかもしれない。自分を疎んでいた村人達に一泡吹かせて、拳を突き上げるくらいしたかもしれない。

 だが今は、降る米粒のような人の群れに、水溜まりに落ちていく蟻達を重ねていた。

 彼らと自分が、同じ人間だと思えなかったのかもしれない。

 しかし、そこに優劣を感じていたわけではなく、ただ自分には全く関係の無い、物語の情景を見ているような心地で、ジャーニーは煙の中に数人が取り込まれていくのを眺めていた。あたふたする人々は、紙とインクで出来ているような気がした。

 これは鎮火出来ない、と前列にいる人々が方向転換を始めるが、後から来た野次馬達に退路を塞がれ、人々は広大な草原に、ぎゅっと固まって、互いを押し合っていた。ジャーニーには彼らの動きしか把握出来ないが、揉めて、苛立ち、罵り合っているだろうことは想像がつく。その様子を頭の中で映像に変えるのは、針仕事より容易い。あまりに容易いため、どうでも良かった。

 泣いているの?母さん。

 天上から聞こえた声に、ジャーニーは土で汚れた手で目元を擦り、答える。「泣いてないさ」

 泣き虫ね、とメアリーが返す。

 「何処に行こうか」ジャーニーが問う。

 母さん、もう分かってるくせに、とメアリーがしっとりとした笑い声を含ませて言った。

 もう分かっているでしょう?

 誰が間違っていて、誰が正しいのか。

 「正しいのはお前さんさ」ジャーニーは即答する。

 片手には真っ赤な斧を、ぎゅっと握りしめていた。

 使い古した紫のコートは、たっぷりと血を含んで赤みを増し、その重量は、家を出た時の倍にもなっていた。

 だが、疲れというものはついぞ現れなかった。骨と筋肉は、久々の緊張状態に喜んでいるようで、指先まで活性化していた。

 斧は普段よりずっと軽く、木を切るよりも、骨を断つ方が簡単だった。

 まだ自分はやれる、ジャーニーは根拠の無い自信を帯びた表情で、薄青の空を見上げた。

 「そうだ。こうしちゃいられない」

 メアリに応答し、ジャーニーは歩き出した。

 __ジャンヌ。あんたが聞いていたのは、これだったのかね?

 かつて仲間を恐怖に陥れた、旗のひらめきが、立ち昇る黒煙の中に見えた気がした。




****




 深緑の池に小舟が浮かんでいる。

 そこから、ひとりの少女が縛られた状態で、樽のように投げ落とされた。

 少女のか細い悲鳴は、水飛沫に掻き消された。それを機にして、遠くから馬車が近づいて来るかのように、辺りは騒がしくなっていく。

 岸辺では村人達が、捕まる場所を探してもがく少女の様子を興奮気味に見ていた。少女の必死な動きを、恐ろしく思う者もいた。滑稽に思う者もいた。少女の母親は前者で、必死に手を擦り合わせ、「沈め沈め」と祈っている。小舟に乗っている男達も、どうか浮いて来たりしませんようにと、冷や汗をかきつつ願っている。けれど、本心では「浮いて来やがれ」と思っている。少女の体が不自然に水に浮いた瞬間に、オールで叩き殺す準備は出来ていた。

 浮けば有罪。

 沈めば無罪。

 少女の生死は問題ではなく、村人が注目しているのは、彼女が牙を剥くその時が来るか否か。

 白樺の枝のような少女の足が水面を叩く。黒髪が、海蛇のようにうねる。

 そのうち、縄が切れたため、少女は自由になった手を、小舟の縁に引っ掛けようとした。

 途端に歯茎を剥き出しにして怒り出す、船上の男達。棒やオールで少女を打ったり、押さえつけて水底へ沈めようとする。

 次々と湧き立つ白い泡が、いつの間にか小舟の周りを囲んでいた。あまりの激しい攻防に船が、ぐらぐらと揺れた。

 助けて!誰か助けて!

 揺れる船の上で痩躯の男が言ったのと、水中で少女がそう言ったのは同時だった。

 少女の悲鳴は澱んだ水に溶け、水泡と一緒に浮上していくが、代わりに少女の体はどんどん沈む。

 縛られた足から滲んだ血が、水の澱みに混ざっていく。それを見つめる少女の脳裏では、数日前に同じように沈められた叔母の姿が、泡のように生まれては消えた。

 叔母亡き今、少女にとっては母さえも味方とは言えなかった。

 少女は孤独に、水底に落ちていく。

 漂う水草が、少女の体に巻きつく。まるで此処で死んだ女達が腕を絡める様子を思わせた。

 少女は僅かな空気を吐き出し、遠ざかる光と、黒い人影を見上げていた。

 やがて小舟の影も朧げになっていく。

 やっと離れられた。もう罵声も聞かなくて良いのだわ。怒った顔を見なくて済むのだわ。

 でも、生きたいわ。

 少女はそっと目を閉じた。

 すると何かに髪が引っ張られ、頭皮に痛みが走ったため、少女は驚いて目を開けた。

 それからすぐ、頸をガッと掴まれ、更にびっくりしていると、今度は服を掴まれたらしい。風呂敷に包まれた荷物のように、少女は水面に引き上げられた。

 肺に、ドッと空気が押し込まれ、少女は頭を揺さぶって咳き込み、水面を掻き立てた。

 その間、少女はまともに周りを見ておらず、何者かに引っ張られているとだけ理解していた。その人物に、敵意が無いことも。

 少女は夢と現実の狭間を行き来するような気分で、背中に波を受け、池の中心から遠ざかっていく感覚を味わっていた。

 「よしよし。生きてるね」

 突然しわがれ声が聞こえ、少女はパッチリと目を開けた。

 夢の部分に長く浸り過ぎたらしく、気づいた時には、手足が自由な状態で地面の上に寝かされていた。

 ぼんやりする視界の8割を老婆の顔が占めていた。見たことの無い顔だ。村人ではないのかもしれない。

 老婆は少女の頬を何度か、軽めに叩いた。

 頬を叩く手の優しいこと。少女は下唇を突き出して、震える息を整えようとした。それから老婆に支えられて起き上がった。すると、整えるどころか息の震えは嗚咽に変わって、次第にしゃっくりを上げて、少女は泣き出した。

 涙の膜で、線が曖昧になり、絵の具の塊を塗りつけただけのような景色が、少女の目の前にある。

 それでも空が。周りを囲む葉っぱが。光を受ける池が。太陽の子分のようにキラキラ輝いていて、水に落とされる直前に眺めた景色より、ずっと美しかった。

 けれど涙が去ってしまうと、感動はそもそも無かったかのように、片鱗すら残さず消えた。そうなると、もう、池を美しいとは思えなかった。波光の下の青黒さを知ってしまった少女の心を占拠するのは、混じり気の無い恐怖だ。

 少女はぶるりと身を震わせて、老婆の手を探し当てると、縋りつくように握った。

 ガサガサした老婆の手。少女よりも冷えていた。

 すると老婆が懐から何かを出し、少女にそれを握らせた。1枚の金貨だ。

 「要りません」少女はすぐさま小さな声で言う。

 その時、少女は辺りの異様な静けさに、やっと気がついた。さっきまでの祭り並みの喧騒を、どうして今まで忘れていたのだろう。温まってきた体が、ゆっくりと冷めていくのを感じた。少女の体温は、ちょうど老婆の手と同じくらいまで下がった。

 ずっと見えていた。少女は見ようとしなかっただけで、その視界にはずっと入り込んでいた。

 赤い塊が。

 左右を見渡せば、草の上には、まるで波が運んできた遠くの土地の遺物のように不自然に、赤いベールに包まれた人々が倒れている。

 今、気がつくまで、少女はそれが至って普通の景色で、何でもないように思っていた。以前、同じ光景を見たことがある気もしたのだ。巡る季節の中で、此処の景色も、こういう顔をする時があったかもしれない、と。

 少女の記憶の中には確かに、青い芝の上に、色鮮やかな赤を散らした景色が収納されていた。

 幼少期の記憶か。はたまた想像か。

 いったい何処で見たのだろうね。老婆が言いそうな言葉を頭の中で創作し、少女は黙ったまま、それに応じるように少し考えてみた。

 …………あ。

 少女は自分の中の、神に背き、人の心を無視し、挙句ほくそ笑むような、薄暗い感情に気がついた。

 今、私はどんな顔をしている?少女は思わず両手で顔を隠した。

 「死んだのね」

 ぴくりともしない赤い包み達を、指の隙間から確認して少女は呟いた。

 手を挙げて、大声で「やったわ!」と叫びたい衝動に駆られた。こうなったら正々堂々と邪悪の道を進んでやろうか、と魔が差した。

 死体を目の前にして万歳なんて、本当に出来るの?ふと顔を出す理性に、少女は真面目に答える。

 出来るよ。出来てしまう。

 少女はこの日を、忌まわしき人々からの解放を、心から望んでいたのだから。

 良いじゃない。やれば。その後は、新たに生まれる“私ではない邪悪の私”に任せて仕舞えば、辛いことなんて何も無い。今、私が、此処で、躊躇うことなんて無いじゃない……。

 考え抜いた末、少女は衝動をグッと堪えて、喜びを隠し通すことにした。

 少女の母親は、神霊や精霊、魔術を疑わず、中でも恐怖を呼び起こすようなことばかりを日頃より考えていた。死ぬことを唱え、死を描いた絵や本を見て、その度に泣きながら身を震わせていた。

 そんな母の考えが、共に暮らすうちに、吐く息を空気を介して取り込み、自分の頭にも強く根ざしてしまった。少女の思考には今になっても“神様”と“大いなる自然の力”の存在が棲みついている。

 いつだってそれらが、自分の行いを見て、善悪の区別しているのだよ。

 そう警告のように語りかけてくるのは、記憶の底に、焦げのようにこびりついている母の声だった。

 娘は母を探そうとした。が、その途端、老婆が立ちあがろうとしたため、思わず振り返って老婆の服を掴んだ。

 「これをあなたが?」

 蚊の鳴くような少女の声。

 老婆は怪訝な顔をして「聞こえないよ」とぶっきらぼうに言った。

 金貨を渡して満足したのか、もう少女に構う気は無いらしい。

 「あたしが本物だよ」

 老婆はそう言って少女の手を叩き払うと、側に放り捨てられていた紫色のコートを羽織った。地面に刺さった斧を片手で持ち上げると、さっさと去ろうとする。

 その後ろ姿は、頭から足先までずぶ濡れになっていた。色褪せたブーツからジャブジャブと音がする。少女を救うため池の中に飛び込んだ証拠だった。

 「待ってください。私も連れてってください」

 「だからね。何を言っているか聞こえやしないんだよ。もっと大きな声で言えないのかい?」

 ボソボソとだけ聞こえるのがもどかしいのだろう。老婆は顔を顰めた。

 けれど少女にとってはこれが限界量だった。他人が発する怒鳴り声を思い出すだけで、鼓膜が変な具合に震える。自分で声を出す時ですら、ある定まった声量を越えようとするとうるさくて敵わなかった。「私も。私も連れて行ってください。金貨なんて要りませんから」

 老婆はその場に立って、細々と乞う少女を見下ろした。

 皺と皺の隙間から、じっと見つめてくるブラウンの瞳の奥に、その意図を掴んだ気がした少女。よしっと心に決めると、ブルブル震える足に力を込め、歯を食いしばって立ち上がる。

 老婆は目を細めてそれを見る。

 少女が今にも折れそうな足で、2、3歩歩く。

 老婆は、試すようにゆっくりと歩き出す。斧をズルズルと、わざと音を立てて引きずってみせた。少女の目が斧を捉えたのを確認すると今度は、斧を肩の高さまで持ち上げ、付着した血を降り払った。

 この斧で全員をね……!自分の恐ろしさを知らしめるかのように老婆は、一挙一動に巨人のような重々しさを込めた。さらに表情は、何を考えているのか分からない風に仕上げ、少女が怯えてその足を止めるのを待つのだが。

 少女は四つん這いの姿勢になりながらも、忠犬さながらの真っ直ぐな瞳で老婆を追ってくるのだ。

 しばらくして老婆は立ち止まると、「ったく……どうしようもないね」

 立ち上がっては地べたに這ってを繰り返している、子鹿より貧弱な少女の元へ進むと、細い体をガッ、として脇に抱えた。

 「ありがとうございます」と風の囁きのように言う少女に対し、「土塊とでも思っているのかい」と溜息混じりにボヤいた老婆は、地面の上に残って寂しげに輝きを放つ金貨を拾いに行く。

 金色を封じ込めた右手、その手首に小さな銀の十字架が掛かっているのを見て、少女はつい「神を信じるんですか」と訊いた。

 冷めた口調と無自覚な皮肉は、捻れることなく真っ直ぐに老婆へ伝わった。

 しかし老婆は澄まし顔で「神はいるさ」と言った。続けて口笛でも吹きそうだった。

 「あなたの名前は?」

 「教えたくないね」

 「じゃあ、なんと呼べば良いの?」

 老婆はしばし沈黙した。

 そのうち、晴れた空模様が、2人の湿気をすっかり取り去ってしまった。

 「敬意を込めて、魔女と呼びな」

 老婆がそう言った。

 「では魔女様と。敬意を込めて」

 少女が言った。

 老婆は少女を何度か抱え直し、それから顔を上げると、確固たる足取りで歩き出した。

 

 

 

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魔女狩り狩りの魔女 兄場ユウタ @aniba

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