第五章 引き合うふたりが謳うもの 3
リライの設定した返答期限、当日。ハクヌス政府は沈黙を貫いている。このまま日を跨ぎ、未明になれば、「どこかの都市」へレターム潜伏派の軍勢が押し寄せてくるはずだ。
ローズミルの街は厳戒態勢に入っていた。住民に対しては避難勧告も出され、首都へ護送するための車両群も用意されたが、ほとんどの人々はこの街へ居残ることを決めたらしい。必ずしも愛郷心や調査団への絶対の信頼というわけではない。ローズミルは前線に臨む、最後に流れ着く街。単に他に行く場所がないだけだ。
昼間にも関わらず廃墟のように静かな街を、サスはひとり歩いていた。シリムもついてこようとしたが、どうしてもと頼み込んで、留守番をしてもらっている。彼女と胸を張って明日を迎えるために、会わなければならない人がいた。
ローズミル郊外。かつて、サスがひとり鍛錬に励んでいた場所で、その人はサーベルを振っていた。しかし、動きはぎこちなく、バランスを崩して倒れてしまう。
「くそ……っ! 動け、動いてくれよ! この手で、仇を、取らなきゃなのに……!」
激情に震える声がする。怒りだ。サスがその人の、そんな声を聞くのは初めてだった。
「姉さん」
声をかけると俯いた金色の髪が翻り、レメが驚いた顔でサスを見上げた。
「サス……どうしてここがわかった」
「調査団の人に聞いた。時間が空くと、ここに来てるって」
「……みっともないところを見せたな」
レメはよろよろと立ち上がった。銀色の手足がガチャガチャと音を立てる。
「姉さんは知ってたんだ。リライが父さんの仇だって」
サスが言うと、レメは榛色の目を見開く。
「……リライ本人から聞いたのか」
「うん。どうして僕に黙ってたんだよ」
知らず、なじるような口調になる。レメは細い息を吐き、言った。
「後から来るサスには、なにも背負わせたくなかったんだ。普通の子として育って、幸せに生きてほしいって、お母さんとルシェと相談して、隠すことにした。だから正直、サスがシュワル因子を持ってないって聞いた時はホッとしたんだ。この子が死地に立つことはないんだって」
「ひどいな……それで僕がどんなに寂しい思いをしたか」
「……うん。私たちの判断は甘かったと思う。すまなかった、サス」
レメは目を伏せると、痛切な面持ちで言う。そんな姉の姿を見ていられなくて、サスは視線をよそへ向けた。
「……まあ、そんなことだろうと思ったよ。うちの家族はそういうところがあるから」
「サス……」
「本当はわかってたんだ。兄さんも姉さんも、僕のことを想ってくれてるって。守ろうとしてくれてるんだって。でも、その優しさが耐えられなかった。お前は弱いから、別にいなくても平気なんだよって言われているような気がして……反抗したくなった。足掻きたくなった。ただそれだけのことだったんだ。でも、そのせいで姉さんは……」
どうしても続けられずに言葉を切ると、レメは左手で偽物の右腕に触れる。
「気にしなくていい……って言っても、ダメなんだろうな」
「指揮官に名乗り出といて、自分でリライを討つつもりだったの」
「サス……止めるな。わかってくれ。私とルシェの悲願なんだ」
レメはかつてないほどに切実に訴えた。父の死後に生まれたサスと違い、ふたりは父と共に過ごした経験がある。その分だけ、重みのある言葉だった。
少しの沈黙の間、ふたりは視線を交わす。こうしてまともに姉と対峙したのはいつぶりだろうか。その時のサスはきっと、心のどこかで姉のことを疎ましく思っていたはずだ。どうして、僕のことを邪魔するのか、と。
ただ、そんな焦れるような気持ちはもうない。サスは穏やかに首を振ってみせた。
「止めないよ。むしろ、そのための武器を渡しに来た」
レメは拍子抜けしたような表情をする。
「えっ……武器?」
「その魔装肢、エトラさんに聞いたけど、空気中のシュワル因子からエネルギーを引きだして動かしてるらしいね。ただ、姉さんは自分の身体に多く因子を抱えてて、その感覚で動かそうとしてしまうから、全くエネルギー量が足りずに思い通りに動けない」
「よく聞き及んでるな。それで? エトラに頼んで新型でも持ってきてくれたのか」
窺うようなレメの視線に、サスは大きく深呼吸をする。兄や姉には、ずっと頑なに守り通してきた秘密だ。でも、もういい。思い切って、口を開く。
「ずっと隠してきたんだけど、実は僕のゼルキドは偽のシュワル因子を体内に増殖させる魔法なんだ」
その一言に、はっとレメの表情が変わった。
「シュワル因子を……もしかして」
「うん。想像してる通り。それを今から教えるよ」
「教えるって……ゼルキドはサスが長い間、頑張って磨き上げた魔法なんだろ。私があっさりと習得できるものなのか」
「きっとできる。だって、この魔法の参考にしてたのは、兄さんや姉さんの身体から感じるシュワル因子の気配なんだから」
本人を前に打ち明けるのは少し抵抗があったが、それ以上に誇らしさを覚えていた。ここまで追いかけてきたんだぞ、と見返すような気持ちだ。
そんなサスの感情が伝わったのか、レメは驚いた表情を見せた後、破顔してふふ、と笑みを漏らした。
「……私たちに、追いつくために、か。わかった。教えてくれ、サスのゼルキドを」
サスはうなずいた。もう、自己暗示は必要ない。そのままの勢いで唱える。
「──ゼルキド!」
ゴウン! と音が立った。力がみなぎり、気分が高揚する。レメは目を細めた。
「……サスが唱えてどうするんだ」
「魔法はイメージだ。姉貴なら、俺の身体の中に流れてる自分の因子を感じられるだろ。ただ、それを真似て、魔法でそれっぽい因子を作ればいい」
「教えるって言った割に大雑把だな。まあ、いいけど。で、感じるって、どうやって?」
「……言わせんなよ」
サスはおずおずと腕を広げてみせる。察したレメはあはは、と声をあげて笑った。
「そういうことか。わかった」
そう言って、レメはサスに身を寄せる。輪郭が熱を放ち、柔らくて、甘い匂いが香った。生きている、と感じる。そうだ、死んだわけじゃないんだ。ここに、こうして、確かにいる。失ってなんかいない──。
「感じるか」
「うん、すごく……でも、それ以上に、懐かしい感じがするな」
レメの左手が茶化すようにサスの背中を撫でた。「ガキ扱いするな」とあしらうと、おかしそうにくすくす笑って、それから安らぐように長い息を吐く。
「──姉貴」
「ん……なに、サス」
とろんとしたレメの呼吸を感じながら、サスは心に決めていたことを切り出した。
「俺は明日、この
「なんだって──」
「気づいたのさ。俺がこの名を負って自分の足で立つためにはそうするしかねえって」
姉は考え込むように沈黙していたが、やがて、腑に落ちたように脱力した。
「まったく、手のかかる弟だ」
そう言って、ふわりとサスの頭を撫でた。サスはその感触に甘んじながら、星を置き去りにするように落ちてく陽を、姉の肩越しに見つめていた。
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