第三章 事象の地平から愛を込めて 2
調査遠征では報告や補給のため、定期的にローズミル調査団の補給基地に滞在する。数カ所のスキナ大量発生地点を潰した後、サスたちは数日ぶりのスキナ肉以外の料理を口にできるわけだった。
「これ、全部サス・ルンターズ宛」
そして、手紙や通信の送受もこの機会に行える。通信担当の女性が、サスの目の前にドサっと紙束を置いた。
「ずいぶんな愛されようね」
「……どうも」
サスは手紙を自分の寝床に持って帰った。
手紙の八割はレメからだった。最近、新しいペンを買った上、ねちっこい男に目をつけられたとかで、手紙魔が加速している。そして、サスの身を案じる歯切れの悪い文章が延々。返答は「大変そうだね、でも頑張って。僕は無事でやってるよ」という言葉をなんとか膨らませるくらいである。
残りはガルからの手紙だった。本人はペンを持てないのでレオナが代筆しているとか。
『サスへ。元気? わたしのこと考えてる? 浮気してない? 魔法の特訓は全然順調じゃなくて、レオナも鬼だし、全然立てないし、サスはいないし、毎日泣きそうだよ。サスの枕をぎゅってして頑張ってます。あ、今日はシュライプっていう魔法も教わったよ。ペンなしで紙に、印刷するみたいに書き付ける魔法。ばか難しいけどできるようになれば、レオナ抜きでサスにたくさん手紙が出せるようになるかも!』
内容はレオナが手を加えているようで、姉のものより真っ当だった。ガルは魔法を日夜レオナと特訓しており、なかなか苦労しているらしい。ただ、サス以外の誰かと協力して頑張っている、という報告にガルの確かな意志を感じる。
ガルの要求通り、というわけではないが、サスは日々、彼女のことを考えていた。
例えば、巨大なジュキナを前に横にガルがいたらどうする? 相手がレターム潜伏派の尖兵の時は? スキナの大群だったら?
はっきり言って気が遠くなる。ガルはサスと一緒にいたくて、そのために強くなると宣言していた。ただ、どう考えても戦うのは無理だ。その気持ちが純真なものだとしても、圧倒的な前線のリアルは忖度してくれない。そういう意味で、ガルが遠く離れた安全な場所にいると思うと安心できた。
ただ──未明のまどろみの中、ほんの一瞬、ガルを求めてしまう時がある。
悪い記憶や不安な夢から醒めた時、自分を見つめる紫色の瞳を探してしまう。
『起きちゃったの?』
そう声をかけて欲しい。そうすれば、迷いなくこの身を起こすことができる。
サスは片手で頭を抑えた。ガルと出会ってから、なにかが変わりつつある。その重さ、その引力で、サスの中のなにかが動きつつある。
強く、強く、強く、強く──と、呟く心に、なにかが……。
「……わからないな」
結局、サスはそんなナイーブな感傷を見ないようにして無難な返事を書き、姉宛のものと一緒に通信担当の女性のもとへと持っていった。
「えー、あんなに届いたのに、返事これっぽっち! これだから男はなあ……」
ちくちく言われ、サスは気まずく思いながらその場を後にする。
ものを書いていると時間の進みが早く、すっかり夜が更けていた。ローズミルよりも星の裂け目に近いために、空は紫がかって明るい。通りかかった食堂からは陽気な声が聞こえてくる。同じ部隊の面々が久々の肉以外の料理や酒にはしゃいでいるのだろう。
「バカヤローがよう!」
その中から突然、誰かがゴロゴロと飛び出してきた。隊長のレグダンだった。丸く垂れた背中を生かして地面を転がり、やがてばっと大の字に身を投げ出して叫ぶ。
「リライ・フォーボクの馬鹿野郎がよーっ! お前らのせいで、俺たち遺民まで白い眼で見られんだよ!」
「おいおい、レグダン……いくらなんでも飲み過ぎだ」
他の隊員たちも食堂から出てきて、心配そうに彼のもとへ駆けつけてくる。サスも彼の介抱を手伝いながら、水を持ってきた隊員に話しかけた。
「レグダンはレターム遺民だったんだ」
「ああ。ま、かくいう俺もそうなんだがな……この隊の半分はそうじゃないか」
「え、そうなの」
サスは驚いた。
崩星の時、レターム王国民は敵対国であるハクヌス領に助けを乞い、運良く受け入れられた数百万人が生き残った。その中から分離した少数の過激なクラスタが現在の潜伏派にあたるが、その他大多数の穏健なレターム民とその子孫はレターム遺民と呼ばれる。
ハクヌス側の人々にとって、レタームは歴史的に敵対感情がある上、現在も潜伏派によるテロ行為が絶えないため、同じ系統を引くレターム遺民も理不尽な差別の対象になっていた。
「臨時部隊に招集されるような傭兵には俺たちみたいな遺民が多い。村や町の運営が逼迫すれば、最初に閉め出されるのは外様の遺民だからな。食いつなぐために身を売るのさ」
大暴れするレグダンに水を飲ませながら、その隊員が言う。近くで様子を見ていた別の隊員もうなずいた。
「しかも、その原因を作ってるのは潜伏派の連中だ。奴らが解放とか称してハクヌスに攻撃をしかけるから、敵対感情が増し、居場所を失う遺民が増える……それで傭兵になった挙句、同族で戦うことだってあるんだから、何のための解放かわからないよな」
「そんな事情が……」
レターム王国の宿命に関して思うところはあったが、その影響が今も根深く前線区域で続いているとは知らなかった。いや──きっと、知ってはいた。ただ、それを現実にあるものとして、アクチュアルに感じる場面というのがサスにはなかったのだ。
そう思うと、兄や姉に追いつきたいと、ただいたずらに強さを磨いてきたサス自身の欲求が幼稚に思えてきてしまう。
サスが言葉を失っていると、その隊員は少し笑って彼の肩を叩いた。
「まあ、そんな深刻に受け取らなくて良いさ。現にこうして生きてるわけだし、この部隊ではあんたのおかげで相当楽させてもらってんだ」
「そうそう。というかあんたも付き合えよ。みんなルンターズの話、聞きたがってるぜ」
もうひとりの方が、くいっと食堂の方を指で示してくる。
「僕の話なんか、大したことないと思うけど」
「そんなわけあるかよ! いろいろ噂は聞いてるぜ。ローズミルで人体実験してるとか、かわいい女の子しこたま侍らせてるとかな」
「ああ……誤解を訂正する必要はあるかも知れない」
「よしきた! おおい、お前ら! 我らがサス・ルンターズが来たぜ!」
隊員に肩を抱かれて、サスは食堂へと連れて行かれる。おおーっ! と歓声があがり、続々と隊員たちが彼の周囲に集まってきた。
こんな友好的に扱われることがあっていいのだろうか、とサスは終始、夢の中を漂っているような気分だった。そして、自分の中にそんな好奇心があるのかと思うくらい、隊員たちと突っ込んだ話をした。
隊員たちは年齢もバラバラで、身の上も負うところも全員が違っていた。共通点があるとすれば、戦いを生きる手段と選んで日が浅い者が多いというところ。誰もルンターズの全盛期を知らず、その戦いぶりを目にしたことがない。
「いや、すごいなお前!」「押し寄せるスキナをガンガン粉々にしてさあ」「戦闘に時間制限があるのも良いよねえ」「あー、わかる! じゃ、定時なんで帰りますみたいな」「仕事人って感じ?」
そんな人たちが、サスの戦いぶりを口々に賞賛していた。もちろん、それで驕るほど浅薄ではないが──正直、サスは救われた気分になる。
確かにムデルたちのような、兄や姉と戦線を張った主要部隊のエリートたちにとって、サスはルンターズの落ちこぼれでしかないのかも知れない。ただ、後から来た者たちにとって、のっぴきならない事情でやむなく戦う者たちにとって、サスは確かにルンターズとして役に立つことが出来ていた。
そうか──と、ふわふわと浮かぶような酔いの中、サスは思う。
サスが向くべきは遙か憧れの方ではなく、地に足のついた、助けるべき人々のいる方角なのではないか──兄や姉もそうやって生きてきたんじゃないのか──。
『サス、お前は強くならなくていいんだぞ。俺がいるからな』
あれ?
そう思った瞬間、幼い時、兄に言われた言葉の解釈がまた変わったように思えた。
ずっと「お前は要らない」という言葉だと思ってきたが、もしかして「俺がお前を守るからな」というような意味合いだったのだろうか? 「強くならなくていい」というのは、自分の身を自分で守る心配をしなくていい、という不器用な言い方だったのか?
──弟を頼む。
そう言い残して、兄はワームホールに消えたという。
姉も決死の覚悟で、サスをジュキナの牙から庇ってくれた。
兄も姉も、もしかして、最初からそうだったのか。強さや名声なんか関係なく、ただ、守るべきもののために戦っていたのか。だからこそ、あんなに輝いて見えたのか。追いつきたいと思えたのか。
その上でふたりは、ついていきたい僕の意志を汲んで、仲間に入れてくれていたなら。
僕は最初から、あのふたりに置いていかれることなんて、ありえなかったのだ──。
そう気づいた瞬間、サスは兄や姉からの強烈な愛情を感じて、目頭が熱くなった。とめどなく涙が溢れ出す。
「あ、ルンターズが泣いた!」「酒入ると泣くタイプか?」「大丈夫そ? 話聞くよ?」
周りの隊員はあれこれ言いつつ、みんな辛いことを抱えているはずなのに、サスに寄り添ってくれる。
「実は……僕には兄と姉がいて、ふたりとも、今は……」
そんな紐帯にもたれかかるように、サスも語り出す。自分の身の上も相当に重い話かも知れない。だけど泡沫のような今の時間なら大丈夫だ。
強く、強く、強く、強く、強く……ひたすらに念じてきた。
しかし、守るべき側には必然、弱く、無防備な背中を晒さなければならない。
そして、サスのそんな姿をずっと見てきた人がいる。
『起きちゃったの?』
ガル、その紫の瞳。
サスはどうして今、ここに彼女がいないのか、とても恋しい気持ちに襲われた。
酔いと高揚のもたらした蜃気楼のような感情だろう。でも、きっと本心だと思った。
──その後、サスは自分の寝床で目を覚ました。二日酔いの頭痛と共に、記憶がすっぽりと抜け落ちていることに気がつく。自分が一体何を話したのか、醜態を晒さなかったかと、その日は記憶を補完するために駆けずり回ったのだった。
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