第二章 追いつ追われつ、引かれつ引きつ 9

 ローズミルの南部は大陸アズヴァ屈指の未踏地帯だ。多数のワームホールが確認され、徘徊するジュキナの数も夥しく、また昨今はレターム潜伏派のテロ活動も多数報告されており、長らく前線の変化しない膠着状態が続いている地域だった。

 今回、サスが派遣されるのは、前線を超えてそう遠くない位置にあるレターム潜伏派の元拠点群だった。

 かなり前に制圧されていた地帯だったが、突如としてその各地に大量のスキナが発生したらしい。スキナはジュキナの幼体で、体高は人間と同程度だが数多くいればジュキナ以上の脅威となる。近隣に滞在していた部隊が半数を損耗する打撃を負ったらしい。

 サスが主に狩るのはジュキナだが、このケースなら十分に能力を生かせそうだった。

 辞令と同時に届いたレメの手紙には、心の裂けるような気持ちが縷々と綴られていた。

 ──サスがルンターズとしての矜持を強く持ち続けているのは、私も誇らしく思う。けれど、昔のルンターズはもうありえないことは肝に銘じてほしい。もう、誰もサスを助けることはできない。いくら強くあっても同じことだ。それを忘れるな。どうか、無事で。本当に、それだけを願っている。油断せず、頼む。休息も怠るな。眠れる時は眠れ。それから、とにかく、死ぬな、無事であれ、そして──。

 以下、安全を祈る文章が延々と続いている。姉の手紙は大体、結びを見失って、意味のない文章が続きがちだ。だから返事を出す気にならないんだよ、と思いながら、サスはその手紙を懐にしまった。

 派遣は一ヶ月半の予定で、場合によっては他の調査班と合流する。

 研究班からは離れることになるが「ああ、そうなの」「頑張っておいで」と研究員の対応はあっさりしていた。実際、エトラが歩行補助器具を作成してくれたおかげで、普通の女性の力でもガルの移動を支えられるようになり、サスの重要性は減っていた。「えーっ、そんなあ。寂しくなりますね」とレオナだけはひどく残念そうにしていた。

 一番の問題はガルの心境だった。

「ええ! 一ヶ月半もいないの──」

 ガーン、という音が聞こえるくらい、ガルの驚愕と落胆は大きかった。

 サスは研究室の椅子に座った彼女と視線を合わせ、ゆっくりと語りかける。

「うん。でも、わかってほしい。君が僕と一緒にありたいと思うように、僕にもそうありたいと思う人たちがいて、君がそのために強くなりたいと思うように、僕はそのために誰かの役に立たないといけないんだ」

「う……わかるよ。でも、やだよ、そんな……ながすぎる……行かないで……」

「君はこれまで長い時間、ひとりで過ごしてきたんだよね。それに比べれば、絶対に会えるとわかってる一ヶ月ちょっとなんて、きっとあっという間だよ」

「……浮気、しない?」

 ガルは泣きそうな顔で大真面目に訊いてくる。浮気ってなんだ、と呆れつつうなずく。

「しないよ」

「わたしのこと、毎日思い出して」

「思い出すよ」

「手紙も、毎日書いて」

「……毎日書いても届かないよ」

「出せる時にまとめてでいいから」

「うん、なら、まあ……」

「……うええええ、やっぱりやだよお。わたしも連れてって、サス……」

 結局、泣き崩れてしまう。仕方ない。サスは息を吐くと、声音を変えて言った。

「本当に連れてって欲しいのなら、もっと頑張らないと駄目だよ、ガル」

「サス……?」

「僕もひとりが嫌だった。だから、必死で努力して、食らいついてる。君も僕といたいなら、もっと努力して、食らいついて、自分の足で立てるようになるんだ」

「う……でも、わたし、どうしたらいいかわからない……」

「レオナたちがいるだろ。彼女たちと一緒に、なんとしても僕に追いつくための方法を探し出せばいい。そして、君が君自身の力で歩ける、その時が来たら……僕はどこにいようと君を迎えに行く。必ず、絶対に。だから……今は我慢してほしい」

 ガルは目いっぱいに涙を溜めてサスを見つめていたが、やがて観念したように小さな細い声で言った。

「わかった……約束だよ……」

「うん、約束だ」

「でも……その代わりに、今は……ぎゅってして……」

 そうして、すがるように両腕をよろよろと差し出してくる。

「ああん?」

 と、傍らにいたレオナが恐ろしい声をあげたが、サスが視線を向けると決まり悪そうに目を逸らした。

「まあ……こういう時くらいはやむを得ないんじゃないですか」

「そうだよ。後であんたもしてもらったら?」

 これまた傍らで見ていたエトラが片眉を上げて言うと、レオナは「なっ!」と吠えて猛ダッシュでどこかへ行ってしまった。辺りからくすくすと含み笑いが漏れる。

 サスは複雑な心境でその顛末を見届けてから、改めてガルに向き直った。

「うん……わかったよ」

 彼女の伸ばした腕を取って、その細身を抱きしめた。

 相変わらず、弾力の強い膜を隔てたような不思議な感触がした。ちらの体温を分け与えるつもりでその輪郭を包んでやる。少しして、ガルの腕がサスの背中をぴたりとくっついてきた。腕だけでも重たい。ただ、その重たさにサスは安心感を覚える。

「……ありがとう。わたし、頑張るよ……サスに追いつくために」

 サスの耳元、ガルは壊れてしまいそうな声で囁いた。

 ──数日後、サスは調査団の臨時編成部隊に合流し、ローズミルの街を発った。

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