第一章 壊れた世界で超重少女は何想う 8
やがて、ふたりは件の洞穴まで辿り着いた。傾いだ植物たちを乗り越えて入り口の前に立つ。中にいる少女の放った引力が、急かすように身体を引いてきた。
「へへ、今日は入って良いんですよね」
隣に立ったレオナが嬉しそうに言う。要するに彼女が用意した回答とは、形状記憶魔法を少女に上がけしてその効力を取り戻そう、というものだった。熟練度や魔力の兼ね合いで、ありのままの状態へ完全に戻すことはとても無理だが、うまくいけばここから運び出せるほどに質量を抑え込めるかも知れない、というのがレオナの準備した「回答」だ。
ただ、直接少女へ魔法をかける必要があるので、どうしてもレオナと一緒に立ち入る必要があった。
「うん……でも、これ以上は無理って判断したら、すぐに逃げるんだよ」
「はーい」
子供みたいに間延びした返事をして、レオナはスタスタと洞穴の中に入っていく。サスは慌てて新たに持ってきたランタンを灯すと、その後を追った。
身を引っ張る力に誘われるように、古代人のあつらえたのだろう祭祀場への道をしばらく往くと、はたとレオナは立ち止まった。
「す、すごい、確かに引力が強まってますね……」
「ここからは慎重に行こう」
サスはレオナの前に出ながら言った。ちょうど昨日、サスがゼルキドを施したスポットだった。今日はこのままもう少し進んでみるが、いずれどこかでゼルキドを解放しなければなるまい。
一歩往くごとに全身に絡まる力が強くなる。見えない掌に背中を押されているようだ。
そう思って振り向くと、レオナがサスの背中にしがみついていた。髪が斜め下に落ちてすごい見た目になっている。
「あ、アタシのことはおかまいなく!」
もう、レオナの力では自力で歩けないらしい。ここまで来たら、レオナの回答が当たっていることを期待するしかない。形状記憶力が戻れば、この横向きの重力も弱まるはずだった。
やがて、道の奥に灯りが見えてきた。昨日、置いていったランタンだろうか。あれから二十四時間以上経っているので消えていると思ったのに──と、考えたところで、あの部屋は強い重力のために時間の流れが遅くなっているのだと思い出す。
「あそこの部屋だよ」
「お、おお……インディ・ジョーンズみたい……」
伝えると、レオナが肩口から顔を覗かせて知らない名前を呟く。そういう学者がいるのだろうか。
「彼女は入り口左の死角にいる。今からゼルキドを使うから……その後は臨機応変に」
「りょーかいですっ……!」
サスは深く息を吐くと、いつもの自己暗示から始める。
「強く、強く、強く、強く、強く、強く、強く、強く──」
と、その時、なにか異変に気がつく。……なんだろう? いつもよりも、体内に作った偽シュワル因子の密度が高い気がする。まだまだ詰め込んでいける。この分なら……もっと強くなれる。
「強く、強く、強く、強く、強く、強く、強く、強く……」
身体がかつてないほど熱くなってくる。でも、まだだ、まだいける。何故だ? 土壇場の馬鹿力が出たのか? いや──わかった。
引力だ。彼女の放つ強力な引力が、体内に作った偽シュワル因子の密度を高めて、更なる強さを与えてくれているのだ。
サスは経験したことのないほど、身体が漲るのを感じながらその魔法を発露した。
「
ズォン! と低い音が立つ。
その瞬間、身体にまとわりついていた重さが全て立ち消えた。今までのどんなゼルキドよりも違う充実感に、サスは思わず自分の手を見下ろしてしまう。
「うおおお、こりゃ、すげえ……よし、困った学者ちゃん、行くぜ! 例の魔法の準備、よろしく頼んだ!」
「ひゃー、荒くれモードだ! どんとこいです!」
威勢のいい返事だ。レオナの声を承け、サスは祭祀場へと踏み込んだ。
「あっ……」
声が聞こえる。見ると、少女は昨日と変わらず同じ場所、同じ姿勢で横たわっていた。目が合った彼女に、サスは言う。
「よう、嬢ちゃん、約束通り、来たぞ」
「ほ、本当に来てくれた……本当に……」
近づいてくるサスを、少女は驚いた表情で迎える。
「だから言ったろ。俺は絶対に来るって。……さ、俺にどうして欲しいんだ」
改めて意思を問う。少女はきゅっと紫色の目を細めると、震える声で言った。
「お、お願い、今度は行かないで……わたしを、一緒に連れて行って……」
「わかった。レオナ」
サスは背中に張り付いたレオナに声をかける。強い重力場の中、余裕のないレオナは必死の形相でうなずいた。
「は、はい、行きますよ……ぐんんうおおおらああああああああああ、ホルド!」
絶対そんなんじゃないだろう、という詠唱と共に、レオナの身体から魔力の流体がぶわっと祭祀場に膨れ上がった。そして、粘度の高い液体のように横たわった少女へとこぼれ落ち、ふわりとその輪郭を包み込む。
「な、なに……」
少女は怯えた表情を見せた。
サスはその傍らに膝をつくと、紺色のワンピースをまとった肩口に手を置く。
「あんたを取り戻す魔法だ。これで少しは……軽くなるはず、だっ!」
そうして、ぐっと全身に力を込め、その身を寄せるように両腕に力を込めた。
「きゃっ……」
少女の、驚いたような声が漏れる。それがどういう意味合いの声なのか、サスにはわからなかった。それくらい、全身全霊だった。
「サスさん! すごい、その子、起き上がっている!」
レオナのその言葉で、確かに形状記憶魔法の効果が出ているのだと知った。そして、サス自身も経験したほどのない膂力が発揮されている。その相乗効果で、動かせようのなかった少女の身が、今、動いている。
ただ、それでも──バカ重い! サスは少女を支える腕の位置を改めると、絶叫した。
「う、おおおおおおおおおお!」
腹の底から雄叫びをあげ、身体中に生み出した大量の偽シュワル因子を酷使して立ち上がる。見下ろすと、確かに腕の中に空色の髪をした少女がすっぽりと収まって、おどおどした表情でサスを見上げていた。
「こ、この格好って……」
「うわあ、こんな余裕のないお姫様抱っこ初めて見た! あっ、こっちです!」
レオナがなにごとか言いながら、ランタンを持って出口の方に走った。彼女が歩き回れるほど、少女の質量と引力を抑え込めているらしい。
「ふんぬうううううううううううううう!」
サスは唸りを上げながら、足を踏み出す。一歩、一歩。全ての所作が重く、苦しく、果てしなく感じる。でも、いける。俺は星を持っている! その心構えひとつでこんなものいくらでも耐えられた。
のしのしと巨躯の獣のように進み、通路へと出て行く。腕の中の重さに思考を含めた全ての能力が奪われ、ただ、レオナの持つランタンの灯りへ、虫のようについていくことしかできない。
「そ、そんなに重いの、わたし……」
今更のように少女が呻いた。本人は極めて真剣なのだろうが、今のサスにとっては、レオナのよく言うような呑気な台詞に聞こえてならない。
「ショックは外に出てから、存分に受けてくれ」
「ご、ごめんなさい……」
その後、少女はすっかり口を噤み、ただサスの漏らす喘鳴だけが遺跡の中に響いた。
「サスさん、もう一回、いけます!」
途中、魔力を取り戻したレオナによってもう一度、形状記憶魔法の上がけがなされる。それによって更に重量は緩和されたものの、疲労の蓄積したサスにとっては気休めにしかならない。
サスはなおも、永劫に感じられる道を踏みしめていく。
重くて、辛くて、いつまで進めばいいのかもわからない。それは、まるで──兄や姉へ追いすがろうと、凡才の自分が懸命に辿ってきた人生のように思えてきて……。
「──負けるかっ!」
だからこそ、サスは挫けない。歯を食いしばり、一歩ずつ、歩みを重ねていく。
「あっ……あれは……」
腕の中の少女が声を漏らす。光だ。外界の光がぽっかりと闇の中に浮かんでいる。
もう少しだ。あそこまで行けば、俺は──。
「サ、サスさん、ゼルキドの時間、大丈夫ですか」
と、前途が開けた時、先導するレオナが心配そうに声をかけてきた。
「解ける前にその子を下ろさないと、サスさんの腕、取れちゃいますよ!」
その一言にハッとする。そうか。俺が、俺でいられる時間は限られているのか。
生身に戻れば、確実にこの少女を支えることはできない。星と少女に挟まれ、腕は潰れてしまうだろう。
それでも、サスはニッと笑う。
「心配、すんな。切れ時くらい……わかる。それに、ここで止まったら……また暗闇に、置いていくことに、なっちまう」
サスが視線を落とすと、少女の揺らいだ瞳とぶつかる。
──行かないで。連れて行って。
脳裏にこだまする少女のすがるような細い声は、兄と姉の背中を追い続ける、サス自身の心の叫びでもあった。
この子を置いていけば、己の魂もここへ置いていくことになる。そんな気がする。
「明日、また来ればいいじゃないですか! アタシには無理するなって言っておいて、自分は何してんですか!」
レオナが正しいことを言う。でも、正しさだけじゃ、駄目なんだ。凡人として正しい道を選び続けていたら、サスはここにはいない。足掻き続けたからここにいる。
サスは歩みを止めることなく、吐き出すように答えた。
「連れ出す、って、言った。置いてかない、って、言った。約束は、破れ、ねえ!」
「サスさん……」
そうして、また新たな執念の一歩を踏みしめた、その時、パシッと床が割れた。重心がブレて、サスの身体が傾く。少女を取り落としそうになる。
「うおおおおおおおおおおおお!」
生きた心地がしなかった。それでも、なんとか踏みとどまる。大丈夫だ。まだ、往ける。確信して、脚を動かし始める。
「……めて」
ふと、腕の中の少女が言った。サスは目だけで彼女を見やり、驚く。少女の腕がサスの方へ、差し伸べられようとしている。彼女自身の意思で、重い身体を動かしているのだ。
「やめて……あなたが傷つくくらいなら、わたし……まだ、待てるから……」
そして、そんなことを口にする。サスは怒鳴った。
「あんたの希望だろ! 俺が諦める前に、あんたが諦めてどうする!」
「でもっ……」
「腕が動くなら、俺にしがみつけ! 少しは楽になる!」
サスの気迫に少女は苦しげに顔を歪めたが、すぐに震える腕を伸ばそうとする。ひどく重たそうだった。でも、動かせるじゃないか。それだけの意思があるじゃないか。なら、大丈夫だ。俺たちは、大丈夫だ。
やがて、少女の手がくい、とサスの肩を掴んだ。頼りない手に感じた。それでも、負荷が分散して、サスの身がかなり楽になる。
同時に、サスは──ゼルキドの限界を感じた。体内の偽シュワル因子が崩壊を始める。
「もっと、強く掴まれ! 重みに耐えろ!」
サスは言い聞かせながら脚を前に出すし続ける。少女は苦しそうに息を漏らしながら、サスの身体に赤ん坊のように抱きつく。
外の光が視界の中、膨らんでいく。先導するレオナがその光へ飲まれていく。
サスは声を張り上げながら、その後を追った。じきにゼルキドが切れるだろう。それがどうした。俺はこの子を救いたい。気がつけば、ただ一心にそう願っていた。
そして──その瞬間が、来る。
「あっ──」
手の中で空間ごと落っこちたようだった。異常な重さを両腕に降りかかる、その直前、サスはトンと肩を押された。ぐらりと身体が揺れ、少女の細身が腕から離れていく。サスは目をみはって、彼女を見た。少女は腕を伸ばした状態で宙に浮いていた。
少女がサスの身体を突き放したのだ。
ズン! と重いものの落ちる音がした。
吹き飛ばされたサスはごろごろと地面を転がり、そのうち、何かにぶつかって止まった。ゼルキドが解けて生身になった全身へ、どっと、凄まじい疲労感が降りかかってくる。そのあまりの不快さに呻くサスの顔を、覗き込むなにかが見える──。
傾いた木の幹だった。
その瑞々しい葉っぱの向こう側に陽の光が見える。
「……外だ」
サスはこわばった身体に鞭打って立ち上がると、重い音のした方へよろよろと向かった。
そこには見事な半球状の窪みが出来ていて、その中央には瀟洒な紺のワンピースをまとった少女が大の字に横たわっていた。
「外……」
彼女が小さく呟くと、その目から大粒の涙が流れた。
「や、やっと、やっと、出れた……外に……あ、あああああああああ──」
ぽろぽろぽろ、と、細めた紫の瞳から涙が次々と溢れてくる。
ただ──その涙は何を濡らすこともなく、彼女の頬の上できゅっと縮むと、光の煌めきとなって消えていった。まるでおとぎ話のような光景。
「僕は……星を、持ち上げられたのか……」
サスは呆然と立ち尽くしたまま、涙が零れては蒸発していく様を見つめる。
彼女との出会いが、彼の内で何かを変える予感がしていた。
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