第一章 壊れた世界で超重少女は何想う 4

 しばらく気ままなドライブが続いた後、適当なところで車を降り、獣道すらない鬱蒼とした森の中を徒歩で移動すること半時間、正午前には目的地に到着した。

「……なんだ、これ」

 そこに広がっていた光景にサスは唖然とした。全てが斜めだった。木々も、草花も、岩も、目に映る何もかもが斜めに傾いで、一様に同じ方向へ引き寄せられるような格好をしている。

「ほら、ここ、時空が歪んでますよね」

 レオナが胸を張る。サスは顎に手を当てて唸った。

「確かに……別の次元から鉄球を落として空間が凹んだら、植物はこういう育ち方をするかも知れない」

「今は潰れたワームホールも、崩星で発生した瞬間には通じてたわけですから、もしかしたら、対宇宙の何かしらの何かがボロンと出てきて、数十年間そのままになっている可能性があると思いませんか?」

「だとしたら……危険じゃないか」

 斜めに生えた植物たちの示す先には、古代の意匠めいた装飾の施された洞穴の入り口がぽっかりと開いていた。濃い暗闇で中がまるで見通せない。

 あの漆黒の奥に、空間を歪ませるような何かが眠っている──それは下手をしたら、ジュキナよりも危険な代物かも知れなかった。

 慎重なサスの言葉に、レオナは子供みたいな大声を上げた。

「いえいえ、危険はロマンですよ! ここで、みんなエーッて驚くような全く新しい発見をしたら、きっとすっごく気持ちいいですよ!」

 学者として気持ちよさが先に来て良いのか……とサスは呆れる。

「それなら僕だけが先に入って安全かどうか確認する。君が立ち入るのはその後だ」

「そ、そんな、一回だけ、一回だけで良いから一緒に入りましょうよっ」

「それは譲歩になってなくない……?」

 冷静でないと勢いで押し切られそうになる。なかなか厄介な護衛対象だ。

 それからダダをこね続けるレオナに、絶対に発見を独り占めしないことを約束させられて、ようやく安全確認の許可がおりた。

 サスはレオナを置いて、洞穴へと近寄っていく。一応、振り向いてみると、レオナは既に傾いだ植物の観察に夢中になっていた。切り替えが早すぎる。ひとりにしていくのもどうかと思ったが、この地域一帯は安全が確保されているし、彼女に魔法の心得もあるようなので、すぐ戻れば問題ないはずだ。

 半ば言い聞かせるように、サスは洞穴の中に入った。ランタンで道を照らす。

 内部はきちんと足下が均され、壁には燭台や謎の動物の石像などの装飾がなされていた。古代人の息吹を感じさせるれっきとした遺跡──おそらく祭祀場の跡だ。道幅がゆったりととられているのは、生け贄となる家畜を運ぶためだろうか。

 聞きかじった程度の考古学をなぞりつつ進んでいくと、ふと、サスはランタンの火が洞穴の奥になびいているのに気がついた。風ではない。注意してみると、サス自身も、ぐい、と引っぱるような力を感じる。それが行けば行くほど強くなる。

 何も考えずに進めば、この見えない力に絡め取られ、引き返せなくなるかも知れない。

 ──レオナを置いてきたのは正解だった。

 サスは立ち止まって小さく息を吸うと、目を瞑り、自分の肉体を意識しながら口を開く。

「強く、強く、強く、強く、強く、強く、強く……」

 強く、と口にするたび、身体の内圧が高まっていくのを感じる。精神が高揚していき、底知れない謎に満ちたこの場所が、自分を楽しませてくれる空間に思えてならなくなっていく。

 そして、最後にサスはその魔法の名を言う。

「ゼルキド」

 ガン! と強い音が鳴り、サスの身を引く力を感じなくなった。無視できるほどに身体能力が上がったのだ。

「さて……何が俺を待ってる?」

 サスは強気に呟きながら、腰に差したサーベルの柄を握って歩み始めた。ハンマーが使えない時のサブウエポンだ。危険を承知で、大股でずかずかと進んでいく。

 やがて、引っ張る力がそれだけ強まったのだろう、ランタンが興奮した犬のように手を引っ張り始めた頃、開けた空間に出た。案の定、奥には祭壇らしい石の段が積んであり、ここで何らかの呪術的な祈願が行われたと見える。その傍らに仄かに発光する、ボロボロに錆びた姿見のような物体が転がっていた。

「……潰れたワームホールか」

 危険な放射物質がどうだとかで、本来接触は避けるべき物体をサスは靴先で小突く。この程度の大きさでは「スキナ」と呼ばれるジュキナの幼体も通れない。そもそも潰れて役目を果たしているから、謎の力の発生源ではありえない。

「これじゃねえな。じゃあ、このやたら引っ張ってくるこの力は……ん?」

 ふと、サスは手に持ったランタンが祭壇とは無関係の方へ引かれているのを見た。祭壇部屋の入り口の脇、死角にあたる方向だ。サスはランタンを両手で押さえ、灯りを差し向ける。

 ぽっかりと明かされたその場所には、少女が横たわっていた。

「……マジかよ」

 絶句したサスが彼女のもとへ寄ると、ゼルキド中なのに全身に強い力を感じた。間違いない、この娘だ。この少女を中心に周辺の空間が歪み、あらゆる物が吸い寄せられている。何故だ? そして、何者だ?

 サスは混乱する頭を宥めながら、少女を観察する。神秘的な印象を与える容姿をしていた。サスのコートと似た紺色の優雅なワンピースに身を包み、床に広がった長い髪は空から落としてきたような水色。身長はレオナより拳ひとつ分高いくらいで細身、ランタンの灯りに透けそうなほど白い肌、怜悧な印象を与える口元、すっと立った鼻梁と、吸い込まれそうなほど淡く深い紫色の瞳──瞳?

 その少女はぱっちりと目を見開き、深遠な色を湛える瞳でサスのことを見つめていた。

 生きている。その虚ろな視線に、サスの強化した肝も潰れかけた。

「おい、あんた一体──」

 と、抱き起こそうとしてその細い肩に触れた瞬間、サスは固まった。

 全く動かなかった。地中深くへ固く根を張ったように、少女の身体はびくともしない。おいおい、ゼルキド中だぞ? 身長の十倍まで展開したハンマーだってたやすく振れるほど、強化を重ねたこの肉体で動かせないなんて──どんだけ重いんだ、この娘、と失礼を承知で思ってしまう。

「いや、んなわけねえだろ」

 サスはランタンをベルトに引っかけ、両足を踏ん張ると、今度は本気の姿勢で少女を起こそうと試みる。しかし、駄目だ。今立っている陸地アズヴァをまるごと動かそうとしているような途方もなさが、掴んだ肩口からひしひしと上ってくる。

 駄目だ。サスは手を離して、尻餅をついた。そして、呆然とする。

 とんでもないものが見つかってしまった。すぐにレオナのもとへ戻って知らせなければ。超重量級の少女が眠っている──いや、横たわっている。とんでもない発見だ。さぞかし気持ち良い思いができるだろう。

 ただ、ゼルキドが解ければ、この少女の引き寄せる力を振り切って戻るのは難しそうだった。去るなら早いほうがいい。

 そう決めこんで立ち上がりかけたサスの耳に、細い声が聞こえた。

「ここはどこ」

 ぎょっとして見下ろす。台詞の主はわかりきっている。その少女だった。

 本当に生きているのか。そんな驚きを重ねながらサスは答えた。

「──ローズミル外れの遺跡の中だ。あんたはどうしてここに」

「わからない……」

 危うい滑舌で少女は答える。恐らく、自らの重さで身体が思うように動かないのだろう。それでも、コミュニケーションが取れる。意思もある。それを知れたのは大きい。

「悪いがこれ以上、長居できない。明日また来るから、その時じっくり話を聞かせてくれ」

 サスは、トン、と少女の肩口を勇気づけるように叩く。こんな場所に少女ひとりを置いていくことに抵抗はあるが、やむを得ない。これまで生きてきたなら明日も生きているだろうと信じ、戻ってレオナと対策を考えるべきだ。

 すると、少女の顔へ急に悲哀の色が差した。

「い、行かないで……」

 ぐ、と心を掴むような声音だった。思わず凍り付いたサスに、少女は続けて言う。

「わたしも連れて行って」

 連れて行って? 馬鹿な、と口に出かけ、しかし、本人にとっては切実な欲求なのだと悟った。この闇の中、ひとり残される心細さを厭う人間的な心を、この少女は抱えてしまっている。それでも、サスは首を縦には振れない。

「そ、それは……今は無理だ」

「どうして……」

「俺にあんたを支えられないからだ。自分で立てるなら別だけどな」

 重すぎて、とは言えなかった。ここまで破格なら、却って告げるべきかも知れないが。

 サスの言葉に少女はきゅっと目を閉じた。なにかと思ったら、どうやら身体を動かそうとしているらしい。傍目にはただ単に目を瞑っているようにしか見えなかった。

 やがて、脱力するように瞼を開き、窮した眼差しでサスを見上げる。

「……立てない。身体が重くて、立てないの」

「そうだろ。だから、今日のところはどうしようもねえんだ」

 その事実に、少女の顔が悲壮に染まっていく。胸が痛むが仕方ない。

「心配するな。明日、必ず来る。暗闇が怖ければ、灯りも置いていく」

 サスは立ち上がると、近くの燭台にランタンを置いた。そこなら少女に引かれても、倒れたり落っこちたりすることもない。良い油を使っているから丸一日は持つだろう。

「やだ、お願い、連れて行って……ここから、外に……それだけでいいの」

 出口に足を向けるサスに、少女が最後の抵抗とばかりに声をあげる。

「悪い、辛抱してくれ」

 ゼルキドで今の性格になっていなければ、そのまま残る選択をしていたかも知れない。

 サスは強いて冷徹に告げると、その場を去った。

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