第17話 死神の大太刀 什漆

「あんな化け物が居るなんて聞いてないぞ・・・。」


 深い溜息と共に水戸部稲継が項垂れた。


 彼の名は水戸部稲継。この部隊の指揮官である。今は兵の再編を終えたばかり。少なくなった兵を前に肩をおとした。


「多くの兵を失ってしまった。殿になんと詫びればいいのやら。」


 水戸部みとべ稲継いなつぐ沙流川さるかわの家臣。当主から狗神いぬがみ家領土への進行を命じられた。今回は転移紋章術式の運用実験も兼ねるとも。だが、稲継にはその任を断る事はできなかった。なぜなら、彼は他所の土地から来た新参者。成果を示す必要がある。それに、指揮官を任されたのは彼の仕事ぶりが評価された結果でもある。


 河森かわもりりょうが声をかける。彼は稲継と苦楽を共にしてきた側近。この部隊の副官でもある。


「仕方ないじゃないか。拒否できない命令がくだったし、行った先であんなのと出会ったんだから。普通に考えれば全滅しててもおかしくない。だけど、こうして生きてるんだから。まだ天に見放されたって訳じゃないないさ。」


 ちなみに彼は水戸部みとべ稲継いなつぐの幼馴染である。


「そう、そうだよな。」


 水戸部みとべ稲継いなつぐが顔を上げる。その時、一人の兵士のが走り込んで来た。


「報告。」


 よく見れば当主への伝令を命じた者だった。


 その者が膝をついて顔を上げた。目付き顔付きに浮かぶ濃い焦りの色。嫌な予感しかしない。十中八九悪い報告で間違いない。こればかりは確信できる。


 水戸部みとべ稲継いなつぐが問う。聞きたくはないが、立場上聞かなくてはならないから。


「何があった。そんなに慌てて。転移紋章陣に不具合が発生して帰還できませんって?」


 水戸部みとべ稲継いなつぐは内心、勘弁ししてくれ、と思いつつ冗談のつもりで言った。


「いえ、そうではなく・・・。」


 否定の言葉に少し安堵する。だが、言い辛い何かがあると態度が告げている。これは心して聞かねばならない。


「どうした。早く言わぬか。」


 水戸部みとべ稲継いなつぐの言葉を受け、伝令が意を決して報告を始めた。


「申し上げます、真っ白な毛並みの狼が現れまして・・・紋章陣を破壊してしまいました。」


 非常に短く、凄く簡潔な報告だった。


 水戸部みとべ稲継いなつぐ河森かわもりりょうが伝令の顔を見たまま停止した。もう何も言葉が出ませんと言わんばかりに口を開けたまま。


「最悪だ。」「最悪・・・。」


 二人は同時に天を仰いだ。援軍が来るにせよ、撤退するにせよ、計画が白紙に戻った瞬間だった。



 犬神の祠を後にした餓狼がろうが向かったのは先に戦闘した場所。多くの骸と破損した武具が転がっている。餓狼がろうの太刀筋ではない傷が増えているのは。野生の動物が食い荒らした後だろう。


 当然だが、骸が起き上がる気配はない。


「いくら紋章学が盛んとは言え、死霊術を扱う術ができたなんて話はなかったよな。邪気の依代になる事なく、このまま朽ちてくれればいいんだが。死霊術・・・死霊術か。相手にするのは構わんが、あまりいい気分にはならない。できれば相手にしたくないよな。」


 言い淀む餓狼がろうが短い溜息をつく。


 この者達はこのまま土に帰っていくと願いたい。見知らぬ地で生を終えるのはさぞ無念であろう。根無し草の餓狼がろうであっても思うところがある。だが一つだけ強く願う。この地に縛られる事だけはやめて欲しい。それでも、成仏できたとして彼等の行く先は天国か地獄か。


 餓狼がろうが骸を越えて森の奥へ向かう。


 居場所の分からない盗賊共を探すよりも撤退した兵を追う方が容易。そう判断しての行動。草が生い茂っているから分かり難いが、人の足跡が無数に残っているのだから、これを追えば逃げた兵達が向かった先にたどり着くのは間違いない。可能性としては罠も考えなくてはならないが、奴等にその余裕があるだろうか。なんにせよ、今はこれしか手がかりが無い。奴等は転移紋章陣を用いてこの山に来たと犬神から聞いた。ならば、周辺地理の調査を終えているとは思えない。


 ならば行く先の候補はそう多くない。


「少数とは言え一つの部隊が野営地として使える場所。候補は三つか。この足跡を追いつつ、後は虱潰しらみつぶしだな。」


 餓狼がろうが足跡を頼りに追跡を始めた。



 森の中を進んでいた餓狼がろうが不意に足を止めた。そして、周囲を探る。微かに聞こえる人の足音。物音を立てずに木の陰に隠れた。気配を殺し、足音を感じた方へ視線を向けた。


 木々の間から甲冑を身に着けた男が三人姿を見せた。おそらく見回り。三人は三様の愚痴を溢しながら任務に従事している。


「こんな場所で野営しなけりゃならないなんてな。まったく、運がないったらないぜ。」


「そんなこと言うなよ。悲しくなるじゃないか。」


「転移紋章人の運用試験を兼ねていたとは言え、初出陣を二人とも喜んでいただろうが。」


 声量は決して大きくない。だが、静かな森の中では通る声だった。これでは、ここに人が居ますよと主張しているようなもの。警戒中の兵の態度とは思えない。


 それに、三者とも疲れた顔をしている。彼等の表情から士気の低さが伺える。声を出していないと気持ちが落ちてしまうのだろう。


 殺るか、餓狼がろうが大太刀の柄へ手を握る。しかし、今は生かしておくべきだと思いどどまった。


 彼等に気付かれていない以上、このまま沙流川さるかわ陣営まで案内してもらえばいい。


 何もない森の中を歩く三人を尾行すること半刻。時間はかかったが成果があった。明かりが見えた。おそらく野営地、もしくはそれに類する場所。そこは餓狼がろうが野営しているであろうと予測していた候補の一つでもあった。そして、この場所が一番可能性が高いとも。


 天幕が無くても雨を凌げる洞窟があり、点在する岩が遮蔽物の役割をしてくれる。少数で防衛陣を敷くにはうってつけだ。


「指揮官が馬鹿でなければ、死角を消すように兵を配置しているだろう。」


 そうであれば、何処から侵入しても発見されてしまう。


「それなら・・・正面から叩き潰せば面倒は無いよな。」


 餓狼がろうがニヤリと笑って大太刀を抜刀した。


 木の陰から出ようとした時、沙流川さるかわ陣営で悲鳴が上がった。


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