第9話 死神の大太刀 玖

餓狼がろうはの裏にある道に入っていく。道が歪曲している為、ここから先がどうなっているのかを目視できない。道は狭いが歩く場所までは水は飛んで来ない。しぶきで着物を濡らすことはなかった。体に入ってくる空気がやけに冷たく感じるのは、水の流れがある以外にも何かしらの要因があるのかもしれない。


妙な感じを受けつつ道なりに進む。すると、大滝の中央に該当する辺りに大きな洞窟があった。


「犬神の祠ってのがあるのはここか。」


洞窟の中の様子を伺う。陽の光が届かない場所ではあるが、洞窟の中は薄い灯りが灯っていた。ロウソクの明かりにしては光が淡すぎる。


岩壁の所々に淡く光る不思議な物があるのが見えた。


「なんだあれは、可燃物・・・ではないな。燃えた後の臭いがない。入って行っても問題はないだろうか。」


餓狼がろうが洞窟の中に足を踏み入れた。何があっても対処できるように大太刀の柄に手を添え、警戒心を最大にしたゆっくりとした歩調で。


洞窟の奥に祠があった。小さな寺院程の大きさ。


餓狼がろうが祠の周辺を見て回った。気になる物は多くあった。けれど、それは自分の知識が届く範囲の物ではなく、単なる好奇心による興味。そんな好奇心なんぞ抱いてしまうのだ、当然人の気配なんて無い。それどころか、何者かが居た形跡すらもなかった。


菊之助きくのすけの考え過ぎだったか。


洞窟から出ようと踵を返した餓狼がろう。だが、帰りの一歩目が出ない。


餓狼がろうが背中の大太刀の柄を強く握った。彼の剣気が洞窟内に満ちる。盗賊なんて下卑た者達がではない。もっと恐ろしい。いや、神々しいと形容すべきだろうか。


餓狼がろうが対面したのは、白い毛並みが神秘的な大きな狼だった。


「お前か、犬神って奴は。えらく立派な図体をしているじゃないか。ねぐらに入ってきた俺をろうってか。」


餓狼がろうが大太刀を抜き放つ。


「自惚れるな人間。貴様なんぞ我が相手をすると思っているのか。・・・いや、違う。人の姿は見せかけか。龍の使徒。破壊の化身が我に何の用だ。」


その声が何処から発せられたのかは分からない。


戸惑う餓狼がろうを他所に、白い狼が洞窟の端に移動した。そして、伏せる。


狼の鋭い目が餓狼がろうに向けられた。


「まずは名を名乗らんか。貴様が無礼なのは重々理解した。しかし、そんな事でいちいち腹を立てるような我ではない。そもそも、何故に龍の使徒がその首飾りを身につけているのか。それは知る由もないないが、首飾りをしている以上は狗神いぬがみ家の遣いなのは分かる。故に吾が危害を加えることはない。それでも貴様が牙を剥くなら話は別だ。我とて容易く討たれる気はないのだから。」


犬神が大きな欠伸あくびをした。


見た目は獣。だが、話は通じるようだ。話し方も理知的であり、いきなり襲われることもなさそうだ。仮にもこの山の神。この場は礼を重んじた方がいい。


餓狼がろうが大太刀を納刀した。


「これは失礼仕った。この祠の主、犬神様とお見受けする。私の名は餓狼がろう。本名は捨ててしまった故、字名で失礼する。」


「それで、その餓狼がろう殿がこの場に一体何の用か。」


「狗神家家臣、菊之助きくのすけ殿からこの祠の様子を見てくるように命を受けて参った。近頃この辺に盗賊が居ります。その不埒者共がこの場を占拠していないだろうかと。」


餓狼がろうの言を聞いた犬神が首を傾げた。


「ご覧の通りだ。不埒者とは近頃この辺に湧いている者共のことか。それなら問題はない。何故なら、奴らならここに近付こうともしない。仮に、この山を荒らすのなら容赦する気はない。だが、我は積極的に人間同士の争いに関わろうとは思わん。」


「承知している。故に、不埒者は人間の手で処理しようかと。その過程で山中で争いを起こすかもしれません。ご容赦願えればと。」


犬神が鼻を鳴らした。


「それも度が過ぎれば我が介入しなければならん。それだけは覚えておけ。」


「理解いただき感謝する。」


そう言った後、軽く頭を下げた餓狼がろうが踵を返す。そして、間近で滝が流れる細道へ出ていった。



勘宝かんほうの姿は山中にあった。近くには剛平ごうへいはもちろん、数人の兵士と職人達が居る。


「勘さん、周囲に人の気配はないぞ。」


剛平ごうへいが言った。


「そうか。引き続き周囲の警戒を頼む。そろそろ報告を終えた菊之助きくのすけが集落に到着している頃だ。鋼牙こうが様のことだから、幾分かの兵を同行させてくれるだろう。盗賊共を討伐せよ、そんな啖呵と共にな。。」


「くっくっくっ、あの方が言いそうな言葉だ。」


勘宝かんほう剛平ごうへいが話をしている。


職人達の集落に到着した後、勘宝かんほう達は集落の状況を確認して回った。その時はまだ盗賊達による被害は無かった。


職人達の無事を確認して、勘宝かんほうは胸を撫で下ろす。


そもそも狗神いぬがみ家領地の産業は職人である彼等が担っていると言っても過言ではない。その中でも刀鍛冶と研師に関しては類を見ない程の優秀な者が揃っている。


集落の状況を確認し終えた勘宝かんほう達は、今後の話をする為に集落の中央に集まった。


剛平ごうへいが山の中を気にする素振りを見せた。そして、こう告げる。


「先にこの場を退避した方がいい。」


その言葉を受けた勘宝かんほうが周囲を見渡した。しかし、変わった様子は無い。それでも、剛平と付き合いが長い勘宝かんほうには分かる事がある。


剛平ごうへいがこんな事を言い出した時は、直感であっても彼の言葉に従った方がいい。


勘宝かんほうは部下達を密集させる。自身の声を外部に漏らさない為だ。


「声は上げないように。まずは俺達がこの場に来ていることを盗賊達が認知していると思って動く。その上で考えると、俺が盗賊の頭ならば、今ある戦力の底上げを目論むだろう。まずは武器の確保。次の標的はこの集落にするだろう。」


「ならば防壁を作るか。いや、数で押されては、こちらの人数では押し返す力はないな。それを考えると、人数を集めた上で、ここに一斉攻撃を仕掛けるのが妥当な判断だろうな。」


剛平ごうへいが自分の考えを告げる。その言葉に勘宝かんほうが頷いた。


「ここの武器は近隣諸国からも高い評価を受けている。自分で使っても良し、他所で売り払っても良し。集落を支配下に置くのも一つの手だ。そこで、策を一つ施そうと思う。まずはこの集落の住民の安全を確保。」


「まずは逃げの一手ですか。そうなると、ここに残った武器は盗賊達にくれてやることになりますな。」


部下の一人が呟く。だが、勘宝かんほうは首を横に振って否を示す。


「いや、そんなつもりはない。剛平ごうへい。今ここを探っている斥候の数は多くあるまい?」


勘宝かんほうの問に対し、剛平ごうへいが首肯して見せた。


「ならば、その者達の対処は剛平ごうへいに一任する。斥候を殺ればこちらの動きは悟られなくなる。それを考えると、盗賊達がここを襲うのは日の出後。もしくは明日の夜だろうな。おそらく明日の朝になると菊之助きくのすけがここへ来るだろう。それも援軍のおまけ付きでな。それであれば盗賊共に十分に対抗できるだろう。奴等の動き次第になるが、奴らが武器を手に渡る可能性は低いと考える。」


「賭けの側面が強いな。分のいい賭けとは言えないだろうな。」


勘宝かんほうの意見に続いて剛平ごうへいが言った。


「まずは住民達に事情の説明をして、彼等の意見を求めましょう。」


部下達がすぐに動き始めた。逃げる、ここに留まる、その判断は職人達の意思が決定する。


剛平ごうへいが手にしていた槍を勘宝かんほうへ差し出した。


「俺も一仕事してくる。預かっておいてくれ。これを持っていては動きづらい。」


勘宝かんほうが槍を受け取る。槍を手放した剛平ごうへいが何も言わずに走り出した。殺意を纏った風のように。

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