第7話 死神の大太刀 漆

 山道に土煙が舞っている。数騎の騎兵が細い道を駆けているためだ。


 部隊の指揮を任された菊之助きくのすけが先頭を駆る。狗神いぬがみ鋼牙こうがから三十の騎兵をあたえられた。この部隊の目的は盗賊の殲滅。餓狼がろうも殲滅隊に帯同している。今は隊列の最後尾で馬を駆っている。


 表面上は上手く隠しているが、菊之助きくのすけは焦りと不安を感じていた。理由は今朝、狗神いぬがみ家の屋敷を出立する時にあった。



 菊之助きくのすけと二人の部下は日の出と共に出発の準備を始めた。


「早いな、もう発つのか。」


 背後から声をかけられた菊之助きくのすけが振り返る。そこに居たのは狗神いぬがみ鋼牙こうがであった。菊之助きくのすけが膝を地に着けて頭を下げる。二人の部下も同様の動きをした。


「これは狗神いぬがみ様。おはようございます。はい、職人達の集落へ向かった勘宝かんほう達と早く合流しようかと思いまして。」


「そうか。」


 狗神いぬがみ鋼牙こうがが腕を組んだ。


勘宝かんほうは何人を連れている?」


剛兵ごうへいを含めた六名です。不足の事態になった場合は心もとない人数かと。おそらく盗賊共はまだ全滅していない。あの二人ならば問題ないとは思いますが、万が一もあります故。」


「そうだな。」


 狗神いぬがみ鋼牙こうがは何度か頷いて菊之助きくのすけの言葉に肯定の意を示した。


「しかし、その数で盗賊の相手は重荷であろう。残党とは言え、まだまだ奴等の数は多そうだからな。故に騎兵三十騎を用意した。さっさと殲滅してこい。」


 ニヤリと笑った狗神いぬがみ鋼牙こうがが門を指差した。


「はい、必ずや。」


 菊之助きくのすけが騎乗して馬を歩かせ始める。


 屋敷の外へ向かおうとした時、突如聞こえる異音。一瞬何が起こったのか分からなかった。けれど、その異音と同時に額に違和感があった。菊之助きくのすけが額に手を当てる。そして、額当てを外した。


 額を守る防具が割れていた。これは勘宝かんほうからもらった物。武骨だが丈夫で、簡単に割れるような物ではない。


 これは何を暗示しているのだ。菊之助きくのすけは不吉を感じた。



 早く勘宝かんほう剛平ごうへいに合流しなければ。焦る気持ちを抑えて馬を走らせた。山道は朝焼けで茜色に染まっている。


 職人達の集落に向かう際、二箇所に骸の池があった。これは餓狼がろうが盗賊を殲滅した時にできたもの。この光景を見た菊之助きくのすけは戦慄してしまった。


 餓狼の強さは人間の域を超えている。


 部隊は東山とうやま川にかかる橋を渡りきった。職人の集落はすぐそこ。山道を染めていた赤も既に消えており、空の色は青を取り戻していた。更に馬を走らせること暫く、目的の集落が見えてきた。


 集落の中には数頭の馬が見えた。鞍を見れば勘宝かんほう剛平ごうへいの馬だと分かる。ここから見た集落の様子には争った形跡はない。


 菊之助きくのすけは安堵した。


 このまま集落に入って二人と合流。すでに職人達への聞き込みは終えているはず。ならば、少し休んだ後で盗賊共の掃討に向かえばいい。勘宝かんほう剛平ごうへいに加え、今は餓狼がろうもいる。この面子で盗賊に敗北する事は考えられない。


 狗神いぬがみ様が言っていた通り、殲滅するのは容易いだろう。


「止まれ。」


 後方で叫び声が上がった。声に反応し、皆が一斉に手綱を引く。


 進行が停止する中で一騎だけが隊列から飛び出した。黒い外套纏ったその者が背負っていた大太刀を抜き放つ。漆黒の刀身が姿を表す。


 その直後、集落から湧き上がる様に矢が放たれた。目視で数える事ができないほどの数。点でしか見えていなかった矢がみるみる大きくなる。餓狼がろうは矢を斬り落としながら前進を続ける。


「これは盗賊達の襲撃?集落は既に奴等の手に落ちているってことか。」


 菊之助きくのすけが呟いた。


 餓狼がろうが単身で集落の中へ突入した。


 兵は無傷。これからの作戦続行にも支障はない。菊之助きくのすけの眼前。無数の矢が地面に突き刺さっている。少しでも先に進んでいれば無傷では済まなかっただろう。


 これも全ては餓狼がろうのおかげ。彼の危険察知能力は野生の狼のようだ。


 集落の中から悲鳴と金属が打ち合う音が聞こえ始めた。餓狼がろうが盗賊共に肉薄したのだ。


「俺達も突入するぞ。」


 菊之助きくのすけが部隊に指示を出す。そして、自らを先頭に集落内に突入した。



 餓狼がろうは集落に突入した直後、早々に馬を殺られてしまった。至近距離からの弓矢の掃射。餓狼自身は外套で矢をいなしたが、馬までは守ることができなかった。


 馬が倒れたことで餓狼は落馬して地面に打ちつけられた。餓狼の体勢が崩れる。


 数人が一斉に襲いかかってきた。餓狼がろうは片膝を着いたまま大太刀を横凪に振るった。力任せの一撃。それでも、押し返し、武具を破壊するのには十分な威力があった。


 盗賊数人の体が地を跳ねて転がった。


「くそ、痛ってぇな・・・。」


 餓狼がろうが小さく悪態をついた。そして、大太刀の切っ先を向けて牽制する。目の前に居る者達は集落の人間ではない。


 先の一撃を見て臆した盗賊達が餓狼がろうから距離をとる。刀を持った盗賊達の殺気をひしひしと感じる。それでも斬り掛かって来る者はいない。


 餓狼がろうを斬ったとあれば名声を手にすることができる。けれど、それ以上の危機があるのは事実。誰だって命は惜しい。確実に仕留められないならば戦闘行動を避ける。なんとも奴等らしい考え方だ。


 盗賊は名誉より命の金。死んだら面子も糞もない。


 餓狼がろうが立ち上がった。そして、正面に立つ者からは漆黒の刀身を隠すように担いだ構えをとる。餓狼がろうから滲み出る威圧感が膨れ上がる。無形の圧に気圧される盗賊達。すぐに逃げ出さないことで最低限の矜持を保っていた。


 この場を支配しているのは餓狼がろうである。


 離れた場所から馬の足音が聞こえる。菊之助きくのすけが部隊を前に動かしたのだ。後は時間が全てを解決してくれる。多少の損害を覚悟すれば騎馬と歩兵の戦力差は歴然。万に一つも菊之助きくのすけの掃討部隊が負けることなどない。


 冷静に状況を分析した餓狼がろう。それからニヤリと笑った。それは、勝ちを確信した笑顔ではない。


「それを待っているのは・・・らしくないよな。」


 地面を蹴って盗賊達との距離を一気に詰めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る