第2話 死神の大太刀 弐

 狗神いぬがみ家屋敷。廊下に急く足音が響く。


「一大事でございます。」


 そう叫びながら飛んで来たのは、狗神いぬがみ家家老の鳥野目とりのめ兵宝ひょうほう。彼は滑るように家主の前に出た。


 家主である狗神いぬがみ鋼牙こうがは肩で息をする鳥野目とりのめ兵宝ひょうほうを見た。


「殿。一大事でございます。東山とうやま川が赤く染まってしまいました。鮮血のような赤でございます。いやー、これは不吉な。いやー、何か起こる前兆ではないでかと・・・。」


 鳥野目とりのめ兵宝ひょうほうの顔色は青く、オロオロしながらブツブツと呟いている。


 東山とうやま川は狗神いぬがみ家領土の中央に流れている。物流等の運搬に使用する他、日常生活における水源として人々の生活を支えている。


 そんな川が赤く染まった。一大事なのは間違いない。


 狗神いぬがみ鋼牙こうがが顎に手を当てた。そして、鳥野目とりのめ兵宝ひょうほうに問う。


「原因は?」


 狗神いぬがみ鋼牙こうがの問は一言だけ。その落ち着いた声色で冷静さを取り戻した鳥野目とりのめ兵宝ひょうほうが返答する。


「今は何も情報がありません。現段階では怪異によるものとしか。原因の究明には倅を向かわせました故。今しばらくお待ちいただければと。」


 鳥野目とりのめ兵宝ひょうほうが現在知り得る情報を解として示した。


「そうか、情報が入り次第伝えるように。」


 鳥野目とりのめ兵宝ひょうほうが平伏する。


 狗神いぬがみ鋼牙こうががに下がるように命じる。すると、鳥野目とりのめ兵宝ひょうほうはそそくさ戻って行った。


 読んでいた書物を閉じた狗神いぬがみ鋼牙こうがが縁側へ出た。空を見上げると、先ほどの雨が嘘のような青空が広がり。その中で太陽が輝いている。


 血の川が流れるような天候ではない。


 東山とうやま川の源流付近には職人が自宅兼工房にしている家屋が多くある。近頃は治安が悪くなっており、近辺で盗賊の目撃情報がある。近場で戦争があったわけでもなく、魔獣の出現で村が滅んだと情報もない。故に、彼等がどこから流れてきたのかも分からない。それでも領主としては見過ごす訳にもいかない。何度か討伐隊を向かわせたのだが、殲滅どころか発見すらできず。なんの成果も上げることはできなかった。盗賊達の数が多くないから発見できないのだろう、狗神いぬがみ鋼牙こうがはそう考えていた。


 今回の件、赤の原因が血であるなら、失われた命の数は相当なものだ。鳥野目とりのめ兵宝ひょうほうの倅、勘宝かんほうが調査に向かったのなら、職人達の被害や盗賊達についても何らかの報告があるだろう。


 今は待つしかない。これは時間が解決してくれる問題だ。予測できうる事象に対策を講じておくとしよう。


 盗賊達の仲間割れ、職人達の集落が襲われた、何者かが盗賊達を切伏せた。それが人間なら問題ない。だが、大型の獣でだったならどうだ。それこそ討伐隊を編成しなければならない。旅人の線も考えたが、流れた血の量を考えるとそれは現実的ではない。


 どんな可能性が残るにせよ、兵の編成を済ませておくべき状況だ。ならばそれだけでも済ませて置くべきか。


「誰かおらんか。」


 狗神いぬがみ鋼牙こうがが叫んだ。すると、先程と同じ足音が近づいてくる。


「殿、お呼びですか。」


 声と共に現れた鳥野目とりのめ兵宝ひょうほう。滑るように平伏の体勢になる。


兵宝ひょうほう、たびたび呼びつけて悪い。討伐隊の編成だけしておけ。もしかすると必要となるかもしれん。」


「御意。」


 一言告げた鳥野目とりのめ兵宝ひょうほうはそそくさと下がっていった。



 餓狼がろうが目を覚ますと、外套に包まって大太刀を抱えていた。いつの間にか寝ていたようだ。


 突然の雨に大きな木を見つけた時は運が良いと思った。雨宿りのついでに休もう、そうも思った。だけど、完全に眠ってしまっていた。それは完全な誤算だった。


 既に太陽は山の向こう側。日が落ちて幾分経つ。雨上がりなので空気が冷えている。外套を身に着けていて良かった。だが、その外套もやや湿っぽい。


「夕暮れ前には宿場まで行こうと思っていたんだが。」


 溜息混じりに呟いて頭をかいた。


 餓狼がろうは立ち上がると体をほぐし始めた。寝ていたせいで筋が若干硬い。全身を伸ばし終えると大きく息を吸った。肺の中に冷たい空気が入り込んでくる。頭の中に蔓る眠気が祓われていく。


 深呼吸を数回繰り返した餓狼がろうが立て掛けてあった大太刀を背負った。


 大きな木から離れて山道へ出る。とりあえずの目的地は宿場。今から向かえば夜が更ける前にはたどり着けるだろう。



 鳥野目とりのめ勘宝かんほうは十名の騎兵と共に山道を走っていた。先ほど大きな木の横を通り抜けた。体感ではもうすぐこの林を抜ける。


 彼等が山道を走っている理由は、東山とうやま川上流の異変の調査を父・鳥野目とりのめ兵宝ひょうほうから命じられたから。


「はぁ、どうして俺が・・・調査なら他の者に向かわせればいいじゃないか。面倒くさいな、まったく。」


 勘宝かんほうが呟いた。独り言にしては大きい声だった。並走している部下にまで聞こえた。


「はは、そう言うなよ。兵宝ひょうほう様が与えてくれた任務じゃないか。」


 答えたのは右側を走る菊之助きくのすけ


「近頃戦も無いし、こんな任務でもコツコツとこなさないと、かんさんは出世できないじゃない。統治も上手くないし、人望も薄い、おまけに頭も悪い。女にはモテるけれど・・・基本的に刀を振るうしか脳がないんだから。」


 菊之助きくのすけが茶化す。勘宝かんほうは返答の代わりに睨みを利かした。菊之助きくのすけはニヤケ顔で目を反らした。


 勘宝かんほうの右側を走る剛平ごうへいがくつくつと笑った。


 菊之助きくのすけ剛平ごうへい勘宝かんほうとは幼い頃から一緒に居る仲間である。故に、その感覚が今も抜けていない。立場的には勘宝かんほうが上官であるにも関わらずタメ口で話している。


 不満げな顔の勘宝かんほうを見た菊之助きくのすけが言った。


「何にしたって職人達のたまり場まで行けば良いんでしょう?行けば何か分かるだろうし、さっさと終わらせちゃおう。」


「・・・まったく、ダルい仕事を押し付けられたもんだ。仕方ない、急ぐか。」


 勘宝かんほうが渋々と言った感じで了承した。


 騎馬隊が走ること暫く。正面から一台の馬車が向かって来るのが見えた。勘宝かんほうが皆に止まるように指示を出す。


 馬車の御者は勘宝かんほう達の姿を見ると馬車の速度を落とした。


 馬車が停まると、御者の男が慌てて馬車から飛び降りた。


「お侍様、この先に地獄が。死神が。大変なんです。」


 駆け寄って来た男は脈絡のない言葉を羅列している。勘宝かんほう達には、この男が何を言いたいのか理解できなかった。

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