第14話

14


いわゆる同じ都内であっても、特別な用がない限り行くことはない、というやつだ。


国堂の言っていたことは、嘘でも冗談でもなかったらしく、国堂組の本元がある場所はかなり遠かった。


早瀬にそれを聞いた時は正直ドン引きに近い驚きを覚えた。

引いた、というよりも、わざわざ? という方が合っているのかもしれない。


自分から聞いておいて、顔を引きつらせる俺に早瀬は渋い顔をしていた。


「……お前が聞いてきたから教えたのに、なんだよその顔は」


「え、あ……いや……」


勿論、早瀬に何か文句を言いたい訳では無い。


「俺も人から聞いた話だし、詳しくは知らねぇけど……。ていうか何、お前の知り合いに借金してる奴でもいんの?」


「えっ、いやぁ……そういうわけでも……」


その場凌ぎとは言葉通りである。少しでも追求されれば口ごもってしまう。

そんな知り合いなどいないのだから。


歯切れ悪い答え方に早瀬は頭に「?」を一つ、二つと浮かばせている顔であった。


「そ、それはどうでも良くてっ、何か他にも聞いた話とかないか? 何でも良いんだけど……」


「ええ……、何だよ、窪塚らしくない……。んー……」


確かに俺らしくない。俺が何かに興味を持つ、誰かからその情報を得ようとすることなど、早瀬の前で一度として見せた記憶がない。


「あー、先輩の一人が他の先輩に言ってた話聞いたくらいだけど、『人相も悪くないし、そこまで柄が悪くないからって舐めてかかんな』って怯えながら言ってたような……」


「…………」


俺はゴクリの喉を鳴らす。

人相も悪くない、柄も悪くない。……今までに俺が見たことのある国堂組の人間は三人。


進藤にボコボコにされた後輩君を運んだらしき、スキンヘッドで頭から顔にかけて刺青を入れていた男。

あれをヤクザといえば、という一般的な例のような男だろう。俺も初めて見た時はそう思った。


そして国堂宗士。暗い色のレンズの眼鏡をしていて、表情が変わらないタイプであり、黙っていれば圧がある。

手下とは思えない何かを纏っている気がする。


(……人相や柄なんて主観でしかないが……)


恐らく早瀬の聞いた話に出る人間は、この二人ではないのだろう。

常にニコニコ顔の絶えない胡散臭い男が一人、そこの組にはいる。


(……舐めてかかんな……か。何したんだよ、あの人)


国堂麗士という男は、身体には刺青があるものの、パッと見は、胡散臭さは拭い切れないが、陽なイケメン、モデル。そんなところである。


人によってコロコロと表情の変化がある人間ではない。それは何となく分かってきた。


そこで俺の頭に過ぎる、進藤たちに近付いた時に一瞬見せた、この世で見たものの中で一番背筋を凍らせ、震え上がらせたあの目つき。

それを思い出せば、「ああ」と納得出来る部分もある。


「しかしまぁ、窪塚が変なのに興味持ったな。しかもまさかのヤクザなんて……、その知り合い可愛い子なの?」


(どうして全てを女の子関連にしたがるんだ)


何を思ったのか、今度は国堂組と関わっているという設定の俺の居もしない知り合いのために、俺が何か探っていると考えたようだ。

やはり俺と早瀬の生き方が全く違ったという証拠なのだろう。思考回路がよく読めない。


「違う」


すっぱりと断言すれば、早瀬が僅かに眉間に力を入れる。


「えー、じゃあ、国堂組に何か気になる女の子でもいんの? 危険な感じの方が趣味だった?」


そう問われれば、胸の奥がむずっとした。

女の子、なんて可愛い言葉なんて、俺の知ってる数少ない組員からして似合わない。


「それもちげーよ……。何で俺に気になる奴がいることになるんだよ……」


妙な話だ。

どうして俺が国堂組について知りたいと言えば、誰かを気になっているだ、好きだ、なんて話になるんだ。


「えー、だって、どうでもいい奴ことなんて、知りたいなんて思わなくない?」


早瀬が携帯を持っていた方の手を肩横くらいまであげて、質問を投げかけるようにしてきた。

そこで、俺の机に置いていた手がピクリと反応した。


「そんなにお前が興味津々なの正直気味悪いし」


(気味悪いは言い過ぎじゃないか?)


「俺に興味あるものがあるのは、そんな珍しいことか……?」


不機嫌となるまではいかなくとも、若干不愉快だ。早瀬には俺がどう見えているんだ。


「多少の興味関心で動かされるような奴だと思ってなかったって話。楽しそうとか、何か気になるって感情よりも、面倒臭いって感情が勝って、行動に移さないタイプ」


俺は押し黙る。というのも、早瀬の言い分には一理あるし、自分もそうであると自己評価をしている。


「噂なんてものにも興味持つような奴じゃなかったのに、今は自分からそれを聞こうとしてくるなんて……、随分と気になる子でも出来たのかと思ってさ」


案外、早瀬は遊び人で軽い陽キャでしかないと思っていたが、こういうことに限っては鋭いことを言うものだと関心すらしてしまう。


何せ俺自身、気付いてはいなかった。過去を思い返せば、四六時中他人のことなんて考えないし、それのために動こうという気力も起きない。

過去に付き合った彼女のことを考えてもそうだ。ずっと頭の片隅にでも、他人の顔を置いていたことはなかった。


「……それか、弱みでも握ってやりたい程憎い奴がいて、それの情報集めをしているかどっちかだな」


早瀬はそう言えば、カラカラと笑う。彼の中では冗談の一言でしかない。


しかし俺はそれを冗談一つで受け止めれない。

早瀬の言う「気になる奴」と「憎い奴」のどちらかにあの男を当てはめるとすれば、どちらなのか。


自分の反応を示した手先を見つめるように俯いた。


片手をもう一方の手で握り締める。力強く、自分の手に八つ当たりでもしているようだ。


(……情けない、悔しい、イライラする……)


一つも気にしてなどいなかった。

初めて声を掛けたあの日も。

何故俺はあの時、ただの常連客に声を掛けた? いつも通ってくれている珍しい客だったからか? そんなことで、ふいに知り合いでもない男に、声を掛ける人間だったのか、自分は。


今更ながら、自分の行動には気になる点しかないことに気付く。


初めから俺の本能は働いていたのかもしない。脳から伝えたものではない。熱い物を触ってすぐに危険を察知して、手放すのと一緒だ。反射というやつに近いものだ。


脳からの命令ではない。

衝動的に、本能的に、俺はあの男を気にしていた、見ていた……、煙草を選ぶ長い指先に気を取られ、半年の間のあの男の口していた言葉や、行動を記憶していた。


一目惚れなんてものではない。それはハッキリと言える。色めいたものは感じていなかった。


人間として、生き物として。制御出来ない何かに侵されていたのかもしれない。今となっては分からない。

もう思い出せない。元働いていたコンビニで、よく見かける狐目の男をどう思っていたか、など。


(……恋って、恋愛って何だ……なんて、考えるのは二十歳過ぎればキツイな……)


何となく告白されたから付き合った、面白味のない自分を知られ別れを告げられた、という黒歴史ともなりそうな、あの過去の恋愛とは話が違う。


単純なものではない。好意を抱いて貰ったから、容姿が好みだったから。違う。


『警戒心を壊されたがってる目』


(最悪だ……)


惚れた腫れたではない。可愛い恋愛事情でもない。


俺があの男に抱いていたものは、自分の欲を満たしてくれることだった。

言われるまで自分がそんなことを考えている、思っている……ましてや、そうして欲しいなどと、していることに気付いていなかった。

本能を理性で押し潰し、自身の中で、それを隠し、見て見ぬふりをしてきた。


二十歳過ぎのブラック企業働きの家族持ちな男。そう想像しながら、何処かで危険な香りは感じ取っていたのかもしれない。


そんな危険な奴だからこそ、自分がつまらなくしている日常生活を壊して欲しかった。自分でそうする勇気はないのだから。


建前なんかで、「平凡」や「平穏」を願っていた。わざわざ金遊びなどの危険地帯へ足を向かわせるのは、欲を満たすとは違っていた。

暴力などの痛みを伴う危険も違う。


俺は早瀬を前に、勢いよく両手に額をぶつけるようにして顔を伏せる。ゴンッと鳴れば、早瀬は驚きながら「大丈夫か?」なんて心配してくれた。


普通だ平凡だ、と思っていれば、自分を客観視出来ている気がしていた。


(……顔、熱……。今更分かった自分の歪んだ恋愛感情が恥ずかしい……)


誰にもバレてなどいない。早瀬だって何一つ気付いていない。目の前に伏せた俺はどう見えているのだろうか。

奇妙な行動してばかりで、今日、何かあったのではないか、なんて考えていそうだ。早瀬の「お、おい」なんて困惑した声で、彼の考えを読む。


(……いや、バレていたのか。……アレには)


腹立つ笑み。声、言葉遣い。見透かしたようにして覗く瞳。

男にしては長い髪の毛を揺らして、時折艶っぽく見せた表情。



好き、嫌い、憎い、愛おしい。どれにも当てはまらない気がする。


──────まだ。


あの男に直接伝えるとしたらどの言葉も言いたくない。言えない。自分の考えの中で決まった感情の単語がないのだから。


難しいものだ。単語では言い表すことが出来ないのだから。


唇を強く噛み締める。


(……歪んでる。自分の日常を壊して欲しい、だなんて……。……でも────)


俺は意を決して、バッと顔を上げれば瞬時に立ち上がる。

早瀬は「うぉ!?」と驚愕の声を出す。数人いた学生がこちらを見ている。


俺は自身の携帯の画面を開き、電話履歴を見る。そして、数秒何もせずに指を画面スレスレで動かすが、すぐに電源を落としポケットにしまう。


そのまま本能に身を任せるようにして、周囲を気にせず教室から逃げ出すように走り去った。

後ろから早瀬が名前を呼んだ気がしたが、耳をすり抜けた。気にする暇なんてなかったのかもしれない。


(くそ腹立つ、苛立つ、ムカつく……)


あの男の顔を脳内に巡らせれば、そんな言葉ばかりが浮び上がる。どれも意味は同じである。


そんな男の元へと足が向かうのはどうしてだろうか。場所は遠いし、面倒臭いことなのに。


歪んでいる。中学生や高校生の頃が羨ましい。大人になれば、あんな純粋な好きなんて気持ち何処かに忘れてきた。


それでも、こんな歪み切った感情だとしても。



(──俺にしては、一番人間らしい恋愛なのかもしれない)


受動的な恋愛ばかり。押し流され、何となくばかりの恋愛。そんなことしか過去の俺の恋愛劇は行われていない。


自分から動くのも、深く考えるのも、面倒臭い。ならば、しなくても良い、しない。そんな恋愛で良かったのに。



面倒事ばかり。しかしそれを進んでしたい、しなければならないと思う。



俺は、腹が立って仕方ない男、国堂麗士の元に行かなければならないと、本能がそう言っている。

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