第40話

家で待つ妻は、何かに怯えている。

 一時期顔色を悪くして昼間に眠ってばかりいるので気にしていたが、一人のときには夜中にうなされる声や、泣き声が聞こえてくるとハンナから報告を受けた。

 以来、夜に一人きりにしないように、ユリウスは遅くなっても必ず家に帰るようにしている。

 最近では、夜はしっかり眠り、日中もハンナと小さな言い争いをしながら楽しく過ごすようになってくれた。

 

 オデットは考え事をしている時、窓際で本を読むふりをして、宮殿の方角を眺めていることが多い。

 宮殿での暮らしや思い出に未練があるのは仕方ないと気にせずにいたが、ある日気付いてしまった。その瞳の奥にあるのは哀愁の情などではなく、もっと重くて暗いものなのだと。


 今、ユリウスのいる地下迷宮の壁画には、オデットと同じ金の髪を持つ若く美しい女がいる。

 サンドラの言った通りのクナイシュ帝国創生の物語が何枚かにわたって描かれているのだ。

 

 その突き当り、別の扉へと進む手前の最後の壁画にユリウスは目をとめた。

 神のものなのだろうか? 大きな黒い手のひらに包まれるように、金髪の女が横たわっている。

 その腹には大剣が突き刺さり、女の赤い血は黒い手のひらに流れていた。


(これでは皇女が災いをもたらすのではなく、皇女に災いが降りかかるようだ)


 壁画の中の女をオデットに置き換えると、ぞっとするしかない。

 その時はじめてユリウスは、自分の行動を顧みた。踏み入れてはいけない場所まで到達してしまったのではないだろうか。

 一度引き返そうとユリウスは口を開こうとした時、すでにサンドラは突き当りの装飾がほどこされた扉に手をかけていた。


 扉の隙間から、強烈な光が溢れ出てくる。地上に繋がっているのかと思ったらそうではなかった。


「なんの部屋だ……」


 眩しさに目が慣れた頃ユリウスの前に姿を見せたのは、六角形の広い部屋だった。そこには、人の腰くらいの高さの紅玉のような石の柱が何本もたっている。石はただの石ではなく、自ら光を発して輝き、部屋を太陽のように明るくしていた、


「すばらしいわ。魔法石よ、これは。でも……まるで墓標のようね」

「まるで……なのでしょうか」


 柱の数は、ちょうど三十。病死したと言われている皇女の数と一緒だった。これがただの墓ならばいい。しかし、それならなぜ皇女だけ別に葬られている? 

 嫌な汗を滲ますユリウスとは対照的に、サンドラは気分を高揚させて奥へと一人で進んで行く。


 そこにはもう一枚の扉があった。石でできた重そうな扉で、全面に古代文字が彫り込まれていた。


「この扉には強い魔力を感じる。開くには鍵になるものが必要だわ……」


 扉を開ける手立てを考えはじめたサンドラをユリウスは制した。


「サンドラ。一度、戻りましょう」

「えっ、待って? せっかく辿り着いたのに! 貴方にはわからないかもしれないけれど、これはすごい発見なのよ? そこの紅玉の柱ひとつひとつが強い力をもってるの。これを使えば古代魔術の復活だってできるかもしれない。どんな宝より価値のあるものなのよ」

「いいから!」

 

 ユリウスが強く言うと、サンドラは驚き目を見開いたあと、いらついた顔になる。

 サンドラには聞こえないのだろうか。扉の向うから、時折地響きのような音が聞こえてくるのを。


「この場の責任者は私です」

 

 ユリウスが冷淡にきっぱりと告げると、サンドラはしぶしぶ同意した。


 ――どんな宝より価値のあるもの。それはまさしく秘宝とよぶに相応しいのではないのだろうか。だったら、その秘宝はどうやって作られる?

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