第5話:歓迎の宴
謁見から戻った淳は、部屋のベッドに倒れ込んだ。疲労と混乱で頭がぐるぐると回っていた。
「どうすればいいんだ……全然わからない政治の話をされて、意見なんて出せるわけがない」
「でも、逃げ場もない。『賢者』のふりを続けるしかないのか……」
窓から差し込む夕日を眺めながら、淳はため息をついた。
「この世界は美しい……でも、いつか家に帰れるのだろうか」
扉がノックされ、従者が顔を覗かせた。
「賢者様、本日夜に歓迎の宴が開かれます。お支度をお手伝いします」
淳は諦めたようにため息をついた。
「わかりました……」
宴会用の衣装は謁見の時よりもさらに華やかだった。深青色の絹のローブは肩に重くのしかかり、胸元の金の飾りが不自然に感じられた。
従者に案内され、大広間へ向かう道すがら、他の貴族たちとすれ違った。彼らは皆、深々と頭を下げた。
「賢者様、本日はおめでとうございます」
「賢者様のご活躍に期待しております」
「僕は何もしていないのに……」淳は心の中でつぶやいた。
大広間の扉の前で、淳は深呼吸した。
「これも、ゲームだと思えばいい。ダークファングになりきるんだ……」
扉が開かれ、従者が大きな声で告げた。
「賢者様のご到着です」
室内の会話が一瞬で止んだ。すべての視線が淳に集まる。その圧力に、足を止めそうになる。
大広間は信じられないほど豪華だった。高い天井からは無数の水晶の燭台が吊り下げられ、その光が空間を明るく照らしていた。壁には色鮮やかなタペストリーがかけられ、床は磨き上げられた大理石で覆われていた。一角では楽師たちが優雅な音楽を奏でていた。
国王が手招きした。
「お待ちしておりました、賢者様。こちらへどうぞ」
淳は緊張しながら高座へと向かった。国王の隣には、あの金髪の美しい女性が立っていた。
「わが娘、エレノア王女です」
国王が紹介した。
エレノアは淳に微笑みかけ、小さく頭を下げた。
「お会いできて光栄です、賢者様」
彼女の声は澄んでいて、淡い香りが漂ってきた。淳は思わず目をそらした。王女の優雅さと対照的な自分の不器用さを痛感する。
側近が小声で言った。
「さすが賢者様、王女の美しさにも動じないご様子」
「違う、ただ緊張して目を合わせられないだけなのに……」
淳は心の中で叫んだ。
エレノアはその様子をじっと見ており、何か考え込むような表情をしていた。
宴会が進むにつれ、次々と貴族たちが淳に話しかけてきた。
中年の貴族が近づいてきた。
「賢者様、ノースガード公国との国境線引き直しについて、どのようなお考えでしょうか?」
別の若い貴族が割り込んだ。
「いえ、それよりメリディアとの貿易協定の方が優先されるべきではないでしょうか?」
次々と質問が飛び交う中、淳は口を開きかけては言葉に詰まった。
「それは……」
言葉が続かず、沈黙が流れた。
老貴族が感心したように言った。
「さすが賢者様、軽々しく答えを出さないお姿勢。我々も見習うべきですな」
「違う、ただ答えられないだけなのに……」
淳は心の中で呻いた。
テーブルには見たこともない料理が並び、どう手をつけるべきか迷う淳。エレノアが小声で「こちらのナイフからお使いください」と助け舟を出した。
淳は感謝の眼差しを送るが、すぐに視線をそらした。エレノアはそんな淳の様子を興味深そうに観察していた。
「賢者様、お食事はお口に合いますか?」
エレノアが親しげに尋ねた。
「はい……とても美味しいです」
淳は正直に答えた。
エレノアは少し驚いたような表情を見せた。
「そうですか、良かったです」
彼女は周囲を見渡し、他の貴族が聞いていないことを確認した後、小声で言った。
「皆、賢者様に多くを期待しています。大変でしょう?」
淳は思わず素直に答えた。
「は、はい……」
エレノアは微笑んだ。
「無理をなさらないでください。時には休息も必要です」
この瞬間、二人の間に小さな理解の架け橋が生まれたような気がした。
宴の途中、側近が急いで国王のもとへ駆け寄った。耳打ちする側近の言葉に、国王の表情が曇った。
「申し訳ありません。急な報告がありました」
国王は立ち上がった。
「宴はこのまま続けてください。私は一時席を外します」
国王が側近たちを引き連れて広間を出て行くと、残された人々の間に緊張が走った。
エレノアの表情に心配の色が浮かんだ。
「おそらく国境の問題でしょう」
と小声で淳に告げた。
「最近、北の国境での小競り合いが増えています」
国王が席を外した後も宴は続いた。やがて銀髪の女性魔道士が淳に近づいてきた。マリアベルだ。
「賢者様、明日は魔法学院への訪問が予定されています。学院長が特に楽しみにしています」
「魔法学院……」
淳は戸惑いを隠せなかった。
「特に、あなたの『沈黙の魔法』について強い関心を示しています」
淳が困惑した表情を見せると、マリアベルは小さく笑った。
「興味深いですね。明日が楽しみです」
マリアベルの視線には、最初の日の冷たさと共に、新たな好奇心が混じっているように見えた。
疲労が限界に達した淳は、エレノアに小声で言った。
「少し……疲れました」
エレノアは理解を示し、「マリアベル、賢者様をお部屋までお送りください」と命じた。
淳が大広間を後にすると、貴族たちが深々と頭を下げた。
「賢者様、おやすみなさいませ」
「明日もご活躍を期待しております」
廊下を歩きながら、マリアベルが言った。
「明日は重要な日です。魔法学院では多くの質問があるでしょう」
淳は緊張で答えられなかった。
マリアベルは意味深に続けた。
「特に沈黙の魔法について。興味深い反応を期待しています」
部屋に戻った淳は、窓辺に座り、星空を見つめた。
「一日で、こんなに疲れたのは初めてかもしれない。人の視線、期待、質問……すべてが重すぎる」
「明日は魔法学院? 『沈黙の魔法』って何だろう。僕にそんな力があるわけない」
「どこまで『賢者』を演じられるだろう……いつか必ずばれる。その時は……」
部屋の隅で何かが動いた。振り返ると、小さな影が見え、二つの目が月明かりに反射して青く光った。
「誰かいるの?」
影はすぐに消えた。
ベッドに横たわると、重い疲労が淳を包み込んだ。
「明日も……何とか生き延びよう」
そう思いながら、淳は見知らぬ世界での初日を終えた。
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