第六話 移ろいゆく心



「ありがとうございました!」


 練習していた陸上部も、いつのまにか終わる時間らしい。

 何人もの声が重なって、聞こえた。

 教室に来た時にはまだ明るかったのに、気づけば、茜色が差し込んでくる。


 碧、今日は来なかった。


 パタン、とスケッチブックを閉じる。


「もう諦めたわけ? あんなに必死になってたくせに?」


 口からボロボロと、苛立ちがこぼれ落ちていく。


 雑にカバンにスケッチブックを投げ入れる。

 窓を開けていたとはいえ、空調の効かない教室はあまりにも暑かった。

 窓を閉めようと伸ばした手が、やけに汗ばんでいる。


 いつも通り、旧校舎の鍵を顧問に返して帰路に着く。


 日が暮れてきたとはいえ、太陽の熱はアスファルトに吸収されて息が詰まりそうなくらい熱気を放っている。

 暑すぎるから、アイスでも食べて帰ろう。

 碧のことは、もう忘れて。


 あれは、ただの気まぐれで、ちょっとからかっただけだったんだ。

 わかっていたのに、傷ついてる私がいた。

 描けない、やらない、って思ってたくせに、自己中心的すぎる。


「心なんて、乱されたくないのに……」


 学校近くのコンビニは、仕事帰りのスーツの人や、高校生が多くて賑やかだ。

 店内に入れば、エアコンが効きすぎていてむしろ寒いくらいだった。


 アイスのショーケースに近づけば、聞き覚えのある声。


「さっきのカラオケの店員さ」


 パッと顔を上げれば、碧と目が合う。

 隣には、彩豊かな髪色の子が二人。

 さっきのピンク色の子も居て、自分の予想が正しかったことを知った。


 碧は一瞬、困ったような顔をして、私から目を逸らす。


 な、なんなの……!

 そっちがあんなに真剣に口説いてきたのに。

 協力するとは決めてなかったけど、絶対協力してやんない!

 何あの態度!


 心の中でマグマが、燃え上がっていく。

 碧はちらちら、とこちらを確認しながら、友人に生返事を繰り返していた。


 三人であぁでもないと言い合いながら、アイスを取るのをじっと待つ。

 私が避けるのも癪だし、碧たちが居なくなるまでアイスを見てよう。


「え、碧、それにすんの?」

「ダメ、かな?」

「おいしくないって!」


 あの時のグイグイと違う、弱々しい言葉にちょっとだけ驚いてしまう。

 碧の手元に目を向ければ、新発売の不思議な味アイスだった。


 不思議な味って何味だよ……

 紫色のパッケージにはデカデカと???と、書かれている。


「やめといたほうがいいって!」


 周りが止めるのを碧は、悩んだような表情で聞き流す。


「でも、挑戦も大切じゃない? 新しく知ることもあるかも、だし」


 私に言ってるわけじゃない。

 わかってるのに、日和って碧から逃げてる私への当てつけみたいに聞こえた。


 アイスのショーケースに手を突っ込んで、一番近いものを掴む。

 碧たちの近くに居たくなかった。

 話も、聞きたくなかった。

 それなのに、碧は「あっ」と小さい声をあげる。


 何よ、私は、振り向かないから!

 ツンっとしながら、レジへと向かう。

 不貞腐れたような店員が、何とも聞こえない発音でいらっしゃいませを言った。


「袋は」

「いりませんっ!」


 ついつい強くなった語気に、ハッとする。

 店員の顔を見れば、なんだこいつみたいな顔をしていた。

 私だって、わかんないよ!


 電子マネーで払って、ひったくるようにアイスを手に取る。

 スプーンがしっかりと蓋にテープで貼られていて、優しさに気づく。

 そして……私が掴んだアイスは、よりにもよって、不思議味だった。


「さいっあく!」


 小声で悪態を吐きながら、コンビニを出る。

 碧たちの向かう方向はわからないけど、コンビニの前にいればまた遭遇してしまう。


 とりあえず、家への道を進む。

 スケッチブックの入ったカバンが、ずるりと肩から落ちそうになった。

 それも気にせず、ずんずん進む。


 不思議味ってなんだよ!

 むしゃくしゃは胃の奥に留まらず、迫り上がってくる。


 自宅近くの公園が、目に入る。

 陽が翳り始めてるせいか、子どもが数人遊んでいるだけだった。

 空いてるベンチにボンッとカバンを投げ捨てて、座る。

 ただ私をからかっただけだったんだ。

 わかっていたし、想像も付いたのに、心がズキズキする。


 期待して、やる気もないのに、また来てくれるとか願って本当バッカみたい!

 ベリベリとアイスの蓋を剥げば、紫と水色が混ざり合ったアイス。

 ところどころにラムネも仕込まれていて、大体の味が想像ついた。


「あー、本当、バッカみたい!」


 わざと声に出してみても、誰も気にもしない。

 当たり前だ。

 私は誰の目にもつかないし、誰にも見つけられない。


 見つけて欲しいとも思ってないけど!

 スプーンで、紫と水色の中間を掬う。


 どうせ、ブドウとラムネ味とかだ。

 ちゃんと選べばよかった。

 碧のことなんか、気にせず!


 イライラとしながら口に運べば、舌の上ですぅっとアイスは溶けていく。

 チョコレートの味がして、脳がバグる。

 後から追いかけてきたのは、イチゴの味。


「不思議味っていうか、なにこれ? えっ? なにこれ? ぶどうとかじゃないの、なにそれ?」


 大きすぎる独り言に、帰ろうとしていた子どもたちがこちらを振り返っていた。

 バッと顔を逸らして、剥がした蓋を眺める。

 味の説明は???だけで、何一つ書いていない。


 甘酸っぱそうな見た目して、チョコレートの味は、おかしいでしょ。

 おかしくない?

 えっ?


 アイスの入れ物を持ち上げて、原材料を確認すればしっかりチョコレートと書かれている。

 カリッとした食感を齧れば、まんまチョコ。

 ラムネだと思った白い丸いのは、チョコレートだったのか。


「いや、え?」


 いちごとチョコレート味が程よい甘さに混ざり合って、おいしいはおいしい。

 でも、この色でその味はちょっと想定外すぎる。

 チョコレートのアイスって、意外においしいんだな。


 チョコのお菓子はよく食べるけど、アイスは甘酸っぱいものばかり選んできた。

 口の中でまとわりつく感覚が、苦手だったから。


 最後に食べたのは、本当に小さい頃だからずっと食べていなかったけど。

 意外に悪くないことに、変な気分になる。

 嫌いだと思ってたものが、おいしいとか、大人になったというのか、変わったというのか。

 アイスの冷たさのおかげか、変なアイスのせいか。


 わからないけど、胃の奥でぐるぐると渦巻いていた怒りはいつのまにか収まっていた。

 ごくんっと最後のひと掬いを飲み込んで、暗くなり始めた公園を見回す。


 誰もいない公園は、静かで絵になる。

 スイマジのサイカイという曲に、ぴったりだと思った。


 離れ離れになった友人と再会して、共に夢を追い始める歌。

 私には夢というものがわからなかったけど、美しいなと思えた。

 羨ましいな、とも。

 サイカイの中で、二人は夢に対して語り合う。


 主人公?は一人で夢を追う孤独を感じていて、誰にも吐き出せなかった。

 それを吐き出せた相手は、久しぶりに再会した夢を与えてくれた幼なじみ。

 幼なじみも自分の才能に、絶望していて諦めかけているところだった。


 再会した二人は、夢を諦める理由を作るのをやめようと、憧れを語り始める。

 きっと、こんな暗い公園で夜がふけるまで語り合っていたんだろう。


「報われないことばかりでも、きっと君の孤独は報われる」


 お互いがそう言い合って、ブランコを揺らす歌だった。


 カバンを手に、ブランコに座る。

 ぎぃいっと錆びた音をさせながら、ゆっくりと前後に動く。

 久しぶりのブランコは、ふわふわとした浮遊感が楽しかった。

 小学生の頃はあんなに、たくさん乗ったのに。

 高校生になったら、見向きもしなくなってたな。


「君の夢は叶うべきだ」


 力強い歌詞を、小声で口ずさむ。

 碧の夢は、叶うべきだと思う。

 たくさんの人を救って、愛される未来が、あの一曲で想像できた。


 私は、そんな碧の美しいものを壊したくないから、作らない。

 でも、イメージしちゃったから、描いてしまった。

 それを、碧に見て欲しかった。

 ぐちゃぐちゃな脳内をひたすら、掻き回す。

 碧の夢を叶えるためには、私が関わってもいいことはない。

 でも、誰よりも碧の曲にぴったりなイラストが描けたとも思う。


 私以外が、描くのは嫌だなと言いたくなるくらい。


「はっきりしろよ、私」


 ポンっとブランコから飛び降りて、薄暗いかなった空を見上げた。


 小さな星が一つ、淡く光っている。

 流れ星が今、流れてくれたら。

 何を願うかな。

 考えてみて、何も思いつかなかった。


 暑くてアイスを買ったはずなのに、いつのまにか空気は冷え切っている。

 ぶるりと肩を揺らして、自分自身を抱きしめた。


「うん、あったかい。忘れよう、忘れる!」


 碧のことは、忘れる。

 私は、またスイマジのことだけを考えて、スズハルの声だけを聞いて生きていく。


 選ばれた、と、見つけられた、と勘違いしていた自分は忘れてしまおう。

 だって、碧も、ただ、いっときの感情で声をかけてきた、だけだったんだから。

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