月晄のジョーカー ~言霊無双伝〜

クサバノカゲ

【月晄のジョーカー】

 蒼白い月光が照らし出すのは、荒廃した都市の光景。崩れかけた建造物のいびつなシルエットのなか、男と男が対峙していた。


「コンドルが──」


 先に口火を切ったのは、黒衣に身を包む野性的な青年のほう。その逆立てた赤髪の頭上に、大きな翼で羽ばたく鳥の幻影シルエットぼうと浮かぶ。


「──食い込んどるッ!」


 言い放たれた次句と共に、実体化した翼開長3メートルを超える世界最大の巨鳥──アンデスコンドルが対峙者に向けて飛翔した。


「それが、お前の超句ジョークか」


 コンクリートでさえ食い込み穿つくちばしを真っすぐ見据え、対峙者たる白コートに銀髪の青年は、眼鏡の四角い銀縁フレームの中央をと右手中指で持ち上げる。

 そして左手のひらを前方──急襲するコンドルに向け。


「……布団が……」


 端正で知的な容貌を崩さず、静かな言葉を薄い唇に乗せた。

 すでに至近まで迫ったコンドルは、突如として男の前に出現した白い壁に激突する。


「……吹っ飛んだ……」


 否、コンドルを包み込むように受け止めたのは壁に非ず。それはのお布団である。そしてお布団はコンドルを抱いたまま、すさまじい速度でその主たる黒衣の男に向け飛翔していた。


 ボフッ


 為すすべもなくコンドルごと布団に巻き込まれた黒衣は、そのまま吹き飛ばされて、遥か後方の朽ち欠けたビルの壁に叩きつけられていた。


「これが……『布団が吹っ飛んだ』……天下無双と名高き、鱶抓フカヅメシズマの超句ジョークか……」


 ひび割れたアスファルトに力なく倒れ込んだ彼の体を、先回りしていたお布団がふわり受け止め、上空から舞い降りた掛布団が優しく包み込む。


「……おひさまの……匂いがする……」


 コンドルと寄り添いながら意識を手放した彼の後方で、激突の衝撃が引導を渡したのだろう、朽ちかけのビルは土煙を巻き上げ崩壊していった。


 ──超句ジョーク。幾重もの言霊を織り込んだ「力在る言葉パワーワード」を実体化、そして現象化する特殊能力。その能力者たちは超句使いジョーカーと呼ばれ、文明崩壊を経た今の日本を影から支配している。


「だが、その天下無双も」


 そこに響き渡る声は、月光を遮る土煙の向こう側から。


「今日でおしまいだ」


 煙を突き破って出現した蒼をまとう人影は、黒衣の男の安眠する布団を飛び越えて、白コートの男──シズマと対峙する位置に、片手片膝を突き着地していた。

 ゆらり、立ち上がる。シズマとよく似た蒼いコートをまとう男。


 土煙が風に流れ、月光に浮かぶ端正な容貌は少年と呼べる幼さを残していた。レンズ越しのシズマの目元がわずかに揺らぐ。


「お前にそれができるのか、ソウマよ」

「そのために、俺は生きてきた」

「……ならば示せ!」

「言われるまでもッ!」


 ソウマと呼ばれた少年は、両手を十字に交差して叫ぶ。


「タンスが──」


 その足元からアスファルトを突き破ってせり上がるのは、薄く木目の浮かんだ四角い──そう、桐製と思しき箪笥タンスだった。

 シズマ側からは、タンス越しに少年の鋭い目元だけが見えている。視線を合わせたまま、天下無双の男は両手を頭上に掲げて超句ジョークうたった。


「……布団が、吹っ飛んだ……」


 両手の先それぞれに、薄っぺらで小ぶりな布団が実体化する。否、それらは見る間に膨張し、さらに五枚ずつに分裂していった。


「これは……布団圧縮収納ッ!?」


 いつの間にか目を覚ましていた黒衣の男が、布団に寝ころんだまま驚きの声をあげる。隣でコンドルが「コココォ」と静かに鳴いた。


 計十枚の布団は、タンスと少年の頭上をぐるぐると旋回し始める。対する少年──ソウマは交差していた両手の人差し指をピンと立て、超句ジョーク完成オトす。


「──ダンスを、踊ったんす!」


 瞬間、タンスは高速で回転し始めた。


三重言霊トライデントッ!? いや、あんなガキが使いこなせるものか!」


 黒衣が更に驚愕の声を上げ、コンドルも「コココォ」と肯定する。

 しかしシズマは冷静に、掲げていた両手を振り下ろす。獅子の兎狩りを体現するかのように、一切の油断はない。ゆえに彼は天下無双なのだ。


 回転するタンスは少年の周囲を滑るように動きまわり、逆回転したり、急に止まっては引き出しを出し入れして、まさにダンスを踊っているかのように見える。

 対する十枚のお布団は、上空全周囲から高速で彼ら・・を同時急襲していた。


「さあ、踊れ!」


 少年は不敵に言い放ち、タンスは彼の周囲を舞い踊りながら、襲い来る布団の盾になり、あるいは引き出しで叩き落としていく。しかし、地に落ちた布団はすぐに再び空中へと舞い上がって、再び攻撃に転じる。

 その光景を見やり、布団の中の黒衣はほくそ笑む。


「そら見ろ、包囲がどんどん狭まっていく! ガキが追い詰められている証拠だ!」


 対してコンドルは長い首を傾げ「ケェ」と疑義を呈した。

 確かに布団の描く円は次第に小さくなっていく。少年が追い詰められているからだろうか?


「言ったろう? 天下無双は今日でだ」


 三枚同時に急襲する布団に向け、タンスも回転しながら跳びあがる。夜空に交錯した四つ影は、三つになって離れる。

 ひとつは空中で回転するタンス、二つは回転に弾かれ円に戻る布団、そして残り一枚の布団は──引き出しの中に捕食されるかのように引きずり込まれ、消えていった。 


 ──円が小さくなったのは、それを形成する布団の数がじわじわ減らされていたからだ。


「布団は、タンスにものさ」


 少年が不敵に言い放つと、もはや半数の五枚しか残らない布団たちにタンスが襲いかかる。逃げ惑う布団を次々と収納し、そのままの勢いで地上に向け落下に転じた。


 無言で待ち受けるシズマは、ゆっくりとメガネを外し、コートの内ポケットに仕舞う。


 ドゴォッ


 鈍い音が響いて、シズマの立っていた場所にタンスが突き刺さった。衝撃が疾風と成って駆け抜け、黒衣の男の掛布団を吹き飛ばす。

 風に乱れた黒髪を直そうともせず、少年は悠然とタンスに歩み寄った。


 月光に白く照らされるタンスの陰から、ゆっくりと立ち上がる白いコート姿。


「──甘いな、お前は。相も変わらず」


 タンスに背を預けながらシズマは、どこか嬉しそうに口にした。


「そりゃあそうさ。あんたの弟なんだから」


 少年──鱶抓フカヅメソウマは、柔らかに微笑みながら右手を差し出す。


「家に帰ろう、兄貴。俺たち二人なら、もう誰にも負けない」

「……ああ。そうだな」


 肩を組んで歩き出した白と蒼のコート姿を、呆けたように見つめていた黒衣の男は、コンドルにつつかれ我に返る。


「ちょっ、待ってくれ! 頼むから俺も仲間に入れてくれよー!」


 ──これが、後に天下無双としてその名を世界中にまで轟かせる鱶抓フカヅメ兄弟の、伝説の幕開けであった。

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