来るシミ

湍水仁

来るシミ

汚い六畳間

木造築60年のアパート

その和室

畳も、壁も、布団も

必ずどこかに汚れがある


俺は何日も着ぱっなしで不潔なタンクトップとパンツの出立ちで、

暑くもないのに扇風機の風を浴びて、

タバコを吸う


ガタついた窓からは秋風が入り込む

それは扇風機の風なのかもしれないが、

僕が吐き出した煙を、空気の中に隠してくれる。

俺にとっての救いの風だ


まるでこの身が浄化されているようだと

俺は感じながら、敷きっぱなしの布団に寝転ぶ


カビと汗の匂いが一瞬して、すぐにタバコの匂いにかき消される。

なにもしていないのにただ眠くて、きっと魂の残量が減っているんだとそう実感した。


こんな生活で何年経っただろう。

もうすぐ30になるけれど、でもこんな生活が理想で、自分は確固たる今を生きているとそう強く思う。


取り止めのない思考がぐるぐる回って、天井を見ると、ふと気づく

木目の天井。

そこにある。

シミがある。


天井には他にもシミや汚れはたくさんあるのだが、それはなんてことないシミのはずなのだが、ただ目が離せない。


そんなわけはない。

そんなわけはないのだけれど、そのシミだけは大きくなっている気がした。

たった数秒で大きくなるわけないのに、

あのシミだけがは大きくなっているような気がするのだ。


多分ずっとそこにあったのに、この部屋のものでないような異質感。

巨大化する。

いや違う、近づいている

近づいてくる

シミが来る

来るシミ


俺は思わず、吸い始めのタバコを潰した。

電気を消して、布団を被る。

でもあのシミが頭から離れず、寝付けない。


その日から俺は来るシミに囚われていた。

決して、逃してくれずそれは何日も続いていく


いつしか俺は、あのシミを忘れたくて、部屋にいたくなくて何かに没頭するようになった。


部屋を綺麗に掃除して、

ヨレヨレの服を捨て、清潔な服を買いに行って、

図書館に逃げ込んで文学に傾倒して、

栄養価の高い食事を作って、

もっと金が稼げる仕事を探して、

ただただ来るあのシミから逃げることだけを考えた。


そんな日々の中いつしか、タバコもやめていて気づけば、あのシミについては俺は気にならなくなっていた。


春の始まり

俺は引っ越すことにした。

先ほど業者は荷物を持って行って、少し肩の荷が降りた気がして一息をつく


窓枠に腰掛け何も無くなった部屋を見渡す。


頑張ってそうしたがこびりついた汚れは取れなかった。

けれども、入居した二十歳のあの頃を思い出して、ただ、よかった、となんとなくそう思った。


最後にふと寝転んでみる。

畳の匂いと太陽の香りが鼻を抜ける。

天井を見つめる。


そこにあったのは、ただのシミ。

なんてことはないただのシミだった。


安心して最近気になり始めた顔のシミをさすりつつも、俺は春風を浴びに部屋の外に出た。

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来るシミ 湍水仁 @hayami000

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