連続猟奇殺人、次のターゲットはオレ?~定家葛となって絡みつく生人形の深情け~美しい刑事土御門一博の受難
CHIHARU
第1話 プロローグ 燃やされた男
完全な不完全――それは『ひとがた』
気がつけば見知らぬ山の中だった。
慌てて車のブレーキを掛けた。
時刻は午前二時を過ぎている。
静寂の中、ヘッドライトだけが、行く手の深い闇を照らしている。
底知れない夜気の漂う道は、車がようやく通れる幅だった。
ここは……。
カーナビは青梅市のN街道にある吹上峠を表示していた。
道の先に、古いトンネルが黒い口を開けている。
現役車道と遊歩道、廃道の三段重ねになったうちの廃道に迷い込んだらしい。
明治期に作られたトンネルは重厚な造りで、レンガは時の流れにさらされて退色していた。
往来が絶えて久しい路面には、青々した葛植物が繁茂し、道の両側から木々の枝が覆いかぶさっている。
よく見れば枝は枯れ、白々とした枝にも蔦植物が絡み付いていた。
突然、エンジンが止まった。
いくら始動させようと試みても無駄だった。
ボンネットオープンレバーを引いて車外に出た。
木々に切り取られた空に月どころか星影すらなく、辺りは真の闇だった。
トンネル内の壁を伝って流れ落ちる水の音だけが、微かに聞こえてくる。
その音に交じって……。
シュ……シュ……
トンネルの奥から、水音とは違う音がかすかに聞こえてきた。
こういう場所で遭遇する相手といえば、いわゆる走り屋(違法競争型暴走族)の類である。
腕力には大いに自信があった。
車内には護身用の特殊警棒も常備している。
仮に悶着が起きても、困るのは相手のほうだと苦笑しながら、暗い空洞に目を凝らした。
シュ……シュ……シュル
ひそやかな音がしだいに明確な音に変わっていく。
バイク音でも車の音でもなかった。
衣擦れのような音だった。
背中をゾワリと悪寒が走った。
だが……。
音はピタリと止んだ。
耳を澄ませたが、もう水の音しか聞こえない。
気を取り直してボンネットに手をかけたときだった。
シュル、シュル、シュル
突然、音が間近に聞こえてきた。
息を詰めてトンネルの中を凝視した。
光る影がおぼろげに見えた。
しだいに輪郭を形作っていく。
漆黒の闇から何者かが立ち現れる。
シュル、シュル
衣擦れの音のみで足音は無かった。
ライトの中に、花嫁衣裳のような白無垢に身を包んだ女の姿が浮かび上がった。
不自然なほどの白さが闇に輝きを放つ。
気配がまがまがしい。
「誰だ」
誰何の声を上げた。
女がこちらに視線を向けぬまま口を開く。
「お迎えにまいりました」
優しい声音が闇に広がって解ける。
女の目が闇の中、燐光のようにきらめく。
綿帽子を被っているためハッキリ見えなかったが、雪のように白い肌を持ち、人形のように丹精な顔をした若い女だった。
女には、黄泉路から引き返してきた者が持つ忌まわしさがあった。
滑るように車に近づいてくる。
「アッ」
肩先をトンと突かれただけで吹っ飛ばされ、背中から車の前面に激突した。
態勢を立て直して、得意の空手技で攻撃を掛けた。
だが女は柳のような身のコナシで飄々とかわす。
打ち掛けの長い袖が、引きずる裾が、白い光を放ちながら闇に舞い踊る。
夢の中のように現実味が無かった。
攻撃は手もなく、やり過ごされる。
息が切れる。
胸が痛い。
悪夢の真っただ中にいるようだった。
だが、打撲による背中の痛みが現実だと教えている。
辺りを覆う湿った闇に、ジャスミンに似た花の香りが匂い立つ。
車内から警棒を取り出した。
フリクション・ロック方式の警棒を勢いよく振り出す。
鋭い金属音が静寂に響いた。
警棒で女の二の腕を強打した。
だが、手応えだけで、ダメージを与えられなかった。
女の体の背後に冷たい炎が燃えさかる。
鬼気迫る姿に気圧される。
人智を越えた化け物に対しては畏怖の念を抱くしかなかった。
舌がこわばる。
深呼吸をして胸の鼓動を抑えた。
どうあっても……守る!
コメカミを流れる赤い血潮が波打つ。
一点に気を集中して警棒を振るった。
渾身の一撃が女の額を強打する。
パリン
陶器が割れるような音が響いた。
綿帽子の純白が光を放って宙を舞う。
黒髪に縁どられた女の顔があらわになった。
パックリ割れた額から、鮮血がタラタラと流れ出す。
「よくも、わらわの顔を……」
右手で傷口を押さえ、激しい怒りに顔を歪ませる。
「どうしてくれようぞ」
女の左手の指が突き出された。
文金高島田に結い上げられていた髪が解け、虚空に広がっていく。
「ウッ」
足が地面に縫い止められたように動けなくなった。
握りしめていた警棒が、カサリという音を立てて、蔦植物の海に落ちた。
足元に茂った蔓が伸びて体に巻き付いてくる。
クククという含み笑いとともに、足首から下が、火に炙られたように熱くなる。
足元に絡んだ蔓が燃えている。
「ジワジワ焼き殺してやろうぞ」
女がけたたましい笑い声を上げる。
炎は一気に燃え上がることなく、足首からフクラハギへと、しだいに這い上がってきた。
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