まわりまわってまたまわる
hibana
まわりまわってまたまわる
彼女のダンスを見た時、俺は前世の全てを思い出した。
前世の俺は王国の騎士団長。剣を抜かせれば横に並び立つ者はいないと謳われた天下無双の騎士だった。
そんな無骨な騎士が恋に落ちた相手が美しい踊り子――――彼女だった。
彼女は今も踊っている。そして今世の俺は、ヤのつく稼業に従事していた。
「それでな、彼女は普段カフェで働いているらしいんだが、休日になるとああしてストリートでダンスしてるってわけだ」
俺は弟分である
「……手出すなよ」
「そりゃ兄貴の女に手出すわけないですよ」
俺は空咳し、「まあ別に俺の女というわけではないんだが」と注釈を入れる。坂城は驚いた顔で「口説いてないんすか?」と訊いてきた。
「まだ出会ってからひと月しか経っていないしな」
「え……じゃあホテルには? ホテルには何回行ったんです?」
「口説く前にホテルに行く、とかいう腐った価値観を押し付けるな」
行くぞ、と言いながら俺は坂城を連れだって歩く。坂城は頭を掻きながら「逆に何ならしてるんですか? デートは?」と言ってきた。仏頂面のまま俺は「この前ようやく彼女の名前を聞いた。
坂城は立ち止まり、俺のことをまじまじと見た。
「じゃあなんすか? 我らが水仙組きっての
「声がでけえんだよ……!」
こめかみを押さえながら俺は深くため息をつく。
「しかし、お前の言うとおりだ。俺は生まれてこの方、女を相手に怖気づいたことはない。だがあの女は別だ……。俺があの女を前にして出来ることなど、天気の話が関の山だ。もっと話がしたいが、こっちの手札にカードがなさすぎる」
「本気で仰ってるんですか? あの、いつ女を抱くことになってもいいように常に布団を背負っていると言われた兄貴が……!?」
「てめえ俺のこと馬鹿にしてるよな」
瞬きをしながら俺は「あれは見るからにスれたところのない、ウブな娘だ。変に迫って失敗したくない」と真剣な顔をした。坂城は「考えすぎですよ」と俺の顔を覗く。
「兄貴がフラれるわきゃないっすよ。顔もいいし背も高いし、金もある。女が放っておくわけないっす。まあ……極道だってバレさえしなければですけど」
痛いところを突かれ、俺は思わず低く呻いてしまった。
言い訳にはなるが、俺だって何も好きで
思えば運のない人生だった。とにもかくにも、変なのに絡まれまくった人生だった。
ランドセルを背負っていたような頃から、いじめっ子に絡まれ、教師に絡まれ、不審者に絡まれ、ヤンキーに絡まれ、そのたびに俺は最適解で対応してきた。つまり、拳である。
ある日チンピラに絡まれているジジイを助けたらヤクザの組長で、お礼にと酒を奢ってもらったらそれが親子の盃だった。完全に騙されたわけである。
そうこうしているうちに俺は、ステゴロ最強と名高い幹部にまで昇り詰めていた。意味が分からない。
「ヤクザ辞めてえ。辞めてえよ坂城」
「無理ですよ」
「オヤっさんに『辞めるにはどうすりゃいいですか? 退職届に書いておかなきゃいけないことってありますか?』って訊いたらよ、『親子の縁はそんなもんじゃ切れねえ』って諭されて気が狂うかと思ったよ。実の親からは家族L〇NEで絶縁されたのにな」
「そんなもん家族じゃねえですよ兄貴。オレらが本当の家族っす」
「気が狂いそうだ。狂ったかもしれん」
ため息をつきながら「俺はテーマパークで働きたかったんだ。着ぐるみの中とかに入ってガキどもに夢を見せるのが夢だったのに」と言う。
「はあ……うっかりで人殺す前に辞めてえよ」
「うっかりで人殺す心配してる人に合う仕事が他にありますかね?」
「あの
「案外、悪い男に憧れるタチかもしれませんよ」
「ともかく、俺が懸念していることの一つがそれだ。もう一つは……これは俺個人の問題だからいいとして……」
呆れた様子の坂城が「でも好きなんでしょ? 他の男にとられたくないわけでしょ?」と言ってくる。「それはそうなんだが」と俺は坂城を横目で見た。
「ベタですがここは、暴漢に襲われているところを颯爽と駆けつけて助けるみたいなシチュエーションで好感度を上げるとかどうです? 組長をたぶらかした時みたいに」
「たぶらかしてねえよ」
「オレ手伝いますよ。暴漢役やるっす」
「でもそういうのはさ……あの娘を怯えさせるだろ? そういう真似はしない方がいいと思うんだよな。後々信頼関係を著しく損なうことになりかねないしよ」
「本当に腕っぷし以外は何もヤクザに向かない人だな」
うーん、と唸った坂城が「じゃあ、こうしやしょう」と人差し指を立てる。
「次にあの子に会った時には、彼氏がいるかどうか訊く」
「そ……れはちょっとハードルが高くねえか? 下心が見えすぎるだろ」
「えー? しょうがないっすねえ。じゃあ、好きなタイプにしましょう。『どんな人が好きなの?』これだけ」
「そんなのもう好きだって言ってるようなもんだろ」
「好きだって言わないつもりなんすか?」
「い、いずれ言うが!」
「じゃあいいじゃないっすかぁ」
俺は腕を組み、考えた末に「……まあ、それもそうだな」と重々しく頷いた。
次の日彼女が働いているカフェでコーヒーを頼んだ俺は、早速彼女に「いい天気っすね……」と声をかけた。彼女は眩しいエプロン姿で「ほんとですねえ」と微笑んでくれる。
「あ、昨日もダンス見に来てくださいましたよね? 一緒にいらしてたの、ご兄弟ですか?」
「まあ、そのようなものです……」
「いつもありがとうございます」
「いえ……」
裏でマスターがコーヒーを淹れている間、俺は手持ち無沙汰に彼女をチラチラ見る。幸運なことに、俺の後ろに客はいない。
すうっと息を吸い込んで俺は「あの、桃川さんってェ……」と口を開いた。
「お付き合いされてる方とか、いるんすか?」
マズい。気になっていたので真っ先に出てきてしまった。これではナンパ目的だということがバレバレ――――
「あ、いないですよー」
神よ、心から感謝いたします。
「そうなんですか!? 意外です。ち、ちなみに……好きなタイプとかって?」
「頭が良くて、面白い人ですかね」
「そっ……すかぁ……」
コーヒーが出来上がり、彼女が手渡してくれる。俺はそれを受け取り、店を出た。
話を聞いた坂城が、「ちゃんと訊けたんすか? すごいじゃないですか」と褒める。俺はテーブルに突っ伏しながら呻いた。
「で、なんでそんな落ち込んでるんです?」
「俺は……頭が……よくない……」
「え? うーん……」
一瞬の間があり、「そんなことないですよ」と坂城は言う。
「元気出してください兄貴」
「俺だって学生時代は成績優良だったんだ……こんな道に進んだばっかりに……」
「でも兄貴は面白いですよ」
「お前はなんでちょくちょく俺を馬鹿にするんだ?」
はあ、と坂城はため息をつく。
「大体、学歴なんかいい感じに言っときゃいいんですよ。こう……『最終学歴? あー、言ってもわからないかもな。日本じゃないから』みたいな」
「詐欺師の手口だそれは」
俺は上体を起こし、ぼそっと「東大……目指そうかな、今から」と言ってみた。坂城は聞かなかったことにしたらしく、「まあいいじゃないですか。とりあえずデートに誘いやしょう、兄貴」と提案した。
「デート……? 俺はヤクザで頭もよくなくて、それを隠してデートなんかできるかよ」
「兄貴ぃ、世の男女がみんな最初から自分を曝け出して付き合ってると思ってんですか? 本当にそうだったら役所に離婚届なんて置いてないでしょうよ」
「んなこと言ったって、俺とあの子はただの店員と客だぞ。どう誘えばいいんだ」
「あの子ダンスが好きなんでしょ? 『オレもダンス始めてみたいんだけど、どういう靴を履けばいいか教えてくれないか』とか言って誘えばいいじゃないですか」
坂城はそう、簡単なことのように言う。俺は奥歯を噛みしめ、「やってやろうじゃねえかよ……!」と呟いた。
彼女が働くカフェに行き、いつものようにコーヒーを頼む。
「今日も……いい天気っすねえ……」
「ええ、本当に」
コーヒーが出来上がるまでの間に、彼女を誘わなければならない。
「なんかでも、週末は天気が崩れるみたいっすね」
「あら、そうなんですか?」
「…………」
「…………」
マスターがコーヒーを淹れ終え、それを彼女が俺に――――手渡さない。「え、桃川さん?」と俺は彼女の顔色をうかがう。彼女は上目遣いで俺を見た。
「今日あたり、デートにでも誘ってもらえるんじゃないかと思っていたんですが……」
彼女は恥ずかしそうに「この前、彼氏いるかってお聞きになったから……そういうことかなって。ちょっとドキドキしていたのですが、違いましたか?」と俯く。俺はしばらく口をパクパクさせてしまった。
「お、オウッオウッ」
「え? セイウチの真似……?」
思わず俺は「そういうことです!!!」と元気よく返事をする。
「どこか行きたいところはありますか!?」
「映画でも観ませんか?」
「いっすねえ!!」
「菊知さんはどういうのがお好きなんですか、映画」
「俺ぁもう、映画なら何でも好きです! なんなら観ないですよ! 映画館行って映画を観ないぐらい好きです!」
「本当ですか? 私もです」
「私もです????」
焦りながらも俺は彼女と連絡先の交換をすることに成功した。週末は雨が降るということもあり、デートは週明けとなった。
家に帰り、俺は飯を食ってシャワーを浴び、布団に入る。近頃気の休まる場所が布団の中くらいしかなく、眠る前に己の人生を振り返るのが日課だった。
彼女のことを思い出していた。前世での、俺と彼女のことだ。
『王国の騎士団長様が、しがない踊り子に何か御用?』
『君に、見惚れていた』
『あらお上手ですこと』
『邪魔をしてすまない』
『いいですよ。ねえ、踊りませんか』
『やめておくよ。俺はダンスなんてほとんどしたことがないし、慣れないことはするもんじゃない。恥をかくだけだ』
『……ね?』
『ふふ……意地悪なんだな、意外と』
彼女と踊った日のことを、昨日のことのように思い出せる。
しかし前世の彼女と今世の彼女は別人だ。そう自分によく言い聞かせなければならなかった。
ともかく俺は今世の彼女に惹かれており、彼女も俺に興味を持ってくれている(と思う)。
だがこのままでは彼女を騙して話を進めることになる。週明けのデートで俺は身分を明かすべきではないか。それだけが、喫緊の課題であった。
待ち合わせ場所で待っていると、向こうから足早に近づいて来た彼女が「早いですねえ」と笑いかけてくる。俺は軽く会釈して、「桃川さんも」と指摘した。凛は「負けちゃいました」と笑う。
「腹減ってないすか。映画の前に、そこでなんか食いますか?」と、俺は近くのカフェを指さした。「たまには他のカフェもいいですね」と凛が可笑しそうに言う。
移動しながら俺は、気づかれないように彼女をじろじろ見た。
え、てか可愛くね?
カフェで働いている時とも、ダンスをしている時とも違う。ゆったりとした花柄のワンピース。服に合わせた春色のベレー帽。
可愛すぎる。言うべきか? 『てか可愛いっすね』と一言いうべきか?
どうなんだ坂城。言うべきなのか。それともそんなことを言ったらキモいのか。おい、教えてくれ
「どうかしましたか?」
「今は大丈夫ですが、そのうちどうかしてしまいそうです」
「体調が優れないですか?」
彼女を心配させてしまった。俺はぐっと目をつむり、清水の舞台から飛び降りるような心持ちで「いつも可愛いですけど、今日死ぬほど可愛いですね」と言ってみる。彼女はパッと顔を輝かせて「菊知さんに会うためにおめかししてきました」と言った。
俺は今日自分の心臓がもたないかもしれないことの心配をする。
映画は二時間程度のミステリーだった。恋愛映画は少しハードルが高かったし、彼女が興味を示したのがこれでよかった。内容も非常に面白く、緊張しきっていたことも忘れて楽しめた。
映画館を出て、感想を言い合いながらイタリアンの店に入る。
「面白かったですね」
「犯人の動機は、ちょっと切なかったですけどね」
「愛でしたねえ」
俺の頼んだナポリタンと、彼女の頼んだドリアが運ばれてきた。どちらも半熟の目玉焼きが載っていて、「お揃いですね」と彼女は言う。俺はそういうことにいちいち面喰ってしまい、上手く言葉を返せないままナポリタンをフォークでくるっとやる。
「あの、桃川さんは」
「そろそろため口でいいですよ?」
「いや、」
「あと下の名前で呼んでください。私も榛衛門さんって呼びますから」
「えっっっ」
「好きなんです、榛衛門さんの名前」
父ちゃん母ちゃんありがとう。ガキの頃から絡まれる種にしかならん名前だったが、今初めてめちゃくちゃ感謝してる。
ちらりと彼女を見る。彼女は目玉焼きを崩しながらドリアを堪能していた。
「も、凛さんは……あのカフェで働くようになって長いの?」
「いえ、まだ二ヶ月です。前はレストランで働いていたんですけど」
「そうなんだ」
「父が厳しくて、男の人と働いてほしくないって。あのカフェはマスター以外が女性なので」
「お父さん心配性なんだ。こんなに可愛い娘だと、そうだろうな」
そうか、お父上は厳しいのか。
彼女がお手洗いに席を立った隙に俺は店員に声をかけ、会計を済ませる。それからテーブルに肘をつき、ため息をついた。
そうかぁ、お父上は厳しいのかぁ。
俺は残念な気持ちとともに、いくらかほっとしている自分がいることにも気付いていた。
まともな親御さんなら俺との交際を認めるはずはない。そうだ、そうに決まっている。彼女が戻ってきて店を出たら、そこで身分を明かそう。
今日一日一緒にいて、やっぱり彼女は素晴らしい女性だと再確認できた。俺が釣り合うような女性ではない。
終わりにしよう、これっきり。
前世の彼女は前世の彼女。今世の彼女とは別人だ。たまたま巡り合えたこの運命に思うところはあるものの、彼女を不幸にするわけにはいかない。
その時、不意に携帯電話が鳴った。画面には坂城の名前が表示されている。俺は眉をひそめながら、それを耳に当てた。
「なんだ?」
『あ、あにきぃ……』
「だからなんだって。俺は今、」
『
「なんだと……!?」
根来田というのは、水仙組と対立する組の一つだ。近頃は小康状態だったはずだが、なんだって坂城が狙われているのか。
彼女が戻ってきて、「榛衛門さん、この後どうしますか?」と笑いかけている。俺は拳を握り、「すまない凛さん」と顔を上げた。
「急用が出来ちまった。俺は行かなきゃならん」
「あら、そうなんですね。じゃあ……」
「それで……それで、凛さん」
「はい?」
意を決して「俺はヤクザだ」と告げる。彼女は「え……?」と言うし、何なら店員や周囲の客も「えっ??」とこちらを見た。
「騙すような形になってすまない。今日は本当に楽しかった、ありがとう」
「ちょっと、待っ……」
俺は走り出す。
今世で彼女と添い遂げたかったが、
電話口で聞いた場所に向かうと、坂城が複数の男に殴られているところだった。
俺はそのうちの一人の襟首を掴み、「俺の弟分に……!」と腕を振り被る。
「何しやがんだ!!!!」
殴り飛ばした。顔を上げた坂城が「兄貴……!」と涙目で俺を見る。
「坂城、一体何があった!」
「ゲーセンでガキ煽り散らかしてたら親が根来田の構成員だったんす」
「じゃあお前が百悪いじゃねえか」
俺は思わず坂城の胸倉を掴み、「殴っちまったじゃねえかよ、どーすんだこれ」と揺らす。
「大体お前はなんで弱いくせにそうイキるんだ」
「借りやすいところに虎の威があるもんで、つい……」
「もう来ねえからな」
殴り飛ばされた構成員を解放しながら、「テメェ何しやがる!」と相手方が吠える。俺は男たちに向き合い「正直悪いと思ってる」と言って宥めた。
「うちの弟分が迷惑かけたな。よく言って聞かせるからここは穏便に済ませてくれないか」
「おもくそ殴っといてよく言う」
「それはそうなんだけどな」
「それにテメェ、よく見りゃ菊知榛衛門じゃねえか」
よく知ってるな、と俺は眉を顰める。「知ってるさ」と男たちが怒気のはらんだ声で言った。
「菊知榛衛門といやあ、ここらじゃ有名人だ」
「そうなのか?」
「テメェの首をとって帰ればうちのオヤジも喜ぶってもんだ」
「終わってんな、治安」
「大人しく首を差し出せ」
「え、俺そんなに嫌われてるのかよ。なんかしたっけ?」
「テメェは強すぎる。存在するだけでここらの勢力図をめちゃくちゃにしやがる。テメェみたいなのは存在しない方がみんなのためだぜ」
「なんでそんなひどいこと言うの? 自分が言われたら嫌なことは人にも言わないよって母ちゃんに言われなかった?」
俺は困惑しながらも、「坂城のことは謝るが、他の因縁をつけてくるなら話が別だぜ。どうしてもって言うなら相手してやってもいいが」と肩を回す。
「でも、今日あたり
「何をだ!」
「なんかこう……いつかうっかり
「だから何をだ!! こえーよ!!」
坂城が「オレ帰っていいすか?」と言う。俺はまずこいつを
その時だ。
「そこまでにして」
鶴の一声、というのか。張りのある若い女の声がした。
全員が一斉に振り向く。そこに、桃川凛の姿があった。
俺は「え……凛さん?」と呟く。
「お――――お嬢!!」
根来田の若い男がそう言った。俺は耳を疑う。
凛は表情を変えずに「こんなところで暴れないで。市井の人たちに迷惑です」ときっぱり言った。
それから未だ混乱している俺に、近づく。
「り、凛さん?」
「私も言っていなかったことがあるんです、榛衛門さん」
「聞きたくない!! 何も言わないでくれ凛さん!!」
「うちの父、根来田凛太朗って言って……お名前はよくご存知だと思うんですけど」
「で、でも……名字が違うじゃないっすか……?」
「ええ。母と父は内縁関係だったので」
呆気に取られている俺に、彼女は微笑みながら「ここは私が収めておきます」と言った。
「今日はとっても楽しかったので。一つ貸しですよ? 榛衛門さん」
彼女はくるりと踵を返し、根来田の構成員たちに「ほら、いい子。帰りますよ」と声掛けして去っていく。その後ろ姿を、俺は呆然と見送った。
俺の唯一の安全地帯こと布団の中で思案する。後で坂城に調べさせたところ、どうやら彼女が根来田組組長の愛娘であることは間違いないようだ。
驚いていたものの、俺はどこか納得もしていた。
彼女とのことで懸念していたことが二つある。一つは、俺が今世でこのような荒事を仕事にしていること。もう一つは――――前世でのことだった。
そう、前世での俺と彼女との蜜月の日々は長く続かなかった。
彼女は敵国の
それでも俺は彼女を最後まで愛していたし、環境や立場さえ違えばまた違った結末があったと信じている。何より前世の彼女と今世の彼女は別人だ。そう考え、今世の彼女に惹かれた。
だが、事ここに至っては話が変わってくる。
命が惜しくばあの女はやめておけ、と前世の俺が囁いている。まあ、苦しい思いをして死んだからな。
そもそも一度諦めた恋心だ。今さら悩むようなことではない。
何度そう自分自身を納得させようとも、前世で二人過ごした日々、あのデートの日の彼女を思い出し、俺は眠れぬ夜を過ごした。
カフェの前で掃き掃除をしている彼女に、俺は「どうも」と声をかける。彼女は顔を上げて、「あら」と目を丸くした。
「もう来てくださらないのかと思いました」
「まあ、な……」
俺は持っていた紙袋を彼女に手渡す。「迷惑かけたから」と。菓子折りというやつだ。
「それと、これ。この前俺が殴ったやつの、治療費の足しにしてくれ」と気持ちばかりの厚さの封筒もその紙袋の中に入れる。彼女は「律義ですねえ」と驚いたような顔でいた。
「それで……」
「はい」
「
「いえ」
「あんた、俺が水仙の人間だって知ってたのか?」
「知りませんでした。有名なんですってね、榛衛門さん。わたし、父の仕事には興味がなかったので、その辺りは疎くて」
「それを聞いて安心したよ。あんたも根っからの極道だったらどうしようかと思った」
彼女は俯いて、「だから私も……いつ打ち明けようかと思ってました。極道者の娘だなんて、ましてや組長の子だなんて、普通の人には受け入れられないですから」と言う。それからくすくす笑い、「ごめんなさい。だからあなたが水仙組の方だって知って、ちょっと嬉しかったです。同じように悩んでたんだろうなって思って」と片目をつむった。
「何も解決してないけどな。うちの組とあんたの親父さんは対立してるから」
「問題が次から次へと、ですね」
俺は空咳をする。「まあでも、会うのはこれで最後にしよう。それで全部解決だ」と腕組みした。彼女が少し困ったように眉を寄せる。
「お別れ、ですか?」
「ああ。それがお互いにとって一番いいはずだ」
「そうですか……」
わかりました、と彼女は言った。俺は頭を掻き、何も言わずに踵を返す。
後ろで彼女が掃き掃除をする音を聴きながら、その場を後に――――しようとしたその時だ。
「この前の“貸し”って、これでチャラになってしまった感じでしょうか」
そう、彼女が口を開いた。俺は振り向いて、「足りないか」と尋ねる。すると彼女は箒をその場に放って、「足りないって言ったらどうしますか?」と言いながら俺に近づいてくる。俺は黙って考えを巡らせた。
すると彼女は突然俺の手を掴み、くるりと俺の周りを回る。
「……は? おい、あんた」
「わたし、子供の頃は社交ダンスをしていました。父が『男と手を繋いで踊るなんてけしからん』と言ったのでやめましたが……わたし本当は続けたかったんです」
彼女は俺の手を自分の背中に誘って、俺の右手に指を絡ませる。
「おい、よせ。こんなところあんたの親父さんに見られたら殺されちまうよ。あんた、俺を破滅させたいのか?」
「そうかも」
「……怖い女」
今世の俺はダンスなどしたことはないが、前世の記憶が俺にステップを踏ませる。「あら、経験者ですね?」と彼女が俺を上目遣いで見た。君に教わったんだよ、と俺は思う。
「いい加減にしてくれ」
「お嫌ならこの手を振りほどいて立ち去ってくださってもいいんですよ?」
「俺は……あんたにこうされると弱い」
「私、あなたのことをよく知っている気がします。不思議ですね」
当たり前だ。君は俺のことをよく知っていて、俺も君のことをよく知っていた。だからこそ、もうこれで終わりにしよう。俺の立場で、君の立場で、前世と同じことを繰り返したくはない。
だって俺が死ぬ間際に、君は泣いていた。
「あなたとダンスをしてみたかった。どうしてだか、あなた以外とは考えられないの」
そう言って、彼女は俺の胸に身を寄せる。俺は思わず天を仰いだ。
あー、くそっ。
好きだ。愛してる。
彼女は子供のようにはしゃいで、俺の腕を掴みながらくるりと回った。
この女はやめておけ、不幸になるぞ、と前世の俺が囁いている。
そうかもしれない。
だけど結局、俺は彼女と不幸になっても後悔しないのだろうと思う。少なくとも、この永遠みたいなワルツのステップを彼女と踏みながら、
この世界に彼女がいるということを知ってなお彼女のいない人生を歩むことはどうせ俺にはできないな、と痛いほど感じていた。
まわりまわってまたまわる hibana @hibana
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