第3話

 数日後、僕は村田さんに連絡をした。

 事務所にて彼女に経過を伝える。


「調査結果をまとめました」


「それで子供たちの行方は分かったんですか!?」


「落ち着いてください。順を追って説明していきましょう」


 僕は村田さんを宥めながら、数枚の資料を取り出した。

 その要点を読み上げていく。


「まず行方不明になった子供たちの目撃情報が得られました。いずれも日没後の人目につかないような場所ですね。ぼろ布を纏う人物が子供達と歩いていたそうです」


「ぼろ布……まさかカゲヌノですか」


 村田さんの顔に不安と驚きが過ぎる。

 最初に会った時より疲労の色が濃かった。

 立ち上がった村田さんは、身を乗り出して僕に尋ねる。


「やっぱり妖怪のせいだったんですね!」


「いいえ、違います。人間のせいです」


 僕はきっぱりと否定した。

 勢いを削がれた村田さんは戸惑い気味に反応する。


「ど、どういうことですか」


「ぼろ布を纏う人物の正体は、人身売買を専門とする犯罪組織だったのです」


 僕は資料を片手に結論を述べた。

 続けて新たな事実を伝える。


「ちゃんと証拠写真もありますよ。新たな子供を攫うために付近を徘徊しているようですね。放っておけば近日中に行方不明者が増えるでしょう」


「そんな……どうにかならないんですか!」


「ご安心を。僕が事件を解決しましょう」


 僕は机の上に地図を広げた。

 赤ペンで書き込みのある地図には、大きな丸で囲われたポイントがある。


「既に組織のアジトは特定済みです。子供達もまだ移送されていません。まとまった人数を一気に運ぶ予定なのでしょうね」


「どうしてそこまで分かるんですか?」


「独自ルートで調査しました」


 僕はそれ以上は語らずに答える。

 地図を見つめる村田さんは、苦い顔で意見を口にする。


「相手が犯罪組織なら、警察に任せるべきではないですか」


「妥当な判断ですが、今回に関してはあまり良くないですね。警察が動くと察知されて逃げられるかもしれませんから。ああいった組織は尻尾を掴むのが大変なのですよ。本格的に逃走されると子供たちを助けるチャンスがなくなる恐れがありますね」


 僕は冷静な口調で説明する。

 そして明るい口調で言葉を続けた。


「だから私が個人的に動きます。警察が大々的に動くよりも、安全かつ確実に生徒たちを救出できるかと思います」


「平さんは危険ではないのですか」


「相応のリスクはありますが、仕事ですから妥協するつもりはありませんよ。しっかりと働かせていただきます」


 僕は胸を張って応じる。

 その上で村田さんの顔を見て問う。


「よろしければ先生もご同行されますか」


「なぜ私が……?」


「得体の知れない探偵が助け出すより生徒達も安心するでしょう」


 僕はもっともらしいことを言う。

 村田さんは迷っていた。

 どうすべきか決断できないようだ。


 僕はそんな彼女に答えを求める。


「とは言え、相手は犯罪組織の人間です。それなりの危険は伴うでしょうから強要はしません。どうしますか」


 村田さんはしばらく逡巡した。

 何かを言いかけては止めて、また難しい顔で地図を睨む。

 その末に彼女は顔を上げた。

 覚悟の決まった表情であった。


「――行きます。私も一緒に連れて行ってください。待っているだけではなく、少しでも役に立ちたいです」


「承知しました。ではさっそく向かいましょうか」


 僕は村田さんを連れて自家用車に乗り込む。

 そのまま犯罪組織のアジトを目指して発進した。

 途中、沈黙を保っていた村田さんが口を開く。


「本当にありがとうございます。平さんのような優しい方が探偵で良かったです」


「僕が優しい探偵ですか。面白いことをおっしゃいますね」


 謙遜ではなく、本気でそう思った。

 優しいという言葉は、きっと僕以外の誰かに使われるべきだろう。

 それこそ村田さんなんて相応しいのではないか。


 運転する僕は、ふと考えて告白する。


「先ほど相応のリスクがあると言いましたが、僕の場合は命の危機を指していません。そこは端から心配ないのです」


 頬と顎の境目が気になる。

 たぶん隙間はできていないが、つい触れたくなってしまう。

 それを我慢して話を続行する。


「僕の抱えるリスクは人間性の喪失です」


「人間性、ですか」


「はい。ある意味では死ぬよりも恐ろしいことかもしれませんね」


 僕は穏やかな口ぶりで述べる。

 村田さんはどう反応していいか分からず無言だった。


「人間を人間たらしめる要素って何だと思いますか?」


 僕が問いかけると、村田さんは考え込む。

 それから十秒ほど経ってから彼女は答えを出した。


「心とかでしょうか」


「それも答えの一つですね。ただもっと表面的で分かりやすいものがあります」


 僕は自分の鼻先を指で叩いた。

 そして持論を伝える。


「顔です。誰だって話をする時は相手の顔を見るものでしょう。容姿の美醜を判断する上でも欠かせない部分ですし、先生のおっしゃった心を察する際の指標にもなり得ます」


 前方に赤信号が待っている。

 ブレーキを踏んで車を減速させた。


「僕は顔をとても大切にしています。顔を失うと人間ではなくなっていきますからね」


 信号が赤から青に変わる。

 左右の確認を済ませてから再び発進した。


「僕は人間に憧れています。普通の人間になるのが夢ですね」


 笑顔を作ろうとするも、それは叶わない。

 村田さんから見れば、きっと不気味なものだろう。


「平さん、あなたは……」


「すみません、余計な話でした。つまらない自分語りだったので忘れてください」


 僕は話題を打ち切って謝り、それからは運転に集中する。

 村田さんからもあえて言及してくることはなかった。

 ナビに従って進み、やがて街の郊外に到着する。

 前方には田畑に囲まれて寂れた倉庫が建っていた。


 僕はその倉庫を指差しながら車を降りる。


「あそこが件の犯罪組織のアジトです」


 倉庫の周辺に注目する。

 特に怪しい箇所は見当たらない。


「見張りはいないようですね。誰かが突き止めてくるとは思ってもいないようです」


 実際、ここまで特定されずに来たのだから、拉致に関しては相当を念入りに行ってきたのだろう。

 カゲヌノを彷彿とさせる格好をしていたのは、目撃証言の撹乱を意図したのかもしれない。

 僕は隣の村田さんを見る。

 彼女は胸の前で手を組んで縮こまっていた。


「緊張しますか。怖いのでしたら、どこか別の場所で待っていただいてもいいですが」


「いえ、大丈夫です。子供たちは私の手で助けます」


 村田さんは怯えながらも断言する。

 勇気を振り絞っているが、顔色は悪い。

 僕は彼女の様子を鑑みて忠告する。


「提案した立場で言えることではありませんが、荒事に首を突っ込みすぎるのは感心しませんよ。どんな危険があるか分かりませんから」


「そうですね。今後は気をつけます」


 あくまでも今回は同行するつもりらしい。

 決意は揺るがないようだ。

 これ以上の忠告は野暮だろうと思い、僕は歩き出した。


「では行きましょうか。なるべく平和的に解決したいので、まずは交渉を持ちかけようと思います」


「こっそりと子供たちを助け出す方が良いのではないですか?」


「それができればベストです。しかし、実際は不可能でしょう。攫われた生徒は十数名です。その全員を連れて気づかれずに脱出するのは現実的ではありませんね」


 話している間に倉庫が近付いてくる。

 耳を澄ませると誰かの話し声が聞こえた。

 組織の人間がやり取りしているのだろう。


 僕は村田さんの目を見て告げる。


「交渉で何とかするつもりですが、失敗した時の策も考えています。僕を信じてください」


「……分かりました。お願いします」


 小声で言う村田さんを庇うような位置で歩を進める。

 やがて倉庫の前に到着した。


 僕は扉をノックしてから開く。

 室内には黒いスーツを着た男達が何人もいた。

 どことなく暴力的な気配を漂わせる彼らは、すぐさまこちらを睨んでくる。

 そのうち代表らしき一人が詰め寄ってきた。


「誰だ」


「どうもこんにちは。探偵の平と申します。こちらに拉致監禁している子供たちについてお話をしに来ました」


 僕は単刀直入に告げる。

 倉庫内の空気がさらに張り詰めた。

 中には殺気を向けてくる者までいる。


 代表の男は険しい顔で応じる。


「何の話だ」


「とぼけても無駄ですよ。既に調査は済んでいます。付近で起きている行方不明事件はあなた方の仕業ですよね」


「でたらめを言うな!」


「じゃあ倉庫内を調べさせてください。後ろめたいものがないのでしたら見せられますよね」


「…………」


 男は舌打ちして黙る。

 それからまた一歩、僕に近付いてきた。

 およそ三メートル。

 微妙な距離だ。


 男は長いため息の後、頭を掻いて言った。


「やけに自信満々だな」


「間違えたら恥ずかしいので事前にしっかり調べているのですよ。ですからあなた方の悪行も把握しています」


 僕はスマホを取り出した。

 電話番号を入力する画面を見せて笑いかける。


「警察に通報されたくありませんよね。でしたら攫った子供たちを――」


 銃声が轟くと同時に、顔や胴体に衝撃を覚えた。

 そのまま床に崩れ落ちる。

 横に傾いた視界の中で、男が拳銃を持っていた。


「馬鹿野郎が。大人しく従うわけねぇだろ」


 すぐそばで悲鳴が上がる。

 たぶん村田さんだろう。


「平さんっ!」


「無駄だぜ。もう死んでいる。顔をぶち抜いたんだからな」


「そんな……」


「おい死体を捨ててこい。床の掃除しとけよ」


 顔のそばから床が赤く染まっていく。

 血が流れ出ているのだろう。


「姉ちゃん、悪いがあんたも逃がすわけにはいかない」


「ひっ……」


「安心しな。命までは取らねえよ。あんたみたいな美人さんは色々と使い道があるからなァ」


「だ、誰か」


 どうやらピンチらしい。

 僕はむくりと起き上がり、何度か咳き込んだ。

 それから拳銃を持つ男に確認する。


「おやおや。これは交渉決裂と捉えていいのですかね」


「こ、こいつッ!」


 仰天する男が拳銃を連射した。

 至近距離からの銃撃はすべて僕に命中する。


 しかし、今度は倒れない。

 少し仰け反った程度である。

 僕は血みどろになりながらも平然と述べる。


「効きませんよ。生憎と銃くらいでは死ねないのです」


 ポケットを探り、手鏡を手に取った。

 顔を映すと、三か所ほど穴が開いている。

 銃弾によるものだ。


 鏡を仕舞った僕は背筋を伸ばす。


「どうしてくれるんですか。大事な顔が破れてしまいましたよ」


 頬と顎の境目に違和感がある。

 触れてみると、隙間ができてぴらぴらと揺れていた。

 撃たれた拍子にずれてしまったらしい。


「この顔はもう使えませんね。剥がしちゃいましょう」


 僕は隙間に指をかけて、ゆっくりとめくり始める。

 密着した皮膚が伸びて徐々に離れていった。

 最後は音を立てて一気に引き剥がす。


 そうして露わになった僕の素顔は、何もなかった。

 目も鼻も口もすべて綺麗に存在しないのだ。


「のっぺらぼう……」


 倉庫内の誰かが呟いた。

 奇妙な静寂の中、傷だらけの僕は含み笑いを洩らす。


「困りましたね。顔がなくなると理性も失っていくのですよ。このままだと怪物になってしまいます」


 喋る間にも身体が脈動し、人間から逸脱していく。

 肌の色素が薄れて透明に近付いた。

 コートの隙間から無数の触手がはみ出してくる。

 四肢は捩れてうねり、溶け出しては再生するのを繰り返した。

 僕は不協和音のように歪んだ声で宣告する。


「さて、皆さんには責任を取ってもらいましょうね」


 全身が風船のように膨張し、天井近くまで高くなった視点から室内を見下ろす。

 犯罪組織の大半がパニックになって逃げ出そうとしていた。

 一部はこちらに向けて発砲しているが、こうなっては欠片の効果もない。


 依頼人の村田さんは気絶していた。

 最初に会話をした代表の男は、呆然とこちらを見上げている。

 僕は感情を交えず、淡々と宣言した。


「お金は結構です。命も取りません。その顔だけ頂戴します」


 触手ですべての出入り口を封鎖した瞬間、僕は動き出した。

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