怪獣たちのハート
ねこじゃ・じぇねこ
第1話 そして私は怪獣になった
1.
春。それは、寒さが苦手な私が待ち望む季節である。子供時代とのお別れが近づきつつある十六歳。小学生の頃はまだ、冬だろうと元気に駆けまわれたような気がするけれど、女子高生になったばかりの今、私は心から、この暖かな季節の訪れを歓迎していた。
けれど、暖かいからと言っていつでも心晴れやかでいられるわけではないのもこの時期だ。新生活に水を差す、やや暗い気持ちを引きずって、此度の私は一人寂しく帰路についていた。
一応、断っておくが、友達作りに失敗したわけではない。入学式から一週間。友達がたくさんできた……とはあまり言えないかもしれないけれど、同じ中学から来た子も含め、安心して教室に足を踏み入れられる程度には打ち解けたように思う。だが、ここのところ、私はいつもあるクラスメイトを見つめては、溜息ばかり漏らしていたのだ。
「……はあ」
この倦怠感を生み出すのは我が幼馴染。その名は
家も近所で共に育ったこともあり、小さい頃はとにかく何をするにも一緒で、さまざまな思い出を作ってきた。何となく小学校も中学校も一緒だったせいか、高校も、小雨ちゃんと一緒のところがいいと希望した。そして、無事二人で合格し、無事、同じクラスにまでなれたのだ。
それはよかったのだが、高校生活が始まってこっち、思ってもみなかったことが起きた。小雨ちゃんが、何故だか素っ気ないのだ。
「小雨ちゃん、どうしちゃったのかなぁ」
嫌われてはいないと思いたいが、本当に嫌われるような覚えはないかときつく問われれば、胸を張って「勿論」と頷く自信が正直なかった。というのも、今の私は小雨ちゃんにあまり悟られたくない煩悩を抱えているからだ。
あれはたしか小学六年生の頃だったか。ある時から私は無意識に小雨ちゃんの姿を見つめるようになっていた。何を思っていたかと言えば、答えはシンプル。「今日も可愛いなぁ」である。
小雨ちゃんはですね、可愛いんですよ。身長は私よりも2、3センチ下くらいの155センチほど。真っ黒な直毛はどんな髪型も似合うと思うのですが、中学生くらいから姫カットが定着した。もうこの時点で推せる。どんなお洋服もそれはそれで似合う事が分かっているのだが、何を着てもお人形さんのようで、心のアルバムに何枚収めてきたことか分からない。制服姿だってそう。中学、高校と私と同じものを着ているとは思えぬ愛らしさ。こんな姿を間近で拝めるなんて、ありがたいったらないね。
そんなこんなで超可愛くて推せる幼馴染なわけですが、勿論、幼馴染の女友達として接している以上、邪な思いのこもった眼差しを向けている事を絶対に、絶対に、絶対に悟られてはならないのであります。
とはいえ、問題は私の気持ちだ。一度気付いてしまった自分自身の好きだって感情は簡単には消せないのもまた事実。こういうのって、思春期特有の一時的なモノってこともあるなんて聞いたこともあるのだけど、小学生、中学生、高校生と、年々酷くなっている気がする。恐らく私はガチなのだろう。けれど、ガチならばガチで辛いものがある。この気持ちを表に出す事すら恐ろしい今、小雨ちゃんに嫌われたくないというのが最低限の願いだったのだ。
それなのに、である。高校生になってから小雨ちゃんは素っ気ないのだ。その理由すら分からず、私は苦悩していた。まさか、悟られて避けられている? いやそれとも、全く違う理由があるのだろうか……。高校生活や将来の進路の何よりも、今は小雨ちゃんとの関係が最重要課題であった。
「どうしたものかなぁ」
一人寂しく帰る道すがら、溜息が溜息を呼ぶアンニュイな下校時間。いっそ、部活にでも入って何かに没頭するのも悪くないかもしれない。運動部とかどうだろう。どちらかと言えば陰キャの私に合う部活なんて思いつかないが、こういう時は逆にいいかもしれない。そんな事を考えていると、ふと、通学靴の爪先に何かが当たったのに気付いた。見下ろしてみれば、そこには赤いお弾きみたいなものがあった。念のため言っておくが、お弾き(隠語)ではない。要は赤いガラス玉みたいなものが落ちていたのだ。
「落とし物かなぁ?」
そのまま蹴飛ばしても良かったのだが、妙に気になって、私はそっとそのガラス玉を拾った。その瞬間、バチっと鋭い音がした。途端に指から胸に痛みが走り、私は慌ててガラス玉を手放した。静電気だろうか。こんな季節に。手放したガラス玉を何となく目で追おうとしたが、落下した音もせず何処かへいってしまったようだ。
「……なくなっちゃった」
なんかついてないなぁ。そう思いながら立ち上がった、そんな時だった。
『はろー』
「おわあっ!」
立ち上がった私の目の前に、奇妙な物体があった。ロボットのようだ。金属の蝶々で、どういう仕組みか分からないが、パタパタと生き物のように飛んでいる。本物のアゲハ蝶ほどの大きさしかないが、恐らくスピーカーでも付いているのだろう、その蝶は気さくなお姉さんの声で話しかけてきた。
『ごめーん、びっくりしちゃった? 脅かす気はなかったの、許してちょうだい』
なんか軽い。何となくだけど、あまり関わりたくない。そんな事を真っ先に思い、私は流れるように片手を上げてその場を立ち去ろうとした。
「あ、大丈夫です。気にしていないので……では!」
『待って、待って! どうか五分、いや一分でいいからアタシの話を聞いてくれない?』
「誠にすみませんが、これからすぐに帰らなくてはならないので」
特に用事はないのだが、早くここから立ち去りたかった。だが、金属の蝶々はなおも私の行く手を阻みながら言った。
『んー、困ったなぁ。三十秒でいいから。じゃないと、あなたの命に係わることになっちゃうから』
出た。胡散臭いやつ。しかも、無駄に物騒だ。とにかく振り切らないと。迷惑勧誘としか思えなかった私は、そのまま蝶々を遠ざけようと動いた。後ろに人がいる事に気づいたのは、その時だった。
「この人ね、バタ子」
と、やけに色っぽいお姉さんの声が聞こえたかと思った直後、私はさっと血の気が引くのを感じた。首筋に刃物が突き付けられていたのだ。
「……え」
「動かないで」
冷めた声が私の背筋を震わせる。何。何が起こっているの。恐怖や緊張よりも混乱に支配されてフリーズする私の前で、今しがたバタ子と呼ばれた金属の蝶々がご機嫌な様子で答えた。
『間に合ってよかったぁ。そうよ、この子が新しい怪獣さん。誕生の瞬間をこの目でしっかりと見届けたわ。録画もバッチリ♪』
「それなら間違いなさそうね。ねえ、あなた。名前はなんていうの?」
背後から問いかけられ、私は凍り付いたまま答えた。
「え……えっと、ま……マナっていいます」
めちゃくちゃ申し遅れたが、私の名前はマナ。四月四日に十六歳になったばかりの花の女子高生である。
「そう、マナね。突然、手荒な真似をしてごめんなさい。けれど、あなたに選んでもらわないとならない事があるの。たった今、あなたは人間ではなくなりました」
「……は」
「そこで、あなたには選んでもらわねばならない事があります。私たちに協力するか、ここで楽になるか。どちらかの二択よ」
「は……え……楽って?」
『分かりやすくド直球に言うならば、生きるか死ぬかっていう選択ね』
バタ子から能天気にそう言われ、私の頭の中は真っ白になった。
「ええ……え……どういうこと……えっ?」
意味が分からない。しかし、相変わらず刃物が私の首に突き付けられている。下手な真似をすれば掻ききられる。だ、誰か。お巡りさん。誰か。助けてください。ヘルプ。よく分からんのですが、乙女のピンチなんです。
だが、残念なことに、今の私を救ってくれるヒーローはいないようだった。代わりにいるのは奇妙な蝶々型ロボットと、今もなお姿が分からぬこのお姉さん。
「答えて?」
そのお姉さんの方に澄んだ声でそう言われ、私は怯えながら応じたのだった。
「あ……あの……死にたくない……です」
こうして、私は生存権に縋りついたと同時に、ありふれた平凡だけどそれなりに楽しく幸せだったこれまでの日常とサヨナラバイバイする羽目になったのだった。
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