天下無双の武装少女

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天下無双のお嬢様

 どこかで風が吹き抜ける音がする。

 微かな軋みが闇の中に響き、まるでこの場所自体が息を潜めているかの様だった。

 かつては工場の倉庫として使われていたのか、天井は高く、錆びた鉄骨が剥き出しになっている。隙間から漏れる月光が、埃の舞う空間を薄く照らしていた。

 その一室で、4人の男達が簡易なテーブルを中心に車座を作っている。

 全員が黒ずくめの作業着である。

 場には沈黙が下りていたが、やがて中心に座る男・ボスが口を開く。

「今回のターゲットだ」

 ボスは冷徹な眼差しで机に写真を並べた。

 淡い照明の下、何枚もの紙が整然と広がる。

 その中心に、一枚の鮮明な写真があった。

 黒髪が風にそよぐ小さな少女。

 整った顔立ちには幼さが残り、澄んだ瞳はどこか遠くを見つめている。彼女は紺色の小学校の制服に身を包み、白い靴下とローファーを履いていた。

 背景には高級住宅街の石畳の道が映り込んでいる。

「春野さくら、10歳。春野財閥の、孫娘」

 ボスの低く冷静な声が、部屋の静寂を切り裂いた。彼の言葉に、周囲の空気が一層張り詰める。

 この部屋に集まっているのは、犯罪のプロフェッショナル達だ。彼らはこれまで幾度も大物富豪の子供を誘拐し、莫大な身代金を手にしてきた。今回のターゲットも、綿密な調査のもと選び抜かれた獲物だった。

「簡単だな」

 男・Жジェーが呟く。彼の声には他の3人とは異なる笑いが含まれていた。

「子供を人質にしての身代金要求」

 男・Фエフの声からも興奮の色が滲み出す。彼は長い前髪の下で爛々と目を輝かせた。

「成功すれば数百、数千万の金が一気に手に入る。今回はいくらだ、ボス?」

 男・Щシャーは薄汚れた手を擦り合わせ、舌なめずりをした。彼らの口から発せられるのは、自らの力への自信と高揚感。

 誰も彼もが勝利を確信している中、ボスは表情ひとつ変えずに言い放った。

「30億」

 4人は即座に互いの顔を見合わせる。その視線は一瞬たりとも逸れることなく、真っ直ぐに互いを貫く中、ボスは続ける。

「春野財閥は今、国内最大の事業を終えたばかりだ。30億なんてものは端金だ。腐る程の金が入った今、次に狙うならそこしかない」

 その言葉に、誰もが息を呑んだ。彼らにとってそれはあまりに無謀な挑戦であったからだ。

 しかし、彼らの瞳に宿った炎が揺らぐことはなかった。

 ボスは無言で頷く。金額の大きさに浮かれることなく、冷静に次の指示を下す。

「ターゲット情報を確認するぞ。趣味はバレエダンス、ハーモニカ。茶道と華道。好きな食べ物はフランス料理。典型的な、お嬢様だ」

 彼は資料をめくり、印刷された文字を指でなぞった。

「はん、赤ん坊をあやすより簡単だな」

 Жジェーが鼻で笑った。その顔には余裕と侮りの色が滲んでいた。

 しかし、ボスはただ静かに視線を落とし、机の上の地図を指先で軽く叩く。

「春野さくらは、お嬢様だが、性格は庶民派だ。車での送迎を嫌い、友人と共に歩いて登校している。休日に外出する時は大抵一人……。つまり、護衛もいないということだ」

 淡々と語られる言葉に、場の空気が変わる。彼らは皆一様に表情を引き締め、ボスの言葉に傾注した。

「狙い目は、習い事のバレエ教室への通学時だな……。小学校の通学路を使わないことで人目を避けることが出来る」

  その言葉と同時に、机の上に広げられていた地図が一瞬にして姿を消す。代わりに現れたのは、近隣の住宅地図だった。

 地図上に赤いボールペンで印が付けられている場所がある。そこは、まさに彼らが事前に下調べを済ませた箇所に他ならなかった。


 ◆


 風は柔らかく、桜の花びらが舞い散る春の午後。

 通り沿いの並木が揺れ、ピンク色の花びらが舗装された歩道に落ちていく。この風景の中を、春野さくらは軽やかな足取りで歩いていた。

 春野さくらはバレエ用の小さなダッフルバッグを片手に持ち、もう一方の手で長い黒髪を風から守るように押さえている。制服ではなく、薄いピンク色のカーディガンに白いブラウス、紺色のプリーツスカートという私服姿だ。

 髪を留めるのは深紅のバレット、手首にはローズゴールドのブレスレットが優雅に輝き、首にはさりげなく小さなペンダントが揺れている。

「きれい」

  さくらは目を細め、満開を迎えたばかりの桜の花を見上げる。暖かな日差しを受けて輝くその姿は、幼い心を魅了するのに十分であった。

 この道を選んだのは、満開の桜並木を見たかったから。道はやや細く、人通りも少ない。両側には古い住宅が並んでいるが、平日の昼間でもあり、ほとんど人の気配はない。

 さくらはそこを過ぎると、左手の小道に入る。この先を曲がれば、バレエ教室のある大通りに出る。

 その時だった。

「ん?」

 足元に転がってきたボールに、さくらは反射的に目を向けた。赤と白のストライプ模様のフットボールボールだ。

「お姉ちゃん、ボール取ってくれる?」

 植え込み越しに、小さな男の子の声が聞こえた。

 そこにあるのは、小さな公園。

 ベンチが二つと、古びた滑り台がある程度の場所だ。

「いいですわ」

 さくらは微笑み、ボールを拾い上げた。軽いボールを手に取り、公園の方へ歩き出す。

 公園の入り口は歩道から少し入ったところにある。桜の木々が視界を遮り、中はうっすらと影になっている。

 さくらが入り口に差し掛かったとき、違和感があった。どうして植え込み越しに、自分の姿が見えたのだろう。自分からは男の子の姿は見えなかったのに。

「あれ? 男の子は……」

 さくらは公園内に入り立ち止まり、辺りを見回した。

 誰も居なかった。

 もちろん、男の子の姿も見えない。

 すると植え込みから、黒い作業着姿の若い男が姿を見せた。どうみても20歳前後にしか見えない青年だったが、服の上からでも鍛えられた体つきをしているのが分かる。

 男は言った。

 可愛らしい男の子の声で。

「ありがとう。お姉ちゃん」

 と。

 声と姿とが完全にミスマッチだった。男が口にしたお礼の言葉は、明らかに幼い少年の声だったのだから。

 これは一体どういうことなのだろう。目の前の現実を理解することができず、さくらの思考回路は完全にショートしていた。

 その時、さくらの背後で車のエンジン音がした。

 急に不安になったさくらが振り返ると、黒い大型ワゴン車が道に止まっていた。窓はスモークがかかり、中は見えない。

 スライドドアが開くと同時に、2人の男が降りてくる。全身黒い作業着を身につけ、顔には黒いマスク。さくらは思わず後ずさった。

「え、何!?……」

 状況を理解する間もなく、車から降りた男の腕がさくらに伸びた。

「騒ぐな!」

 男の声は低く、冷たかった。それがФエフだと、さくらは知る由もない。

 さくらは反射的にボールを投げつけようとするが、その手をФエフに掴まれる。手からボールが力なく落ち転がる。

 もう一人車から降りた男・Щシャーの言葉と共に、何かが鋭く光った。ナイフだった。

 さくらの瞳に恐怖の色が浮かんだ。

 Щシャーは脅す。

「大人しくしろ」

 さくらは、声を上げようとした。

 しかし、口を開く前に、背後に居たЖジェーが背後から素早く近づき、白い布をさくらの口と鼻に押し当てた。

「んっ!」

 甘い匂いが鼻をつく。

 さくらは抵抗しようとしたが、大人の力には敵わなかった。視界がぼやけ始め、力が抜けていく。

「さすが元声優志望のЖジェーだ。子供の声で何の疑いもなく、公園に入って足止めしてくれたぜ」

 Фエフが呟いた。

「余計なことを言うな。それより麻酔薬の効き目は30分程度しかない」

 Жジェーは低い声で返した。

 意識が遠のく、さくら。最後に見たのは、車の運転席ら彼女を見つめる冷たい目だった。それがボスの目だと、さくらには分からなかった。

「積め」

 ボスの短い命令一つで、ФエフЩシャーがさくらの体を持ち上げ、開いたワゴン車の後部座席に滑り込ませた。Жジェーはさくらのバッグも拾い上げ、車内に投げ入れた。

「全て計画通りだ」

 ボスの言葉と共に、車のスライドドアが閉まる。エンジンの音が再び高まり、黒いワゴン車は静かに発進した。

 わずか40秒。

 桜の花びらが舞う静かな午後の風景は、すぐさま元通りになった。

 ただ公園に転がるフットボールだけが、何か起きたことを物語る様に残されていた。


 ◆


「ここなら誰も来ない」

 Фエフの低い声が、ひんやりとした倉庫の空間に響いた。

 彼らが伏し先に選んだのは、郊外にぽつんと佇む廃墟と化した火薬保管庫だった。かつては工事で使う爆薬やダイナマイトを収納していたらしいが、今ではネズミの巣となり、放置されている状態だ。

 今では鉄骨が抹茶色に錆び、天井の一部には穴が空いている。

 コンクリートの床には古びた木箱使い物にならない機械や無造作に放置されている。壁の隅にはネズミが走り去る影が見えた。過去に取り残され、時の流れから忘れ去られた様だった。

 春野さくらは、倉庫の奥にある小さな部屋に監禁された。

 部屋の隅には、ぽつんと小さな窓がある。高さは大人の背丈よりも高く、外から見えにくい構造になっている。

 窓に鉄格子がありな外部からの侵入だけでなく、内部からも脱出できない構造になっていた。

 Щシャーは扉を乱暴に決め、外から南京錠で鍵をかけた。

「大人しくしてな。親が身代金を払えば帰れるさ」

 扉の覗き窓から告げるが、さくらは何も言わなかった。

 ただ、黒い瞳でじっと誘拐犯を見つめた。その目に、棘の様なものを感じたが、Щシャーは踵を返した。

「あの子、変じゃないか?」

 タバコをくゆらせながら、Жジェーがぼそりと呟いていた。

 Щシャーは同意する。

「普通のガキなら泣き叫ぶな。親に助けを求めてさ。でも、あいつ、取り乱してなかった」

  二人はさくらの顔を思い返す。そこには、焦りの色はなかった。それどころか、怒りの表情すら浮かべていたのだ。

 さくらはこの事態に陥っても、何一つ恐れていなかったのだ。

 今もまた、気丈な態度を崩していない。

 いや、そもそもの話、普通はこの状況に陥った時点でパニックになるものだ。

「気のせいだろ」

 Фエフは面倒そうに肩をすくめた。

「ああいう、お嬢様は気位が高すぎて、怖くて声も出ねえんだよ。今頃、​​布団みたいに丸くなって怯えてるさ」

 Щシャーは納得がいかない様子だったが、それ以上は何も言わなかった。

 しかし、Жジェーは無言のまま煙草を指でいじっていた。 彼もまた、胸の奥に言葉に違和感を抱いていたのだ。

 だが、計画に変更はない。

 Фエフは言った。

「ボスが春野財閥に誘拐の件を見計らって連絡する。子供が帰って来る時間になっても帰って来ない。いきなり警察に電話をする奴はいない。親がおかしいと思いつつ、子供の携帯電話に連絡をする。だが子供は電話に出ない……。親が冷静さを失い始める。そのタイミングで、ボスが身代金を要求するんだ。ともかく俺達は見張るだけだ」

 Фエフの指示に皆は納得した。


 ガタンッ!


 倉庫の奥で、何かが崩れるような揺れがあった。

「?」

 Фエフが顔を上げた。音の方向を睨むと、さくらを閉じ込めた部屋からだった。

「おい、誰か見てこい」

 Фエフの指示で、Жジェーがぶつぶつと言いながら立ち上がる。

「あんな娘が暴れたって、たかがしれてるだろ」

 Жジェーはのんびりとした足取り部屋でへ向かった。

 部屋の前まで来ると、Жジェーはドアに耳を押し当てた。

 しかし、先程まであった物音が消えていた。

「おい、大人しくしてろ!」

 しかし、中からの返事も物音もない。

 嫌な予感が背筋を駆け上がる。

「……おい?」

 今度は強めにドアを叩く。

 しかし、静寂しかない。

 怯える子供の気配そのものを感じなかった。怯えた子供が縮こまっているのなら、泣き声や、かすかに呼吸の音や衣擦れの聞こえてもいいハズだ。

 それが、まるで部屋が空っぽになったかの様に静かだった。

 さすがに不安になり、Жジェーは舌打ちをしながらポケットから鍵を取り出した。

 重い扉をゆっくりと押し開いて、沈黙を守る部屋を見た。

「おい、何をしている?」

 そして、Жジェーは目を見開く。


 誰もいない。


 布団の様に、縮こまっているハズの少女の姿が無かった。

 あの小さな少女が、まるで最初から存在していなかったかの様に消えていた。

 Жジェーは無意識に喉を鳴らした。

 しかし、それが錯覚なのか、壁に触れても、床を踏みしめても、そこには人の気配はなかった。

 まるで、この空間が少女という存在を飲み込んでしまったかの様に――。

「……いない!」

 Жジェーの声が、冷たい倉庫の空気を震わせた。

「おい。娘の姿がないぞ!」

  Жジェーの叫び声が響いた。

 その声は倉庫中に響き渡り、全員を動揺させた。

 男達が扉の近くに集まって来た。

 その時には、ボスも部屋の中に入っていた。

「どういうことだ!」

 ボスの怒声が、冷たい倉庫の空気を震わせた。

 部屋の中は、そこにあるべきはずの少女の姿が消えていることに驚いた。 部屋の中は荒らされた様子もなく、ただ静寂だけが支配している。

 ボスがゆっくりと視点を上げ、窓枠を見つめた。

 見上げると窓の鉄格子が、歪んでいた。

「まさか……。いや、そんなはずは」

 Фエフの、かすれた声が漏れる。

 窓の高さは大人の背よりも高い位置にある。とこがで太さ20mmの鉄製の格子が、まるで何か巨大な力でねじ曲げられたかのように変形していた。

「事前に格子の強度は確認していたぞ。腐食でもしていない限り、こんなことになるハズがない」

 Щシャーの声からは冷静さが失われ始めていた。

 他の一同もまた同様である。

「そんなことより娘が逃げたぞ。急げ!」

 ボスの怒鳴り声とともに、男達は一同は急いで外に出た。

 廃倉庫の外に出た男達は、辺りを見渡した。

 時刻は夕刻、既に日は沈みかけていた。

 周囲は薄暗くなり始めている。

 人影はない。

 遠くで烏の鳴き声が聞こえただけだった。

 男達の顔に焦燥が浮かぶ。

 ここで逃がしてしまった場合、人質の価値は大きく損なわれることになるからだ。

 火薬保管庫という場所柄、山中であり日の落ちかけた道の無い森に逃げ込む可能性は少ない。ここに到着するまでの道は一本しか無い。

「おい! 全員車に乗れ! すぐに追うんだ!」

 指示を飛ばしたのは、ボスだ。彼は冷静に状況を判断していた。

 ワゴン車に乗り込む一同。

 エンジンはふかされ、急速始動する。タイヤが擦れる甲高い音と共に車は加速していく。

 Фエフの運転によって、ワゴン車は走り出した。

 エンジンが唸りを上げ、ワゴン車が砂利を巻き上げながら急発進する。タイヤが床を削る甲高くて、冷たい山中に響き渡った。

「クソッ、どこへ行った!」

 席に座るЖジェーが、焦を滲ませながら窓の外を睨み。流れていく木々を見る、ただ森の奥は黒々とした闇に沈んでいた。

 ボスは冷静だった。

「逃げられる場所は限定されている」

 確信を抱いた声が車内に聞こえた。ボスは続ける。

「この倉庫は山中にある。一本道を下らなければ、町には出られない。森に逃げ込んだとしても、夜の山は足場が悪い。小学生の子供に、そんな危険な行動ができるとは思えん」

 そして、次の瞬間――

「……いた!」

 Фエフが叫んだ。

 ワゴン車のヘッドライトが、道の先に走る小さな影を捉えたのだ。

 一本の孤独な山道を駆け下りる小さな人物。


 春野さくら――その姿が、確かにそこにあった。


 泥を跳ねて、靴の裏が地を蹴る。

 まるで夜に紛れる黒い蝶の様に、彼女はしなやかに道を駆けていく。

「速い……!」

 運転席のФエフが驚愕の声を漏らした。

 確かに10歳の少女が全力で演じているとしても、一歩の距離は大したことはないハズだ。

 しかし、彼女の動きには異常なまでの速度と精度があった。

 普通の子供なら足をもつれさせるような荒れた山道も、さくらは滑らかに駆け抜ける。

 まるで、ずっと前からこの道を走る訓練を積んでいたかの様に――。

「くそっ、あのガキ、本当にただのガキなのか?」

 Щシャーが苛立ちながら叫ぶ。

「関係ない! 逃がすな!」

 ボスが鋭く言い放つ。

 Фエフはアクセルを踏み込んだ。

 エンジンが咆哮し、ワゴン車は猛スピードでさくらを追い詰めていく。

 ワゴン車のヘッドライトが、さくらの背中を照らす。

 光の輪の中、さくらの小さな体が影になった。

 普通なら、ここで足を止めよう。

 絶望し、泣き叫び、助けを求めだろう。

 しかし――

 彼女は振り返りもしなかった。

 まず、ワゴン車の動きを読んでいるかの様に、加速した。

「な……!?」

 Жジェーが言葉を語る。

 目の前で繰り広げられているのは、人類の限界を超えた逃走劇だった。

 10歳の少女が、猛スピードの車から逃げているのだ。

「馬鹿な……!」

 車内の男達は、言葉に詰まる。

 だが、どうであろうと逃がす訳にはいかない。

「前に出ろ!」

 ボスが怒声を飛ばした。

 Фエフはアクセルをベタ踏みし一気に加速。さくらを追い抜くと、ハンドルを切り、さくらの進路を妨ぐ様に車体を止めた。

 急停止し、タイヤの悲鳴が響く。

 だが、その瞬間――


 跳躍


 さくらが、軽やかに地を蹴った。

 彼女の小さな体が宙を舞う。

「な……っ!」

 男達が息を呑む間に、さくらは男達の思考と重力を無視するかの様にワゴン車の車体を飛び越えたのだ。

 黒髪が宙に流れ、スカートがふわっと広がる。

 バレエのグランジュテの様に、美しく、完璧な跳躍。

 さくらは、宙に描かれた黒い蝶の様に、しなやかに舞った。

 少女の身体能力は、もはや「人間」の領域を超えていた。

 しかし、さくらがスカートの裾を広げて地に着いた瞬間——。

「っ……!」

 思わず、さくらは顔を歪めた。

 降り立った地は歪んでおり左足首に、鋭い痛みが走った。

(しまった……!)

 さくらは自分の足首に手を触れる。ほんの少しとはいえ、痛みが足に広がる。歩くには支障はないが、先程の様に走って逃げ続けるのは辛い状況だ。

 さくらは、その場に佇んでいた。

 彼女は、もう逃げられない。

 ――覚悟を決めるしかなかった。

 ЖジェーЩシャーФエフ、彼らの動きは素早かった。車を降りると、さくらが逃走できない様に一定の距離を保って囲んだ。

 3人が距離を完全に詰めないのは、さくらが見せた先程の運動能力を警戒している為であろう。

 ボスは、まだ車内で状況を見る。

 3人は油断なく、さくらの一挙一動を観察していた。

「もう逃げられねえぞ!」

 Фエフの言葉は高圧的であった。

 それは、相手に威圧感を与える為にあえて使っていることは明白だった。

 対する、さくらは何も語らない。

 しかし、その瞳には恐れの色はなかった。静かな怒りと、鋭い決意が宿っていた。

 さくらは、すっと片足を引き、両腕を自然に構えた。

「……それ以上近づくと、ケガをしますよ」

 さくらの警告に男達は、せせら笑った。相手は10歳の小学生だ。腕っぷしでは自分達の方が圧倒的に優位なのだ。

 彼らは更に距離を詰めようとする。

 そんな男3人を、さくらはキッと睨め付ける。

 その表情を見て、Фエフの表情が変わった。大人の力を思い知らせてやると。

 Фエフが襲いかかってきた。殴ったり蹴っての攻撃ではない。あくまでも、さくらを取り押さえようとする動きだった。

 さくらは冷静だった。

 左手に嵌めていた指輪の宝石をФエフに向けると、光が彼の目を襲った。

「うっ!」

 その瞬間——さくらはФエフとの間合いを詰める。彼女は華麗に回転し、バレエのスピンの様な動きで軸を作りながら回し蹴りを放った。

 Фエフの頭部に命中し、脳を揺らす。

 悲鳴も上げずに崩れ落ちた。

 ピクリも動かなくなった。

 残ったのは、ЖジェーЩシャー

 彼らは状況が飲み込めていなかった。

「……嘘だろ。なんだ、あの指輪」

「このガキ、何者なんだ……」

 さくらは、冷たい目で二人を見つめた。

 彼女の呼吸は乱れていない。

 スカートの裾がふわりと揺れ、風が吹く。

 その姿は、優雅にして美しい舞い手の様だった。

「超小型レーザーリングですわ」

 さくらは述べた。

 最新技術により開発された超小型核融合エネルギーセルを採用。内部の極小プラズマ反応炉が瞬時にエネルギーを供給し、宝石部分をナノレベルの光学レンズシステムを内蔵。その出力は目潰し程度のスタンモードから、フルパワーでは射程距離こそないが、太陽表面の温度の6倍に相当する30000℃の超高温のレーザーが発射可能。その威力は戦車の複合装甲をも熔解させる。

 無論、使用者に損傷がいかぬよう、発生時の熱を指輪内部の量子冷却装置で処理し、皮膚に影響が出ることはない。

 指輪のバンド部分はプラチナ合金製で、シンプルながらも美しくも高級感のあるデザイニングが施されており、ファッション性にも優れていた。

 春野財閥は表向きは国内有数の総合企業であるが、裏では最先端の軍事技術を開発・輸出する企業でもある。そこで開発された装備の一つがこれだった。

 そして、さくらの超人的な身体能力の発揮は、心理学・神経科学・催眠療法といった様々な観点から鍛え上げられたものだった。

 心理学者のウィリアム・ジェームズ(1842~1910年)は

「人間は、その潜在能力の5~7%しか活用していない」

 と述べている。

 人間の身体には骨や筋肉、腱や神経、血管などが存在するが、これらを100%フルに発揮した状態で身体を動かし続けると大きな負担がかかり、身体はボロボロになってしまう。その為、脳は普段はリミッターをかけて意識的に発揮できる力に制限を設けている。

 しかし、緊急事態になるとリミッターが解除され、普段では考えられない力を出すことができる。

 いわゆる、火事場の馬鹿力(hysterical strength・ヒステリカルストレングス)と呼ばれるものだ。

 1964年。

 アメリカ、ジョージア州で、息子トニーが約1.6トンもある車体をジャッキで持ち上げて部品を交換していると、なんとジャッキが外れ、トニーは車体に挟まれてしまった。

 近所の男の子からの知らせで駆けつけたトニーの母・アンジェラは息子が車に挟まれて動けなくなっているのを見ると、1.6トンもある車のボディを助けが来るまでの5分もの間、女手一つで持ち上げ続け、トニーが圧迫死しないようしていた。

 これは、脳が通常のリミッターを解除し、本来の筋力を100%近くまで解放することで起きる現象だ。

 さくらは、自己催眠を利用し、脳に「限界状態である」と錯覚させることで、筋力制御のリミッターを解除する。

 呼吸制御によって交感神経を活性化させ、暗示の発動を頭の中で考えることで、脳に「危機的な状況である」と誤認。催眠技術と心理学で、脳からドーパミンとアドレナリンを分泌させ、強制的に筋力を増大。神経回路の一時的な高速伝達の移行により、筋肉を最大限に集中できるようにする。

 しかし、これは諸刃の剣でもある。

 力を使いすぎれば、自らの肉体を破壊する可能性があるからだ。

 さくらは、誘拐犯達を見る。彼等の目は動揺と恐怖に満ちていた。

 無理もない。

 たかだか小学生の少女に、屈強な成人男性がなす術もなく圧倒されていたのだ。

 この状況が現実とは信じられず、受け入れ難いことだろう。

 さくらは言った。

「淑女たもの、無駄に力を誇示するのは下品ですわ。ですが……。あなた達のような下衆は、力の意味を知っておくべきですわね」

 その声は、どこまでも冷たかった。

 ボスが車から降りていた。

「……生きている限りは人質としての価値はある。少々傷つけても構わねえ、お前ら、武器を使え」

 ЖジェーЩシャーはサバイバルナイフを取り出した。

 その切先は鈍く光っていた。

 長年使い込まれたそれは、血を吸ったことがある様に鈍い輝きを持っている。

 それでも、さくらの眉は一つ動かなかった。

「まあ、野蛮ですこと。大人の男が小さな淑女に刃物を向けるなんて……。恥ずかしいと思いなさい」

 男達は舌打ちをしながら、やがて、さくらへと飛びかかる。

 さくらは自らの髪に手を伸ばした。

 指先が、深紅のバレッタを外す。

 バレッタの一部を押し込むと内部メカニズムが作動。刃が瞬時にバレッタが内部から黒いブレードが飛び出し、細く美しいナイフへと姿を変えた。

 ただの飛び出しナイフではない。

 ナノカーボン製高周波ナイフだ。

 ブレードには最先端ナノカーボン合金を使用し軽量化と強靭性を併せ持っている。刃としての機能はナマクラで食器用ナイフ程度でしかないが、高周波振動装置を内蔵し、1秒間に数万回の超高速振動を発生させることで、分子レベルで対象を切断可能。

 調整次第で、その切断能力を自在に変化させられ、ムダ毛の処理から鉄骨の切断に至るまで自在に行える。

「なに!?」

 Жジェーは慌ててブレーキを踏むがもう遅い。

 一瞬のちゅうちょは命取りになる。

 黒の閃光が走る。

 男が握りしめていたはずのナイフは、根本から寸断され切断された。ブレードは空中で回転すると、路面に落ちた。

 武器を失ったЖジェーに対し、さくらは彼の右腕の肘を切り裂く。

 鮮血が飛ぶ。

 だが、重大な傷ではない。関節の動きを封じるための一撃。

「がっ……!」

 Жジェーは腕を押さえ、後退する。

 その間に、Щシャーが即座に襲いかかった。

 だが、さくらは見えていた。

 時間が遅く感じる。

 視界が開ける。

 敵の呼吸の乱れ、筋肉のわずかな緊張、次の思考――。

 まるでスローモーションのように読める。

 Щシャーのナイフが振られる。

 さくらの優雅なバレエのピルエット。

 踊るような回転は、男のナイフがさくらの頬をかすめるも、その刃は空を切るのみ。

 そして、回転の勢いを活かして、さくらの鋭い一撃が、Щシャーの膝を狙った。

 掠める様な斬撃だが、高周波振動刃は作業着を裂いて皮膚を切り、肉を切って腱を傷つけていた。Щシャーの脚は、思うように動けなくなった。

 そこに一発の銃声が轟く。

 くぐもった音は自動式拳銃オートマチック独特のものだ。

 射ったのはボスだ。

 男の手には、クロアチアのIM-メタル開発された軍・警察向けの9mm自動式拳銃・HS95が握られていた。

 シンプルな構造で信頼性も高い銃だったが、全スチール製のため非装填時でも1kg以上と、同クラスの拳銃としてはかなり重量があった。1998年からはポリマーフレームを採用した後継のHS2000に置き換えられていることから、払い下げ品なのが理解できる。

「動くな、娘」

 両手で保持されたHS95の銃口が、さくらに向けられていた。

 倒れた部下を横目に、ボスは冷静だった。

「ボス、すみません……」

 Жジェーは右肘を切られていたため、まだ完全に戦闘不能ではなかった。

「ナイフを捨てろ。それとレーザーリングとかいう物騒なものは使うなよ。その左手が動いた瞬間、肩をぶち抜くぞ。これでもグアムの訓練を受けて成績は良くてね、弾を外す気はしないぜ」

 ボスの要求に、さくらはナノカーボン製高周波ナイフを落とした。

「さすがに銃には勝てねぇだろ? Жジェー娘を取り押さえろ」

 ボスは引き金トリガーに指をかけながら、命令する。

「……そうですわね」

 さくらは両手を下げて諦めの言葉を口にするが、戦意は失っていなかった。

 左手のローズゴールドのブレスレット。その中央部分がスライドすると小さな錠剤が、さくらの手の中に落ちる。

 さくらが錠剤を親指で弾く。

 すると、周囲に高濃度の煙が吹き出す。

 白い煙幕だった。

 ブレスレットの内部は最先端のナノテクノロジーとマイクロ兵器技術が詰め込まれた、極小擲弾(ED:Extreme Detonator)専用の超小型擲弾格納庫となっていた。

 内部には超小型擲弾を格納する特殊コンパートメントが搭載されており、爆薬弾、煙幕弾、電波乱乱弾、閃光弾、催涙弾、粘着弾、焼夷弾などがある。

 擲弾の選択は、さくらの神経インターフェースによる思考制御、またはブレスレットの表面にある極小タッチパネルで操作可能。高密度収納モジュールとマルチスライド排出システムを搭載し、該当の擲弾が排出される。

 極小擲弾は、内部のナノコンパートメントに分子レベルで圧縮されており、展開時に瞬時に標準サイズに復元。通常の軍用榴弾と変わらない規模と同等の性能を持っていた。従来の火薬ではなく、分子エネルギー変換システムを使用。エネルギー粒子を制御し、化学反応によって爆発を発生させる為、爆発薬の劣化はない。

 さくらが選んだのは、煙幕弾だ。

 一瞬にして周囲を埋め尽くす真っ白な煙幕。

「今度は何だ!?」

 ボスは混乱し、Жジェーもそれは同じだった。視覚を奪われた人間にとって、世界は暗闇に等しい。

「煙幕です」

 Жジェーは理解した。

「擲弾だと!? この娘。いくつ武器を持っているんだ!」

 ボスは叫んだ。

 視界を奪われ、次にどの様な行動をすべきかの判断ができなくなってしまう。

 当然、冷静な判断力も失われてしまう。

 さくらは、その隙を突いて行動を起こした。

 ポケットから、ハーモニカを取り出す。

 銀色に輝くその楽器は、シンプルながらも洗練されたデザインで、どこから見てもただの楽器だった。

 だが、さくらが親指で側面の極小スイッチを押す。

 ――カチリ。

 まるで時計の針が少し進んだような、小さな音が響いた瞬間、内部のナノギア機構が作動しハーモニカは、姿を瞬時に変える。

 ハーモニカのソリッドのボディがスライドし、内部から精巧な機構がせり出してくる。

 本来、息を吹き込む部分であるリードプレートがスライドして横へ移動し、そこからせり出すようにして、グリップが形成される。

 続いて、中央部から小型の引き金トリガーとトリガーガードが現れた。

 ハーモニカの端の部分、だった場所には、銃口が出現していた。

 その瞬間、金属と共に最後のロックが解除される――

 かつての楽器は、完全に一丁の自動式拳銃へと姿を変えていた。

 煙幕が薄くなる中、ボスが見たのは拳銃を手にした、さくらの姿だった。

「さあ、演奏の時間ですわ」

 さくらは、軽く微笑みながら、変形した拳銃を構えた。

「……おい、なんだそれは。ハーモニカなのか……!?」

 ボスが驚く。

「嘘だろ……?」

 Жジェーは武器を探し、さくらが落としたナノカーボン製高周波ナイフを見つけると、それを手にした。

 だが、その瞬間ナイフは、元のバレットへと姿を変えてしまった。

 さくらは、クスリと笑う。

「ダメですわよ。装備は全て、私のバイオメトリクス認証が実施されているの。私以外の人物が操作しようとすると自動的にロックされるのよ」

 さくらは冷静に銃口をЖジェーの額に合わせた。

 引き金トリガーが絞られる。

 銃口が22口径を吐き出す。

 Жジェーは額を射たれ、首を支点に頭が後ろへと跳ね上がる。

 豆鉄砲と言われる22口径だが、使用されている火薬は軍用ライフル並みのハイパワーを誇る高性能火薬であった。生じる反動は最新型マズルブレーキ・システムで抑えており、銃口の跳ね上がりを最小限に留めている。

 Жジェーは崩れ落ちた。

 さくらは残った一人、ボスへ目を向ける。

「……お嬢ちゃん、びっくりしたぜ」

 ボスの声は、驚愕が入っていた。

「ハーモニカが銃に変形するわ、バレッタがナイフになるわ、ブレスレットから爆弾が飛び出すわ、指輪からレーザーがでるわ。まるで歩く武器庫だな……」

 額に汗を滲ませながらも、ボスは笑った。

 しかし、その笑みの裏には、明らかな焦りと恐怖が見え隠れしていた。

 少女を《金》だと思っていたのが、まさか危険な《武器》を自分の懐に入れたのは間抜け以外のなにものでもない。

 対するさくらは――まるで舞踏会の貴婦人のように優雅に微笑む。

「レディに『武器庫』とは失礼ですわね。これはただの『護身用のアクセサリー』ですわ」

 笑えないジョークに、ボスのコメカミがピクリと引く。

 次の瞬間――銃撃戦が始まった。

 ボスはHS95の引き金トリガーを引くと、銃声が連続した。

 2発。

 9mmパラベラムが、さくらを狙って飛ぶ。

 しかし、さくらはそこには居なかった。

 彼女はすでに体を横へと滑らせ、舞うようなバレエのグリッサードの要領で地を蹴り、3発目を見守っている。

 一瞬の回避の後、さくらの指がハーモニカ拳銃を射つ。

 ボスの射つ3発目と、それはほぼ同時であり、互いに射ちながらの回避を行う。

 銃弾同士がぶつかり合い火花が生じる。

(やべえ!)

 ボスが焦る。

 すぐさま、左手でワゴン車に隠していたMAC11を取り出す。

 毎分1200発を誇るマシンピストルだ。

 それを見た、さくらは直ぐ様、近くあった木の幹の裏に姿を隠す。

 その瞬間、MAC11は軽快な発射音を森中に響かせ、薬莢をまき散らした。

「どうだ。隠れてないで出てこいよ。出てこないなら、お前の隠れている木ごとぶち抜いてやる!!」

 その言葉どおり、次々と放たれる弾丸。木の幹は木っ端を散らし、あっという間にズタボロとなる。

 ボスは弾倉マガジンを交換する。

 さくらは木の幹に背中を預け、様子を伺う。

「子供相手に大人げないことですわ」

 軽口で返しつつ、反撃の機会を待つ。

 さくらはブレスレットから、爆薬弾を選択した。親指で小石を弾く様に飛ばすと、目標地点に潜り込ませた。

 その間も、ボスは構わず撃ち続ける。

 それが運悪く、彼の予想できない出来事が起きることにも気づかずに……。

 次の瞬間、爆薬弾が作動した。

 ワゴン車の下から、瞬間的に圧縮された空気と熱が膨張し、車体を下側から押し上げるように爆風が吹く。鉄とガラスが軋み、荒波の揉まれた小舟の様に一瞬浮き上がった。車全体が傾き、重力に引かれて横転した。

「なに!」

 ボスの注意が、逸れた。

 その瞬間、さくらは木の幹から飛び出す。

「バーストモード、起動」

 さくらの音声認識によりハーモニカ拳銃は、通常のシングルショットモードから、引き金を引いている間、3発の弾を連続して発射するバーストモードに切り替わる。

 引き金に軽く指をかけた瞬間、三連の銃声が森に響きわたる。

 ボスは速射される銃声に驚き、MAC11の引き金を引きっぱなしにしてしまう。

 32発入りマガジン内全ての弾薬が、フルオートで吐き出されていたが、狙いも定めず撃った為に命中弾はなかった。MAC11の毎分1200発の高発射速度による弾幕は凄まじいが、経験の浅い射手は引き金を引きっぱなしにして約2秒で32発入りの弾倉マガジンを空にしてしまう欠点があった。

 ボスは弾倉マガジンの尽きたMAC11を捨て、HS95に持ち替える。

 さくらはというと、攻撃を回避した後、すでにボスに対して照準を定め、ハーモニカ拳銃を構えていた。

 軽快なバースト射撃が、繰り出される。

 ボスの右肩に、3発全てヒットした。

「ぐっ……!」

 ボスはHS95を落とし短い呻きを上げ、後方へと倒れた。


 ――勝負は決まった。


 だが、さくらは油断しない。

 倒れたボスは、尚も悪あがきしようと、隠し持っていたバックアップのナイフを出した。

「クソッ……!」

 歯を食いしばりながらナイフを強く握りしめる。大人として、最後の意地があったのかもしれない。

「ダメですわね。まだ、そんな危ないものを持ってらして……」

 呆れた様に呟き、さくらのハーモニカ拳銃の銃口がボスに狙いを定めた。

 軽やかな銃声が、森に響いた。

 銃弾は、ボスのナイフに当たり弾き飛ばす。

 ナイフは遠くまで転がっていく。

 銃弾は1発のみで、いつの間にかシングルショットに変更されていた。

 直後、ボスの額には冷や汗が落ち、まるで獲物に狩られる獣の様に息が荒くなっていた。

「これで、チェックメイトですわ」

 さくらは、くるりと背を向けて、冷たく宣言した。

 そして、彼女はハーモニカ拳銃を操作すると時間を巻き戻す様に、元のハーモニカの形に戻った。

 その行動にボスは驚く。

「……殺さないのか?」

 恐る恐る、ボスが訊ねた。

 それに対して、さくらは肩越しに振り向き答えた。

「先程言った様に、これらは護身用のアクセサリーですわ」

 さくらは、ハーモニカを振って説明を続ける。

には超バイオセンサーが仕組まれているの。発射の瞬間に対象の生体反応をスキャン。脈拍、体温、細胞活動などを瞬時に解析し、対象が生物であるかどうかを判断。弾丸は特殊弾性高分子弾で着弾と同時に破壊の衝撃を分散させ、対象の筋肉を震わせて強制的に硬直。一時的に筋肉を制御できなくなりますの。私が、頭を射った人も気絶しているだけよ。

 でも、対象が非生物である場合は弾丸の衝撃波加速コアが起動、貫通力を高めた上で高速回転し着弾と同時に衝撃を叩き込み対象を破壊しますわ」

 彼女は穏やかな微笑を浮かべ、答える。

 ボスはそれを聞き、どっと疲れたように息を吐き出し、呟いた。ハイテク装備もだが、それを難なく使いこなす度量と技量もまた恐ろしいものであった。

「やっぱり、とんでもない娘だ……」

 ボスは、それ以上何も言えなかった。

 悔しさと、敗北の重みを噛み締めながら、ただただ唇を噛みしめることしか出来なかった。

 しかし、同時に奇妙な安堵感も感じていた。この恐ろしい少女から解放されるという安堵だった。

 「武装庫」にして、高い戦闘スキルさえも併せ持つ少女は、瞬間に舞うように戦い、爆薬を使いながらも無駄な殺生はしなかった。

 さくらは告げる。

「次に悪事を働く時は、もう少し相手を選んだ方がよろしいですわね」

 森に、静寂が戻った。

 さくらは、深紅のバレットで髪を止める。すると風が、彼女の髪を優しく撫でた。

 戦闘が終わったことを確認し、彼女はハーモニカを小さく吹いていた。

 静寂を告げる鳥のさえずりの様に。

 その音は、どこか悲しげで、それでいて美しかった。

 銀鈴の声が流れる。

「さて。戻って、お茶をいただきましょうか」

 それは、まるで今までの激闘など無かったかの様な、穏やかで優雅な声。

 天下無双の武装をしながらも、彼女の佇まいからは気品すら感じさせる。

 戦いを統べた少女は帰路についていた。

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天下無双の武装少女 kou @ms06fz0080

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