人間、酒井 徹。世界に人類は、今や彼一人。

高遠蓮

第一話 世界に一人

 俺は走っていた。


 俺の家から、近所の駅から、そしてどれくらい「ソレ」から離れられたかは分からない。がむしゃらにと言ってもいいほど、俺は走った。


——夕方のこれくらいの時間にはね、魔が渡るんやえ。


 昔、祖母が言っていた言葉を思い出す。


——逢う魔時っちゅうてな、おばぁの時代は、よく子供らがいなくなったもんえ。


 祖母は戦争を体験した世代である。時折空を見上げては、「あすこにB66がおりなさる」などと言っては、孫である俺たちを不安にさせたものである。 

 だが、子供らがいなくなった、という脅し文句は今の俺には通用しない。


「いなくなったなんてモンじゃないだろ、これは!」


 住み慣れたX地区の住宅街をぐるりと見渡す。

 そこには皮膚のただれた、眼窩の落ちくぼんだ、ゾンビの群れがいた。


「ばあちゃん、俺そっち行っちゃうかも——!」


 冗談めかしてそう独り言ちてみたが、それが現実にならないとも限らない。俺の周りはどこもかしこもゾンビだらけだった。世界はいつの間に、こんな非常事態を迎えた? 頭がついていかずに眩暈がする。


 油断した俺を逃がすまいとしてか、ヴぅぅぅと、威嚇の様な唸り声をあげて、腐った爪が鼻先をかすめる。

 腐臭を放つ、黒ずんだ爪が鼻先をかすめ、寒気が走る。

 俺を喰おうとしているのだろうか。

 冗談じゃない!


 足を交互に出すのももどかしく、もつれるように歩を進める。連中は歩く速度は人間と同じなのか、追いつかれることはなかった。

 それより今朝、俺は何をしていた——!?

 切り裂くような激痛が頭を貫き、しばらく俺はゾンビよろしく呻いていた。その後、どうにかひねり出した記憶はこうである。

 

 このゾンビ化が世界で爆発的に発生したのは、わずか一週間前。

 確か初の発症例はK国の都心部だったように思う。

 それから——。

 一体ウイルスなのか、ゾンビ映画よろしくみんな噛まれて感染したのか。



 世界に「人間」は、俺一人となった。

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