ゆるかいっ!

 昨日の事だ。ベルの助言を得て学校に向かった俺は生徒会室に一通の手紙を残した。

 簡潔に内容を表すと、それは生徒会見学の提案。承諾してくれるなら今日の夕方ごろに教室まで来てほしいと書き記していたのだ。

「……モミジくんて、結構顔が広いよね」

 隣でシオンが言う。俺たちは生徒会室のソファで三人並んで座っていて、ボタンは鼻歌を鳴らしながら丁寧にハーブティーを淹れている最中だ。

「たまたまだよ。この学校で知り合いと言えるの、ここにいる連中くらいだし」

「でもこれは貴重な体験だよ! ね、ツツジちゃん」

「あわわわわ……」

「こいつはまだ緊張してるのか……」

 ツツジはここに来てから動揺しっぱなしだった。どういう理由でボタンに憧れているのかは分からないが、元々人見知りな性格を考えると仕方ないのか。

「はいは~い、お待たせしました!」

 お茶を抱えて戻って来たボタンが俺たちの前にカップを差し出す。窓から見える夕陽に似た橙色の液体の中に小さく白い花が浮かんでいた。本格的だがどうして生徒会室にこんなものが揃っているんだろう。

「カモミールティーよ。リラックス効果のあるお茶なの。これを飲んで落ち着いて?」

「ふぁ、ふぁい!」

「ありがとう! わぁ、わたしハーブティーなんて初めてだよ~」

 それは仄かに甘みがあってスッキリとした味わいだった。なるほど、どことなく疲れが取れていく感じがするな。

「ふしぎな味……。でも、わたしこういうの好きかも!」

 シオンは目を輝かせている。気に入ったみたいだ。

「あらあら。お口に合ったようで嬉しいわ」

「あああたしも! は、はちゃめちゃにだいしゅきでっ! りらっくしゅできましあ!」

「全く効いてないだろ」

 カタカタと震える手でカップを落とさないか心配なくらいだ。

「うふふ。そんなに緊張しなくてもいいのよ?」

「ご、ごめんなしゃい……」

 ツツジはがっくりと肩を落とす。そんな彼女を宥めるためか、ボタンはツツジの手を取ってにこりと微笑んだ。

「あなたがツツジちゃんね。お手紙に書かれていて、私も昨日から会えるのを楽しみにしていたの」

「あ、あたしに!?」

「ええ。生徒会に興味があるんでしょう? ちょっと遅くなっちゃったけれど、もし良ければ一緒にお話ししましょう」

「は、はい……!」

 ここに来てからようやくツツジの表情が明るくなった。さすが生徒会長、生徒の扱いは手慣れたものだ。少し心配だったがこの分なら滞りなく話は進むだろう

 ボタンは続けてシオンにも目を向け同じように微笑んだ。ひらひらと小さく手を振って返すシオン。

「ふふ。あなたがシオンちゃんね」

「うん! よろしくね、ボタンちゃん!」

 ……シオンの事も手紙には書いていた。またシオン自身にも、部活動見学のついでに生徒会を見てみないかと昨日の時点で声は掛けてあったのだ。とにかく、これでようやく生徒会室に彼女たちを揃える事が出来た。

「それじゃ、簡単にお仕事の説明をしようかしら」

「ああ。頼んだ」

 しかしそこでツツジが身を乗り出して口を挟んだ。

「ちょっと待って! あんたたち、会長は先輩なのよ? 口調には気をつけないと……」

「えっ!? 先輩なの!? あわわわっ」

「お前は入学して一週間の一年が会長をしてると思ってたのか……」

 驚愕のシオン。いや、そこは気付いてなかったのかよ。

「あらあら。いいのよ、これから親しい仲になるのに敬語なんて。むしろ嬉しいわ。妹たちが出来たみたいでっ」

 その一言でシオンはボタンの胸へと飛び込んだ。

「ボタンおねえちゃーん!」

「いもうとー!」

 ひしと抱き合う二人。こいつら本当に一緒にして大丈夫か? まあ気が合うのは嬉しい事だし、原作ファンとしては感涙ものだけども。

「お、おねえちゃ……」

 そしてその様子を見ていたツツジもゼリーみたいにプルプル震えている。まさか、行くのか? そんなシーンは俺の記憶(データ)に無いぞ。これはおもしろい物が見れるかもしれない……!

「……うぅ、やっぱり恐れ多くてあたしには無理ですぅ!」

「あらあら。大丈夫、ゆっくり慣れていけば良いのよ」

 宥めながらボタンはツツジの頭を撫でる。すっかり甘えきっているシオンに顔を赤くして俯くツツジ。これはまさしく両手に華だろう。心のアルバムにくっきり収めて置きたい光景だ……。

 そうやって眺めているとボタンと目が合って、何を思ったのか両手をこちらに向かって大きく広げてきた。そして満面の笑みで一言。

「ほら、伊呂波くんもおいで~」

「いや、行かないから」

 何を言うかと思えば、勝手に俺まで加えないでくれ……。しかしそんな生徒会長に外野が応戦してしまう。

「あんた、会長のご好意を無駄にするっていうの!?」

「モミジくんも家族になろうよ!」

「無茶言うな」

「ふふ、照れ屋さんね。じゃあ私から……」

 そう言って何をするかと思えば、ボタンはこちらへ近付いてきて……あろうことか俺の膝の上に鎮座した! 柔らかく弾力のある太ももの感触が肌に伝わる。そのまま頭を撫でられされるがままの俺……。

「お、おま……!」

「素敵な妹たちに出会わせてくれてありがとう、伊呂波くん。これはお姉ちゃんからのお礼よ」

 身を捩って逃げようにも膝の上に乗られているのだから無理だ。必死な俺の顔を見てボタンは悪戯に微笑んだ。こ、小悪魔……!

 そしてもちろん、こんな光景を見てツツジたちが黙っているはずもなく。

「んあ!? あんた会長に何してるのよ! 許さないわぁ!」

「ずるいよモミジくん! わたしの時は逃げたのに! それにみんなのお姉ちゃんだよ!」

「お、おいやめろ……」

 二人がボタンに抱き着いたり引き剥がそうとするせいで余計に膝に重圧が掛かる。逃げたくても逃げれずに痛みまで伴う状況、それはもはや地獄の様相を呈していた。

 んぐう……膝がギシギシ言ってるぞ……!

「あらあら、人気者ね」

「お前たちいい加減にしろ、これじゃ話がいつまでも進まないだろ……!」

 しかし誰も聞いちゃいない。

 結局、この騒ぎが一旦落ち着きを取り戻すまで、俺は痛みや理性や様々なものと闘い続けたのだった。


 ……その後、生徒会に関する説明自体は問題なく進んだ。

 さすがボタンといったところか。少ない時間の中で重要そうな点を絞りながら話をし、ツツジはもちろんシオンも真剣に聞いていた。

 俺は……まあ、関係ないことなので聞き流していたが。

「それじゃあ、また来週ね!」

 もう遅い事もあり、一通りの話が終わると俺たちは生徒会室をあとにする。

 興味があればまたいつでも相談してほしいとのことだったが、今回のことで二人は生徒会に興味をもってくれただろうか。

「ボタンちゃん、いい人だったね」

「そうだな……」

「相変わらず素敵だったわ! でも、どっと疲れた……」

 すっかり暗い空の下、ツツジはがっくりと項垂れる。元々散々体力を使ったあとだった。仕方のない事だろう。

 ……そういえばツツジはボタンに憧れているとの話だったが、それがどうしてなのかは原作で語られていない。

「ツツジはボタンと知り合いだったのか?」

「ううん。中学が一緒で……話した事はないの。だからあたしが一方的に知ってるだけ」

「ボタンちゃん、中学校でも生徒会長してたの?」

「そうよ! ほんっとに素敵だったんだから。それであたしはあの人に憧れて……でも」

「……ツツジ?」

「……あたしね、中学のころにちょっとやらかしちゃったのよ」

 それは全く知らない情報だった。少なくとも原作では彼女の過去はあまり触れられていない。

「ずっと隅にいるような暗い子だったの。でも、先輩に憧れて。何かやらなくちゃって、学級委員長に立候補したんだけど……」

「へえ。偉いじゃないか」

 しかしツツジは首を横に振った。

「ううん、全然。クラスが荒れてたのもあったけど、あたしは全然纏められなくて……一時は学級閉鎖にまでなったのよ」

「……でもそれって、ツツジちゃんは悪くないよ」

「ううん、クラスの人たちにはそう思わない子もいたの」

 そこでツツジの表情に少しだけ陰が落ちる。彼女は少し間を置いて、呟くように続きを語り始めた。

「今のクラスね、その時の子たちがいて。あたしなんかがまた生徒会なんて入ったら、笑われるんじゃないかって、またうまく出来ないんじゃないかって不安だったの」

 ……そういうことか。

 ツツジが自信を無くしてしまった理由……それは俺が存在する事でツツジのクラスが変わってしまい、中学のクラスメイトと顔を合わせる事になってしまったからだったんだ。

 しかし、彼女は一転して笑顔を見せる。

「あたし、弱虫だった。そんな先輩の傍で過ごしたいってずっと思ってたはずなのに。……でもね、今日初めて先輩と話して吹っ切れちゃった!」

「ツツジ。それじゃあ……」

「ええ。あたし、生徒会に入るわ!」

 ツツジは並んで歩く俺たちの一歩前に躍り出たかと思うと、そのままくるりと振り返る。そこには昔よく見た彼女と、全く同じ明るい笑顔が浮かんでいた。

 ……俺もシオンも黙って頷いた。答えは最初から決まっていたのかもしれない。けれど、それを出すのは決して簡単な事じゃない。その強さを持つ彼女ならボタンと上手くやっていけるだろう。

「ね。シオンたちも入りなさいよ! 私たちきっとうまくやれる気がするわ」

「……生徒会かぁ」

 いつか見たことのあるツツジの台詞。それを聞いたシオンはまだ不安げだ。

「わたしもこんな風にキラキラできるかなぁ……」

 ぽつりとシオンが呟く。俺は彼女の背中を押した。

「出来るだろ。お前も……見つければいい。楽しい事とか好きな事とか、これから」

「……うん!」

 そうしてシオンはツツジの元へ駆け寄る。彼女がツツジに何かを告げると、二人は手を取り合ってはしゃぎ、勢いのままシオンがツツジを抱き締めた。ツツジには困惑の表情の中に僅かながら笑みが見える。

 ……良かった。うまくいったみたいだ。


 ……俺はそんな二人を尻目に、足を止めて校舎を振り返る。

 一時はどうなることかと思ったが、シオンもツツジも答えを出した。ここまで来るのに一週間掛かってしまった。俺の知ってる世界とはあまりに違い過ぎる一週間だ。でも、これからようやく始まるのだろう。彼女たちのゆるくて、キラキラした日常が。

「これでようやく始まったんだな……」

 はしゃぎあう少女たちを見ていると、原作を読んでいたころの尊い感情が思い起こされる。

 ずっと夢見ていた光景は今確かに、ここに存在しているのだ。

 ……俺はようやくツツジに返せたのだろうか? 奪ってしまった彼女のポジションを。本来あるべきだった日々を……。

 それはまだ、分からなかった。

 だから今はただ、目の前の少女たちの幸せを喜ぼう。それはある意味、自分にとっての幸せでもあるのだから。

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