波の上にて


 俺が話をしている間、ベルは何かを考え込む素振りを見せつつ静かに相槌をうっていた。

「なるほどです。あなたはこことは違う世界からきて、ここを夢だと思ってる……。目が覚める時に身体は消えてしまうらしい、と」

「……変な話だろ」

 学校にいた時は必死だったけど、こうして改めて人に聞かせてみると意味不明なものだった。信じてもらえないのも無理はない。

「いいえ。納得しました」

 しかしベルは首を横に振った。

「……お前、信じるのかよ?」

「はい。そうでなければ辻褄が合いませんから。だから信じる事にします」

「俺はお前のことも、このゴンドラのことも全部夢の存在だって言ってるんだ。それでもいいのか?」

「いいわけないでしょう」

 ベルは年下とは思えない凛とした表情で続ける。

「私はここを現実だと認識していますし、自分が夢の存在だなんて思いません。でも、それとあなたに起こっている現象は矛盾しませんから」

「そ、そうか?」

 信じてくれるのは嬉しいが、それはそれで動揺する。たぶん、逆の立ち場だったら聞く耳をもっていなかっただろうから。

「よく俺みたいなやつの話を聞く気になったな」

「……前に会った時からあなたは異色な人でした。だから、こうしてまた話して確信したんです。そういうことなら納得がいく、と」

「浮いてるってことか」

「はい。めちゃくちゃ浮いてます」

 遠慮容赦のないやつだった。実際、事実なんだろうけど。

 ……その時ちょうど辺りが夕陽の色に染まり始めた。また今日も終わってしまう。そうなる前にいいところで切り上げ、ツツジに会いに行かなくてはならない。

「なあ。また金は払うからこのまま商業区まで乗せていってくれないか?」

「……話に出ていた女の子のところに行くんですね」

「ああ」

 しかしベルはオールを取ろうとしなかった。

「今のあなたではその子に何言っても無駄だと思いますよ」

「うーん……やっぱりそうだよな。俺ってストーカーだと思われてるし」

 初めて出来た夢の理解者にさえこう言われるのでは難しいのだろう。ただ、ベルの意見はまた少し違ったものだった。

「あなたにとって身の回りの女の子……シオンさんやツツジさんはどういった存在なんですか?」

「そりゃ、憧れの子たちだよ」

「まだ会って数日なのにですか?」

 会って数日? 確かにそうかもしれないが、俺はずっと彼女たちを見てきた。まだ物語が始まったばかりのこの段階では、誰よりも詳しいと言っていいと思うんだけども。しかしベルは呆れた様子で首を横に振った。

「あなたには『漫画ではこうだった』という口ぶりが目立ちます。それがいけないんです」

「俺はただ……」

「いいですか。ここに居る人たちは私と同じでみんな……ここが現実だと考えているんです。もっとちゃんと『見て』あげてください」

 ……見る?

 しかし、そうか。

 すっかり知り尽くした気になっていた少女たち。けれどいざ向き合ってみると、この世界のシオンやツツジたちについて、俺はまだ何も理解できていないと思わされる。

「ツツジさん、きっと自信が無いんじゃないでしょうか」ベルはそう続ける。

「だから憧れの先輩のもとで働くことを諦めてるんだと思います」

 それは確かに納得できる推測だった。この世界でのベルはまだ顔すら合わせてないはずなのに、俺よりもよっぽど二人を理解していると思える。

 俺はシオンもツツジも漫画でしか知らない。生徒会のことすら、今は一人で大変な仕事をしていると知らなかったのに勧めていたんだ。

 思えば、シオンがどうして部活に入ろうとしているのかも、ツツジが悩んでいるのも、漫画と違う展開だと考えるばかりで……これでは。

「俺が言葉を掛けても無意味、か……」

 しかしベルは首を横に振った。

「まだ諦めるのは早いです。ツツジさんも、その先輩と話をするような機会があれば立ち直れるかもしれませんよ」

「それって会長の事か? けど、あの人は忙しくて簡単に捕まるか怪しいんだ」

「今お二方と繋がりがあるのはあなたなら、その機会を作ることが出来るんじゃないですか?」

 そう言うとベルは立ち上がった。オールを手に取って水面に触れ、じっと俺を見下ろす姿勢となる。

 ……不思議だった。

 この少女はシオンにすら冗談と取られた話を真に受けて、話すのが苦手と言っていたにも関わらずここまで親身になってくれる。

 でも、そうか。それは俺がこの子をよく知らないから。漫画というフィルターを通さずに話すことの出来た唯一の人物だったからだ。

 彼女と同じように出来たらきっと、シオンたちにだって……。

「そうだな。今俺にできることといえば……」

 ベルに答え、俺は離れた町を振り返りながら続けた。

「学校まで、頼む」

 俺にできることは彼女たちを繋ぐことだけだろう。

 今は原作通りじゃなくてもいい、自分にしか出来ないことを着実にこなしていこうじゃないか。

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