レディ・ウィッチ 二代目魔女の憂い事
小野村鶵子
第1話 魔女の娘Ⅰ
「エル、あなたは私の自慢の娘」
燃えるような赤い髪と、同じ色をした優しげな瞳。
そっと頭を撫でてくれる母の優しい手のひらが、エルリシャは好きだった。
「……本当に?」
「ええもちろんよ。お母さんの宝物」
母の膝に顔を埋めると、暖炉の中で燃える炎の暖かい匂いがした。
「私も将来、お母さんみたいに強くなれる?」
「そうねぇ、そりゃ強い魔女になるわよ」
「早くお母さんみたいな魔女になりたいな」
ふふ、と笑ったエルリシャの頬を、母が両手で包み込んだ。
「エルは確かに強いわ。〈赤炎の魔女〉の血を引くんだもの、当然のことよ」
赤い瞳で顔を覗き込まれると、エルリシャの笑顔は徐々に引っ込んだ。
いつになく真剣な口調で言い聞かせるように言った母の声と言葉は、今でもエルリシャの耳に頻繁に甦る。
「でもね、お母さんは、エルに魔法を教えるかどうか迷ったの。これだけは覚えておいて。魔法は使い道を誤れば不幸を招く道具になる……」
困惑した顔をしたエルリシャを抱きしめて、母は呟くように繰り返した。
「あなたはその手で、自分を幸せにしなさい」
そして十歳の時に母は亡くなり――強力な呪いの魔法によって全身をずたずたに引き裂かれた母は、トネリコの杖だけを残して消えた。
一人ぼっちになったエルリシャは、母の言葉を胸に刻んで生きてきた。
母の願いとは裏腹に、エルリシャは母の魔導書やメモ書きから魔法を学び、吸収し、そして貪欲に求めた。
魔法は生きる道だった。
身の回りを整え、糧を手に入れ、自身を守り、そして覚えた魔法で金を得る。
そうやって毎日を送ることはいつしか当たり前になり、母を失った痛みが薄れると同時に、次に感じるようになったのは自分への痛みだった。
◆
「……私、パーティーを抜けたいと、思ってます……」
おずおずと絞り出した声は、夜の闇の中に頼りなく消えて行った。
ぱちぱちと爆ぜる焚火を囲んだ仲間たちが、あっけに取られた顔に変わっていく。
「はあ? 急に何を言い出すんだよ」
リーダーであるブラッドがうんざりしたように言い、それに同調する苦笑が広がった。
「あんた、まともに喋れたんじゃない」
驚きの中に嘲りを含んだ声が胸に突き刺さり、エルリシャはうつむいた。
淡い金髪と碧眼が印象的な少女はさらに言葉を続ける。
「いつも声を出したかと思ったら、『はい』か『ごめんなさい』しか言わないから。それ以外の言葉を知らないのかと思ってた」
「……ブルー、やめなさい」
僧侶のハインツはこのパーティーで唯一、エルリシャに棘がない言葉で話してくれる人だった。
けれどそれは傍観者と変わらず、エルリシャを庇うことはしない。
「どうしてここを辞めることにしたんだい?」
そっと尋ねられたけれど、エルリシャの唇は細かく震えて上手く言葉を発せない。
しばらくの沈黙ののち、やっとのことで言いたいことがまとまった。
「私、どう伝えればいいのかわからなくて、だから、言えなくて」
「もうじれったいわねえ、言いたいことがあるなら早く言いなさいよ!」
一瞬、前言撤回して全てをなかったことにしたくなったが、それでもエルリシャは勇気を振り絞って口を開く。
「……私の魔法をっ、もうここで使いたくないんです」
沈黙が広がり、エルリシャがやっぱり言わなければよかったと後悔し始めた瞬間、ブラッドが深いため息を吐いた。
「なんでそんなことを思ったんだ、エル?」
魔王を倒す、という目標で結成されたこのパーティー。
しかしブラッドも、ブルーも、ハインツもそこまでの実力はない。
唯一魔法が使えるのはエルリシャしかいないというのに、働くとき以外は隅に追いやられがちだった。
もう沢山だった。
エルリシャが倒した魔獣を、ブラッドが倒したという美談にすり替えられることも。
皆が街で飲んでいる間に日に三回の食事を賄い、薪を集め、テントを片付けることも。
なぜか宿泊させてもらう村の人たちもエルリシャには冷たくて。
「とにかく、もう辞めるので……登録は協会名簿から自分で削除します」
エルリシャが一から説明しなくたって、この人たちは全部知っている。
自分で分かっているし、エルリシャより実力がなくても優越感に浸れる方法を知っている。
家に帰ろう。そう思い始めてから言い悩んでいるうちに、二週間も過ぎてしまった。
「まぁいいさ。俺もお前みたいな根暗にはうんざりしてた所だ、出て行きたいならさっさと出て行きやがれ」
そうよ、と頷いたブルー。黙っているハインツ。
もはや傷つきもしなかった。
常にこうだった。努めて見ないようにしていた事実が明らかになっただけ。
ここにエルリシャの居場所はない。最初から。
(馬鹿みたい)
右手に杖を出現させたエルリシャを睨むように見上げている仲間。
できる限り視線を合わせないようにして、小さな声で詠唱する。
「
ふわりと空中に浮かび上がった杖に腰かけると、杖ははるか上空に飛翔した。
焚火が小さな点になるまで、エルリシャは杖に念じる。
高く。もっと高く。
魔力の消費が大きくなり、わずかな抵抗を見せる杖を強引に引き寄せながら、エルリシャは目を閉じる。
一体私は何をしているのだろう。
◆
「エル、本当に良かったのかい」
不意に耳元で低い声がして、エルリシャは前を向いたまま短くうなずいた。
黙ったまま虚空を睨むようにしていると、声はぺらぺらと喋り続ける。
「居場所を見つけたってあんなに喜んでたのに。もう辞めたなんて、あの世のシンシャさんにどう説明する?」
「……ヘリオは黙ってて」
エルリシャの耳元で飛行する栗色のムササビ。
母の名前を口にされたたことが不愉快だった。エルリシャにとって「シンシャ」という言葉は決定的な切り札である。
エルリシャが文句を言えなくなることをちゃんと理解して、あえてその言葉を選んだところも憎らしい。
「いいや、今度ばかりは言わせていただくぜ。エルは臆病すぎるんだよ。傍に来るなって言うから遠くで見てたんだが、引っ込み思案はガキの頃から変わってねえぞ」
「ヘリオ。やめて」
人は図星を突かれると不機嫌になるというが、まさにその通りである。
エルリシャのことはエルリシャが一番よく分かっている。
(好きで引っ込み思案なわけじゃないって分かってるくせに)
母は立派な魔女だった。
その魔力は偉大で、やがて由緒あるレッドベリル家の三十六代目当主の座を引き継いだ。
けれど、魔力を持たない人間であるエルリシャの父と恋に落ちたことで、当主の座を追われたあげくレッドベリルの家系図からその名前を削られてしまう。
しかしその父も狼に殺され、母は人里離れた山の一軒家でエルリシャを産み育てた。
偉大な魔女の娘であるのに、エルリシャはおずおずと母の陰に隠れるやせっぽちの少女のまま。
いつかの母が言ったように魔力だけは強力だったけれど、臆病で人嫌いな性格はいつになっても治らない。
母のように鮮明な赤ではないが、豊かな赤褐色の髪と同じ色の瞳。
色白の肌と華奢な身体つきは母とそっくりだというのに。
「どうして私はこんなに情けないんだろう」
自分で飛ぶのをやめてエルリシャの肩にしがみついているヘリオには聞こえないように、小さな声でつぶやいた。
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