③ 仕事が軌道に乗るまで

【美香】

 百海ちゃん、イタリアに来る前は、ご主⼈が経営されていた居酒屋さんで、働いていたのよね。今⽇は、その時のことをいろいろ訊(き)きたいんだけど。いい?



【百海】

 うん。



【美香】

 じゃあ、まず、仕事の最初と⾔えば、研修よね。研修は、どんな感じだったの?



【百海】

 最初は、当時の⼤将、主⼈のお⽗様だけど、⼤将がほぼ付きっ切りで、みっちり教えてくださったわ。


 何でも、周りの同僚から、あたしの採⽤について、かなりの反発があったらしいのよ。



【美香】

 え! なんで、百海ちゃんみたいな、いい⼦の採⽤が、反発されてしまうわけ?



【百海】

 いい⼦だなんて、やめてよ。


 それがね、


「毎⽇、開店から閉店まで、仕事もせずに店に⼊り浸っていた、素性もわからぬ⼈間を雇うなんて何事だ!」


 っていうことらしいのよ。



【美香】

 そうかぁ。同僚の⽅にしてみたら、百海ちゃんは、


「得体のしれない⽣物」


 みたいな感じだったのね。



【百海】

 うん。それで、⼤将が「⼀⼈で」責任をもって、あたしをちゃんと育てるよう、⾔われていたんだって。だから、ほぼマンツーマンでの研修の⽇々が続いたのよ。



【美香】

 そっか。いきなり最初から、困難がやってきたわけね。


 で、その⼤将さんとのマンツーマンの研修は、どうだったの?



【百海】

 それが、ただマンツーマンで教えてくださっただけではなくて、本来の研修期間を、倍くらいの期間に伸ばして、根気よく教えてくださったのよ。



【美香】

 え! 百海ちゃんって、そんなに物覚え、悪かったっけ?



【百海】

 ううん。


 でも、そのころは、あたしは「深夜のシフト」に⼊っていたんだけど、服薬をしてからの仕事になるから、なんかぼーっとしちゃって。


 なかなか、仕事内容が頭に⼊らなかったのよね。



【美香】

 そっか。それで、研修は無事に終わったの?



【百海】

 それが、研修⾃体は終わったんだけど、その後、あたしはどうも伸び悩んでいてね。このままではクビになる可能性もあったのよ。



【美香】

 でも、クビにはならなかった……。



【百海】

 そうなのよ。


 その後、あたしが深夜に弱いっていうことに、⼤将がお気づきになったみたいで。⼣⽅の「開店作業」に回されることになったの。


 今回は、服薬する前に働くことになるから、ちゃんと仕事も覚えられて、作業もきちんとできてね。



【美香】

 そっか。よかったわ。周りの⼈は、そんな百海ちゃんを⾒て、どう思っていたのかしら?



【百海】

 そうねぇ。だんだん信頼も厚くなってきて、あたしを認めてくれる⼈が増えてきた感じだったわ。やっと仕事が軌道に乗ってきた感じだった。


 きっと⼤将も安⼼してくださったことだろうと思うわ。



【美香】

 そっかぁ。


 そこまでくる間に、ほかに苦労はなかったの? 例えば、症状に苦しんだとか。



【百海】

 まさに、症状の問題があったわ。病状が安定しなくて、仕事中に、今にも倒れそうなくらい、フラフラになることがよくあったの。


 でも、帰らせてくださいとは、なかなか⾔えないし、基本的には、根性で耐えるしかなかったの。



【美香】

 そうかぁ。じゃあ、相当無理をして働いていたのね。


 症状はどれくらいの頻度(ひんど)で、出ていたのかしら?



【百海】

 しょっちゅうよ。ほぼ毎⽇。あまりにも頻繁(ひんぱん)に出るから、正直、めちゃくちゃ⾟かったわよ。辞めたいと思ったことは何度もあったわね。



【美香】

 そうなのね。でも、ずっと仕事を続けてこれたということは、どこかでそれを、乗り越えることができたのね?



【百海】

 うん。でも、雇ってくださったのが、この⼤将でいらっしゃらなければ、おそらくあたしは、乗り越えることはできなかったと思うわ。


 ⼤将のためだから踏ん張れた、というのが⼤きいのよ。⼈として、⼤将のことが好きだったし、⼤将のお店が好きだったから。



【美香】 なるほど。好きな⼈、好きなことに対する情熱って、ものすごく⼤きなエネルギー源になるもんね。



【百海】

 そう。病気も吹き⾶んじゃうくらい。実際、しょっちゅう起こってた症状は、だんだん出なくなってきて、気が付いたら、いつの間にかほとんど出なくなっていたわ。



【美香】

 そうなのね。



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