ただ幸せにしたくて現世にとどまりました。

サボテンマン

第1話

カオリの人生はついていなかった。


朝、コーヒーを淹れようとすればカップを落として割り、仕事でもミスばかり。ようやく完成させた企画書は、なぜか別の同期の手柄になっていたこともあった。コンビニの袋が破れて地面に落ち、拾ったかと思えば車に轢かれそうになったこともあった。


「私、呪われてるのかな……」


そんな日々が続いていたが、ある日、不思議な出来事が起こる。


なくしたはずのイヤリングが会社の机の引き出しから見つかったのだ。しかも、それは母の形見のイヤリングだった。見つけた瞬間、ひんやりとした空気が頬を撫でた気がした。


それ以来、カオリの運気が変わった。


仕事のミスが減り、段々と周囲のカオリに対する評価が上向いてきた。


まるで見違えたようだと、上司も先輩もカオリをほめた。


「私、最近ちょっと不思議なことがあるんです。ミスしそうなときに、どっかで音が鳴るの。それで、いつも助かっているんです」


そりゃ守護霊でもついているんじゃないか。と周囲は笑った。


しかし、仕事がうまくいきだした一方で、問題も起きていた。


会社にいる男性社員がやたらとカオリへ声をかけてくるようになった。学生のころからそういった目で見られることの多かったカオリは、できる限り避けていたが、周囲の人間は放っておかなかった。


「また男をたぶらかして、仕事してるのね」


同期のシオンがカオリに向かって冷たい声で言い放った。


「またシオンが噛みついてきたよ」


周囲は苦笑しながらも、シオンの態度を気にしていなかった。しかしカオリは、その視線の冷たさに胸が締め付けられるのを感じていた。


シオンがカオリをライバル視し始めたのは、本配属の後だった。初めのころはシオンが同期のなかで一番の成果をあげ、周囲も彼女を評価していた。しかし、カオリの評価が上がると、シオンの影は次第に薄くなった。


シオンは努力を惜しまなかった。効率的に仕事を進め、失敗もしない。けれど、なぜかカオリのほうが上司の目に留まるのだった。


それからというもの、シオンはなにかとカオリに突っかかった。はじめはカオリと目が合うたびに、冷たい視線を投げかけてくるくらいだった。それがだんだんとエスカレートしてきて、すれ違うときにはわざと肩をぶつけてくるようになった。


カオリには、彼女がなぜきつくあたってくるのか、その理由がわからなかった。


エレベーターで二人きりになったとき、シオンはぽつりと呟いた。


「……なんで、あんたばっかり」


「そんなこと……」とカオリは言いかけて、やめた。シオンの表情があまりにも悔しそうだったから。


シオンは常に優秀で、同期の中でも群を抜いた成績を収めていた。カオリの目にはシオンが周囲から十分に評価されているように見えていた。


「あんたの愛嬌だけで仕事しているところが気に食わないのよ」


ある会社の飲み会で、シオンは皮肉交じりにカオリへ言ったことがあった。カオリは競争意識が薄かったが、シオンの言動が妙に引っかかった。


「どうして……そんなこと言うの? 」


シオンに尋ねると、鼻で笑った。


「……あんた、男に媚びるのが得意なのね」と言い捨てた。


男に媚びを売る。カオリは痛いところを突かれたような気がした。いつもなら言い返さないカオリだがつい「何にも、知らないくせに」とついきつい口調で言い返してしまった。


カオリの予想外の反応に腹をたてたシオンが、カオリにつめよる。


ふたりは周囲が止めるほど激しい口論をした。


「あんたみたいに男に使われるだけの女、どうせろくな人生にならないわよ」とシオンが言い放つと、さらにカオリは激しく怒った。


「暴力だけで解決しようっていう人間が、あたしは大嫌いなの」


激しい口論の末、二人は決別した。


その後も、カオリの成績は上がり続けた。シオンも負けじと努力したが、結果はついてこなかった。


そんなある日、社内で新しい事業をつのるコンペがあった。


カオリとシオンは、優秀な新人として、社長直々に指名されて企画書をだすことになった。


「絶対に負けないから」シオンは敵意をむき出しにして、カオリをけん制した。


わたしだって負けたくない。カオリは、ときに周囲にアドバイスを求めながら、毎日夜遅くまで企画書をつくった。


一方で、シオンは毎日のように早々に退勤をした。「わたしはあの子みたいに非効率に仕事しないの。あの子は要領が悪いのよ」と周囲にもらしていた。


そしてついに結果発表の日、壇上に呼ばれたのはシオンだった。


社長の口からシオンの企画が発表されたとき、カオリは凍り付いた。


シオンの企画は、カオリのつくった企画そのままだった。それどころか、カオリは企画書を提出しなかったことになっており、全社員の前で社長からつよく叱責をされた。


そんなはずない。自分は企画書を出したはずなのに。カオリは混乱して頭が真っ白になった。


「せっかくまともになったと思ったのに、やっぱりドジなのね」シオンのあざけるような声が聞こえた。


そのとき、バシっと弾けるような音とともに、頭上で蛍光灯が点滅した。


周囲の視線が上にむいた。


カオリは、はっとした。そうだ。言わないと。カオリは胸元のイヤリングにふれた。


「わたし、出しました!」


周囲の視線がカオリに戻る。周囲は冷ややかだった。


「馬鹿なこと言わないでよ」とシオンがあしらおうとする。しかし、カオリの上司や先輩たちが証言した。


いまシオンのものだと発表された企画はたしかにカオリがつくったものだ。自分たちがアドバイスをしたのだから間違いないと声をあげた。


いよいよ情勢が変わってきた。どういうことなのか社長がシオンに問い詰める。シオンはそんなはずないと声を荒げる。


結局、その場でシオンの企画は廃案となった。


後日シオンとカオリは別々に取り調べをうけることになった。ふたりの意見が食い違うので、結局犯人の特定までにはいたらず、新しい事業の話はすべてご破算となった。しかし、周囲のシオンに対する疑念は解かれることはなく、数日後、シオンは退職をした。


シオンの最終出勤日、カオリのもとへあいさつにきた。


カオリは警戒したが、シオンは深々と頭をさげてこれまでの非礼をわびた。そしてカオリも快く許した。


また元通りになれる。カオリはうれしくなった。


しかし、去り際、シオンは小さな声でカオリの耳もとでつぶやいた。


「あんたさえ、いなければ」



それから数日、カオリはシオンのことがどうしても気がかかりだった。


シオンはどうしているのだろうか。自分はただ真面目に仕事をしただけだったのに。そんなことを考えながら帰り道を歩いていると、急に寒気が走った。


その瞬間、バチンッという音とともに、街灯が消えた。


驚いてカオリが立ち止まると、次の瞬間、目の前の電柱に車が突っ込んだ。


カオリはしばらく呆然としていたが、運転席を覗き込むと、そこにはシオンが座っていた。


シオンは青ざめた顔でハンドルを握りしめ、震えていた。


「……なんで?」


シオンはゆっくりと顔を上げ、カオリを睨みつけた。


「あんたが邪魔なのよ……!」


よろめきながら車から這い出ると、シオンはカオリにつかみかかる。


「あんたさえいなければ……!」


シオンは、何度もカオリの仕事の妨害をしていたにもかかわらず、順調なカオリに嫉妬し、ついに犯行に踏み切った。


「何度も警告してやったのに、あんたさえいなければ……!」


「私が……そんなに憎かったの?」


「当然でしょ……! いつもあんたみたいに男に気に入られるだけしかできないやつが評価されて、どうして一生懸命なわたしが評価してもらえないのよ!」おかしいじゃない。とシオンは詰め寄った。


「わたしは社会人になって見返すって決めていたの。不細工だって馬鹿にしてきたお姉ちゃんも、お父さんも、学校のやつらも、みんな私を見てもらうって決めていたのに」


「シオンちゃん」とカオリは首をふった。


「そんなんじゃない。わたしは、そんなんじゃないよ」


「だったら」と続けようとするシオンを遮った。


「わたしは、男の人が、怖いの」


「なに、それ」


カオリはシオンに家庭の事情を伝えた。「だから、わたしが、男に媚び売っているように見えちゃったんだね。ごめんね」とカオリは頭をさげた。


「嘘よ、そんなわけないじゃない」


呆然とするシオンは、そのまま救急隊員に連れられていった。


カオリはそっと胸元のイヤリングに触れた——。


「……お母さん」


すると、一陣の風がそっとカオリの髪を撫でた。

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