第二章 カレルとエギル 六、(2)

 第二章 カレルとエギル


 六、(2)


 天の守り山脈を望むログ湖とヴィヌル川の合流地点にある孤島に築かれた要衝、ログ湖城塞。


 ログ湖城塞駐屯部隊の最高指揮官イングヴァル提督の地域における権力は相応のものだったが、地方勤めの提督の権力など、到底、帝国の中枢までは及ばない。


 イングヴァル提督はこのまま地方勤めで一生を終える気はなく、いつかは皇太子派の人間として帝国中枢に食い込み、出世を果たして権力を掌握し、社交界にも出入りして貴婦人達と浮き名を流そうという野心を持っていたが、功を立てる機会がなく、忸怩たる思いを抱えていた。


 だが、天の守り山脈の岸辺に流れ着いた「氷漬けの戦士」の噂を耳にし、これをログ湖城塞に回収、魔術科学遺産研究局「フィヨルクンニグ」と合流してから流れが変わった。


(まさかあれが本当にアース神族時代の遺物で、しかも「神器装甲」、〝ヘイムダルの剣〟だったとは……)


 暗号名、「黄金の乙女」から「ギャラルホルンの角笛」の三つの秘儀を聞き出し、「第三の天」のどこかにあるという神々の住まう地、「風の国」の所在を明らかにする事ができれば、魔術科学の発展を望む皇太子にこれ以上の朗報はない。


「風の国」発見の暁には出世は約束されたようなものだし、出世どころの話ではないのではないか。


〝ログ湖の貴公子〟などとあだ名されるほど、地方の軍部で権力闘争に明け暮れ、女遊びに精を出しているような男でも、ユグドラシル神話ぐらいは知っている。


 かつてこの世界が「階層世界ユグドラシル」と呼ばれていた頃、天上世界に住まうアース神族は胸の内にもう一つの心臓である神器、「イズンの林檎」を抱き、永遠の若さを保ち、数多の金銀財宝に囲まれて暮らしていたという。


(アース神族に永遠の若さをもたらしたという神器、「イズンの林檎」に、数多の金銀財宝! それがあともう少しで現実に手に入るところまで来ているのだ!)


 皇太子直々の指示で第三の天専用・長距離高高度軍用大型羽衣船、「ナグルファル」も手配された。


(例え「風の国」のアース神族と戦闘になったとしても、最新鋭の魔術機械兵器を擁する我が帝国の軍事力で無力化し、永遠の若さをもたらす神器、「イズンの林檎」と、数多の金銀財宝、必ず、手に入れてやる!)


 その為には一刻も早く、暗号名、「黄金の乙女」から、「ギャラルホルンの角笛」の三つの秘儀を聞き出す必要がある。


 ——提督、「黄金の乙女」は私にお任せ下さい。「女の愛を得ようとする者は綺麗事を言って贈り物をし、女の美しさを褒めよ。お世辞を言う者は首尾よく行く」、ですよ。


(……あの魔術科学者、何を考えているのか判らないところがある。もしかしたら、アース神族の秘宝を着服し私腹を肥やすつもりなのかも知れない)


 イングヴァル提督はロプトルの動向を怪しんでいた。


(ふん、奴め、「黄金の乙女」の懐柔に失敗したら、それを理由に『フィヨルクンニグ』に追い返してやろう)


 イングヴァル提督は第一主塔の最上階にある司令官用の居室で、一人、今後の算段を立てて北叟笑んだ。


 一足早く勝利の美酒に酔っていると、廊下が騒がしくなってきたのが聞こえてきた。


「——なんだ、この騒ぎは!?」


 司令官室の扉を開け周囲の様子を窺うと、垂れ髭の守備隊長が何人か兵士を連れて、ちょうど報告をしにきたところだった。


「い、イングヴァル提督! 報告致します! 地下宝物庫に保管していた〝氷漬けの戦士〟が、突然、動き出しました!」


 ブラッドスケッグ守備隊長は慌てふためいた様子で、敬礼をして言った。


「何!? それで〝氷漬けの戦士〟は、今、どうしている?」


 イングヴァル提督は驚き、状況を確認した。


「今のところ、地下宝物庫で守備隊と交戦中です!」


 ブラッドスケッグ守備隊長は緊張した面持ちで言った。


「案内しろ!」


 イングヴァル提督は彼らと共に地下宝物庫に向かった。


 ——帝国軍の兵士は名誉の為に命を惜しまず戦って死ねば、主神オーディンに仕える〈白鳥の乙女〉に導かれて、天上世界の宮殿「ヴァルハラ」に、〈勇者〉として召されると信じている。


 石積みの階段を下りた先、地下宝物庫には、今まさに帝国軍の兵士達が、勇敢な戦士として集っていた。


 相手はつい先刻まで地下宝物庫で眠りについていたアース神族時代の遺物、「神器装甲」、〝ヘイムダルの剣〟である。


 すでに地下宝物庫の分厚い鉄の扉は閉ざされ、〝ヘイムダルの剣〟は出てはこられない。


 地下宝物庫の分厚い鉄の扉を前に斧兵(アクス)と弩兵(オティヌス)で構成された、二十名ほどの兵士達が緊迫した表情で、第一陣、第二陣と陣形を作っていた。


 彼らの目の前、石畳みの床には、〝ヘイムダルの剣〟と交戦したと思しき、地下宝物庫の警備を担当していた斧兵達が倒れ込んでいた。


 彼らの装備は、片手斧、円形の盾、短剣、布鎧だが、全員、円形の盾ごと、布鎧をものともせず、真っ二つに斬り裂かれている。


 片手斧で応戦した者もいたようだが、刃の部分が砕けている。


 斧兵達の惨状から考えるに、〝ヘイムダルの剣〟は凄まじい斬れ味の武器を持っているか、とんでもない怪力で、その上、相当硬いようである。


「く、来るぞ!」


「おいおい!? 鉄の扉まで真っ二つにするつもりか!?」


 分厚い鉄の扉を前に陣形を組んでいた兵士達がざわついた。


「弩兵(オティヌス)! 構え! 斧兵(アクス)! 『盾の城(スキャルドボルグ)』!」


 指揮官が、第一陣である弩兵五名、斧兵五名に指示を出す。


「おお!? 本当に『神器装甲』、〝ヘイムダルの剣〟が起動しているのか!?」


 イングヴァル提督はブラッドスケッグ守備隊長達と共に地下宝物庫まで覗きに来て、感嘆の声を漏らした。


 地下宝物庫の分厚い鉄の扉が、大きな音を立てて二つに割れた。


 分厚い鉄の扉の向こうから姿を現したのは、身長優に二メートルはある巨体を誇る、白銀の甲冑にその身を包んだ戦士——「神器装甲」、〝ヘイムダルの剣〟である。


〝ヘイムダルの剣〟は居並ぶ帝国軍の兵士達を、敵と認めたのか、抜き身の鋭い剣を正眼に構えた。


「ってー!!」


 指揮官は〝ヘイムダルの剣〟と対峙し極度の緊張に耐えた後、弩兵に射撃命令を発した。


 弩兵の装備は、革製の兜、革鎧、弩、短剣である。


 弩は引き金を操作するだけで太く短い矢、「太矢」を放つ、機械的な構造を持つ弓矢だ。


 弩の製造には高い技術力が必要とされるが、その分、新兵でも取り扱いは容易であり、斧兵や槍兵と一緒に運用する事で、弩兵は高い攻撃力を発揮した。


 弩は弓と比べると初速が速く、太矢は太く重い為に射程距離が長く貫通力にも優れ、更には照準が合わせやすく命中精度も勝り、誰が使っても威力が変わる事がない。


 弩の射程距離は約三二〇メートル、一分間に一歩の太矢を発射する——今、弩兵五名が〝ヘイムダルの剣〟に狙いを定め、それぞれ太矢を発射した。


〝ヘイムダルの剣〟目掛けて、五本の太矢は真っ直ぐに飛び、狙い違わず命中した。


「……!?」


 だが、イングヴァル提督は唖然とした。


 弩の太矢はなんと、五本全て、白銀の装甲に虚しく弾き返され、傷一つつける事はできなかったのである。


 弩は一回一回、弦を張るのに手間と労力がかかる為、速射性には劣り、連射性能が損なわれている。


「くそっ、突撃! 突撃ーっ!!」


 その為、指揮官はすぐさま、斧兵に突撃を命じた。


 斧兵が使う片手斧は「髭斧(スケッゴックス)」とも呼ばれる柄が短い斧で、投げ斧として代用する事もできる。


〝ヘイムダルの剣〟に向かって突撃した斧兵、五名のうち、二名は投げ斧で牽制し、残りの三名は正面から立ち向かった。


〝ヘイムダルの剣〟は鋭い剣を巧みに操り、投げ斧を二つ、見事に叩き落とした。


 次いで、一人目の斧兵と一騎打ちになる。


 斧兵が使う片手斧は小回りがきき、屋内や船上など、狭い空間の戦闘に適し、接近戦で役に立つ。


 例えば敵の武器や盾を引き剥がし、相手に隙を作る事ができる。


 がしかし、一人目の斧兵は一閃され、斬り合う前に地に伏した。


 二人目もまた返す刀で斬り伏せられ、三人目はわざと肉薄し円形の盾の裏に隠していた片手斧で斬りかかりはしたが、白銀の甲冑の前には刃こぼれするばかりで、次の瞬間には鋭い剣に胸を貫かれて息絶えていた。


「つ、強い……!」


 イングヴァル提督は戦慄した。


「イングヴァル提督! ここはもう駄目です! 一階に戻りましょう!」


 イングヴァル提督はブラッドスケッグ守備隊長に促され、残った兵士達と共に、やむなく、一階の大広間まで後退した。


 地下宝物庫から一階へと続く石積みの階段は〝ヘイムダルの剣〟の二メートル近い巨大が通るには些か狭い。


 だがしかし、〝ヘイムダルの剣〟は石積みの階段を覗き込むように一歩足を踏み込んだと思えば、恐るべき怪力で周囲の石壁を少しずつ殴り壊し広さを確保し、無理矢理、階段を上り始めた。


「——重装歩兵! 「熊の毛皮を纏った戦士(ビョルンセルク)」部隊、前へ!!」


 指揮官は一階の大広間まで後退しても、未だ戦意を失っていなかった。


 一階の大広間に、「熊の毛皮を纏った戦士」部隊が一〇名、整列する。


「重装歩兵」というだけあって、「熊の毛皮を纏った戦士」部隊の兵士達は皆、円錐形の鉄製の兜の上から熊の皮を被り、鎖帷子で身を固め、両手斧を装備していた。


 斧は汎用性と費用対効果において、剣や槍に比べて優れていたが、重宝された理由の一つに、破壊力がある。


 敵に突撃する際、両手斧を使えば「盾の城」も打ち崩す事ができた。


〝ヘイムダルの剣〟が階段から大広間に姿を現し、「熊の毛皮を纏った戦士」部隊の兵士が二人一組となって、まず一組目の二人が両手斧を大きく振りかぶった。


 両手斧は幅広の薄い刃によって攻撃力が高められ、長い柄がてこの作用を生む事で更に打撃力が高まる。


 両手斧の刃先は鋭いだけではなく、重さを活かして相手の盾や鎧を粉砕する。


 鋭利な剣と違って、たった一撃で大打撃を与える事ができる——はずだった。


「熊の毛皮を纏った戦士」部隊の屈強な兵士、二名の両手斧は、相手の盾ごと叩き切る事もできるはずが、白銀の甲冑はそれを難なく弾き返した。


「!?」


「熊の毛皮を纏った戦士」部隊の屈強な兵士、二名は驚愕し、一瞬、動きが止まる。


 周囲を取り囲んでいた他の「熊の毛皮を纏った戦士」部隊の兵士達の間にも、動揺が見て取れた。


 ——〝ヘイムダルの剣〟はその隙を見逃さなかった。


 重装歩兵と言われる「熊の毛皮を纏った戦士」部隊の兵士達が身につけた鎖帷子を、いとも簡単に斬り裂き、あっという間に、全員、倒してしまった。


「……突撃歩兵だ」


 イングヴァル提督は惨状から目を逸らす事なく、押し殺した声で言った。


「はっ!?」


 ブラッドスケッグ守備隊長はあまりの事態に、全くと言っていいほど理解が追いついていなかった。


「特殊部隊、『狂気の戦士(ベルセルク)』を出せ!」


 イングヴァル提督は半ば激怒していた。


「と、虎の子の『狂気の戦士』をここで!?」


 ブラッドスケッグ守備隊長は戸惑いの色を隠せなかったが、イングヴァル提督に睨まれ、すぐに伝令を使い、特殊部隊、「狂気の戦士」を呼び出した。


「——ここで『狂気の戦士』を投入しますか」


 と面白そうに言ったのは、いつの間にやら現場に来ていた、ロプトルだった。


 ロプトルの視線の先で整列をしているのは、頭から白熊の皮をすっぽりと被り、鋼の牙に鋼の爪を身につけた他には鎧兜の類を一切、装着していない、一二名の兵士達だった。


「そうだ! 君達、『フィヨルクンニグ』が、アース神族時代のルーン文字を応用し、身体能力を飛躍的に向上させた強化兵士——人間の一族型魔術機械兵器、『狂気の戦士』はその名が示す通り、甲冑もつけずに戦闘に飛び込み、犬や狼のように盾に噛みつき、熊や牡牛のように敵を全て薙ぎ倒し、火にも刀にも傷つく事がない!」


 イングヴァル提督はまるで自分自身が開発者であるかのように自信満々に言った。


「最新の魔術科学によって開発した強化兵士、『狂気の戦士』部隊——洗練された武器術で戦う訳でもなければ、厳しい規律に従って統制が取れた戦い方をする訳でもない、ただただ野獣のような凶暴さで戦う選び抜かれた一二名の兵士達、アース神族の下僕を相手にどこまでやれるかな?」


 ロプトルは子どものように悪戯っぽく笑った。


「——突撃!」


 イングヴァル提督の号令一下、「狂気の戦士」部隊は、〝ヘイムダルの剣〟に野獣のように襲いかかった。


「狂気の戦士」部隊は獣のように咆哮し〝ヘイムダルの剣〟に飛びつき、鋼の牙で噛みつき、鋼の爪を立てた!


「やったか!?」


 イングヴァル提督は期待に満ちた顔をして言ったが、喜ぶのはまだ早かった。


 今も熾烈な戦いが繰り広げられているそこで血飛沫が飛び散るのが見えた。


 だが、その身から鮮血が滴っているのは〝ヘイムダルの剣〟ではなかった。


 見れば〝ヘイムダルの剣〟の怪力によって、「狂気の戦士」部隊の兵士は一人、また一人と力尽くで引き剥がされ、火にも刀にも傷つく事などないはずがまるでぼろ雑巾のように引き千切られ、石畳みの床にごみ屑のように投げ捨てられていった。


〝ヘイムダルの剣〟は淡々とした様子で「狂気の戦士」達を次々と死体に変えて、無惨な姿で積み重ねていく。


「う、うわあ!?」


 それまで〝ヘイムダルの剣〟と「狂気の戦士」部隊の戦いの行く末を見守っていた兵卒の一人が、あまりに一方的な結末に悲鳴を上げた。


 最新の魔術科学によって誕生した「狂気の戦士」がなす術もなく全滅していく光景を見て、大広間にいた兵士達は総崩れとなり、持ち場を離れ始めた。


「ちぃ!」


 イングヴァル提督は悔しげに舌打ちをした。


「撤退! 撤退!」


 ブラッドスケッグ守備隊長が撤退を呼びかけ、イングヴァル提督も押しやられるように他の兵士達と共に中庭に退却していく。


「ふむ、刻印魔術で身体能力を強化した人間程度では歯が立たない、か……それにしてもあいつめ、何をしようとしている?」


 ロプトルは帝国軍の兵士達が逃げ惑う中、大広間の柱の陰に隠れ、〝ヘイムダルの剣〟の様子を窺っていた。


〝ヘイムダルの剣〟には、帝国軍の兵士達を深追いしようとする気配はなかった。


 まるで何かを探しているかのように辺りを見回し、ふと天井を見上げた。


「まさか、『黄金の乙女』のところに行こうとしているのか?」


 ロプトルは第一主塔の四階、客間で囚われの身となっている「黄金の乙女」こそ、〝ヘイムダルの剣〟の狙いなのではないかと考えた。


 間違いない。


〝ヘイムダルの剣〟は、「ギャラルホルンの角笛」の持ち主である「黄金の乙女」を主人として認め、彼女の元に向かうつもりだ。


 だが、どうやって?


〝ヘイムダルの剣〟は腰に下げた鋭い剣を鞘から抜いた。


 白銀の甲冑に見劣りしない、見事なまでに鋭く薄く研ぎ澄まされた煌めく銀の剣である。


〝ヘイムダルの剣〟は、おもむろに銀の剣を天に掲げた。


 次の瞬間、銀の剣の刀身から虹色の輝きが生じたかと思えば、四方八方に輝きが放たれ、いったい、何が起きたというのか、まるで天変地異でも起きたように、大広間に轟音が鳴り響いた。


 にわかには信じられないが、虹の光は大広間の壁を紙のように切り裂き、壁ががらがらと崩れ落ち、ぽかんと風穴が開けられ、中庭が丸見えになっていた。


 逃げ遅れた兵士達は驚愕のあまり、その場にへたり込んだ。


〝ヘイムダルの剣〟は帝国軍の兵士達の反応など気にする風もなく銀の剣を鞘に収め、第一主塔の外に悠然と足を踏み出した。


 次いで、当たり前のように外壁をよじ登っていく。


「やはり狙いは、『黄金の乙女』か!?」


 ロプトルは〝ヘイムダルの剣〟の後を追って中庭に出ると、第一主塔の外壁を見上げて言った。

 

〝ヘイムダルの剣〟は第一主塔の四階までよじ登ると、客間の窓辺から室内へと侵入し、フィルギアを攫って出てきた。


「いや! 離して! 離して!」


 フィルギアは〝ヘイムダルの剣〟に小脇に抱えられ、恐ろしさのあまり、悲鳴を上げた。


〝ヘイムダルの剣〟は彼女を小脇に抱えたまま、第一主塔から少し離れたところにある、大型弩砲を備えた側防塔に飛び移った。


 ロプトルはと言えば、〝ヘイムダルの剣〟がフィルギアが攫っていく様子を、ただ見ていた訳ではなかった。


 魔術科学遺産研究局「フィヨルクンニグ」付の特務機関の構成員である間者に命じ、イングヴァル提督が今いる場所の周囲に備え付けられた刻印通信機を全て破壊し、彼らの連絡網を絶っていた。


 ロプトル自身は刻印通信機を使い、この混乱に乗じてイングヴァル提督に代わって指揮を取り、各側防塔に対して大型弩砲による攻撃を禁止する指示を与えていた。


 今晩、到着したばかりで側防塔の一つに係留している、刻印魔術によって強化された硝子と鉄材で作られた、さながら巨大な烏賊を思わせる機体をした長距離高高度軍用大型羽衣船、「ナグルファル」にも待機命令を出している。


 ロプトルは彼らが無闇に〝ヘイムダルの剣〟を攻撃する事で『黄金の乙女』を戦闘に巻き込み、彼女の命を危険に晒す事を避けようとしていた。


 すでに各守備隊にも、暗号名「黄金の乙女」確保の指令を通達し、〝ヘイムダルの剣〟が居座る側防塔の階下及び周囲に、密かに配置している。


〝ヘイムダルの剣〟はさも大事そうに側防塔の最頂部にフィルギアを下ろし、あたかも執事のようにその手を差し出した。


 ロプトルは、やはりあの「神器装甲」は「黄金の乙女」を主人だと認識しているに違いない、と判断した。


 だが、フィルギアは側防塔の狭苦しい天辺で恐怖に顔を引き攣らせて、じりじりと後退った。


〝ヘイムダルの剣〟は少しずつ近寄っていき、フィルギアは壁際まで後退し、背中がぶつかる。


 フィルギアはもう後がない。


 どう見ても絶体絶命だった。


 だが、どうした事か、〝ヘイムダルの剣〟は、それ以上、彼女に近づく事はなく、石像のように固まった。


〝「ナグルファル」、応答せよ。こちら、第一主塔守備隊〟


 ロプトルは〝ヘイムダルの剣〟とフィルギアの様子を窺いながら、刻印通信機の木製の盤面に黒い彩墨を使って、軍用大型羽衣船「ナグルファル」と普通語による通信を交わしていた。


〝こちら、「ナグルファル」。第一主塔守備隊、どうぞ〟


〝目標は、第一主塔一階、大広間の防衛線を突破した。現在、目標は第一主塔に近い側防塔の最頂部で、「黄金の乙女」を人質に取っている。その為、目標のみを狙い撃ちして、主砲を発射しろ。繰り返す、目標は人質を取っている。その為、目標のみを狙い撃ちして、主砲を発射しろ〟


 ロプトルは噛んで含めるように、繰り返し、指示を書き記した。


「!?」


 フィルギアが首から下げた「ギャラルホルンの角笛」が、よりいっそう、金色に輝き出した。


〝ヘイムダルの剣〟は彼女の胸元で揺れる「ギャラルホルンの角笛」が発する金の光に呼応するかのように両膝をつき、鞘ごと剣を外した。


 そして、フィルギアに向けて、剣の柄を差し出した。


 相手に敬意を表す剣礼である。


 剣を差し出された側は剣を預かってもいいし、相手を刺し殺す事もできる。


 相手を受け入れるのなら、剣を返す事になる。


 だが、当のフィルギアは白銀の異形のものを前にして、ひっと小さな叫び声を上げて、へなへなと座り込んだ。


 すると、どうだろう。


〝ヘイムダルの剣〟は今度は右手を差し出し、まるで紳士が淑女に手を差し伸べ、助け起こそうとしているかのようだった。


「おい、何だありゃ?」

 

「ああ、いったいあれは何のつもりだ?」


 最頂部の光景を目にして、側防塔の階下に配置された帝国軍の兵士達が、訝しげな声を上げた。


「ふん、中途半端な〝半神〟に対しても忠義を尽くすか!」


 ロプトルは何もかも知っているように、面白くなさそうに言った。


「……?」


 その場にへたり込んだフィルギアも、目の前でじっとしている白銀の異形のものに対して、何か違和感を覚え始めていた。


 ——その時だった。


 フィルギアの目前で、上空の「ナグルファル」から、〝ヘイムダルの剣〟が、いきなり射石砲の直撃を受けたのは。


 さしもの〝ヘイムダルの剣〟も軍用大型羽衣船から主砲の直撃を受けては、ただでは済まなかった。


 無敵を誇った白銀の甲冑も呆気なくひび割れ、胸部の装甲が砕け散った。


「……!?」


 フィルギアは目を見張り息を呑んだ。


「ナグルファル」の射石砲から、二発、三発と、立て続けに丸く削られた岩石の砲弾が発射され、〝ヘイムダルの剣〟は白銀の甲冑とと歯車を飛散させ、操り人形のようにぎこちなくよろめいた。


 白銀の甲冑はあちこち風穴を開けられ、大小様々な歯車が動作する基礎骨格が見え隠れした。


「いやあ!!」


 フィルギアが悲鳴を上げた途端、駄目押しのように射石砲が撃ち込まれた。


〝ヘイムダルの剣〟はさすがに立っていられず膝から崩れ落ち、フィルギアも着弾の衝撃で勢いよく吹き飛ばされ、壁に全身を強く叩きつけられて倒れ込んだ。


 その拍子に首から下げた「ギャラルホルンの角笛」を結んでいた細紐が千切れ、金色の角笛は中庭に落下した。


「いいぞいいぞ! 粉々に砕け散って跡形もなく消えろ!」


 ロプトルは両手を挙げて喜んでいた。


 当の〝ヘイムダルの剣〟はまともに立ち上がる事ができず、それでも尚、フィルギアのそばに行こうとして這いつくばっていたが、途中で苦しげに胸を押さえ、ついに力尽きるように倒れた。


「やった! ざまあ見ろ! 憎きアース神族の機械仕掛けの操り人形め!!」


 ロプトルは〝ヘイムダルの剣〟が機能を停止したのを見て、下卑た笑みを浮かべて歓喜した。


 側防塔の階下に待機していた帝国軍の兵士達は歓声を上げ、射石砲による直撃の巻き添えとなり半壊した最頂部へと駆け上がっていった。


「あの小娘を確保しろ!」


 誰かが指示を出す前に、すでに帝国軍の兵士達は〝ヘイムダルの剣〟とフィルギアの周りに群がっていた。


「こいつ、もう身動ぎ一つしないぞ!」


「この野郎、好き勝手やりやがって!」


 帝国軍の兵士達の一人が物言わぬ遺体のように倒れている、〝ヘイムダルの剣〟を足蹴にした。


「小娘はどうだ?」


「死んでいるんじゃないのか?」


「いや、気を失っているだけだ」


 フィルギアの安否を確かめていた時、微かに小石が擦れるような音がした。


「お、おい!? こいつ、今、動いたんじゃないのか!?」


 帝国軍の兵士の一人が異変に気づき、怯えた様子で言った。


「まさか、射石砲の直撃だぞ?」


 とは言え、不安が拭えないのか、弩を向ける。


「やっぱりこいつ、まだ動くぞ!?」


 その途端、白銀の異形のものはむくりと起き上がった。


「逃げろ!」


 帝国軍の兵士達が半ば崩れかけた狭い石段に殺到する。


「うわあ、こっちに来るなあー!!」


 先ほどまで〝ヘイムダルの剣〟の破壊力、殺傷能力をいやというほど見せつけられていた帝国軍の兵士達は皆、眼前の恐怖の対象から逃れようと、後先考えず、側防塔から次々と飛び降りた。


 もちろん、飛び降りて助かるような高さではない。


〝ヘイムダルの剣〟は気絶したフィルギアを助け起こし、自分の肩に担ぎ上げると、側防塔の天辺からぐるりと周囲を見渡した。


 イングヴァル提督をはじめとする帝国軍の兵士達の姿を、ログ湖城塞の中庭に確かめる事ができた。

〝ヘイムダルの剣〟は躊躇う様子もなく銀の剣を振るい、帝国軍の兵士達を狙って無数の虹色の光線を放つ。


 帝国軍の兵士達は悲鳴一つ上げる間もなく、細かな肉片と化し、辺りにはぶわっと血煙が満ちた。


〝ヘイムダルの剣〟は何の感慨もなさそうに、もう一度、銀の剣を振るった。


 次の瞬間、ログ湖城塞は天変地異に襲われたように、あちらで塔が倒れ、こちらで壁が崩れ去り、どこかの火薬庫にでも引火したのか、爆発、炎上までし始めた。


「……うん?」


〝ヘイムダルの剣〟の肩の上で気を失っていたフィルギアが、周囲の異変、熱と風を感じて、目を覚ました。


「……や、やめて! お願いだから! もうやめて!」


 フィルギアは自分の事を抱きかかえた白銀の異形のものがログ湖城塞を破壊し尽くしているのだと気がつき、ほとんど泣き縋るようにして止めに入った。


 だが、白銀の異形のものは銀の剣を振るう事をやめようとはしなかった。


 ログ湖城塞は火の海と化し、黒煙に包まれ、帝国軍の兵士達の悲鳴と怒号が飛び交っていた。


 まさしく、地獄絵図である。


「お願い! やめて!」


 フィルギアは〝ヘイムダルの剣〟を止めようと体を張って銀の兜で覆われた頭部を全身で抱きしめ視界を覆ったが、〝ヘイムダルの剣〟は蝶の翅を摘むようにして彼女の事を捕まえ、自分の肩にひょい、と乗せた。


「はっはっは! 死ね、死ね! 消えてなくなれ! 醜い人間の一族め!」


 ただ一人、ロプトルだけが、ログ湖城塞の守備隊が恐慌に陥る中、不敵な笑みを浮かべていた。

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