第二章 カレルとエギル 八、

 第二章 カレルとエギル


 八、


 カレル達がログ湖城塞の空域から脱出して間もなく、イングヴァル提督が数人の将校を引き連れ、未だ黒煙が燻る中庭に姿を現した。


「ロプトル局長、〝ヘイムダルの剣〟はどうなった!?」


 イングヴァル提督は事態を把握していない様子で、ロプトルに詰め寄った。


「ああ、あれなら、『ナグルファル』の射石砲で粉微塵ですよ」


 ロプトルは何でもない事のように言った。


「『黄金の乙女』は!?」


 イングヴァル提督は飄々としたロプトルに掴みかからんばかりだった。


「さあ?」


「何だって? あの小娘がいない事には、『風の国』には——!?」


「いや、あれはもう必要ないかと。何しろ、これを手に入れましたからね」


 ロプトルの手には「黄金の乙女」が首から下げていた金色の角笛が——それもなぜかびっしりとルーン文字が浮かび上がっている、金色の角笛があった。


「こ、これは、何だ?」


 イングヴァル提督は訝しげな顔をした。


「『ギャラルホルンの角笛』、お忘れですか?」


 ロプトルはからかうように言った。


「この浮かび上がっている文字は何を表しているのかと聞いているんだよ!」


 イングヴァル提督は苛立たしげに言った。


「提督がお望みの『風の国』ですよ。ご覧なさい、『ギャラルホルンの角笛』に浮かび上がったルーン文字は、『風の国』がどこにあるのか示している——『第三の天の極夜、新月に輝く虹の光の先、神々の地、風の国あり』」


 ロプトルはにやりと笑った。


「何ぃ!? お前達、さっさと部隊を編成し直せ!  ブラッドスケッグ守備隊長、『ナグルファル』の出航準備だ!」


 イングヴァル提督は途端に目を輝かせて、次々と指示を下した。


 ロプトルはイングヴァル提督達が城塞内に戻ると、瓦礫と化した側防塔に歩み寄った。


 彼の足元で、「神器装甲」、〝ヘイムダルの剣〟が無惨な姿を晒している。


「ふん、醜い人間の一族どもめが」


 ロプトルは反吐が出るという風に独りごち、〝ヘイムダルの剣〟の残骸を踏みつけた。


 頭上にはいつの間にかいくつもの怪しげな鳥のような影が羽ばたき、すぐ近くに何頭か不気味な獣の影が足音一つなく集い始めていた。


「——特務機関「エッグセール」、準備は済んだか?」


 ロプトルは怪しげな鳥や不気味な獣が集まってきた事など気にする素振りもなく、誰にともなく確かめた。


 いや、


「……はい。ご指示の通り、『ナグルファル』の格納庫には必要物資に偽装して、死霊型魔術機械兵器、『悲しみを語る者(アングルボザ)』系列を三体、運び込んであります」


 いつからそこにいたのか、ロプトルの傍らには、まるで〝黒い神器装甲〟といった出立ちの、黒い鎧兜に身を固めた、二人の異形のものがいた。


 ロプトルに対して、事務的に返事をしたのは、比較的、しなやかな体つきをした異形の戦士であり、もう一人は、身長優に二メートルはある巨人だった。


「よしよし、これでまた死と滅亡に一歩近づいたな!」


 ロプトルは楽しくて仕方がないようだった。


「しかし、神々の地で私一人で宴を楽しむというのも些か退屈だ。エイギスヒャルム、『黄金の乙女』をお誘いしておいてくれ」


 ロプトルはしなやかな体つきをした異形の戦士——エイギスヒャルムに、ふと思いついたように言った。


「はい」


 エイギスヒャルムは、こちらも黒づくめの巨人と共に、すぐに姿を消した。


「うんうん、いいぞ! もうすぐ、死者の岸(ナーストレンド)では魔竜(ニーズヘッグ)が肉を引き裂き、魔狼(バルグ)が肉を貪るのだ!」


 ロプトルは歓喜に満ち溢れていた。


 彼が至上の喜びを感じて見上げた空には、禍々しい何かが鋭い爪で夜の闇を切り裂いたような、細い月が輝いていた。



 ——始まりはいつからだったのか?


 ナルヴィ・ロプトルは首都周辺にある城郭小都市、アンドヴァラフォルスの裕福な市民階級の家の出で、大きな農場を営むロプトル家の長男として生まれた。


 子どもの頃はよく近くの川で鮭を捕まえては川岸に座って食べていた、どこにでもいる元気な男の子だった。


 父、ファールヴァウティ、母、ラウフェイ、両親ともに誇り高く、時々、冗談混じりだったが、自分達はアース神族の血筋に連なる者であると、神々の子孫であると聞かされた。


 また、二人とも謹厳実直で、


 ——人の子にとって、火と太陽の顔と、叶えば健康と、恥のない生活のできる事が最上だ。


 と考えていた。


 息子、ナルヴィは幼い頃から身の程は弁えているつもりだった。


 ナルヴィは今もこの世に伝わるオーディンの言葉、


 ——財産は滅び、身内の者は死に絶え、自分もやがては死ぬ。だが、決して滅びないものが名声だ。


「高き者の歌」の一言を胸に、世間の人々から後ろ指を指される事がないように、日々、学問に勤しみ、品行方正を心掛けて生きてきた。


 ナルヴィはやがて、帝国魔術科学院に入学、魔術科学者のフラーナング博士に師事し、彼の元で刻印魔術を修め、魔術科学者(ルーンマスター)の資格を得る。


 博士はアース神族の時代の古文書、「物語詩篇(エッダ)」研究の第一人者であり、学院の教職の傍ら、日々、自宅の書斎を研究室として、「物語詩篇」の解読に当たっていた。


 アース神族の時代の古文書、「物語詩篇」。


 魔術科学分野の第一級の資料として扱われ、最初はルーン文字から、最後は「神々の黄昏」まで書かれている書物である。


 フラーナング博士の長年の研究成果によって、「神々の黄昏」の後、僅かに生き残ったアース神族が移り住んだという「第三の天」に関しても、ある程度、読み解かれていた。


 ——天の南の端にギムレーという広間がある。これはどれよりも美しく、太陽よりも輝かしい。天地の滅亡の時にもギムレーは滅びずに立っているだろう。ここに永遠に、善良で正しい人が住むのである。


 極夜の新月に見える虹の光の先に、神々の地、「風の国」がある。


「風の国」では、老いも病も死も知らぬ神々が、毎日、地上世界を見守りながら、祝祭と饗宴に明け暮れ、金銀財宝に囲まれて暮らしている。


 大地は耕さずとも五穀百果が自然と実り、季節によらない色とりどりの花々が咲き乱れ、透き通った泉水がこんこんと湧き、それより何より、全てが黄金の輝きに満ちている。


「風の国」は辺り一面、黄金の輝きに満ちている——黄金の実をつけた果樹園が広がっている。


 亭々と茂った黄金の実、「イズンの林檎」を食したものは、永遠の若さを手に入れる……


 ナルヴィは卒業後、成績優秀だった事から、そのまま博士の助手として、博士の住まいがある近所に家を借り、通いで働く事になる。


 フラーナング博士の住まいは、アームスヴァルトニル湖に浮かぶリュングヴィ島にある。


 ナルヴィは定期的に運航している小型機竜船の渡し船に乗り、リュングヴィ島に降り立ち、そこで初めてフラーナング博士と一緒に迎えに来た、博士の一人娘、フラーナング・シギュンと出会った。


 ナルヴィは博士から一人娘であるシュギンの事を紹介され、彼女を見た瞬間、目の前に一輪の花が咲いていると思った。


 それまでの人生で野に咲く草花などに目もくれなかった男が、今日、初めて出会った一人の女性を、一輪の花だと思ったのである。


 シギュンはまだ若いながら気品があり、輝くように美しかった。


 流れるような豊かな髪に濡れたように潤んだ瞳が印象的な、優しく聡明な女性だった。


 彼女もまた魔術科学者であり、父親の助手として働いていた。


 ナルヴィがフラーナング博士の元で働き始めた、初めての冬の事である。


 ユグドラシルの冬は、辺り一面、雪に覆われ、白銀の世界になる。


 ナルヴィは陽射しが煌めき草花が芽吹く春に比べて、冬は一面、雪に埋もれて、魅力に欠けると思っていた


  だが、シギュンがある日、長屋の玄関先で暗い色の敷布を敷いて、何やら座り込んでいる。


 ナルヴィがいったい、何をしているんだろうと覗き込むと、どうやら、彼女は暗い敷布の上に落ちた雪を観察しているのようだった。


「ナルヴィ、見て。雪が降ってきたら暗い色の敷布や色紙を用意するの、そうするとそこに落ちた雪の結晶の形がはっきり見えるのよ」


 シギュンはそれこそ雪の結晶のように美しい、その目をきらきらと輝かせて言った。


「ほら、可愛くて綺麗でしょ?」


 シギュンは暗い色をした敷布に落ちた雪の結晶を指して言った。


 確かに雪の結晶は砂糖細工のように可愛らしく、六角形の結晶は宝石のように美しい。


「ナルヴィ、冬は好き?」


 シギュンはふいにそんな事を聞いてきた。


「私は好きよ。極夜の冬は真っ暗になっちゃうけど、その分、雪が降り積もると、微かな光を反射して、とっても幻想的な景色に見えるから!」


 シギュンは目の前の景色を愛しそうに眺めて言った。


「森や林を見れば、粉砂糖でも塗したような可愛い景色、滝がある場所に行けば、目の前の滝、全部が凍っていて、まるで時間が止まったみたいに神秘的な光景が見られるもの」


 ナルヴィはシギュンからどれだけユグドラシルの冬が美しい季節か教えられ、それから極夜の冬に対する見る目や思いが変わった。


 彼女と話しているうちに、季節に限らず、今日まで見慣れていたはずの全ての光景が、不思議と全く別のものに見えた。


 ナルヴィは自然とシギュンに惹かれていき、シギュンもまた謹厳実直な彼を快く思っているようだった。


 フラーナング博士も自分の研究を熱心に手伝ってくれる二人の若者の関係を温かく見守っていた。


 毎年、ナルヴィとシギュンは、二人っきり、雪景色の思い出を重ねた。


 そうして、ナルヴィは自分の想いを告白し、彼女は受け入れ、二人は結婚の約束をした。


 ナルヴィは、薔薇色の人生だと思った。


 だが、その年、リュングヴィ島の銀世界は、朱色に染まった。


 リュングヴィ島の農村部に、これもまた、ユグドラシルの冬の風物詩、魔狼(バルグ)の群れが、突然、姿を現したのである——。

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『勇者官見習いカレルと半神のフィルギア』 ワカレノハジメ @R50401

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