第二章 カレルとエギル 七、
第二章 カレルとエギル
七、
カレルはエギルが操縦する複座式小型羽衣船「ナズ」の後部座席に乗り、ログ湖城塞を目指していた。
だが、カレルの体力は、そろそろ限界だった。
「ナズ」の後部座席で持ち手を掴んだ手は握力がなく、膝も踏ん張り続けて笑い出している。
カレルはエギルの背後にいるのでどんな様子なのか判らなかったが、エギルは前方の操縦席に跨って無言で操縦を続けている。
(この先にフィルギアがいるんだ! 弱音なんか吐いている場合じゃないぞ!)
カレルは自分自身を叱咤した。
「ひよっこ! もうすぐ着くぞ!」
エギルは後ろを振り返らずに大声で言った。
「あん? いったい、何が起きているんだ!?」
エギルは行く先に激しい炎の渦と黒い煙に包まれた異様な光景を見て、我が目を疑った。
ログ湖城塞に、何かが起きている。
エギルは片手で合図を送り、アリンビョルンの二番機とソルステインの三番機に待機を命じ、偵察に行く。
「ナズ」を旋回させて、遠くから様子を窺う。
すると、ログ湖城塞は活火山のように燃え盛っていた。
「こいつら、戦争でもおっ始めやがったのか!?」
エギルが呆れるぐらいログ湖城塞はひどい有様だった。
その上、ログ湖城塞の上空で軍用大型羽衣船「ナグルファル」が射石砲を動かし、何かに狙いを定めている。
エギルは「ナグルファル」が射石砲を運用している事にますます開いた口が塞がらない。
ログ湖城塞駐屯部隊は、いったい、何と戦っているんだ?
こんなところであんなものを使って何を撃つつもりだ?
こいつは何かやばい匂いがする。
ここは引き下がるべきか否か?
エギルは逡巡した。
だが、
「あそこにフィルギアがいる! このまま、真っ直ぐ行こう!」
カレルは鋭い声で言った。
「このまま進めば『ナグルファル』の射石砲の餌食になっちまう! 出直しだ!」
エギルは首を縦に振らなかった。
当初の予定では、「ナズ」の速度を頼りに、ログ湖城塞の敷地内に一気に突入するつもりだった。
だが、最新鋭の軍用大型羽衣船が射石砲で待ち構えているとなると、話は別だ。
エギルが操縦桿を握り、「ナズ」を反転させようとしたその時——、
「あの側防塔! あそこにフィルギアがいる!!」
カレルは必死の形相で叫んだ。
「どこだって!?」
「側防塔の天辺!」
カレルの目には、フィルギアの姿しか映っていない。
「行こう、エギルのおじさん! このまま真っ直ぐ!」
カレルはもう一度、繰り返し言った。
(僕はフィルギアの力になるって、フィルギアの事を守る為に戦うって誓ったんだ!)
カレルはその胸に刻んだ誓いを思い出した。
もう昔のように母親と一緒にずっと家の中で過ごし、寝物語に聞かせてもらった天上世界の事を夢見ていただけの自分ではない。
(フィルギアのいる場所まで踏み出せ! この世界に飛び込め!)
フィルギアはいったい、どこで、どうしている——?
フィルギアは〝ヘイムダルの剣〟の肩の上に乗せられ、すでに放心状態に陥っていた。
ログ湖の孤島に威容を誇っていた帝国軍の城塞は炎に巻かれ、地震に遭ったように崩れ、爆発と轟音に見舞われていた。
〝ヘイムダルの剣〟は銀の剣を振るい続け、依然として悪夢のような虹の光を四方八方に放っている。
「……や、やめて」
渦中の奥底でフィルギアは呟くように言った。
「……お願いだから、もうやめて!」
フィルギアは〝ヘイムダルの剣〟の肩の上で足掻き、首に縋って泣き出した。
すると、どうした事か?
ふいに〝ヘイムダルの剣〟は、銀の剣を振るうのをやめた。
「——野郎ども! 行くぞ!」
エギルはその隙を逃さず、すぐさま決断した。
フィルギアがいる側防塔を目指して「ナズ」を加速、アリンビョルンの二番機、ソルステインの三番機に、「ナグルファル」の牽制を任せる。
「フィルギア!」
カレルは激しい炎と黒煙を掻い潜った先に、眼下の側防塔に、フィルギアの姿を確認し、必死に呼びかけた。
フィルギアは〝ヘイムダルの剣〟の肩の上で、何かに気づいたようにはっとした。
彼女はまさかという顔をしてきょろきょろと辺りを見回し、一生懸命、声の主を探した。
「フィルギア、ここだよ!」
カレルはもう一度、フィルギアの名を呼んだ。
「!?」
フィルギアがカレルの声に反応して、空を見上げた。
「エギルのおじさん! もっと寄せて!」
カレルはエギルの肩を叩いて急かした。
エギルは言われた通り、「ナズ」を側防塔にできるだけ寄せて、空中で一時停止した。
カレルは懸命にフィルギアに手を伸ばしたが、何度となく火の手が上がり、「ナズ」は熱風の煽りを食らって機体が安定しない。
フィルギアもカレルと手を繋ごうとその手を伸ばすが、もう少しのところで届かない。
カレルは思い切って身を乗り出したが、その拍子に「ナズ」が機体の安定を完全に失ってしまう。
瞬く間、カレル達を乗せた「ナズ」は側防塔の外壁に衝突し、錐揉み状態となり、ほとんど墜落した!
「カレル!」
フィルギアは〝ヘイムダルの剣〟の肩の上で、思わず立ち上がった。
「くそったれ!」
エギルが長年培った巧みな操縦技術で機体の安定を取り戻し、側防塔から一度、離れた。
フィルギアはカレルの無事を確かめてほっと一息ついた。
が、気が抜けた瞬間、〝ヘイムダルの剣〟の肩の上から、よろけて転げ落ちそうになる。
その時、フィルギアの斜めに落ちそうになった体に手を添え、支えてくれたものがいた。
なんと、彼女を支えてくれたのは、〝ヘイムダルの剣〟だった。
フィルギアは、ようやく気づいた——〝ヘイムダルの剣〟がずっと、自分の事を助けようとしていた事に。
そう考えると、これまでの行動、全ての辻褄が合う。
「貴方、私の事を……」
彼女は〝ヘイムダルの剣〟の事をまじまじと見つめた。
その間も〝ヘイムダルの剣〟は、彼女の事をしっかりと支えていた。
そう、〝ヘイムダルの剣〟は、「ギャラルホルンの角笛」の持ち主を守ろうとしていたのだ。
〝ヘイムダルの剣〟が側防塔の城壁の淵にフィルギアの事をそっと下ろした時、彼女は目にいっぱいの涙を浮かべていた。
「……いや、だめ」
フィルギアの目には〝ヘイムダルの剣〟が無言で佇む様子は、まるで最後の別れを告げているように見えて仕方がなかった。
彼女の涙に滲んだ視線の先で何の前触れもなく上空から射石砲が発射され、直撃を受けた〝ヘイムダルの剣〟は粉微塵に吹き飛んだ。
アリンビョルンとソルステイン、二機の「ナズ」による包囲網を抜け出した、「ナグルファル」の射石砲だった。
エギルとカレルが乗る「ナズ」も、再度、側防塔に接近しようとしていたが、「ナグルファル」の射石砲から、集中砲火を浴びた。
二人が乗る「ナズ」は直撃こそ免れたものの、射石砲の砲弾は側防塔の外壁を粉砕した。
「——っ!?」
運の悪い事に、飛び散った外壁の破片が、操縦席のエギルのこめかみに当たった。
「エギルのおじさん!?」
カレルが気づいた時、エギルの体は力なく伸し掛かってきていた。
これで何度目か「ナズ」は機体の安定を失い、まるで独楽のように狂ったように旋回した。
「ちくしょう!」
カレルはエギルの衣服を掴んで彼の上半身を操縦席に戻すと、後部座席からぐっと身を乗り出して、操縦桿を握りしめた。
カレルは見様見真似で、「ナズ」を操縦した。
「エギルのおじさん! 早く起きて!」
カレルはフィルギアの事を助けようと無我夢中だった。
上空から「ナグルファル」の射石砲が容赦なく襲いかかってくる。
「くそっ!」
カレルはなんとかして側防塔に進路を定めようと、歯を食いしばった。
——絶対にフィルギアを助ける!
カレルは「ナズ」の行く先に、再び側防塔を捉えた。
「……うん!?」
その時だった——エギルが意識を取り戻した。
「カレル! よく頑張った!」
エギルは額から流れる血など意に介さず、「ナズ」の操縦桿を取り戻した。
「今度こそフィルギアを奪い返すぞ! いいか、今だ!!」
エギルがいよいよ側防塔に接近し、カレルに発破をかけた。
〝ヘイムダルの剣〟は、フィルギアを前に立ち尽くし、白銀の甲冑はあちこち破壊され、歯車機構が剥き出しになり、身体中、至る所から黒い液体が溢れ出て痛々しい。
それでもまだフィルギアの事を守ろうとするように、ゆっくりとした足取りで彼女の元に近づいていく——。
「カレル! カレル!」
フィルギアは〝ヘイムダルの剣〟から差し出された大きく硬く冷たい手を握りながらしゃがみ込み、紅蓮の炎と黒煙に覆われた天を仰いで、悲痛な声で叫んだ。
カレルを乗せた「ナズ」は側防塔に向かって一直線に突き進んでいた。
「フィルギア!」
カレルは「ナズ」の機体から躊躇いもなく身を乗り出した。
「…………」
フィルギアにはカレルの呼び声がはっきりと聞こえた。
フィルギアは〝ヘイムダルの剣〟から名残惜しそうに手を離し、城壁の淵ですっくと立ち上がった。
カレルは両手を思いっきり開き、フィルギアもまた両手を左右に広げ——彼女は城壁の淵から迷わず飛んだ!
カレルは「ナズ」の後部座席から危険も顧みず精一杯、体を乗り出し、フィルギアの事を見事に抱き留め、二人は抱き合った。
エギルは彼らの無事を確かめると、この場にはもう用などないとばかりに、「ナズ」を一気に加速させた。
すぐにアリンビョルンとソルステインの「ナズ」が続き、抜かりなく煙幕を発し、ちょうど、「ナグルファル」が射石砲で狙いを定めんとしていたところを、文字通り煙に巻いた。
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