第二章 カレルとエギル 六、(1)

 第二章 カレルとエギル


 六、(1)


 フィルギアはその日の夜も、ログ湖城塞、第一主塔の豪奢な客間で窓辺の椅子に座り、遠く夜空を見つめていた。


 真夜中、たった一人である。


 窓の向こうに無数の硝子と鉄材で作られた魔術機械、さながら巨大な烏賊のような形をした空飛ぶ船が通り過ぎても、彼女にとっては何の意味もない光景だった。


 巨大な烏賊のような空飛ぶ船が到着しログ湖城塞の側防塔に係留されてから、城塞内が慌ただしくなってきたが、何の興味も湧く事はなかった。

 思えば、ずっと一人ぼっちだった気がする。


 ——昔は両親がいたし、祖母がいた。


 両親が亡くなり、祖母が亡くなってから、一人ぼっちだった。


 それから彼女のところにやって来たのは、帝国軍の魔術科学研究機関に勤めているというどこか胡散臭い魔術科学者。


 血も涙もない、帝国軍の兵士達。


 金銀財宝に目が眩んで「ギャラルホルンの角笛」が何かも判らないままに、しつこく付け狙ってくる竜賊。


(みんな、私の事を物扱いしている……カレル……)


 勇者官見習いをしている親切な少年。


(カレルは違う気がする)


 けれど、カレルはもう、ここにはいない。


 ——君が「ギャラルホルンの角笛」の三つの秘儀を洗いざらい話して、私を「風の国」に案内するというのなら、あの少年を釈放しよう。


 ロプトルはヴィンドレール家に伝わる秘密の名前は知っていたが、「ギャラルホルンの角笛」の三つの秘儀に関しては、具体的な事は何も知らないらしい。


 フィルギア自身、「ギャラルホルンの角笛」に関するあれこれはもう随分前、まだ子どもの頃に祖母から教わった事だから、そんなにすぐにははっきりと思い出す事はできなかった。


 ——いいかい、フィルギア。「ギャラルホルンの角笛」は演奏する音色によって、それぞれ特別な三つの機能を発揮するんだよ。


 フィルギアは幼い頃、祖母から教えてもらった事がある。


 ——「ギャラルホルンの角笛」の三曲、まず一曲目は「ラグナロク」。その名の通り、アース神族に「神々の黄昏」を知らせる音色だね。それから、「クルニング」……最後に、「ヨイク」……。


 フィルギアは「ギャラルホルンの角笛」の演奏曲、三曲を思い出そうとしたが、まだ年端もいかない子どもの頃の事だったので、ところどころ記憶が曖昧だった。


 ——フィルギア、今日は「ギャラルホルンの角笛」の三曲を、普通の角笛を使って練習してみよう。普通の角笛ならいくら演奏しても効果は発揮されないからね。もちろん、「神々の黄昏」を知らせる機会なんてない方がいいけどね。「ラグナロク」はともかく残りの二曲はいつか何かの役に立つ事があるかも知れない、その時の為によく練習しておこう。


 フィルギアは普通の角笛を使って、熱心に練習したものだった。


(——確か、一曲目に教えてもらった曲が「ラグナロク」、次に教えてもらった曲が「クルニング」、最後に教えてもらった曲が「ヨイク」……)


 フィルギアは「ラグナロク」以外の二曲を演奏しようと、首から下げていた金色の角笛を口元に持っていった。


 彼女も、本物の「ギャラルホルンの角笛」を使って演奏するのは初めてだった。


(そう言えば、演奏する前に、「呪歌」を唱えるんだっけ)



 ——ルーンよ、我に力を与え給え。ルーンよ、敵に破滅を与え給え。ルーンよ、「賢者(ホヴズ)」を我が手に与え給え。



 祖母から教わった刻印魔術の一節を口の中で呟くように唱えた後、「ギャラルホルンの角笛」を使って「クルニング」を演奏した。


(随分、昔に教わったと思ったけど、ちゃんと体が覚えているものね)


 フィルギアはなんとなく祖母の温かみのようなものを感じて、「ギャラルホルンの角笛」を演奏しながら微笑んだ。


 そのまま、「ヨイク」を演奏し始める。


(ああ、そうだった。おばあちゃんから、「ヨイク」は「風の国」と地上世界を結ぶ一曲だって教えてもらったんだ)


 最初のうちは何も変わった事はなかったが、そのうち、どうも階下が騒がしい気がした。


 何か騒ぎが起きているような気配がする。


「…………?」


 フィルギアは違和感を覚えて、「ギャラルホルンの角笛」を演奏するのをやめた。


 だが、もう遅かった。


 ——「神器装甲」、「賢者」はね、ヘイムダル様の事をお守りする、白銀の戦士なんだよ。


 フィルギアの脳裏に、今は亡き祖母の言葉が甦った。


 ——そう、大空を行く馬型の「神器装甲」、「金色の前髪を持つもの」を駆る白銀の戦士。


「…………」


 フィルギアは何か嫌な予感がして、足元を見やり、怯えた。


「——ヴィンドレール! 今の音色はなんだ!? 『ギャラルホルンの角笛』か!?」


 ロプトルが慌てた様子で客間を訪れ、フィルギアの事を問い詰めた。


 彼女の胸元では「ギャラルホルンの角笛」が、いつの間にか金色の光を発している。


「あっはっは! これだ! 『物語詩篇(エッダ)』にあった通りだ! アース神族時代の力だ!」


 ロプトルは金色の輝きを目の当たりにして、歓喜に震えた。


「寄越せ! もっとよく見せろ!」


 ロプトルは彼女の胸元で揺れる「ギャラルホルンの角笛」に右手を伸ばしたが、右手が触れた瞬間、電撃が走ったように弾かれた。


「うわ!? くそっ! どんな刻印魔術を使った!? ルーン文字はなんだ!?」


 ロプトルはフィルギアの手首を掴んで、壁際に押しやる。


「さっさと答えろ! 小娘!」


 フィルギアに更に迫った時、廊下が騒がしくなってきた。


「なんだ!? いったい、何事だ!?」


 ロプトルは彼女から離れて、客間から廊下に顔を出した。


「ち、地下宝物庫で、異常事態発生! 戦闘が発生しています!」


 おそらく、地下宝物庫の警備を担当していた兵士の一人だろう、ひどく慌てている。


 その時——


 ロプトルと兵士の足元、それこそ地下の方から分厚い鉄の扉が開いたか、或いは閉じたような轟音が響き渡ってきた。


「!?」


 ロプトルと兵士は、思わず顔を見合わせた。


 確かに地下宝物庫で何らかの異常な事態が発生している。


「ヴィンドレール、お前はここから動くな! 貴様! 貴様は客間から『黄金の乙女』が出ないように見張っていろ!」


 ロプトルはフィルギアと兵士、それぞれに命じると、地下宝物庫へと続く石積みの階段に向かった。


 フィルギアは兵士と一緒に、呆然と立ち尽くしていた。


 彼女の胸元で「ギャラルホルンの角笛」は未だ金色の輝きを失っておらず、本体の表面にはルーン文字がびっしりと浮かび上がっていた。


「!?」


 フィルギアは「ギャラルホルンの角笛」にルーン文字が浮かび上がっている事に気づき、目が釘付けになる。


「ギャラルホルンの角笛」には細かなルーン文字で、こう記されていた。



〝『第三の天』の極夜、新月に輝く虹の光の先、神々の地、『風の国』あり……『風の国』と地上世界を行き来する者、『ギャラルホルンの角笛』を証しとして、『金色の前髪を持つもの』を駆る『賢者』を案内人とせん……〟



 と。


「——〝氷漬けの戦士〟が、〝ヘイムダルの剣〟が、甦りました! 上に向かってきます!」


 ロプトルが石積みの階段までやって来ると警備担当の斧兵達が右往左往しており、うち一人は〝ヘイムダルの剣〟と交戦した後なのか、額から血を流しながら叫んだ。


 そう——今日までログ湖城塞第一主塔の最下層にある地下宝物庫に厳重に保管され、人々から「氷漬けの戦士」と噂されたアース神族時代の遺物、「神器装甲」、〝ヘイムダルの剣〟が、今、目を覚ましたのである。

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