第二章 カレルとエギル 五、

 第二章 カレルとエギル


 五、


 カレルはログ湖城塞の第三主塔にある地下牢から、突然、訳が判らないままに放り出された。


 窓一つなく暗闇に閉ざされた石畳みの上で横になっていると、突然、使いの兵士がやって来て、釈放だと。


 カレルは自分がなぜ捕まり、どうして釈放されるに至ったのかはもちろん、フィルギアが今どこにいるのか、そして今後、どうなるのかについても、地下牢を訪れた使いの兵士に食い下がった。


 ——彼女は竜賊に財産を狙われ身寄りもない事から、今後は帝国軍が身柄を保護し安全を保障する。彼女と一緒にいた君は竜賊との関わりが疑われた為に一時的に留置されたが、帝国軍による調査の結果、身の潔白が証明されので、本日付けで釈放となった。以上だ。


 使いの兵士は事務的に答え、それ以上は何を言っても相手にしてもらえなかった。


 カレルは釈放されたその足で強制的に軍用機竜船に乗せられ、フィルギアに一目会わせてもらう事すらできず、頼んでもいないのにビルスキルニルまで運ばれた。


 カレルはビルスキルニルの見慣れた船着場に下ろされ、無力感を覚えた。


(——僕はもう二度とフィルギアと会う事はないだろう)


 カレルはがっくりと肩を落とし、一人ぼっちで帰路についた。


(……また何も知らないまま、何もできないまま、だ)


 極夜の薄明かりの中、とぼとぼと歩いて、ようやく守護霊区に辿り着いた。


〝赤毛のアサソール〟の家に、灯りがついているのが目に留まる。


(……ああ、どうしよう? アサソールさんに、なんて言おう?)


 カレルは竜賊の追手から逃げる時、手助けしてくれたアサソールに、ことの顛末をどう説明すればいいのか、一瞬、悩んだが、


 ——フィルギアは身寄りがいない為に、竜賊に財産を狙われていたところを、帝国軍が保護してくれた。


 そのまま説明すれば、納得してくれるだろうと思った。


 しかし、である。


 実際に帝国軍のやり口と、フィルギアの怯えようを見たら、誰だって疑問を抱くに違いない。


(帝国軍はフィルギアの身柄を拘束して、いったい、何を企んでいるんだ?)


 彼らはいったい、フィルギアをどうするつもりなのか?


 それに彼女は帝国軍に捕まるまでは、あれほど連中の事を怖がっていたのに、なぜ、突然、彼らと一緒にいる事を選んだのか?


「あら、アシェラッドじゃないの!?」


 カレルがアサソールの家の前であれこれ考えていると、ふいに扉を開けて出てきたのは、アサソールの妻、シヴだった。


「どうも人の気配がしたから、うちの人かと思ったら、心配したんだよ。あれから大丈夫だった?」


 どうやらアサソールは、まだ帰宅していないらしい。


「はい、たった今、戻ってきました」


 カレルは感謝の気持ちを込めてしっかりと頭を下げた。


「うん? なんだか元気がないね。あの子はどうしたの?」


 シヴはカレルの様子に気がつき、心配そうに言った。


「帝国軍の人達が保護してくれて、安全を保障してくれるって……僕はもう、必要ないって」


 カレルは覇気がない様子で言った。


「カレル、うちの人もずっと心配してたんだよ。渡し船のストランドさんの話じゃ、二人とも川に落ちたって、捜索は帝国軍の機竜船が引き受けてくれて、発見もされたらしいって聞いたから安心していたんだけど……もうすぐあの人も帰ってくるから、うちにお入りよ。何があったのか、聞かせておくれ」


 シヴは優しく招き入れようとしたが。


「大丈夫です、別に何かあった訳じゃないんで。ただ、あの子には僕はもう必要ないっていうだけで……ありがとうございます」


 カレルは深々と頭を下げ、まるで逃げるようにしてその場から立ち去った。


「アシェラッド!?」


 カレルはシヴが驚くのを背中で聞きながら、我が家である小屋に向かって脱兎の如く走り出した。


 ——そうだ! 僕なんかもう、フィルギアに必要ないんだ!


 カレルは目に涙を浮かべて、全力疾走した。


「うわ!?」


 挙げ句の果てに、野道の途中で躓いて顔から転んだ。


 顔中、土塗れになってぺっぺっと唾を吐き、痛いやら、情けないやら、涙が止まらない。


 野道で仰向けになって啜り泣く。


 ——僕は〈白鳥の乙女〉に認められるような〈勇者〉なんかじゃない……炭切りアシェラッドだ!


 カレルは夜空の下で、自嘲気味に笑った。


 落ち着きを取り戻し、立ち上がり、再び、とぼとぼと歩き出す。


 ——僕なんか勇者官の仕事場で、炭切りをしているのがお似合いだ。


 カレルが自暴自棄になっていると、夜道の先に我が家である小屋が見えてきた。


 いや、誰もいないはずの小屋から灯りが漏れている。


 それどころか、何やら騒がしい声まで聞こえてきた。


 カレルは不審に思って、恐る恐る小屋の扉を開けた。


 するとどうだろう——竜賊の「ボルガルネース一家」が、我が物顔でどんちゃん騒ぎをしているではないか。


 禿頭の巨漢、エギルが、まるで家の主人のような顔をして、手下達と一緒に食卓を囲み、他人の家の食物を貪り食っている。


「おい、お前ら! 何、人んちで勝手にやっているんだ!」


 カレルは頭に血が上り、エギルに向かって後先考えずに飛び掛かった。


 だが、エギルの手下達にすぐに取り押さえられてしまう。


「か、返せ! うちの保存食だぞ!?」


 カレルは床に頭を押さえつけられながらも抗議した。


「よう、〈勇者〉様! まさか〈白鳥の乙女〉を置き去りにして、一人でお帰りかい?」


 エギルはあからさまに莫迦にしていた。


「あん? 何も知らないくせに勝手な事言いやがって。フィルギアが望んだ事だぞ!」


 カレルが悔しげな顔をしているのは、取り押さえられている事だけが理由ではないだろう。


「おいおい、勇者官になろうって奴はもうちょっと頭が回るかと思っていたが、そいつは本気で言っているのか、相手は帝国軍だぞ? そんなの、帝国軍に脅されたからに決まっているじゃねえか?」


 エギルは呆れたように言った。


「あんた達みたいな勝手気ままな竜賊に、いったい、何が判るって言うんだよ!?」


 カレルは顔を真っ赤にして、激怒した。


「はっ、たかが勇者官見習いのひよっこが言ってくれるじゃねえか。いいか、帝国軍相手に竜賊稼業をしている、俺達、『ボルガルネース一家』だから判るのさ。盗人にも仁義って奴だ。竜賊にも道理はある。帝国軍は外道だぜ?」


 エギルはそれこそ、知った風な口をきいた。


「一つ、昔話をしてやろう。何を隠そう、俺達『ボルガルネース一家』は、元は帝国軍——それも対〝悪名高き魔狼〟専門の死霊狩り部隊に所属する兵士だった」


 エギルは、最初から食卓に置かれていたのか、手のひら大の木製の盤面——刻印通信機に視線を落とし、語り始めた。


「だが、帝国軍様は〝悪名高き魔狼〟専門の死霊狩り部隊を謳っておきながら、その辺にいる魔狼相手の時には意気揚々としていたが、いざ〝悪名高き魔狼〟との戦いになると、本来、守るべき現地の村人を勢子として駆り出して、自分達の命惜しさに、生きた盾にしやがった……村人を囮にして、死霊狩りをやりやがったんだよ」


 エギルは黒い彩墨を使って刻印通信機にルーン文字を書き記しながら、苛立たしげに言った。


「そうよ、帝国軍の奴らほど『勇気』や『勇敢な戦い』からほど遠い連中はいねえ。だから俺達は、帝国軍に反感を持ち脱走した。それからずっと、軍属の機馬輸送団や貨物船を襲って生活をしてきたって訳だ」


 エギルは刻印通信機をルーン文字の印力で起動し、木製の盤面を見やる。


「帝国軍の奴らはいつもうまい事を言って、役目を全うしない、約束を果たさない。お前はこのまま帝国軍の奴らにあの娘を奪われ、いいようにされたまま生きていくのか?」


 エギルはカレルを挑発するように言った。


「俺達は違う。俺達、竜賊は奴らのいいようにはさせない……〈勇者〉に倣って臆する事なく戦い、必ず、金銀財宝を手に入れてやる」


 エギルはまるで自分に言い聞かせるように言った。


「帝国軍も、竜賊も、なんでフィルギアの事を狙っているんだ?」


 カレルは神妙な面持ちで聞いた。


「俺達が最初に帝国軍の刻印通信を盗視して知ったのは、暗号名、『黄金の乙女』だ。てっきり金銀財宝の類かと思って帝国軍の機竜船を襲撃したが、どこにもお宝らしきものはない。そこで出会ったのが、金色の角笛を首から下げたあの娘だ——あの娘は金色の角笛が発した淡い光りに包まれながらヴィムル川に飲まれた。そこから先は、お前さんもご存知の通りだ」


 エギルは刻印通信機の反応を見て眉を顰めた。


「あの娘が持つ金色の角笛は、とんでもないお宝だ。もしかしたら、この世界がひっくり返るぐらいのな。帝国軍があれをどうするつもりなのか判らんが、これだけははっきりしている。あれは帝国軍の奴らにみすみす渡していいんもんじゃない——奴ら、動き出したぞ」


 エギルは刻印通信機をカレルに向けた——木製の盤面には帝国軍の普通語による通信内容が浮かび上がっていた。


 ——明朝、ログ湖城塞に、羽衣船「ナグルファル」到着。同日、正午、「黄金の乙女(グルヴェイグ)」と共に帝国首都に出発。


「あいつらの事だ。きっとあの娘を帝国の首都にある魔術科学研究所に連れて行って、自分達の思い通りにする為に、何かしら刻印魔術を施すつもりだろうな」


 エギルは反吐が出るという風だった。


「そういう訳で! もう時間がねえ! お前さんちは腹拵えの為に使わせてもらったんだ! 失敬したな、俺達はもう行くぜ!」


 エギルはふいに打って変わったように言うと、てきぱきと身支度を済ませ手下達と一緒に小屋から出て行こうとした。


 カレルはしばらく、呆然としていた。


 ついさっきまでは自分など灰まみれの日々に舞い戻り、また明日から、いつものように同じ生活を続けていればいいのだと思っていた。


 だが。


 ——帝国軍の奴らはいつもうまい事を言って、役目を全うしない、約束を果たさない。


 だとしたら。


 ——お前はこのまま帝国軍の奴らにあの娘を奪われ、いいようにされたまま生きていくのか?


(こんな時、〈勇者〉ならどうする?)


 このまま何もしない、何も知らない、何もできないままか?


(どうすればいい?)


 フィルギアが帝国軍に捕まっていると知りながら、明日もこの街でのうのうと暮らして、炭切りを続けていたとして、いったい、何になる?


〈勇者〉は、地上世界の人間の一族が最後まで勇気を失わず、勇敢に戦い抜いたと、〈白鳥の乙女〉から認められた時、与えられる称号だ。


(……〈勇者〉なら、やるべき事は決まっている)


「——俺も戦うよ! 俺もあいつら帝国軍と戦うから! 一緒に連れて行ってくれ!」


 カレルはフィルギアの事を助けたい一心で、気づいた時には懇願していた。


「俺も何か手伝う! 絶対、役に立つから!」


 カレルは必死だった。


「ふむ……いいだろう! 今すぐ支度を整えろ!」


 エギルは少し考えるような仕草をすると、カレルの願いを聞き遂げた。


 これからあの娘を手に入れたら、機嫌を取るにも、きっとこの少年は役に立つだろうと考えたのである。


 カレルはこうして、竜賊「ボルガルネース一家」と共に、高速中型機竜船「ドラグヴァンディル」に乗り、ヴィムル川へと出発した。

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