第二章 カレルとエギル 一、

 第二章 カレルとエギル


 一、


 カレルとフィルギアの二人はストランドの二階構造式の中型機竜船から川に飛び降りた後、お互いに抱き合うように流され、やがて大きく口を開けた洞窟の奥へと飲み込まれた。


 その間もずっとフィルギアの首で揺れる金色の角笛は金色の淡い光を放ち続け、彼女はもちろん、カレルの事も一緒に、光のおくるみで包むように守っていた。


「——ここは?」


 カレルが気がつき上半身を起こして周りを見渡すと、薄暗い洞窟を流れる冷たい川の岸に流れ着いていた。


「カレル、大丈夫?」


 フィルギアは気を失っていたカレルの事を、ずっとそばで見守ってくれていたように、傍らに座っていた。


 首から下げた金色の角笛は未だに輝きを放ち、辺りを照らしている。


「うん、大丈夫だよ。フィルギアの方こそ、なんともない?」


 カレルは立ち上がって全身を確かめ、次にフィルギアの事を心配した。


 自分にもフィルギアにも怪我はなく、その上、衣服は全く濡れていない。


 カレルは彼女の胸元で揺れる金色の角笛を見つめた。


 ——僕達が助かったのは、フィルギアが首から下げている、金色の角笛が守ってくれたおかげか?


 カレルはにわかには信じ難かったが、そう思わざるを得なかった。


 だとしたら——


「うん、私も大丈夫」


 フィルギアは立ち上がり、こくりと頷いた。


「……ねえ、フィルギア?」


 カレルはフィルギアの名を呼んだ後、その先に言おうとしていた台詞を躊躇していた。


「何? カレル?」


 フィルギアはきょとんとしている。


 ——どうする?


 このまま何も言わずに、今まで通り、フィルギアと一緒にいるべきか?


 ——ここで今、はっきりと聞いた方がいいんじゃないか?


 もし、そうしなければ……


 ——子どもの頃、勇者官が身近にいながら何も話そうとしなかったばっかりに、魔狼の生態について知る事なく、両親を失ったのと同じような事になってしまうんじゃないのか?


 だが。


 ——とは言っても、それは、自分が聞いていい事なのだろうか?


 カレルはよくよく、考えた。


 ある日、突然、目の前に現れたフィルギアと、自分は、住む世界が違うのではないか?


 それこそ何か、自分とは全く関係がない、別世界の……?


 ——いや、それでも初めて出会ったあの日、僕はフィルギアの笑顔を見たいと思った。


 だったら……


「……フィルギアはなんで、帝国軍や竜賊から追われているの?」


 カレルは思い切って、今まで胸の内にしまっていた疑問を口にした。


「それに、フィルギアが首から下げた金色の角笛——その角笛は、いったい?」


 カレルは彼女の胸元で揺れる不思議な金色の角笛を見て、更に質問をした。


 すると——、


「……私、おばあちゃんから言われているの。おばあちゃんはもう、亡くなっちゃったけど」


 フィルギアは亡くなった祖母の事を思い出してか、今にも泣き出しそうな顔をして言った。


 カレルは一瞬、やっぱり聞かない方がよかったんじゃないかと思い、彼女の様子を見て胸が痛んだ。


「……金色の角笛は、私達の一族が、代々、守ってきたもの。これを最後まで守るのが私達のお役目だって。決して金色の角笛を他人に渡したり、角笛の秘儀を教えちゃいけないって」


 フィルギアは俯きがちに、ぽつりぽつりと言った。


 カレルはやはり自分が質問した事で彼女を傷つけてしまい、追い詰めてしまったと思った。


「ごめんね。初めて会った時からなんとなく聞いちゃいけないのは判っていたけど……」


 カレルはまずはフィルギアに謝り、困ったような顔になる。


 フィルギアの事も、フィルギアが首から下げた金色の角笛の事も、帝国軍の事も、竜賊の事も判らないとなると、これから、いったい、どうするべきか?


「今もこの世に伝わるオーディンの言葉、『高き者の歌』にはこうある——『悪い男には決して不幸を打ち明けるな。悪い男から、決して親切な心の報いを得る事はないから』」


 フィルギアは視線を落としたままで、独り言のように言った。


「……え? それってどういう?」


 カレルは困惑するしかなかった。


 ——つまり、自分はフィルギアにとって、悪い男だという事か?


 いや——、


「カレル、貴方は私の事を、二度も助けてくれたいい人よ。一度目はヴィムル川を流されていた見ず知らずの私の事を助けてくれた。二度目はしつこく追いかけてきた竜賊から、なぜ、追われているのか理由も聞かずに助けてくれた。いくらお礼を言っても足りないぐらい……おばあちゃんもきっと、貴方の事をいい人だって言うと思う」


 フィルギアは少し微笑んでいるように見えた。


「フィルギア」


 カレルもちょっと嬉しそうな顔になる。


「……でも、金色の角笛の秘密を話したら、貴方はきっと、私の事をまた助けようとしてくれて……今度こそ本当に、何か危ない目に遭ったとしたら、カレルは……」


 フィルギアは嫌な予感に囚われているようで、それ以上は言葉にできずに口を噤んだ。


「——フィルギア、大丈夫だよ」


 カレルは彼女の気持ちを察したように言った。


(フィルギアは帝国軍や竜賊に追いかけられて自分が一番、怖い思いをしているのに、昨日今日、知り合ったばかりの僕の身を案じて、これ以上、巻き込むまいとしているんだ!)


 それが判れば——


(それさえ判ればあとはもう、何も知る必要なんかない!)


 カレルはその時、心に決めた。


(——僕はフィルギアの力になる。フィルギアの事を守る為に戦うんだ)


 彼女を守る、それこそが自分の使命なのだと思った。


 確かに、その胸に刻んだ。


「フィルギア、今もこの世に伝わるオーディンの言葉、『高き者の歌』にはこんな言葉もある——『上に立つ者の子は無口で思慮深く、戦に際しては勇敢でなければならぬ。人は誰でも、死ぬまで快活で楽しくあるべきだ』」


 カレルは父親が遺した言葉を、一言一言、大事そうに言った。


「僕だって勇者官の端くれだ! 帝国軍や竜賊が何人来ようと、そこら中に罠を仕掛けて、フィルギアには指一本触れさせやしないよ!」


 カレルはフィルギアの事を真っ直ぐ見て、微笑むように言った。


「……カレル」


 フィルギアは本当に嬉しそうな笑顔になる。


「フィルギアが話したくないのなら、これ以上は聞かない。勇者官見習いとしては死霊狩りの時と同じように、対象の種類、行動様式、環境条件が判っていた方がやり易いけどね」


 カレルは少しでも雰囲気が明るくなればと冗談めかして言った。


「約束する。僕はフィルギアの力になる。これからもフィルギアの事を守るよ」


 カレルは真剣な眼差しで、フィルギアの手を握った。


「カレル、ありがとう……やっぱり私、全部、話すわ」


 フィルギアは覚悟を決めたように言った。


「え!?」


 カレルはフィルギアの突然の申し出に、二の句が告げなかった。


「だって貴方、いい人だもの」


 フィルギアはカレルの事をじっと見つめて、確かめるように言った。


「それにカレルにはなんでか、私の事を知っておいて欲しいから」


 フィルギアは少し気恥ずかしそうにカレルの手を取り、近くの岩場に座った。


「……私は天の守り(ヒミンビョルグ)山脈の奥地にある、『鉄の森(イアールンヴィズ)』に囲まれた隠れ里、リーグ村に、おばあちゃんと一緒に住んでいたの」


 カレルはフィルギアに促されるままに、彼女の話に耳を傾けた。


「リーグ村はちょっと寒さは厳しいけど、いいところよ。私はそこで毎日、羊の世話をして、パンを焼いて、『物語詩篇(エッダ)』を朗読して……」


 フィルギアは遠い目をして、懐かしそうに言った。


 カレルは不思議な金色の角笛を代々守ってきたという一族なら、「物語詩篇」ぐらい持っていてもおかしくはないだろうと思った。


 確か、アース神族の時代の古文書、「物語詩篇」は、魔術科学分野の第一級の資料として扱われ、最初はルーン文字から、最後は「神々の黄昏」まで書かれているという書物だ。


「でもおばあちゃんがある朝、目を覚ます事なく眠るように亡くなって……私はその時、まだ十三歳だったけど、おばあちゃんの事を弔って最期のお別れをしたの」


 フィルギアは大切な思い出を一つ一つ振り返るように、ぽつぽつと話し続けた。

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