第一章 カレルとフィルギア 四、

 第一章 カレルとフィルギア


 四、


「アサソールさん!」


 カレルはフィルギアと共にアサソールの家に駆け込み、玄関の戸を叩いた。


「どうした、カレル? こんな時間に?」


 玄関先に出てきたアサソールは驚いた顔をして言った。


「人攫いが来たんだ! 奴ら、この子を狙って追いかけてくるよ!」


 カレルは助けを求めるように言った。


「うちの若い者に手を出すとはいい根性してやがる! いったい、どこのどいつだ!?」


 アサソールは話を聞くなり、正義漢らしく怒りに燃えた。


「——邪魔するぜ! 竜賊、『ボルガルネース一家』だ!」


 と、そこに件の人攫いが三人、機馬に乗って乗り込んできた。


「お前さん方が、巷で噂の竜賊、『ボルガルネース一家』か?」


 アサソールはカレルとフィルギアの二人を、後ろ手に隠すようにして前に出た。


 竜賊、「ボルガルネース一家」と言えば、主に帝国軍を相手に略奪行為を働いていると聞く。


 確か、頭目は禿頭の巨漢で、丸太のように太い腕をした怪力自慢、一族、親友の為には命を賭して戦い、卑劣な相手は徹底的に叩きのめすという話だったが……


「おうとも! 俺が頭目のエギルだ! あの灰まみれの小僧は、兄ちゃんの知り合いか!?」


 禿頭の巨漢、エギルは、年齢ならば一回りは年下、体格なら同じぐらい大柄なアサソールの事を見ても、全く怯んだ様子はなかった。


「あれはうちで預かっている勇者官見習いだよ。竜賊の、それも帝国軍しか相手にしないって『ボルガルネース一家』様が、ひよっこの勇者官見習いに何の用だ?」


 アサソールもまた、竜賊を前にして、怖気付く様子はなかった。


 勇者官の死霊狩りは生半可な仕事ではないし、アサソールは格闘技グリマの大会で優勝した経験もある。


 例え素手でも竜賊相手に遅れをとるつもりはなかった。


「生憎だが俺達が用があるのは、兄ちゃんのところでぴよびよ言っている、勇者官見習いじゃねえんだよ」


 エギルはアサソールの陰に隠れたカレル達の様子を、カレルが庇っている男装した少女、「黄金の乙女」の様子を窺っていた。


「アサソール! こんな真っ昼間から何の騒ぎだ!?」


「こいつら見た顔だぞ! 竜賊のエギルじゃねえのか!?」


 周囲に立ち並ぶ家から騒ぎを聞きつけた勇者官達が集まってきた。


「何だ、てめえら! 見せ物じゃねえんだよ! 関係がない奴は引っ込んでろ!」


 ソルステインは馬上から、勇者官達を牽制した。


「エギルの親分、野次馬が集まって来ました。出直しますか?」


 アリンビョルンは状況の変化を見て、エギルに確めた。


「ふん、勇者官か。〝悪名高き魔狼(フローズヴィトニル)〟も相手にした事がねえ、腰抜けじゃねえか」


 エギルはあからさまに、小莫迦にした。


〝悪名高き魔狼〟とは、魔狼の中でも、取り分け人に仇なす血に飢えたものを言う。


 いくら死霊退治を生業とする勇者官だろうと、簡単には手を出す事ができない相手である。


 その為、帝国軍には、〝悪名高き魔狼〟専門の死霊狩り部隊が存在するぐらいだった。


「あん? そっちこそいきなりやって来て、勇者官に喧嘩を売るつもりかよ?」


 アサソールは半分、呆れたように言った。


「勇者官の兄ちゃんよ、聞こえなかったのなら、もう一度、言おうか。俺達はあんたのところの見習いには用がねえんだよ。ひよっこと一緒にいる女の子を渡してもらおうか?」


 エギルは最後通告のように、鋭い目つきで言った。

「女の子を渡せ、か」


 アサソールは苦笑いをした。


「うん?」


 エギルはアサソールの意味ありげな態度に眉を顰めた。


「なあ、竜賊の『ボルガルネース一家』さんよ。そんな事を言わずに、もう少し話そうじゃないか。何しろ俺は、前からあんた達とは、一度、会ってみたいと思っていたんだからよ」


 アサソールは突然、意外な事を言い出した。


「アサソールさん?」


 驚いたのはカレルである。


「カレル、こちらの方々は帝国軍の対〝悪名高き魔狼〟専門の死霊狩り部隊、『城砦の守護者(ハードヴェーウル)』の皆様だ!」


 アサソールは芝居掛かった調子で、大袈裟に言った。


「……まだ若いのに、よくそんな昔話、知っているじゃねえか?」


 これにはエギルも少し驚いたようである。


「悲しいぜ——昔は対〝悪名高き魔狼〟専門の死霊狩り部隊、『城砦の守護者』と言えば、城郭都市に住む子ども達の憧れの的だった」


 アサソールは昔を懐かしむように言った。


「はん、そいつは発足当初の話だな……最初は訓練がてらその辺にいる魔狼相手にしか死霊狩りをしていなかったから、みんなそれなりに働いていたし、俺もお偉いさんのご命令に大人しく従っていたもんだ」


 エギルは自嘲気味に笑った。


「〝悪名高き魔狼〟相手に死霊狩りをするとなったら、怖気付いちまったっていうのか? 帝国軍の兵士は、名誉の為には命を惜しまずに戦うんじゃなかったのか?」


 アサソールは問い詰めるように言った。


「かく言うこの俺も、あんた達の活躍に憧れて勇者官を志したってのによ、全く、情けねえ! いつからか『城砦の守護者』の脱走兵が竜賊になったと聞いて、残念に思っていたところにこれだよ!」


 アサソールは本当に対〝悪名高き魔狼〟専門の死霊狩り部隊、『城砦の守護者』に憧れて勇者官になったようで、竜賊に落ちぶれた彼らを目の当たりにして、ため息交じりに言った。


「はっはっは! そうかそうか、情けねえか! だけどな、竜賊だって〈勇者〉に倣って臆する事なく戦うんだぜ! 本当に情けねえかどうか、お前さんが自分自身で確かめてみたらいいじゃねえか!?」


 当のエギルは特に怒るような素振りも見せず、むしろ上機嫌で言った。


「——上等だ。俺は今日、憧れを超えてやる!」


 アサソールは気を取り直したように、面白いとばかりに、エギルの提案を受けた。


「ここは俺達、勇者官の縄張りだ! 男ならグリマで勝負しな!」


 アサソールは言うや否や、上着を脱ぎ捨てて、エギルの事を挑発した。


「いいぞ、アサソール! やれやれ!」


「エギルも頑張れよっ!」


 勇者官の連中は面白がって、無責任に囃し立てた。


「よしよし、そう来なくっちゃな!」


 エギルは自分達の事を取り囲んだ勇者官達の様子を見て、楽しげな顔をして言った。


「こっちも勇者官がどれほどのものか興味があったんだ。お手並み拝見と行こうじゃねえか!」


 エギルはしかし、実際は自分達が勇者官に取り囲まれていて身動きが取りにくい状況を踏まえ、敢えてアサソールを挑発したような節がある。


 その証拠にエギルは機馬から下りると馬上のアリンビョルンとソルステインにちらりと目配せをした。


 アリンビョルンとソルステインはこくりと頷く。

 やはり何か企んでいる。


「——グリマ、帝国軍の訓練でもよくやったもんだ」


 エギルは懐かしそうに独りごちた。


 格闘技グリマ——その名は「閃光」という意味を持ち、アース神族の時代、雷神ソールが身につけていたという。


 グリマは常に立った状態で行われ、右手で相手の左の腰、左手で相手の右太腿を持った瞬間、戦いが始まる。


 アサソールとエギルは睨み合い、いよいよ組み合った。


「……アサソールさん」


 カレルは自分からアサソールに助けを求めてやって来たものの、いざグリマの野良試合が始まると、申し訳なさそうに言った。


 アサソールはエギルの周囲を時計回りに回って、エギルのズボンを掴んで投げようしたが、エギルは何とか踏ん張った。


 グリマの技は全て投げ技で、相手の周囲を時計回りに回り、お互いに攻撃したり防御する。


 出足払いもあれば、膝を使って相手の体を持ち上げる事もある。


 基本的には大体、十分以内には決着がつくが、殴る、蹴る、相手に覆い被さる、強引に押し潰す事は許されない。


「——今のうちに逃げな! カレル!」


 カレルにそっと耳打ちしてきたのは、アサソールの妻、シヴだった。


「女将さん!」


 カレルは女将さんの気遣いに感謝するしかなかった。


「ほら、お行き!」


 カレルは女将さんにお尻を叩かれて、後押しされた。


「……はい! 行こう、フィルギア!」


 カレルは女将さんの目を見て深く頷き、フィルギアの手を引いて走り出した。


「ありがとうございます!」


 カレルに手を引かれながらもフィルギアは振り返り、女将さんに対して一言、お礼を言った。


 カレル達が走り出した後、間もなく、背後からどっと歓声が聞こえてきた。


 どうやら、アサソール対エギルの野良試合はお祭り騒ぎの様相を呈しているようだった。


 カレル達は息急き切って走り続け、ようやくヴィムル川の支流が見える町外れまでやって来た。


「ストランドさんの渡し船だ!」


 カレルの視線の先に、二階構造の中型機竜船が航行している。


 この辺で渡し船を生業としているストランドという老人が操縦する、ところどころガタが来ている年季が入った中型機竜船だった。


「ストランドさん! 俺達、竜賊の『ボルガルネース一家』に追われているんだよ!」


 カレルは大声でストランドを呼び止めた。


「なんだって? そりゃ大変だ! 何か儂にできる事はあるか!?」


 ストランドは二階部分からせり出した操舵席の窓枠から顔を覗かせ、いかにも人がよさそうな反応をした。


「はい! 向こう岸まで連れて行ってもらえませんか!」


 カレルは素直にお願いした。


「早く乗れ! 連中、機馬でおいでなすったぞ!」

 ストランドは一も二もなく船を岸に寄せ、カレルとフィルギアを二階部分の露台に乗せた。


「ちょっと待て! お前ら!」


「おい、爺さん! その小娘だけでも置いていけ!」


 機馬に乗って追いかけてきたのは、エギルがアサソール達を引きつけている間に抜け出してきた、アリンビョルンとソルステインだった。


 だが、ストランドの二階構造式の中型機竜船はおんぼろの見た目とは裏腹に、結構な速度でぐんぐん進んでいく。


 アリンビョルンとソルステインは追いつく事ができないどころか、少しずつ引き離されていた。


「くそ、案外早いじゃねえか、あのおんぼろ機竜船!」


「アリンビョルンの兄貴! このまま取り逃したら、絶対、エギルの親分にどやされますよ!」


 アリンビョルンとソルステインの二人は焦っていたが、機馬の足は限界に達していた。


「判っているのなら諦めるんじゃねえ!」


 と、そこに姿を現したのは、複座式の小型機竜船に乗ってやって来た、当のエギルだった。


「お前らもさっさと乗れ!」


 エギルは複座式小型機竜船を、できるだけ岸辺に寄せた。


「はい!」


「了解!」


 アリンビョルンとソルステインはエギルに言われて機馬を捨て、軽業師さながらに複座式の小型機竜船に飛び乗った。


「エギルの親分! あの勇者官とのグリマ勝負、どうなったんですか!?」


 アリンビョルンが運転席にいるエギルに向かって、興味本位という顔つきで聞いた。


「そうだ! 〝赤毛のアサソール〟といやあこの辺じゃちょっとは知られた勇者官だし、俺も勝敗の行方が気になりますよ!」


 ソルステインも興味津々といった調子である。


「引き分けだ! 引き分け!」


 エギルは何でもないような顔をして返事をした。

 その間も本来なら二人乗りの複座式小型機竜船は、大男を三人乗せてなんとか進んでいく。


「エギルの親分が引き分けえ!?」


「あの勇者官、そんなに強かったんですか!?」


 アリンビョルンとソルステインが信じられないといった顔をして、驚きの声を上げた。


「あんな状況で相手をこてんぱんに倒しちまったら周りから恨みを買うし、逆にこっぴどくやられたら舐められちまう! どっちにしろ簡単には抜け出す事ができなくなるって事だ!」


 エギルはあの場に対する認識を解説しながら、小型機竜船を巧みに操縦し、カレル達との距離を少しずつ縮めていった。


「そういう訳でわざといい勝負に見せかけて引き分けに持ち込んで、お互いの武勇を称え合ってさっさと抜け出して来たって訳よ!」


 エギルは狙った獲物は逃さないとばかりに、カレル達の乗る二階構造の中型機竜船に迫る。


「さすがはエギル親分!」


「勇者官〝赤毛のアサソール〟も敵じゃねえ!」


 アリンビョルンとソルステインはご機嫌な様子で囃し立てた。


「いいか、てめえら! 俺達は竜賊! ただの乱暴者じゃねえんだ! 竜賊の目的は、あくまでお宝! 暗号名、『黄金の乙女』のお嬢さんに対しても、失礼のないようにしろよ!」


 エギルの号令に、アリンビョルンとソルステインは子どものようにきゃっきゃっとはしゃいだ。


「ストランドさん!」


 カレルが背後から迫ってくるエギル達を見、血相を変えて叫んだ。


「心配するな! あんな過積載の小型機竜船に追いつかれるほど儂の船は遅くない!」


 ストランドは自信満々に言い切った。


「ストランドさん! 向こうからも機竜船が来るよ!」


 カレルは進行方向からふいに姿を見せた、中型機竜船を指差して言った。


「!?」


 途端にフィルギアの顔色が変わった。


 守護霊区という辺鄙な場所を流れる川には些か似つかわしくない、全体に細く優美な形、船首には突撃の際に使われる衝角が装備された——軍用中型機竜船、「スキーズブラズニル・トヴェイル」だ。


「こいつはいい、帝国軍だ! 竜賊を追っ払ってもらおう!」


 ストランドはフィルギアの様子に気づかず、素直に喜んだ。


「……カレル!」


 フィルギアは警戒心を露わにして、カレルの名を呼んだ。


「どうしたの、フィルギア?」


 カレルは心配そうに聞いた。


「あの人達も私の事を捕まえようとしているのよ」


 フィルギアは怯え切っていた。


「帝国軍が? なんでフィルギアの事を?」


 カレルは驚きの色を隠す事ができなかった。


 いや、それを言うなら、そもそも、竜賊の「ボルガルネース一家」も、なぜ、フィルギアの事を追いかけて、捕まえようとしているのか?


「カレル、ありがとう! さようなら!」


 フィルギアは肩下げ鞄の中から金色の角笛を取り出して首から下げると、何の躊躇いもなく二階の露台からヴィムル川の支流へと飛び込んだ!


「フィルギア!?」


 カレルは船縁に駆け寄って、眼下を見やる。


 フィルギアはすでに、川波に飲まれていた。


 ヴィムル川の支流は淡い水色、見た目には美しいが、深みに嵌れば溺れ死ぬ事になる。


「フィルギア、待ってろ!」


 カレルもまた迷わず川に飛び込んだ——。


「おい、カレル? どうした? 大丈夫か?」


 ストランドが振り返った時、そこにはもう、灰まみれの少年と金に輝く髪に雪のように白い肌をした少女の姿は、どこにも見当たらなかった。

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