第一章 カレルとフィルギア 一、

 第一章 カレルとフィルギア


 一、


 太陽が昇らない暗黒の季節、極夜の冬が訪れて久しい。


 極夜の冬とは言え、いつも空には月が浮かび、全く陽が差さないという訳ではない。


 今朝も九時半頃、薄明かりだったが日の出を見る事ができた。


 ヴィーザル帝国、東部(アウストリ)地方にある、城郭都市、ビルスキルニル。


 城郭都市ビルスキルニルは、同じく東部地方にある首都、ヴィーザルスランドに次ぐ、大きな都だった。


 ヴィーザル帝国の十二の都市は、全て城郭都市である。


 城郭都市とは、城門を構え、敷地を二重の城壁で囲み、城壁には物見櫓を設置し、銃眼から敵を狙撃する事ができる、堅固に防御した都市である。


 ビルスキルニル都市部の周囲に広がる農村部のそのまた更に外周にも、逆茂木、木の柵、外壁に囲まれた、囲郭集落が築かれている。


 城郭都市の最も外周に築かれた囲郭集落は、勇者官(エインヘリャル)達が住む、「守護霊区(ランドヴェーッティル」である。


 勇者官は、アース神族の戦と勇気の神、〝テュールの代行者〟とも言われ、帝国の貴族から、「テュールの大剣」を賜る事で資格を得る。


 彼らは死霊(ドラウグ)狩りの専門家であり、定期的に「死霊」を退治して帝国の土地を広げる事、農村部が「死霊」に襲撃されていれば、これを撃退する事、都市部への「死霊」の侵入を防ぐ事を職務としている。


 そう、城郭都市も囲郭集落も、全ては帝国各地に鬱蒼と茂った昼なお暗い森、「鉄の森(イアールンヴィズ)」に巣食う、「死霊」に対する備えなのである。


 帝国の人々は昔から「死霊」の脅威に晒されていたが、「鉄の森」に隣接する農村部に住む農民は、当然の如く、最も被害を受けやすい。


 だが、農民は武器を手にして死霊狩りをする事は許されなかった。


 なぜか?


 帝国の貴族は狩猟特権を持つ。


 イザヴェル大陸で狩りをしていいのは、土地を持つ王侯貴族だけ、という事である。


 その為、人々は領主に対して死霊退治を懇願したが、いかに「高貴なる者の義務」を持つ貴族と言えども、人の子、命は惜しい。


 貴族は一計を案じ、ある種の人間に「死霊」を狩る事を許し、自分達は責任者、支援者として立ち居振る舞い、かくて死霊退治は専門家の仕事となった。


 職業、勇者官の誕生である。


 勇者官には、特別、決まった格好はないが、基本的には皆、「死霊」の代表格、魔狼がよく獲物の喉元を狙ってくる為に首には鉄の棘がついた首輪を装着し、腰には勇者官の証である「テュールの大剣」を提げていた。


 今年、十七歳になったばかりの勇者官見習い、カレル・ヴロスカは、まだ鉄の棘がついた首輪も装着していなければ、「テュールの大剣」も携えていなかったが、「守護霊区」の外れに古びた小屋を借りて、一人暮らしをしていた。


 カレルは十四歳の頃までビルスキルニルの農村部で両親と一緒に暮らしていたが、アース神族が住む天上世界にある日突然、「神々の黄昏」が起きたように、ある日いきなり、自分を取り巻いていた世界が一変した。


 カレルの両親である、農家を営んでいた父親、シャールヴィ・ヴロスカと、母親、レスクヴァ・ヴロスカが、魔狼の中でも取り分け人に仇なす血に飢えたもの、〝悪名高き魔狼〟の毒牙にかかり、命を落としたのである。


 だが、主神オーディンが治める天上世界に、悪神ロキが「魔属」を率いて攻め入った事から始まる、「神々の黄昏」の後も、この世界、ユグドラシルが終わらなかったように、カレルの人生がそこで終わる事もなかった。


(……今もこの世に伝わるオーディンの言葉、「高き者の歌(ハヴァマール)」にはこうある——「上に立つ者の子は無口で思慮深く、戦に際しては勇敢でなければならぬ。人は誰でも、死ぬまで快活であるべきだ」)


 カレルの胸の内には、父親の座右の銘であるオーディンの言葉が刻まれていた。


 そう、カレルは両親を失い、天涯孤独の身となったからと言って、人生を終わらせようなどとは思わなかった。


 カレルは死ぬまで快活である為にはどうするべきか、自分なりに考えた。


 そして、〝悪名高き魔狼〟に襲われた時に助けてくれた勇者官、〝赤毛のアサソール〟の元を訪ねたのだ。


 気のいいアサソールはカレルの事を温かく迎え入れ、カレルから事情を聞くなり、勇者官見習いとして快く雇ってくれた。


 カレルはその時、アサソールから、「勇者官(エインヘリャル)」の名称の由来となった、「白鳥の乙女(ヴァルキュリア)と勇者(エインヘリャル)の伝説」を聞いた。


 すなわち——、


〈勇者〉とは、主神オーディンに仕える〈白鳥の乙女〉から、地上世界の人間の一族(マズル)が最後まで勇気を失わず、勇敢に戦い抜いたと認められた時、与えられる称号で、〈勇者〉と認められた者は〈白鳥の乙女〉に導かれ、天上世界にあるオーディンの宮殿、「ヴァルハラ」に召されるという。


(〝地上世界の人間の一族が最後まで勇気を失わず、勇敢に戦い抜いたと認められた時〟……)


 カレルはアサソールから「白鳥の乙女と勇者の伝説」を聞かされて以来、自分もいつかは一人前の勇者官になって死霊退治をするんだと、憧れを抱いた。


 そしてカレルは、今もアサソールの元で、勇者官見習いとして、一生懸命、働く日々を送っている。


 カレルは死霊狩りの仕事がない時は、鍛冶場として使っている煤けたあばら屋で、アサソールが死霊狩りをする時に使う武器や道具の整備をしていた。


 カレルは魔術機械工(ルーンスミズ)がよく着ている牛の革で作られたつなぎの作業着に身を包み、今日も元気に煤けたあばら屋に立つ。


「おはようございます!」


 カレルは煤に塗れたあばら屋と同じく、働く前からつなぎの作業着が真っ黒に汚れていたが、明るい笑顔と大きな声で挨拶をした。


「よう、アシェラッド(灰まみれ)! 今日も元気だな!」


 カレルをあだ名で呼んだのは、こちらも元気溌剌といった調子の、歳の頃なら三十代ぐらい、燃えるような赤毛に、身長優に一八〇センチはあるだろう巨漢だった。


 三年前、両親を魔狼に襲われ、行くあてがなかったカレルの事を、勇者官見習いとして雇ってくれた、アサソールである。


「今日は一日中、炭切りだし、朝ぐらい元気じゃないと!」


 カレルの今朝のお勤めは、鍛治仕事に必要な炭切りだった。


 カレルが「アシェラッド(灰まみれ)」と、あだ名される由縁である。


 どこの勇者官も勇者官見習いに最初に与える仕事は、鍛冶仕事だった。


 勇者官見習いは鍛冶仕事を通じて、死霊狩りに使う武器や道具の作り方、使い方、手入れの仕方を学ぶ事になる。


「はっはっは! その調子だ、頑張れ頑張れ!」


 アサソールは豪快に笑って、カレルの肩を叩いた。


「はい! 今日も頑張ります!」


 カレルは気合いを入れて返事をした。


 早速、鉈を手に、炭切りを開始する。


 鍛治仕事の手始めは炭切りだ。


 仕入れた炭はそのまま使うには大きすぎる為、勇者官見習いが炭切り台の前に座って鉈で割る。


 炭切りはよく、「炭切り三年」と言われる。


 木の目を読んでできるだけ粉を出さず、思い通りの大きさに切るには三年かかる、という意味である。


 カレルはアサソールから格闘技のグリマも習っていたから、体力には自信があったが、それでも、中々にしんどい作業だった。


 ただひたすら、鉈を使って炭を切るという単純な作業だったが、量が量だけに、同じ姿勢で炭を切るのは、結構な重労働だったのである。


 何しろ、一日中やっていれば、顔も体も真っ黒、足腰は痛いぐらいで、日が暮れる頃には立つのもやっとだ。


 炭は大きく形が揃ったものが欲しいので、できるだけ大きく同じ形になるように切るのだが、これがまた難しく、失敗すれば粉々に砕けてしまう。


 カレルは昔、勇者官が死霊狩りをする際の心構えについて、アサソールから教えられた事がある。


(——いいか、カレル、勇者官の仕事である死霊狩りにおいて、最も重要な事は、「主導権の獲得と維持」、だ)


(我が彼から、いかに主導権を得て維持するか。彼からいかに主導権を握り意図を封じ、防戦一方に追い込むか)


(カレル、主導権を握れ! 何事も重要なのは、主導権を握る事だ!!)


 と。


 炭切りを任されたばかりの頃は、ただでさえ重労働の上、鉈の使い方も炭の事も何も判っていなかったので、うまく切る事ができずに、炭の質にも量にも悩んでいた。


 その時、アサソールから教えてもらった事を思い出し、物事には何事にも理屈があると、炭切りにもコツがあるのだと考えた。


 では、主導権を握るにはどうするべきか?


 主導権を握るには、第一に相手の事を理解しなければならないし、自分が置かれた状況を把握する必要がある。


 だとしたら、炭切りの場合、うまく切る事ができた時は、断面には光沢があり、とても綺麗に見える。


 炭に同じ形のものなど一つもないから、見た瞬間、手にした瞬間、どこを切れば綺麗に切る事ができるのか、どうすれば粉々に砕かずに切る事ができるのか、判断しなければならない訳である。


 カレルは毎日、仕事場に通って、一つ一つ、順番に考え、少しずつ工夫を重ねていくうち、だんだん、炭切りの腕前が上達してきた。


 だが、勇者官見習いの仕事は、炭切りだけではない。


 死霊狩りに使う武器や道具の手入れ、他にも色々な仕事をやらなければならないし、覚えなければいけない事は、まだまだたくさんある。


(僕もいつか一人前の勇者官になって、死霊を退治してやるんだ!)


 カレルは大量の炭を前にしながら、決意を新たにした。


(うん、休んでいる暇なんかないぞ! 頑張ろう!)


 カレルは全身、真っ黒な灰に塗れる事も気にせず、一生懸命、炭を切った。


 カレルが炭切りに集中しているうちに、極夜の暗闇はますます、深まっていった。

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