第2話 春の憂鬱

「ねーね、マリスは誰と『姉妹スール』になんの? ていうか決めてる?」


 次に始まる授業に備えて廊下を歩いて特別教室へ向かっている最中、あたしの右側から明るく話しかけてくる声があった。


 クラスメイトで仲良くしている、瀬越せごし夏海なつみちゃんだ。


 一方のあたしは、『姉妹』と聞いて内心憂鬱になる。

 もちろん、そんな態度を表に出せるはずもなく。


「いいえ。まだですわ。学園に来てから日が浅いので。上級生にどういう方がいるか未だ把握していませんもの」

「そっかー。でもマリスが知らなくても、センパイたちはマリスに注目しまくりだよね。だから向こうからわんさか来るんじゃないかなー。マリスモテモテじゃん、やったね!」


 夏海ちゃんは、あたしよりずっと小柄で、中学生みたいなヴィジュアルをしている。


 夏海ちゃんは、瀬越姉妹の妹の方。

 そして、姉の方である春香はるかちゃんはあたしの左隣にいて。


「夏海ったら。マリスさんのことより、自分はどうなの?」


 元気いっぱいな夏海ちゃんとはまた違う、どこか遠慮したような柔らかな声が響く。

 見た目は夏海ちゃんとそっくりだけど、しっかり者な雰囲気で別人とわかる。


「マリスさんは『姉妹』の相手に困らないんだよ?」

「あたしだって困らないよー。上級生の友達だってもう何人もいるもんね」

「夏海はもっとお淑やかにしてないと、誰も『姉妹スール』になってくれないんだから。少しはマリスさんを見習って」

「春香こそ、マリスを見習えよー。いーっつもあたしにうるさいんだから。マリスみたいにいつもニコニコしてりゃいいのに!」


 姉妹はあたしを挟んで、言い合いを始める。


 二人ともあたしを、鞠栖川まりすがわってあたしの名字から取って「マリス」って不思議な呼び方をするんだけど、蓮奈って名前で呼ばれるよりはいいと思っている。

 もちろん、ママからもらった蓮奈れんなって名前の方をあたしは愛しているけど、お嬢様っぽいかといえばそうじゃないから。


 あたしはお嬢様であるっていう自己暗示を強めるためにも、名字で呼ばれた方が気持ちを作りやすくていい。

 一方で、この瀬越姉妹は本当の姉妹で双子。しかもガチセレブ。たしか有名な電子機器メーカーの社長令嬢だとか。

 それでも比較的平民寄りな雰囲気はあるから、学園内で一緒にいる機会が多いのは、このツインズだ。


「先行ってますわね?」


 ツインズによる姉妹喧嘩はいつものこと。

 こうなるとしばらく収まる気配はないから、あたしはさっさと先へ行くことにする。

 なるべく早く収まることを願って、意識を背中側に向けすぎたのがマズかったのかも。


 どんっ、という衝突音が肩口から響く。


 前から歩いてきた人とぶつかっちゃったみたい。


 お互いよろける程度で済んだんだけど、相手の方は手にしていたものを床に落としちゃったようだ。

 やば。


「申し訳ございませんわ。私の不注意で」


 一瞬で意識をお嬢様モードにして頭を下げるあたし。


「……いいんだ。ぼくの方が気もそぞろだったから」


 しっかりと響く低音の声。

 男の子? って一瞬思ってしまうくらい中性的な響きがあった。


 それにしても誰だろう?

 長い黒髪を緩く三つ編みのおさげにしていて、妙にゴツい黒縁メガネ。

 こんなコテコテに地味な見た目をした人、学園にいたかな?


 それでも、不思議と惹き込まれる見た目だ。

 存在感が強い眼鏡に視線が向きがちなんだけど、よく見れば顔のパーツの一つ一つはめっちゃ整ってる。


 そして、思ったより背が高かった。

 あたしは160センチとちょっとってところだから、向こうは170以上ある? それとももっとかな?


 それでいてひょろっとした感じは頼りなくも見えるけれど。

 ――って、知らない相手をじろじろ見てる場合じゃない。


「ごめんなさい。すぐ拾いますわね……あら?」


 屈んで拾おうとすると、教科書とノートに紛れて、細長い紙片が落ちていた。

 これ、なんかのチケットなんじゃない?

 今どき紙のチケットなんて珍しいって思いながら手を伸ばすんだけど、あたしより先にその子の手が届いた。


「とにかく、悪かったね」


 その人はさっさとチケットをポケットに収めると、何事もなかったみたいに先へ行ってしまった。


「マリス~、待ってよー」

「ごめんなさい、マリスさん。みっともないところを見せて……」


 姉妹喧嘩に一段落ついたらしい姉妹が追いついてくる。


「あれれ~、あのひとは……」

「夏海さん、知ってますの?」

「知り合いじゃないけどー、生徒会長の『姉妹』ってことで有名な人だよー」

「確か、伊佐谷いさやしずくさん……だよね? 二年生の。それ以外のことは私もよく知らないけど」

「そーそ! でもー、なんかジミ~な人だよね! 会長の『妹』じゃなかったら、きっと顔も覚えてないだろうなー」

「伊佐谷雫さん……?」


 知らない名前だ。


 本当なら、よりよいお嬢様としてセンパイの情報もきっちり仕入れとくべきなんだろうけど、まずは同級生から理想的なお嬢様と思われるようになろうと必死過ぎて、上級生の情報収集までは手が回らなかったのだ。


 三年生の生徒会長の名前は知ってる。

 楓井かえでい詩乃しのセンパイだったかな?


 入学式のとき、新入生の前で挨拶をしたから。

 まあ、どちらにせよ、さっきの地味なセンパイのことを覚えておく必要はないだろう。


 初等部時代からこの学園で過ごしている瀬越姉妹ですらあまり知らないくらい地味な人だ。

 理想的なお嬢様が『お姉様』として慕う相手としては、ちょっと違うかなって。

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