第25話 夜、桜の元へ

 夜の闇に静かに浮かぶ桜の木の下へ、小鳩はゆっくりと歩みを進めた。


(おかしい……)


 桜の根元で立ち止まり、桜の幹にそっと手を添える。ひび割れた木肌が、ざらりとした感触を指先に伝えてきた。

 どこか乾いた裂け目と、そこに滲む異様な湿気。


「……どうして?」


 呟きながら、さらに根元へと目を向ける。土は妙に黒く染まり、湿りすぎていた。

 小鳩は、そっとしゃがみこみ、土に触れた。

 冷たい。

 まるで、桜の命がそこに吸い込まれているかのような、不気味な感触。


 顔を上げると、友之助桜は青々とした葉を茂らせて夜空に枝を広げている。


 これは、本当に「生きている」姿なのだろうか?


 本来なら、桜は春の訪れとともに咲き、そして散る。

 それが命の流れであり、自然の理だ。


 けれど、この桜は違う。枯れることを許されず、散ることも許されず、ただ、そのままの姿であり続ける。

 それは、生きることではなく、ただ「囚われている」ことではないのか?


(まるで、あの人みたいだ)


 胸が痛んだ。残路のことが、ふいに頭をよぎる。

 彼は、ずっと苦しんでいた。ボロボロになりながら「永遠」に囚われていた。

 残路は、最後に言った。「俺が間違っていた」と。そして、「桜は散るから美しい」と言って死んでいった。

ならばこの桜は、果たして幸福なのだろうか?


(……違う)


 こんなもの、生きているとは言えない。

 本当の「生」ではない。

 小鳩は、そっと桜の幹を撫でた。

 ひび割れた木肌が、苦しげに息をしているように思えた。

 解放してあげたい。

 風が吹いた。

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