第7話 烏丸先生!桜の剪定するよ!
「土曜日も作業するのか……」
「あたりまえだろ」
「小鳩お前、テストはどうした。ちょうど模試だろ」
「ぜーんぜん。俺頭いいからへっちゃら」
二連ハシゴを担いで、小鳩が答える。だって本当のことだ。小鳩は成績がいい。なんでもこつこつやれるタイプで、勉強もそこそこやれてしまう。烏丸は、大きなため息をついて、ぐっと顔を上げた。
友之助桜の枝葉は青々と茂り、陽の光を受けて揺れていた。小鳩は友之助桜に登って、剪定ノコギリを片手に、鬱蒼とした葉の隙間から少し下にいる烏丸を見下ろした。
「そもそも、桜は剪定していいのか?」
烏丸は桜の枝にしがみ付きながら小鳩を見た。
「桜切る馬鹿って言うけど、桜は定期的に剪定することが大切なんだ」
「ふうん?」
「先生、剪定ってのはただ枝を切るんじゃなくて、木が健康に育つように手を入れる意味があるんだ」
「ほう、まるで手術みたいだな」
「まあ、そんな感じだな。まず、枝を切る時は、CODIT理論を意識するんだ」
「CODIT理論?」
「木は傷を負った時、カルスって言う障壁を作って傷口を塞ぐ力を持ってる。だけど切る場所が悪いと、気が腐ったり病気になったりするんだ。CODIT理論は、木に最大限生命力を与える様に考えだされた切り方なんだ」
烏丸が枝から身を離して小鳩の話に聴き入る。小鳩は、烏丸の注意を引けた気がして、嬉しかった。
「うん、先生。まずブランチバークリッチを覚えてくれ」
小鳩は枝の付け根を指さす。そこには少し盛り上がった部分があった。
「この膨らんだ部分を残して切る。ここをうまく残せば、木が傷を早く塞げるんだ」
「つまり、深く切りすぎると木に負担がかかるってことか」
「そう。じゃあ、最初にここを切ってみてくれ」
小鳩は、枝の中ほどを指さした。烏丸がノコギリを構えたまま、首をかしげる。
「どういうことだ。そこはブランチバークリッチから遠いぞ」
「重い枝を切ると、枝は自重で引き裂かれるんだ。だから、枝の重さを軽減するために二度切りをする」
「そうか。そうすることで綺麗に切れるんだな」
烏丸は、小鳩の指した中ほどに剪定ノコギリを入れた。ゴリゴリと乾いた音がして、余計な枝が落ちる。
「次はバークリッチだ。盛り上がった部分を残すと、カルスが形成されやすい」
ノコギリを掲げて、小鳩が二度目の刃を入れる。しばらく切り進めると、枝が落ちた。
「次は、交差枝だな。こういう枝が絡み合ってる部分、見えるか?」
小鳩は茂った葉をかき分けながら、交差している細い枝を示した。
「こすれ合って傷がつくと、病気になりやすくなる。だから風通しをよくするために切る」
「なるほどな……このあたりの枝も邪魔じゃないか?」
烏丸が指したのは、他の枝よりもひょろっと上に伸びた徒長枝だった。
「それは徒長枝。栄養を無駄に使うし、形が崩れるから切る」
迷わず小鳩が剪定ノコギリを入れる。すると、周囲の葉の間から光が差し込んだ。
「じゃあ、下の枝はどうする?」
烏丸がさらに下の方を指す。
「それは残しておく。上ばかり残すと、幹に十分な栄養が行かなくなるんだ」
「この小さい芽はどうする?」
烏丸は、自分の掴んだ手の横にある小さな枝を指さした。
(なんだか先生、興に入ってきたみたいだな)
良いことだ。小鳩はほくそ笑んで、少し足を変えた。
「それは……」
小鳩は答えながら、剪定バサミを取り出した。幹の途中から生えた小さな枝を、小鳩は烏丸の目の前で切り落とした。
「こういうの、胴吹きって言うんだ。これも切る。胴吹きは余計なエネルギーを使うだけだから」
「ふむ」
烏丸も剪定バサミを取り出して、胴吹きを切り始めた。チョキチョキと軽快な音がして、胴吹きが地面に敷いたブルーシートの上へ落ちていく。
「小鳩」
胴吹きを切りながら、烏丸が小鳩を呼ぶ。
「何?」
小鳩は剪定バサミを動かしながら、返事をした。
「お前は凄いな」
「ええ!?何だよ」
「……桜のことを良く知っている」
「そりゃあ、一年の頃から世話してるし、繊細な樹木だからね桜って」
「好きじゃなきゃできないだろ」
「……好きっていうか、母さんが園芸好きだったんだよ」
「ほう、お前の母親に会ってみたいものだ」
「……」
「どうした?」
「もういないよ、死んだから」
「……そうか、いや、すまん」
「へへ」
「何故笑う」
小鳩は軍手をつけた手で鼻の下を擦って言った。
「いや、俺、園芸やっててよかったなと思って」
「……?そうか……?」
「うんうん」
よくわからないと言う風に、烏丸が眉根を寄せた。それから、胴吹きをまた切り始めた。
しばらくして烏丸が下向きになった枝に気が付いて、それを掲げた。
「この下向きになった枝は?」
「それも切る。光をうまく受けられないし、地面につくと病気の原因になる」
剪定が進むにつれ、空気の流れが良くなり、桜の葉の隙間からちらちらと日差しが降り注いだ。だが、大きめの枝を切った跡が目立つ。
「先生、癒合剤を塗るよ」
「癒合剤?」
小鳩は、ポケットからチューブを取り出し、烏丸に手渡した。
「三センチ以上の切り口にはこれを塗る。内側の水分が抜けるのを防いで、外から雑菌が入らないようにするんだ」
烏丸は興味深そうに癒合剤を見つめた。小鳩が、チューブから少し癒合剤を出して、枝の切り口に塗っていく。烏丸も、見様見真似で塗り始めた。
癒合剤を全ての枝に塗り終える。
「よし、剪定はここで完成だよ、先生」
「やっとか!?」
烏丸が目を輝かせる。小鳩は頷いて、癒合剤を受け取ると、それをポケットにしまってハシゴを降り始めた。
烏丸もそろそろとハシゴを降り始める。地面に足をつけて、烏丸は深く息を吸い込んだ。
「お疲れ様!」
「おう」
小鳩が手を掲げる。烏丸が、その手をじっと見つめた。
「何だ?」
「何だって、ハイタッチだよ先生」
「……」
ちょっと驚いた顔をして、烏丸が小鳩の手を見つめた。ザザッと、音を立てて、足元の切り落とした枝の葉が揺れる。
烏丸の手がゆっくりと掲げられる。その手が、弱々しく小鳩の手にタッチした。
「ははっ何だよ、そのタッチ」
小鳩が微笑む。烏丸も、片えくぼを作った。
剪定を終え、二人は改めて桜を見上げた。風通しがよくなり、先ほどよりも桜の枝ぶりが美しく整っている。
「ふう。さっぱりした友之助桜はどう?先生」
「……前よりいい……気がする」
「でしょ」
「悪くないな」
珍しく素直な言葉をこぼした烏丸に、小鳩は小さく声を上げて、笑った。
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