第3話 - 1 恋落


夏の18時は明るい。洗濯物を取り込むために庭に出ると、太陽こそ沈んでいるが辺りは薄ら明るかった。

洗濯籠にタオル類を突っ込んで、窓の鍵に指を掛ける。窓ガラス越しに、赤い夕空に黒点がいくつか流れて、遠くでカラスが数羽飛んでいくのが見えた。部屋に差し込んだ夕陽が、奥の方の一点に反射してきらりと光る。ああそうだった、と思って洗濯籠を置いて光の方に進んだ。祖母の仏壇に飾った写真立てに光が反射していたのだ。仏壇の前の座布団に正座して手を合わせた。

写真立てのガラスの中では祖母が笑顔でこちらを見ている。この家の庭先で撮った写真だ。白髪の祖母の後ろには紅椿の花が満開に咲いている。椿の花は病気の人に贈るには縁起が良くないと言うけれど、祖母はこの花を好いていた。

「寒椿の花は、寒さに負けない強い花なのよ」とよく言っていた。だから私にも椿と名付けたのだと、口癖のように話していた。

「おばあちゃん、今朝は急いでて挨拶できなくてごめんね」

眼を閉じて、祖母の姿を頭の中で思い浮かべた。まだ元気だった、昨年の春ごろの姿。薄い藤色のスカーフを巻いて、穏やかに微笑んでいる。

仏壇のある和室の壁には、ハンガーにつるされたセーラー服が掛けられていた。紺色の素地で、襟には白色のラインが入っている。スカーフは真紅。長袖の冬服だ。椿は去年の冬から袖を通していない。その隣には弓道弓が立てかけられていた。桜柄の布に包まれた大きな弓だ。どちらも埃をかぶってしまっている。仕事に出ている母に代わって家事をしているので家中を掃除しているが、この和室だけは時間が止まったままになっていた。

和室はもともと祖母の部屋だったが、昨年の冬に病気で亡くなってしまった。母と二人暮らしになってからは殊更、この部屋には祖母と対話するとき以外は入らなくなってしまった。

「おばあちゃん。最近ね、友達ができたんだよ。傘屋によく来てくれる。すごく、綺麗な子……」

手をほどいて顔を上げ、窓の外に視線をやるとノウゼンカズラの花と目が合った。ノウゼンカズラは花びらの先に向かってラッパ型に広がって咲く。まろやかなオレンジ色の花が毎年夏になるとたわわに実る。紅い夕日の中でもどっしりと構えている印象は、冬の寒椿と似ているようで正反対に感じる。寒椿はもっと静かで、白雪の中で血が滴るように鮮烈だ。

「もう夏だね」

植物の方が人間よりもずっと雄弁に時間の流れを訴えかけてくる。誰に言うでもなく椿は呟き、カーテンを引いた。

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